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おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイド JAPAN 2013(10)
2013/07/04

決戦初日 6月8日(土)

出走受付を済ませ、着替えテントでジャージの前後にゼッケンをつけた後トイレに行って鏡で位置を確かめる。
登りで体温が上がったときファスナーを開けて胸に冷却風を十分取り込めるか確認するのだ。
すんごいハナシでしょうや。
こんなモチベーションの爺い、聞いたことありませんな。

背中のゼッケンが変についていると走行風でバタついて空気抵抗になるし見苦しい。バックスタイルは自転車のイノチやで。
ジャージにプリントされたスポンサーロゴが隠れてしまってはもっといけない。
地元に知れたら 「恩知らず 売国奴」 と石を投げられます。 落車してもスポンサーロゴがカメラに写るように転ぶ練習欠かしません。
すんごいプロ意識でございます。

テントに戻ると大勢が準備中、背中のゼッケンを仲間につけてもらって安全ピンで皮膚を刺され、
「痛ててっ! おめー おらの黄金の脚を妬んでわざと刺したなー」
「うんだー、もう走れねべ 棄権すっか?」
笑い声が上がって、いい雰囲気である。

安全ピンといえば、渡されたゼッケンに付いてきたピンはやや大振りなのでワシは持参したより小型のものを使用している。
その理由を問われれば、重量と空気抵抗の低減・落車時の二次災害防止である。
いやはや、すんごいこだわり様でございます。

ワシのように細かなことに気を配っているひとは少ないようだ。
みなさん、曲がっていたり背負ったリュックに取りつけたりと色々で、それはそれで笑えるからよい。

今日の天候は不安定で早朝は細かな霧雨が降っていた。
受付開始時間のころから雨はあがり、路面が乾き始めて日中は晴れそう。
路面がドライならタイヤのエア圧を練習時と同じまで入れられる。
ウエットなら0.1落とそうと思っていた。この差は距離が延びるほど足が重くなるから晴れて欲しい。

隣りのテーブルで携帯電話の天気予報を見ていた男が、
「雨は降らんとよ、気温も上がるだっちゃ」
と断言して着ていたメッシュのインナーを脱ぎ捨て、半袖ジャージを直接素肌に着込んだ。
でも現在気温は低い、ジャージを長袖にするかインナーを着て半袖にするか悩ましいところだ。

スタートから間もなく深い山越えがある。
頭上の樹々から しずく を受けたり、路上の水溜まりも予想されるのでワシはロングソックスと長袖ジャージを選択した。
この選択は結果的に大成功で、コースを下見したことが役に立っている。

リュックを背負っているひとは雨衣を入れているのだろうが、ワシの経験では降り出しても止まって雨衣を着る決断がなかなかつかないことが多い。
走り続けている間にすっかり濡れて、濡れた上に雨衣を着ると逆効果の蒸れとジャージとの張り付きに悩まされる。

超高価品は蒸れを追い出す構造の繊維素材で作られていて快適だとはいうものの、スーパー万能ではない。
本当に万能な「第二の皮膚」なら、それでジャージを作っているはずだよね。
雨衣は冷たい雨なら必需だが、東北とはいえ6月なら持たずに身軽にしてパオーマンスを高める方向に賭けてみた。

「すんごいやる気でんなあ」
「あたりまえや、自転車乗りはのう みーんな そーゆー覚悟じゃあー」

ロングソックスはいわゆるコンプレッションと呼ばれる筋力補強効果を追及したタイプ。ふくらはぎと踝(くるぶし)を締めつけて長時間の負荷を軽減してくれる。
これを履くときは大変で、床に座り込んで慎重に位置を合わせ履くというよりゴムチューブを装着するという感じ。
実際履き終わるころにはうっすら額に汗をかく。
きちんと装着出来ると脚がほっとするのは、筋肉が正しい位置に収まっている実効感なのだ。

締め付け力を数値で選べるものを数年前に買ったが、洗濯を繰り返すうちいい具合に馴染んで、履いていると安心感がある。
体温の損失が少ないから今日のような天候にはベストだろう。
もしもカンカン照りになって暑くなったら、めくって膝を露出できるのでロングタイツより格段に対応性が良い。

みなさん空を見上げてウエアをどうするか迷っている様子、迷えるひとはいいよね、用意があるんだから。
低温用の用意がないひとはウォームアップで体温と士気を鼓舞している。えらいぞ。

業者ブースではアームウォーマーや厚手のソックスなど売っているが買うひとはいないようだ、泥縄では自分に合ったものが選べないことを皆知っている。
一方で保安用品のブースではライトやベルなどが売れている、車検で指摘された粗忽者があわてて買って取り付けている。

準備が出来て早々と出走ゲートに並んだ年配者は、さすがに経験者らしく足首までカバーするパンツに長袖が多い。
ワシも準年配風スタイル、顔と指先以外はフルカバーである。

不用な半袖や輪行袋・カメラなどをひとりひとりビニール袋に入れて預かってくれる。明日は福島のゴール地点へ回送してくれるそうだ。
ワシも着替えとカメラ・クルマのキーなどを入れたリュックを預けた。携帯電話も持ちたくないのだがこれは義務付け、山中で迷子になったときに必要なんだと。
なのでエイド本番中の写真はありません。
大会ホームページの写真をご覧ください。今のところワシが何処に写っているか確認できておりませんが … ハナシが違うぞー。

さていよいよ出走。
ここからは、エイドが終了して帰宅した直後にサイクル弟子に宛て送ったメールを基にして書いて行きます。
時間が経ってから書いたものは、どうしても演出臭くなっていけません。
サイクル弟子はワシのメールをさらに仲間に転送したらしいので、当初の筆致とそれから一か月近く経ってから書いたものに大差があると、作家の歪曲性が公に露わになるというものです。


初日
白石周回ミドルコース: 75.2km 出走66名(棄権1名) 
予想より少ない出走数だ。
同日松島をスタートするロングコースの走路に工事によるキャンセルがあって74.1kmに短縮されたため、そちらへ変更したのかロングは239名と大勢の出走になった。
スタート前説明会のスタッフが言っていたが、コース内の勾配距離を考慮すると白石ミドルが一番きついとのこと。

「おーし 望むところじゃー」
ワシが渋く呟くと、前後のオヤジが 「じぇじぇっ!」 っとビビった。

大勢が一度にスタートすると一般の交通に支障をきたす、それはエイドの精神から本意ではないので5名づつ3分の間隔をおいてスタートして行く。
ワシは4組目にスタート。
説明会に並んだ順で決まってしまったが特に不満はない。

しばらくはグループ内に留まって整然と走る。街中を過ぎ脚が暖まってきた、膝がよく回り調子は良いと判断。
路面は乾き、風もない。
前のグループと距離が開いていたので練習走の速度に上げたら、グループを抜け出て独走になってしまった。

前方の走者もバラケていて、数台抜いたところで山に掛かった。
重たいギヤを無理して踏むのをやめ、早目にフロントをインナーギヤに落とす。
坂はますます急になり、どんどん減速操作をしてとうとう28Tのローギヤを使う。

28Tを取り付けて来たのは大成功だった。心拍はさすがに高くなっているがすいすい進むので、くるくる踏んで数台を抜く。
ワシは好調だと二重形容を多用する文法になる。 ますます・どんどん・すいすい・くるくる。
カラダもそうだが脳が絶好調のときの証しである。
ヘルメットを吹き抜ける風が気持ちよい。モチベーションは脳の前頭葉あたりが気持ちよくなっていると、むくむくしちゃうのよね。

28Tだから速度は遅い、それでも坂で数台抜くとは相当なくるくる回転数なのに心拍数が145程度で収まっている。
それは抜かれた方が相当遅いだけのことなのだが、並んだ相手に声をかける。

「お先にぃー」
じつは声をかけるのは辛いのだ、その分の呼気は自分の肺に送るべき酸素なのだから。

「うわーっ! 強いねえー」
抜かれた方も必死に声を絞り出す。

返事を返す義務はない。辛いんだから黙って抜かれろー、あんたいいひとだねえ。
強いねー なんて言われるとその気になって前に出るから、さらにその前のひとにも追いついてしまう。

「サイクルエイドはレースではありません、各人のペースで楽しく安全にゴールを目ざして走りましょう」
この標語がちらちらし始めたらヤバくなって来た証拠。心拍が150を越えた。
回転数を下げて息を継ぎ、失速しないぎりぎりの速度でヒルトップを越えたら、いきなり下りになった。

下りになれば 「ヒャッホーイ!」 である。
ボトルを取って水を飲む。最初の坂を越えて余裕ができた。
後方からも 「ヒャッホーイ」 と声が上がる。みんな同じだ。

「まもなくAID」 の看板が見えて、スタッフが手を振っている。
前走者に追いついてしまったが後ろに着けて拍手の中、第1エイドに到着した。
拍手はありがたい、元気がもどる。
だが、それより水とトイレとバナナだ。

第2エイドまでは平地を進む。
阿武隈川沿いのサイクリングロードに上がると、高い土手上のためか向かい風になった。
そこで追いついたフロントサス付き太タイヤ車のライダーが大柄な男だったので、勝手ながら風除けになって貰って後ろに着いて楽させていただいた。
S8001のライダーさん、ありがとう お世話になりました。

ロードから降りて一般道に入ると車両の通行量が多くなり、「歩道を走れ」 の指示が出た。
前を行く大柄ライダーが苦しくなっているのが分った。カラダが左右に揺れて速度の上下動を繰り返す。
だが 「歩道上では追い越し禁止」 がエイドの規則、しばらく着いて行く。

直線路で車道に出たので彼に並んだ。
「今度は僕が引っ張ります、がんばって」
「はいーッ」
声がうれしそう、もっと早く前に入ってやればよかった。

カーブの度に振り返って彼が着いて来ているのを確かめながら進んだが、機材も人材も重たいので苦しそう。
静寂なら彼の太タイヤ音が聞こえるはずなのだが大型車の音で消されてしまう。
やがて坂が現われ、追いついた2台ほどを抜くうちに彼はチギれていった。

第2エイドのテントは漁港のそばの空き地にあった。
通過チェックと補給のサービスがある、ほぼ半分を走って来たことになる。
規定タイムを過ぎてしまうとタイムアウトとなって 「お助けバス」 に回収されることになっているが、後ろの様子はわからない。

マヴィック社の黄色いスバルが屋根にホイールを20本ほど積んで待機していた。
これは、あの有名なツール・ド・フランスでもお馴染みのニュートラルサービスカー、これと一緒に映ったら絶対テレビに流れる。 
自転車界ではそーゆーステータスの車両なのだ。 おらー どーすっぺやー。

ここでワシらは過分なるお接待を受けた。
ドラム缶に炭火をおこしてホタテの磯焼き・磯汁。地元の方々から太鼓を叩いての大歓待を受けたのである。
トイレの壁に 「がんばれエイド おらほも がんばる」 カレンダーの裏に書かれた紙が貼ってあった。

漁船の着く岸壁が斜めになったままだ。
テントの立っている場所は元は何が建っていたのだろうか、砂地にぺんぺん草がひょろりと生えている。
亘理町 荒浜漁港は甚大な津波被害を受けた、それまでは名勝地 「鳥の海」 の中でいちばんの美港だったと聞いている。

死者も出たのだろう。
なのにワシらのために大漁旗を揚げ、ドラム缶に火をおこして待っていてくれた。
おばちゃんたちは姉さんかぶりに祝い法被(はっぴ)を着てホタテを焼いている。

この辺りの名産はホッキ貝が有名だが、海が掻き混ぜられてホッキは獲れなくなったのかも知れない。
ワシ、そんなことおばちゃんたちに聞けない。
ありがたく焼き立てのホタテをいただく。

ワシ、そろそろ戦闘モードを捨てないとせっかくのサイクルエイドを苦しいだけで終わることになる。
この後は追い越しをせず、脚質の合うライダーを見つけて一緒に走ろう。
焼きホタテを美味しくいただきながらそう思った。

バイクラックに掛かった数からするとすでに先頭集団に追いついている、ワシは十分に頑張ったよ。
荒浜のおばちゃんたちと比べたらまだまだかも知れんが、ワシ死にもの狂いで走って来たどー。
もうのんびり走ったっていいよね。

例の太タイヤの彼がエイドに入ってきた。
軽く手を上げて合図すると、顎から汗をぽたぽた落としながら、
「いやー ロードバイクには着いでいげねえー。 腹減ったー ほたて くでー」

彼を待ってやらなかったことに少し後ろめたさがあったのだが、あの坂を無事越えて来たようだ。
よかった。吹っ切れた、この後もがんがん行くぞー。
ホタテを食ってバナナと梅干も食って、そして太タイヤを見て、再び戦闘モードになっている自分に笑ってしまった。

再スタートはゼッケンチェックを受け、第2グループの先頭でスタートした。
太タイヤはまだホタテを食っている。
後ろの4台はワシのペースに着いてくるので、6分前を行くペースメーカー車と同じ25km毎時で進む。

昨日の下見で見た「除塩作業中」の幟バタの道を通った。今日も風が吹いている、右前からの海風だ。
道端の草地にタクシーが止まっていて、プロカメラマンの巨大なレンズがこちらを向いている。
思った通りあの幟バタとエイドライダーを一緒に撮るのがプロの視点なのだ。

練習してきた通り、前傾のまま右腕を突き上げるポーズを決めた。先頭でやで!
シャッター音は聞こえんかったが、これを撮らんプロはおらんじゃろ。
連写しやすいよう長いことポーズしてやったんや。スポンサーロゴも写ったかなあ。

なのに何処のメディアにも載っておらん。
タクシーで来たちゅうことは中央の新聞社かも知れんな。サイクルスポーツ社かも知れん。
そのうちオファーがあるやろが、前傾姿勢やったからゼッケンが写っておらんで連絡しようがないのんかなあ。
団塊屋に問い合わせないけ?

最終第3エイド手前の土手の道でロングコースの239名と合流。
阿武隈河川敷の運動公園に設けられたエイドで、トイレから出てテントに戻るときすごい数の自転車がこちらに向かって来るのが見えた。
バイクラックが足りなくなりそうなので自転車を取ってスタートの方に押して行ったら、
「準備よければスタートしてください」
と言われ、ゼッケンをチェックされた。

エイドが混雑しないように5台ルールは一旦解除らしい。
渡りに船でスタートし、前を行くロングの一団を追って国道に出た。奥州街道を南へ、白石に向かうのだ。
この辺りから空模様が怪しくなり、進行方向の上空が真っ暗になって稲光のようなチカチカするものが見える。
稲光は宇都宮ブリッツエンのシンボルマークだからワシに落ちることはあるまいが、今にも竜巻雲が現われそうな様相。

奥州街道では左端の白線の上を行くしかない。信号で止められてまた進むを繰り返すうち、前後がチギれて前を行くフラットバーのクロスバイクと2台だけになった。
前はロングのゼッケンをつけている。
失礼だが後方から観察させて貰うと、信号手前からの減速操作や加減速の具合、止まったときに足を着く縁石の位置取りの仕方などがワシの走り方に似ている。
アベレージ速度も合うからこの彼に着いて行くことにした。
この判断は大成功だった。

残り12キロほどは雷雨のなかのライト点灯走行となった。
このころフラットバーとワシは国道走行から左折して、ホッとしながら柴田町辺りの県道を走っていた。
先頭の彼が東北本線のガード下を見つけ、躊躇なく橋脚の間に自転車を止めた。ワシも続く。
雨宿りすることにしたのだ。

ワシらの雨宿りを見て仲間に加わる者もいたが、大半の後続車は水しぶきを上げて吹っ飛んで行く。
大したモチベーションやないけ。
しかしワシはメガネが曇ってよう見えん、こーゆーときは一服するもんじゃ。

雷雲の本体は頭上を過ぎたようで雷鳴は去り、小降りになって明るさが戻りつつあった。
朝のスタート時に一言二言交わした小径車モールトンのおじさんが雨合羽着用で通り過ぎ、ワシに気づいて手を上げる。
「おーっ! ワシも行くでー」
サングラスの水滴を拭き取っていると、オレンジ色のビブスを着用したスタッフのサポートバイクが止まって、
「トラブルですかー?」
「雨宿りやー いま出るところやー」

この後はフラットバー・ワシ・サポートバイクの順で水溜まりの残る道を進んで行った。
背後にサポートバイクを従えて走っていると、車両からガードされている安心感があって心拍計は125程度で安定している。
前行くフラットバーのテールランプを追ってぐんぐん行く、チェーンのワックスが流れてシャカシャカいっているが構わず踏む。
濡れてシャーシャーいっていたブレーキもすっかり乾いて制動力が回復した。

白石市に入って最後の長い登りに掛かったとき、急に晴れてカンカン照りになった。
今度は湿気でメガネが曇る。
信号で止まったときにメガネを拭いて周りを見ると、見覚えのある坂やないけ。
白石に着いた晩、トランポで迷走した坂や。
坂を登って下ればゴールのホワイトキューブは目の前じゃ。

「おーし ここからなら残り2キロもないで、アウターギヤのまま行けるでー」
前のフラットバーに声をかける。
彼は前を向いたまま右こぶしを上げる、親指が立っている。

信号が変わりワシらはスタートしたがサポートバイクは残った。ワシらの元気さを確認して次の集団を待つのだろう、ありがとうございました。
登り切ったところから白石の街並みが見えた。涙が出そうになった。
新道の急坂をトップギヤで駈け下る、雨のしずくか汗のしずくかわからんが後ろへ飛んで行く。

「ヒャッホーイ」
お約束の歓声が口を突く。

前からも聞こえる。
「ヒャッホーイ」

万国共通語の語源はスイス高原のヨーデルと聞く。
おめさん そーんな でほらく よう出るなあ。


(11) 決戦編 2日目 福島ゴール に続く 
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(写真説明)
写真は初日のワシのゼッケン。

誠にうかつなことながら、この日の終盤に15kmもの距離を引っ張ってくれたロングのフラットバー氏のゼッケン番号を失念しました。
ゴール会場で輪行袋に自転車を収めている氏を見つけて、

「明日は出ないの?」
「これから電車で東京に帰ります、また来年も出ます」
「うん ワシも来年出るよ、きっと会えるよね」
「はい お元気で…」
「お世話になった、ありがとう」

これだけで別れましたが、どこかで 「団塊屋」 を見て、「フラットバーって僕のことだ!」 というフラットバーさん。
来年はワシが引っ張るでよー、また会おうなあ。

おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイドJAPAN 2013(9)
2013/07/01

6月 出発日
白石市スタートのエイド初日は6月8日(土)なのだが出発日を早めて6日(木)の午後、宇都宮の自宅を出た。
こんなに早く現地入りしても時間を持て余すのは分っていたが、家にいても持て余しそうだから思い切って出発してしまった。

あらかじめセットしておいたナビが高速道路の方向と逆に進んでいるアラームを盛んに鳴らす、煩いからからOFFにしてそのまま国道4号を北上する。
高速道で行くと4時間程度で会場に着くが、それでは余りに早すぎる。
会場周辺がエイドムードになってきた頃に行かないと小さな町でワシのトランポ車は目立つから、変なおじさんと思われるだけだろう。

一般道を通って時間をかけながらノスタルジックに行くのもいいかなと、走り出して間もなくルートを変えたのだ。
ナビには悪いが現在地表示だけになってもらった。
国道4号は少年のころヤマハの125ccバイクで走り回った懐かしい道、福島 仙台あたりまではよく出かけていた。
懐かしいとはいうものの、4号という呼び称以外はすっかり様変わりして家並みは今風だし道は広くて真っ直ぐだし、新しいバイパスが出来ていて風景が違う。
市町村合併で知らない名前の町になっていたりする。
初めて走るのと同じだからナビの地図は消せないが、それすらも収録図の緯度経度と現実が合っていない箇所は多い。

「こりゃー 面白いわい。知らない町を通って行くのがジャーニー じゃにい」
こーゆー全然緊張感のない旅立ちでよいのだろうか。

原付免許をまだ持っていなかった頃からオートバイ大好き少年だった。
自己流で改造した2サイクルバイクにはオイルの丸缶を切って作った消音器を取りつけ、いっぱしのチューナー気取。
速くないのに音ばかり大きくて、「おまえが来るときは10分も前から分る、普通は本体が先に来て音は後から来るもんだ」 とよくいわれた。
バイクの名前は音倍号だった。

当時の白石には街の入り口だったか出口だったか国道にかかる橋の欄干が大きな こけし の人形で出来ていて、花柄の着物の腹部に しろいし と彫られていた。
それはエンターテイメントなものを見慣れていない少年にはすんごい異質なものに見え、
「おおー みちのくはすげーなあ なまはげはいねがー」 と思ったものである。

後年大阪で見た巨大なカニが店舗の看板に憑りついて、もにもに 動いているのや、道頓堀太郎人形が 「いら〜しゃい」 と桂三枝の口調でしゃべるのには、驚くには驚いたものの白石大こけしに驚いたときのほうが新鮮だった気がする。
「白石こけしの欄干は昔、領地交代で上方から来たお殿様があのこてこての大阪文化を懐かしむあまり、新任地白石のこけし職人に命じて作らせたに違いない」
日本の東西文化交流の歴史を思ったものである。

少年の日の白石の記憶はその 「こけし橋」 だけ、橋を通過するだけで街中に入って行ったことはなかった。
福島を過ぎて国見峠を越えると宮城県、最初の町がこけし橋の白石だという程度の記憶しかない。
あの頃、国見峠の辺りにはドライブインだのトラック食堂だのがたくさんあって、雨宿りしたまま翌朝まで座敷のコタツで寝させてもらったこともある。
今はもうすっかり様変わりしてトラックはみんな高速道を行く。
旧街道を走っているのは地元の通勤車か軽トラだけで、ぽつんとあるコンビニのあたり以外は照明もない。

今年2月、エイドイベントに参加するかどうか決心をつけるために一度下見に来ている、その時は高速道で往復した。
近くのインターで降り、スタート会場となる市のスポーツ施設を探して市内を走っていたとき、欄干に こけし の付いた橋を不意に渡った。
でもその橋は国道4号から折れて新幹線白石蔵王駅に向かう新しい道の途中にあった。
こけしの橋は不意に出現したが、その道は旧奥州街道(国道4号)であるはずがないから不思議に思っていた。

今回現地入りが早く、時間に余裕があって車中泊に適した場所を探してそちこち移動して、そのとき分った。
現在は片側二車線になった国道4号を拡幅改修したときにあの こけし橋 は取り壊されることになり、町のシンボルであるこけしは街中の新しい橋に付け替えられたのだ。
50年前の不良少年が初めて みちのく の畏怖を感じた巨大な木のこけしは、かつての姿のまま場所を変えて健在していた。
古びた感じは否めないが腹に彫られた しろいし の文字に見覚えがある、間違いない。
今でも首をひねれば「キュッ」と懐かしい音を立てるのだろうか。

6日木曜から7日金曜に日付が変わる頃、ワシは白石市体育施設 ホワイトキューブの正面ゲートの前に着いた。
施設は消灯され、閉鎖されたチェーンの向こうに警備会社の巡回車が見えたのでそれ以上は近寄らず、少し離れたコンビニの駐車場で仮眠することにした。
ワシのトランポはマシン1台だけの積載ならその隣に広々としたベッドスペースが得られるから手足を伸ばして眠れる。

店舗の明かりが眩しいときは移動して向きを変えて寝るのだが、一般的にコンビニの駐車場というものは地面に傾斜がついている。
雨水を流して水溜りをなくす配慮だろう、時としてこの傾斜の低い側にベッドの頭側が向いてしまうと寝にくいから別のコンビニへ引っ越す。
放浪のライダーはコンビニアンなボヘミアンなのだ。

有職のライダーが大会当日の早朝あわただしく駈けつけて来て、お握りを片手に持ったままの少々お行儀の悪い恰好で受付に書類を出している光景を見る。
その点、ワシはめっちゃん余裕かましとるで。
「おらーなあ、懐かしー白石こけしに再会しだし、ゆんべは「ゆっぽの湯」のあど隣の「ゆっぽ亭」でキリン仙台工場直送生ビールのメガジョッキさー飲んで白石うーめんも食って、たーっぷりど寝だでや。
おめらには ちいーっとばがし すまねーが、峠のトップはおらが引がせでもらうでよ」
当日、スタート前の集合地点で周りをビビらすせりふの練習をする余裕である。
こーゆーのをアドバンテージってゆうのやろ。


大会1日前

朝6時に会場へ行ってみると、広い駐車場内で CYCLE AID JAPAN 2013 とプリントされた白いスタッフジャンパーの男たちが10人ほど、打ち合わせを終えて準備を開始するところだった。
県内サイクルング協会などの関係車両やテント資材などを積んだトラックも入って来た。
リーダーらしいひとりがワシのトランポ内の自転車に気づいて近寄ってきた。

「下見を兼ねて早目に来たがや」
というと、
「一番乗り ありがとうございます。熱いコーヒー飲みませんか? 明日は賑やかになりますよ、がんばってください。 昨夜のうちにコースの分岐点には案内看板を設置しました。
下見に行かれるなら看板を目当てにお進みください」
なかなか良い応対である。

「邪魔になるから選手のクルマは出てください」
と言いがちな朝イチの緊張感のなかで、このリーダーは遠路よりの参加にまず謝意を述べている。
自分たちだって東京のイベント会社から来ている旅人のはずだ。
盛岡の第1ステージからずっと東北に留まったままのはずだ。
たぶん昨夜は寝ないでコースを回り、看板を立てて来たのだろう。
末端の地元採用臨時スタッフにまでこの精神が行き渡っていることを切に願うのだった。

後でも書こうと思うが、2日間を通してスタッフ 関係者の献身ぶりには花マル付き満足点を差し上げたい。
白石市長に至っては有り難くもかたじけなくも、あの重たくて派手派手の戦国武将の緋縅(ひおどし)の甲冑を着たまま、1時間も前からスタート会場で軍配を振り下ろす練習をしていたほどだ。
どこかでこの小文が目にとまったなら、一参加者からの謝辞と思っていただきたい。
50年ぶりに訪れて、「おおー 東北やるじゃん!」
復興のエネルギーを見て、食って、おまけに走らせて貰って、嬉しかったよワシ。

2月の下見行のとき、この坂はヤバイよとギヤ比の変更を考えさせられた毛無山の峠は最終日の福島に向かうルートだったと気づいた。
初日の海側を回ってスタート地に戻る周回コースは下見をしていないので、今日はそちらを回ってみることにした。

大まかな概念だが海に向かうのだから東に進むのだろう。
会場から出て東に向くと県道の角に最初の看板が立ててあった。それはなんと先ほどまで仮眠していたコンビニの角だった。
「それでか〜 あのリーダーが熱いコーヒーどうですかと言ったワケは…」
初っぱなから 「おおー やられちゃったぜい エイド!」 ワシ、熱いものを感じちゃったぜい。 

イベント全体でどれ程の数の立て看板を用意したものなのか、要所に出てくるコース案内看板は「間もなく左折」とか「次の信号二段階右折」 「ここから登り」 「急な下り」 など多岐にわたって設定されていて、迷うことなく第1エイド予定地の角田台山公園へ。
ここまでけっこうな斜度の登りとくねくねした下り、田んぼのなかの細い道、隘路や一時停止、をくり返しながら20km位。

集団のなかに挟まれて走るのはブレーキングの頻度が増え、そのあと加速のために立ち漕ぎするパターンをくり返して、ワシのようなピュアレーサーにはストレスとなりそう。
脚質の合う前走者に着ければ付いて行く手もあるが、間を開けるか先行して独走のほうがリズムを乱さず進めそうなので、当日の状況次第で早目の判断が重要となろう。
交通量の少ない田舎道といった感じのコースは小砂利の浮いていた箇所や田んぼの水が乗っていた路面もあった。
ザリガニが歩いていたのだから嬉しいよ。
落車したら痛そうなコンクリートの側溝もあったから、後方に車両がなければ道路中央を行ったほうがよい。

第2エイドへは平坦地になった。海が近いのだろう。
小さな市街を通り抜けて阿武隈川沿いのサイクリングロードに乗るのだが、下見とはいえ車両ではロードに乗り込めないから土手を遠くに見ながら一般道を行くうちにコースを見失ってしまった。
迷っているうち国道6号に出てしまった、コンビニでUターンして国道を戻る。
大きな川を探して走るうち、不意にエイドのコース看板を見つけて行ってみると、それは松島から白石に向かうロングコースの走者のための看板だった。

結局ミドルの第2エイドとなる亘理町の漁港のポイントは確認できなかったが、大津波被害の跡や復旧工事の近くを通過したので写真を撮る。
真っ直ぐな新しい道路を北に向かって走って行くと、右手に高い堤防工事がされていてその向こう側は見えないが海なのだろう。
防潮堤となる土手下の空地は草むらなのだが奇妙な草たちがぱらぱらと生えている。
初夏なのに赤茶けてひょろーっとしているのだ。

同じ空地に工事で余ったアスファルトが捨てられて塊りになったものが置いてあった。黒いざらざらの表面に白褐色の結晶が吹き出て異様だ。
左手一帯は畑だったと思えるが作物などはなくて、野っ原の先に大津波の流失から取り残された倉庫のような建物がぽつんと立っていた。

明日ここを走るのだろうか、隔てるものがない野っ原に風が吹いて 「除塩作業中」 の幟旗がゆっくりはためいていた。
除塩ってどうやって行うのだろう? クルマを止めて見渡してみても誰もいない。
堤防工事のはずの海側にも誰もいなくて、妙に閑静のなかにひょろ草と除塩の幟だけが揺れていた。

そのあとは下見を終了にして白石に戻ることにしたが、一部でもロングのコースを見ることが出来てよかった。
ロングはあそこから少し下流側の河川敷でミドルと合流し、国道4号の奥州街道に出て大車列を連ねて白石のゴールに向かうルートを取るのだろう。
100キロ超を来るのだ、ワシらミドルは敬意を示さにゃいかん。
しかしのう、ミドルじゃとていっぱいいっぱいの坂を越えてここまで来とるんじゃぞ、復興への思いは同じじゃ。

余談だが、走行距離ひとり1kmを10円に換算して復興NPOなどに寄付されることになっている。もっとスポンサーが付いて10円を100円にしたいものだ。
かたちは違うが休日等にひとりで走っても、その結果をネットで申告して距離に応じた金額が募金されるチャリティ ライドがすでに始まっている。
ワシはまだ未登録なのだが近々には参加したい。
距離もいいが、峠を登って獲得標高を募金するクライム チャリティもあったらいいよね。
峠の茶屋に投票箱があって、チャリで登ってティを飲む。な〜んてね。

国道4号と6号が最接近している地点がこの辺りだ。
海側を北上してきた国道6号の陸奥浜街道は、もう少し先の名取市で国道4号に吸収され奥州街道と名が変わる。
ガキのころ来たことがある。思い出が呼び起こされていよいよノスタルジーなファンタスティック トレインになってきた。

かつて伊達のお殿様が江戸に参勤するときには、金色堂藤原流のきんきら豪華衣装で街道を行ったわけだが、このとき行軍の楽な浜街道を通って江戸に向かったのでは勿来の関を過ぎるとやたら好戦的な徳川出身の水戸藩のエリアとなる。
そこで無用のニアミスを避けるため内陸の嶮しい道を取って白河回りの陸奥街道東山道を進み、下野の国 黒羽を経由して日光東街道から越谷草加を経て千住から江戸に入った。
この行程を矢立てを腰に笠を背に、逆に歩んだのが芭蕉とその弟子曾良である。

音倍号でそれらの街道に2サイクルエンジンのニオイ振り撒きながら何度も徘徊した不良少年は、50年後に音無しクリーン号を駆ってまた訪れるとは思わなかった。
早目に白石入りしたことで、思わぬところまで行ってみることができた。
再びこの辺りに来ることがあるなら、芭蕉色の忍者旅衣装に菅笠をかぶってマウンテンバイクで廻ってみるのもよろしかろう。

「曾良や サドルバッグから矢立てを取ってくれんか、一句 参ろうぞ。 俳句のことを俳諧というがの、ありゃーなにだよ 諸国を徘徊するからなんじゃ」
「お師匠さまー ざぶとん2枚でございますぅー」 

「夏草や つわものどもが 除塩して」
                      馬蕉
「見に来たど おほー今年は立派な ひょろりなり」  
                              素羅

さーて いよいよ明日はエイドだっぺ。 風呂さ入って早く寝るためにトランポを最良の位置に止めだら、うめー酒っこ飲んで 白石うーめんだっぺー。
今日そちこち下見して ワシ、一段飛び抜けたアドバンテージを手に入れちゃったもんね。 峠のトップは おらに決まりだっちゃ。

「峠とは 英語で トップと いうだっちゃ」
                       蛇足

(10 最終回 決戦編に続く)
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(写真の説明)
左: このような光景はまだそちこちに見られます。
   新しい道路はエイド用に作られたわけではありません、何も走っていませんでしたが…
   報道写真としてはなかなかの出来。

右: CYCLE AID 特設案内看板がこれ。
   車道は国道6号線、手前側が仙台方面。
   サイクルロードに上がると眼前に阿武隈の雄大な景色が広がっていました。 
   写真のポイントは、芭蕉と曾良主従が来た道を振り返ったとされる三叉路。

おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイドJAPAN 2013 (8)
2013/06/27

6月初週
岩手県内でエイドJAPAN第1ステージが開幕した。
南下コース 初日は盛岡スタート花巻ゴールの105km、2日目 花巻スタート一関ゴール90km。

東北地方は梅雨入り前、曇りがちやや低めの気温ながらまずまずの天候でよかった。
エイドの勇者たちを冷たい雨で濡らすのは気の毒だ。
エイドは来週南下してワシも参加する第2ステージの宮城、長期予報では晴れ。 わくわくするでや。

地元 盛岡経済新聞によると、初日に盛岡をスタートしたのはロング ミドル合わせて197名。
4日間のエイド全ステージに1,318名がエントリー、とあった。
うーむ まずまず であろう。
なにが まずまず かというと、全12コースでの単純割りは コース当たり110名の出走。
人気不人気のコースもあろうが、大方この陣容か。

ワシの初日は白石周回コース。
ベースキャンプを白石市内に置いたまま、最終日の福島ゴールコースに挑めるので人気が集中することは予想していた。
だが多くても200名くらいなら整然としたライドの車列が望めるだろう。

ずっと気にしてホームページを見ていたが、大会の公式サイトには各コースへのエントリー数が載らなかった。
ワシのような戦略家にとって、一緒にスタートする人数やスタート順は重要な情報。
周りを走る選手たちと戦略的互恵関係を築きながら峠を越えて行く上で、これらの情報が欲しかった。

ワシのただ一つの戦略は 「初っぱなに相手をビビらす」 ことだけやから、近くにすんごい強豪がいたらこっちがビビってしまう。
エイドは競技ではない、親睦や言うけんど、ホンマのことを正直に吐露すればやで。
「競技には怖くて出られんけどエイド程度なら参加してみたい。叶うことなら集団をブッちぎって前に出てみたい。
一度でいいから 二度はなくてもいいから、こぶしを天に向かって突き上げる一生一度のゴールシーンってヤツを、おらー フクシマのみーんなの前でやってみたいんだあー」
み〜んな そう思うてんのや、口には出さへんけどな。

それには丘陵地帯でのアタックや、登りで一度アタックをかけたら緩めるワケにはいかん。
目がまわるほど踏んでもうダメだと思っても、踏んで行けば必ず下りが現われる。だから丘と陵の地帯っていうんやないけ。
大方の連中は漢字を知らんから丘陵は丘ばっかりやと思うてる。だから後ろでトロトロ漕いでおる。
そこがねらい目や先行するんや。
登りがあったら必ず下りがある、息がつけるんじゃ。それを信じて踏んで行くんじゃーっ!。

冒頭にわくわくすると書いています。ワシのモチベーションは健在です。
周りをビビらせるに足りて不足無し、キラキラのコルナゴと昨季の国内王者 宇都宮ブリッツエンの純正ジャージがあるっ!

そうなのです、コルナゴは甦ったのです。
前号(7)でリヤハブを損傷し再起を危ぶまれたコルナゴ号でしたが、翌朝10時に約束通り配達されたホイールセットと12T−28Tのカセットスプロケットを装着して、翌月曜には予定通りロードでの練習をすることが出来たのです。
土日の練習を休んで休養に当てるのは当初からの計画でした、月曜日には練習ロードを走っていたのですからブランクなし。
不幸中の幸いというろころですかね。
不幸を招いたのはホラキちゃんのメールでしたが、不幸を実行したのはワシの左右の腕でした。ごめんなさい。

届いたホイールはRS21−A という中級グレード、箱から出して眺めてみる。
ハブとスポークが黒色 リムがシルバー、リム高24mm標準。アルミフレームのピンピンに硬い軽量バイクに似合う雰囲気。若向きっていうカンジやね。
昨日ネジ切ってしまったフリーボデーはスチール製に改良されていました。
あそこをヤッチまうひとはワシひとりではないらしい。

スチールのフリーハブになったせいか空転時のラチェット音が大きい。
超扁平な形状のスポークは空力上有効かも知れんが、エレガントさの点でそれまでのアルテグラ7600Gに見劣りする。
上品さがワシとワシのコルナゴ号のコンセプトやから、リムサイドの円周状に貼られたグレードロゴのデカールを未練なく一気に剥がした。
一気に剥がさないと糊が残って醜いのだ。

デカールの取り去られたホイールはすっきりとして、やや上品さを備えたように見える。これならコルナゴ号の一員として仲間に入れて貰えそう。
早速ハブにギヤカセットを取り付けるのだが、注意書きが添付されていた。
「10速ギヤにはこのスペーサーを必須、11速ギヤは取り除く」 とある。
どうやら11速変速に対応した最新型のようだ。
10速で使うには付属のアルミスペーサーを噛ませてギヤカセットを組み付ける、と書いてある。

このホイールセットはシマノが最近発売を準備している11速変速機に対応した先行デリバリー品だった。
各地の認定小売店に対応品を行き渡らせておいて、頃合いを見てバアーンとメディア発表するいつものやり方だ。
頃合いというのは10速を売り切ってしまう頃のころのこと。 まあ自動車メーカーのモデルチェンジでもそうやね…

ワシは10速専用品でよかったのだがなあ…
なにが違うのだろうか? 手を止めて新旧ふたつのホイールを眺めてみた。
11速ギヤカセットはギヤが1枚増えるから横幅が増す、増した分は何処かで誰かが窮屈な思いをしなければ吸収できない。
その誰かとは?

これや! スポークの位置や。
スポークはハブのフランジ部から生えている。ここを内側に押しやって11枚目の歯を押し込めたんや。満員電車の最後の乗客の尻を押し込む駅員と同じや。
容積の決まっている電車内でも、人間の乗客やから押せばいくらでも縮む。少々可哀そうでも尻アタックで押し込める。
ところが自転車は金属の集合体やから押しても縮まらん。
無理に押せばたわむが、たわみは戻る。それを弾性変形という。
戻らんたわみを疎性変形といって、究極は折れ曲がりだ。 「ありゃー 曲がっちゃったわ〜ん」 とポイされる。

全巾130mmと国際会議で決まっておる自転車のフレームエンド内に、11枚のギヤカセットをどーしても入れるんには、スポーク巾を狭めんとならんかったんや。
その結果はどうなります?
スポーク剛性が落ちますやろ。
ホイールはハブとリムとの間を斜めに突っ張った20本のスポークが踏ん張って支えておるんやで。コーモリ傘の骨といっしょや、平らではイカン。
その斜めの度合いが少のうなったらどーや、ホイール全体の剛性が落ちますやろ。

こーゆー力学のハナシを関西弁で論ずると、どーも 緊迫感が薄れますな。
えっ! なに? もともとアンタは ゆるいてか。 放っといてー。

分ったぞー! それであの無骨なスポークのデザインなんやな。空力の扁平やー、言うとんのはマヤカシや。
ごっついスポークを叩いて平たく見せとるだけなんじゃ。
こっちのアルテグラを見てみい、扁平じゃが細くて角は面取りしてあって上品やないかあ。

ここで前号(7)と号外版の写真を参照してその違いをご確認いただければ、
箱から出てきた新ホイールをワシが 「エレガントさに欠ける」 と断じた理由がお解り頂けよう。

10速のシステムを使うユーザーには、フリーハブに厚み1.8mm のスペーサーを噛ませてギヤカセットを入れることで従来のチェーンラインと変わらぬ位置にギヤをセット出来るよう工夫している。
しかし、メーカーの本当の目的は10速専用品を市場から駆逐して、モデル数の整理を断行するところにある。とワシはみる。
工場の生産性と在庫の簡略化、販売店での展示のしやすさ、カタログ枚数の低減、など流通の合理化が狙いだ。
いわば10速車へのリストラなのだ。

うーむ やはり論文は東京弁で述べると臨場感が高まりますなあ。
つい最近、松本清張賞を受賞した社員食堂のおばちゃんだって東京弁でながったがや。 

ともあれワシはホイールを組んだ。
練習をしなければ松本清張賞はおろかエイドJAPANの完走賞すら戴けなくなる。
嵌合部に薄くかつ十分にグリスを塗って、締め付けトルクは細心の注意を払って 「カリッカリッ クッ!」 で止めた。

スペーサーを入れればチェーンラインは変わらないというのは信用できない。
ホイールセットが替わりカセットスプロケットも別ものになったのだから、空間上のまったく同じライン上をチェーンが走るはずがない。
事実、組み上げてペダルをゆっくり回しながら変速してみたら、ギヤ鳴り、チェーンの跳び越し、フロントからの脱落等々が起きた。
それは予想のことだったから、シフトワイヤを一度フリーにして変速機を初期化の状態から調整し直した。

昔買ったマニュアル本はここの辺りが油汚れになっていて、何処がポイントか直ぐ思い出した。
この本は、六角レンチと一緒に棺桶に入れてもらおう。

月曜日、いつもの鬼怒ロードで試運転。
ホイールの感じはやっぱり硬い、無骨なスポークは両側クロス張りなので剛性感が強く出すぎるのだろう。
交換前のアルテグラは左はクロス張り、右側だけが放射状のラジアル張りだった。
左右のテンションに差をつけて全体を調和させているのだろう。
上品さのミナモトが見えた気がした。

じゃが、そんなことを今言ってはいられない、ショップオーナーが電話で言っていたように新ギヤの走行感に馴れなければならない。
オープンレシオだから風の強さが変わった程度の負荷変化なら変速操作をしないで踏み続けなければならない。

解かりにくい読者のために詳しく書くと、
チェーンが現在掛かっているギヤの歯数に対し隣接の上下のギヤ歯数に開きが大きい、これをオープンレシオという。
このオープンなギヤ歯間でチェーンの受け渡し、すなわち変速が行われると変動幅が大きいだけに一定の速度を保つには、ペダルをより速く踏んだり、ゆっくりの場合はより強く踏まないとならない。
その段差感を早くつかめとオーナーはアドバイスをくれたのだ。

走ってみると誠にその通りで、5月にずっとやってきた 「一定の回転数を保って長距離を行く」 のがどれほど難しいかが良くわかった。
クロスレシオに馴れきった脚で小さいギヤを無理して踏むからハムストリングに筋肉痛があらわれた。
その筋肉痛を筋肉に変えられればワシの勝利や。
もう時間がない、ハムだろうがスペアリブだろが やってやろーじゃねーかー!

このモチベーションの根源はなんなのだろう? ワシ、踏みながら泣いたよ。
脚が辛くて泣いたんじゃない。
フクシマのみんなの前で、空にこぶし突き上げてゴールするシーンを想像して泣いたんじゃ。
あと1週間でそれが果たせるんじゃ。  文句あっかー。


(9)に続く
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エイド出走時のホイールと12T−28T
2013/06/26

エイド出走時のホイールと12T−28Tギヤカセット

ギヤが左へ行くほど(ロー側)急激に盛り上がっています、オープンレシオの組み合わせ。
変速時のショックとペダルにかかる重さの急変は今でも好きになれません。
エアロ効果の扁平スポークが見えます、でもエレガントさに欠けるようで…。

おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイドJAPAN 2013 (7)
2013/06/26

5月最終週
ここまでエイドに向けた準備はうまく出来ている。
トーニングは早朝から始めて昼には上がり、カラダと自転車のメンテをしっかりやって昼寝を4時間。
この頃には山へは行かず鬼怒川のロードで一定の回転数を保つペダリングに集中して、モチベーションの維持に努めるようにしていました。

昼寝としては長めの午睡から目覚めると、外は夕暮れになっている。
近くのコンビニで明日のためのウィダーとポカリを買って常温の小屋に置いておく。
明日の朝買ったのでは冷えていて、ボトルに詰め替えて走ると結露する。その水滴が脛に飛んで来るのが嫌だ、という理由だけだ。

どんな理由であれ士気を脅かしモチベに仇なすものは徹底排除せねばならん、さればわれらへたれにも勝機はあろう。

トランポに自転車を積み込み、靴やポンプ、ヘルメットなど忘れ物のないようチェックリストで確認したら、今夕はもうすることはない。
先ほどのコンビニで真っ先に買ったビールと軽めのつまみで一杯やって寝る。

昼寝のあと何時間も経っていないが眠れる。すっかり習慣になっている。
翌朝は3時に起きてコンビニで朝飯。
たまに吉野家のときもあるが、汁だく牛丼は腹がだくだくするので牛皿とご飯を頼んだほうがアスリートにはよい。

携行食のエナジーバーとひと口羊羹、カロリーメイト、それに練習直後用の牛乳とバナナを買ってロードに向かう。
こういうくり返しを飽きもせずやってきたが、いよいよ集大成の6月まで1週間となった。

ワシすこぶる健康。
「風邪をひかずインフルエンザにも風疹にもかからず腰痛もない、そういうひとにわたしはなりたい」
宮澤賢治が詠んだあの詩は自転車ライダーがモデルだったのだ。

その朝は土曜日だった。
土日のロードは混むので練習には行かず小屋で入念なメンテをしたり、大会のホームページに新しいことが追加されていないか確認したりする日にしていました。
土日は有職ライダーのために空けておく。
そう書くとたいそうカッコいいが、奴らにあっさり抜かれて挫折したらモチベの醸成にマイナスだから行かない。カラダをしっかり休ませることもトレーニングのうちだって思うんです。

今回のイベント参加にあたって白石に置き去りにするトランポの移動をあの信頼できる男、ホラキちゃんに頼んである。
福島ゴール地点の周辺地図を渡したり到達予想時刻など、最終打ち合わせにワシが訪問することになっていた。
約束は夕方、一杯飲んで完走への歓送会をやろう、やって貰おうという了見。
ところが、いつもと同じ午前3時に起きてしまったので少々困った。

今日の午前中はすることがない。
やらねばならぬ整備はすべて済ませた自転車は絶好調、装備品 携行品 消耗品すべてチェック済。
ゼッケンを付ける安全ピンのスペアまで手芸店で入手してある。
トランポのナビには白石と福島の会場がインプット済。
大会が急に明日になったって全然OK。
余計なことをしてコルナゴちゃんを変調させることのほうが怖いくらいだ。

辞世の句はすでに(4)で詠んでいるし、自転車傷害保険には「サイクルベースあさひ」と「サイクルスポーツ誌1月号付録」の保険に加入。
イベント当日の保険はスポンサーでもあるau損保で加入、と万全。

このあとは怪我のないよう軽めに練習して、出発前日にもう一度チェーンを洗浄して新油を注ぐだけ。
チェーンの辺りを眺めていて「そうや!」と思いついた。
「スプロケも洗っとこ」

スプロケとはリヤの10枚のギヤセットのこと。チェーンに対応するギヤを工業界ではスプロケットという。
10枚のギヤ群の塊りをギヤカセット、または単にスプロケと呼んでいる。
カセットと呼ぶように、数種の歯数のギヤをライダーの脚質、コースに合わせて選択して、大きい順からリヤホイールに取りつけてある。
慣れると簡単に着脱 交換ができるところからカセットという。

これも洗ってやろう。この何でもないような思いつきがこのあと「出走辞退」の文字がアタマをよぎるほどの大失敗の始まりだった。
ワシのこの5か月間に犯した唯一にして最大、最悪の失態であった。

好調な人間が困難の奈落に落ちて行く展開を読者は喜ぶ。
ワシの失敗を読者はココロの奥底に潜む悪魔と共に望んでいるのだ。
そーゆーひとほど 「どーした ん だいじょーぶかい?」 なーんていいやがる。
圧倒的に駄目なのを確認したくて 「だいじょーうぶかい?」 って聞くんだから悪魔に違いない。

だとすればワシのこの展開は大衆文芸の王道を歩んでいることにはなるが、このときは本当に参ったんです。
「あっ?!」 っと言ったきりしばらくは固まって、そのあとはへなへなと尻もちをついてしまいました。
ナニがあったかというと、ネジを割ったのです。リヤ軸にギヤカセットを取り付ける部分のネジをオーバートルクで捩じ切ってしまったのです、修復可能レベル値=計測に達せず。

リヤの10枚ギヤは車両から取り外さなくても、布で丁寧に拭いたり凹んだ部分は布をブラシのように隙間に入れて前後にこすって綺麗にしてやることは出来ます。
普段はそうしています。
だからひどく汚れていたりはしていないのですが、おしぐれ‥(2)でお見せしたようにフロントギヤを、(6)に書いたようにチェーンを替えています。
これらは綺麗に洗浄したあと神棚に安全祈願をして、必要箇所にはグリスや潤滑剤を適量塗布して組み付けました。
でもリヤのカセットスプロケは暫く分解洗浄をしていなかった。

だからってどうといういうことはないんです。ギヤ歯に摩耗や損傷がなくて、しっかり固定されていて、チェーンの掛け替えとトルクのやりとりがスムーズならOKなんです。
でもね、なんだか片手落ちみたいな、スプロケだけ仲間外れにしたような、そんな気がしてね。
さいわい今日は時間がある。まだ午前4時だ。

そこでワークスタンドに乗せてリヤホイールを取り外し、さらにカセットスプロケを外してギヤを単体に分解し、1枚1枚洗浄液で洗ったのです。
分解には専用の特殊工具を使います。洗浄液は高価なホワイトガソリン。
灯油で洗うひとが多いけれどホワイトガソリンのほうが脱脂効果は高いので、潤滑剤のワックスの乗りが良くなります。

ネットでガソリンが買えるとは思っていなかったけれど、コールマンのキャンプコンロ用ホワイトガソリン4リットル缶が宅配便で送られて来てびっくりしました。
さすがに航空便厳禁のラベルが貼ってありましたがね。

ピカピカになったギヤを順番通り組み立てて、内側の位置決め溝に薄くグリスを塗って取りつけ、軸にロックリングで締め付けます。
ロックリングはスチール製のナットですが特殊形状をしていて、緩み止めの細かなギザギザがスプロケ最外側のトップギヤに喰い付いて緩み防止をします。

分解図で示さないと解からないでしょうね、そのようなひとは下の5行を読み飛ばして結構です。大勢にさしたる影響はない。

フレームのリヤエンド間距離は130mm、厳重な国際規格です。そむくメーカーは1社もありません。
その狭い空間にハブ軸と10枚ものギヤを押し込めているので、1点1点の部品はすべて縦方向の距離、つまり厚みが規制されます。
10年ほど前に10速車が発売されたとき、「もうこれが限界11枚は入らない」 と言われたのに今年シマノが11速ユニットを発売したので驚いている。
ただしイタリアのカンパニョーロはすでに11速で実績もある。でもシマノのような電動メカはない。
そこにアメリカのスラム社が加わって三つ巴の多段ギヤ開発合戦。そのハナシは別の機会に…。

その特殊形状ロックリングを専用工具でグイッと締めたとき携帯メールが鳴った。
ホラキちゃんからで、裏山のケヤキの木を先週倒したが今日それをウインチで引き出す。ついては早目に来て手伝えという内容。
そんな恐ろしい作業を来週にはエイドを控えた選手にさせようという魂胆に驚くが、へたに断って福島ポーターを断られては大変、行くよと返メールした。

時計を見たら6時だった。それからお茶を飲んで 「さーて どこまでやったっけな? おおそうじゃ ロックリングを締めるんじゃ」
くだんのリング、緩み止めのギザギザがあるから締めると特殊工具がコキッコキッと進む。
携帯が鳴ったとき、最適トルクまで工具は進んでいたのだった。

お茶を飲んで、「さぁーてと」 手につばつけて特殊工具を締めたらコキッコッ* ズルッ。 ロックリングのネジを受ける側のアルミのネジが 「ズルッ」 と。
写真を貼付しておきます。

この部品はシマノの図番を調べればスモールパーツとして入手可能。
フリーハブといって、ペダルの足を止めたときリヤ軸内でカリカリ音を立てているアレです。
交換にさほどの手間は掛からない、修復は可能なのです。
急いで入手すればエイドに間に合う。
なのに、へなへなと尻もちをつくほどの失望感に襲われたのには、もっと特殊な事情があったのです。

コルナゴちゃんがワシとこに来てすぐに、ワシはアジア最高峰自転車ロードレース”ジャパンカップ”で有名な宇都宮市の北西部丘陵にある古賀志峠に向かったのです。意気揚々と。
だが坂の途中で挫折しました。
”ジャパン”の選手がグイグイ登ってゆくこの坂をワシは下を向いて降りてきました。

まずいことに、その日ワシは宇都宮ブリッツエンの初年度ジャージを着用しておった。
降りてくるワシに登ってくるクライマーが驚いて、
「どーしました? トラブルでも‥ それとも熊が出ましたか?」
ワシはしどろもどろ。
「あー‥ いや、 急に仕事の電話がはいってのう‥」

その足でサイクルショップに駆け込んだ。
「オーナー! 何とかしてくれ 古賀志が登れん」
下北の恐山から逃げ帰る3年ほど前のことでした。

古賀志峠から逃げ帰ったときのリヤギヤはごく一般的な12T−25T、(12丁〜25丁と読みます、数字は歯数 トップが12 ローが25)
ショップオーナーがパーツリストを繰って見つけたのが16T−27Tというカセットスプロケット。
トップが16Tというのは最高速度は伸びないが(どーせそうでしょうよ)10枚の歯数の段差が緩やかなクロスレシオだから使いやすいという。

でもこれ、成長過程のジュニア仕様といって、取り付けるフリーハブボデーの直径がやや小さい設計のものに対応している。
小さいサイズのフリーハブボデーはワシの大人用ホイールに互換しないそうな。
したがって取り付かん。

「なんでそんなんショムナイもん紹介するんや!」
「旦那 まかせておくんなせー あっしに策がありますぜえー、以前に一度やったことがごぜーやす」

詳しく聞くとこうだ。
16T−27Tのカセットが届いたらホイールと一緒に知り合いの旋盤屋に加工に出す、現物を計測しながらホイール側のフリーハブボデーの外径を削って細くしてカセットを入れる。
という裏ワザ。
なるほど超のつく裏ワザだ。ワシの他にも超裏ワザの恩恵に浴している超へたれさんが存在すると知って意を強くした。

これらのパーツは、元々の厚みが軽量化と強度の狭間の寸法だから、直径を切削加工すると強度が落ちるのは否めない。
でも旦那の脚力程度ならOKでねーのー、自己責任ということでやってみっかね?

旋盤屋に出して3週間待って、出来上がったスペシャルギヤでワシは古賀志峠をようやっと登った。
ジュニア仕様だってなんだって、わしゃ登ったんじゃー。
止まりそうな速度だってなんだって、足を着かずに登ったんじゃー、文句あっかー。
裏ワザだってなんだって、ドーピングよりはいいだろう。

下北の恐山へ行ったんはその後のことじゃった。あそこの恐れ坂はスペシャルギヤでも登れんかった。
恐れ入った坂だが自動車だって難儀するんでねーの。

ともかく、シマノの補給部品でフリーハブボデーを取り寄せても、そのままではスペシャルギヤの装着は不可。
可能にするには旋盤屋に出して3週間。
急がせても今からではエイドに間に合わん。

ワシが尻もちをついて失望した理由は、こーんなに長い説明が必要なほどスペシャルなことだったのだ。

7時になるのを待ってワシはショップオーナーの私用の携帯に電話を入れた。
私用の電話番号が知らされている客は少ないが、コルナゴユーザーはクレジットカードだってプラチナだからスペシャルなのさ。
彼にだってどうにもならないことだろうがもしかしたら、作業場の引き出しに何かいいものが、加工中の何か転がっているかも知れない。

最初のコールでは繋がらなかった。
渋いお茶を入れ直して飲んでいたら向こうから掛かってきて、事情を話すと。

「ごめんなさい、今 静岡修善寺の日本サイクルスポーツセンターに来ています、ブリッツエンの合宿サポートです。戻るのは6月中頃。
エイドJAPANのことは知っています。ぜひ出場してください。
欠場しないためには、ネットでそこそこの完組みホイールを買って、12T−28Tを組んで足を馴らしてください、大会までにできるだけ走り込んでください。
その際チェーンの長さが変わるからよく確認して変速不良のないように」

「えっ? 12T−28T? そんなのあったの?」

「はい 近年のヒルクライムブームで去年シマノから出しました。普通のロードホイールにビルトオンです。
歯数に開きのあるオープンレシオですからおしぐれさんの足には平地で使えるギヤが限られるでしょうね。
それと変速ショックも大きくなりますが、ロー28Tの威力はへたれ峠でめっちゃ頼りになるでしょう」

「なんだよーっ! おらよりへだれが いーっぺえ いだんでねーがあー」

ワシはパソコンに飛びついた、午前中に発注すれば明日朝に届くものならデザインやカラーなんか何だってかまわん。
あるんだねー そーゆーのが、しかも前後セットだけだなく後輪用だけでも即出荷OK。12T−28Tも在庫あり。Amazonは偉いねえ。
痛い出費になったが発注を済ませてホラキちゃんの手伝いに行った。

ワシが幼少のころから大木だったホラキ家の裏山のケヤキは根元から8メートルほどの処で切られ、上の幹と枝葉が斜面に横たわっていた。
根元部分は山の土止めとして残したんだそうな、じきに若い枝葉が伸びてケヤキは死ぬことはないんだそうな。
根元のところまで急斜面を登って行って巨木の肌に触れてみた。水を吸い上げる音がしたような気がした。

「なんで切ったの?」

「うん チェーンソーだがや」

「そーゆーハナシでねーべ、 なぜ? 切ったのか と聞いておる」

「うん 大風の晩に ざーざー 揺れて安眠を妨げるし、もしも折れて倒れたら おらの家が押し潰される。それが理由だ」

「立派な理由だが、ご先祖さまには報告したのか?」

「うん それなんだが、幹の材が乾燥したら仏さまを彫って貰いてえ。庭の隅に彫り師の小屋をおっ建てて、手厚く迎えっから来て欲しい」

「彫り師とはワシのことか、ふむ よかろう。乾燥するのはいつだ?」

「まー 50年後だなや」

このあとワシらは、エンジンウインチから伸ばしたワイヤーで急斜面に倒された巨木の幹を曳き降ろしに掛かった。
掛かったのだがうまくは行かん、予想通りだ。

何処かで工面してきた中古のウインチは言うことを聞かず、エンストするわ暴走するわ、ワイヤーが跳ねて御柱様は滑り落ちるわ。茅野の惨劇の再来じゃー。
作業員は2名共しろーとだからそりゃーもう大変な騒ぎ。悲鳴と罵声が山峡にこだまする。山のカケスが慌ただしく飛び去る。
見かねた近所の元山林作業員の爺さま達が手伝いに来てくれて、夕刻までには何とか下まで降ろせた。

死人が出なくて本当によかった。
こーゆーことはしろーとがやってはナラン。
御柱様が転がり込んだ池の堰が壊れ、先代が大事にしていた錦鯉が全部沢に逃げた程度の代償は仕方ねーべ。

このハナシはもっと続くのだが、配送便に乗ったホイールの行方が心配だから終わりにする。どーせこの後は爺さま達を交えて酒のみだったのだ。
逃げた錦鯉が山沢を泳いで帰って来た奇跡のハナシと、木仏彫り師 俊水坊のハナシは別の機会に譲ろう。
本編はサイクルエイドの記録なのだから。

翌朝ワシは4時に目覚めた、いつもより遅かったのは昨日の山作業の肉体労働で疲れたのだ。
変な筋肉痛でペダリングが乱れたら困るが今のところはないようだ。
それよりペダリングする自転車の復活が喫緊の課題である。
ホラキはまだ起きてこないが自宅に帰って宅配便を待つことにした。

ホラキ邸から数キロ降って道端の自販機でクルマを止め、熱い缶コーヒーを飲みながら道沿いの沢を見ると見覚えのある錦鯉が数匹、流れの緩やかなところで泳いでいた。
「おーい おめらは何処さ行くだあー 竜宮城は遠いぞー 元気でなあー」

(8)に続く
syn


(写真の説明)
左 : リヤハブ軸にフリーボデーが取りついている状態。 この溝に(写真右の)ギヤカセットが嵌合する。
写真背後の黒皮の椅子はラボの社長椅子。

中 : 取り外したフリーハブボデー。先端ネジ部に割れが見えます。軽量アルミ材なのが仇となりました、写真右の新規購入ホイールにはスチール製が付いてきました。
フリーハブ外周溝部には旋盤加工時のバイト跡が残っています。

右 : ギヤカセット。中央のどてっとしたヤツが付いていた16T−27T クロスレシオのギヤ。 これで2万キロほど走ったでしょうか、気に入っていましたが…。
左は11T−25T 右は12T−23T 脚質、コースに合わせて選択します。出来合い車には左のタイプが付いてくるのが一般的です。

(NEXT): エイド出走時のホイールと12T−28T。  ギヤが左へ行くほど(ロー側)急激に盛り上がっています、オープンレシオの組み合わせ。
変速時のショックとペダルにかかる重さの急変は今でも好きになれません。
エアロ効果の扁平スポークが見えます、でもエレガントさに欠けるようで…。

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