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若き日の源蔵爺いさんが一人で大陸へ渡ったのは、のちの世界史で第零次世界大戦といわれた日露戦争が講和した翌年か翌々年だった。
明治30年代のおわり頃の日本の世相がどんなだったか儂は知らんが、想像はできる。
父系家系の絶対化と帝国憲法のもと、日本は軍政化を堅固なものにしてどんどん右傾化して行ったのだろう。領土拡大は国是だった。
徴兵法はこの頃よりより厳しくなったといわれ、第一次世界大戦まであと10年もなかった。
一方、講和により両軍の兵士が去った後の大陸奥の方では治安の損なわれが恒常化していた。
日に日に元のカオスの状態に戻って、芥子が咲き大麻草の伸びる山間地ではいわゆる黄金のトライアングルが出来ていた。
遠くヨーロッパからもマインドコントロール薬を求めてマフィアや後のナチスの斥候まで現われ始めていた。
いくら戦勝国の日本人とはいえ先年戦場として踏み荒らした異国の地にたった一人で入って行くなんて、よっぽどの要件と武装がなければ政府の人間だって二の足を踏む。
民間人のしかも軍隊経験もない源蔵さんがどーやってもぐり込んだのか不思議だが、昔のことだからその辺はその様になったと、そーゆーことでよかんべ。
旧清朝帝国を創った女真族のうちの親露派が、ロシアの撤退で後ろ盾を失ってゲリラとなり蛮刀を持ってうろうろしている。
一部には弓の矢にトリカブトの毒を塗って日本人を殺す急先鋒も跋扈し、アタマの皮を剥がして国境の交換所に持って行けばウオッカとマリワナ又は焼酎と阿片が貰える。
どちらのセットを選ぶかは部族の習慣で異なるのだそうだ。
アタマの皮を二枚持って行って両方貰う者はいなかったそうで、彼らとてポリシーは高く持っていた。
そーゆー噂の大陸だったそうな。
具体的な国名は言えん。今はUN 国連監視団がうるさいでな、隠居の儂が炎上ブログなど書けるよしもない。
源蔵爺さんは多額納税富裕層の跡継ぎ息子特権を行使してこの戦争への従軍を回避している、海外になど出たことは無いから日本から見て西の大陸の地理などまったく不案内。
加藤清正の虎退治のお話しから何となく方角の分りそうな朝鮮半島をさっさと素通りして、鬼畜帝露軍と最激戦を交わしたとされる満洲南部を目ざしたというのだからたまげた話だべ。
この当時の満洲とは、後に日本が画策して清の末裔に建国させた満州国のことではない。洲という字は州に ”さんずい” が付いている。
正確には滿洲と表記される一帯で、漢民族・清民族・モンゴル民族・蒙古族・それに女真族・ウイグル族などがごちゃ混ぜになったカオスの風土だったのだろう。
満州建国は昭和7年。それより30年も前の記録は今でも曖昧なままだが中国とも微妙に違うこの辺りは、清朝の支配下だった頃の影響が色濃く残る地域だったようだ。
そーゆー処に何をしに行ったのか? これがなあー 評価が判としないところがいかにも源蔵爺いさんらしい。
一説では帝政ロシアの動向をさぐるべく日本帝国政府の密命を受けて潜入した Secret Agent Man だったという話しだが、多額納税富裕層の跡継ぎにそーんな密命が来るはずあんめー。
儂が思うにはの、もっと軟派なハナシだ。
源蔵さんのヤツ、父親の興した酒蔵を継ぐのが嫌で家を飛び出してはみたものの、日本中の酒屋には回状が回って行く処が無い。
そこで支那に伝わる黄金伝説 ”秦の始皇帝の埋蔵金” を掘り当ててプチ滿洲国の皇帝になろうと、そーゆー了見だったのではねーかと見ておる。
何故なら源蔵さんの東洋史観では、秦国と清国とが一緒になっているフシがあるんじゃ。
秦も清も発音は ”CHINA” じゃろ、なに! 末尾の A か? 源蔵爺さんが習った頃の ”大ブリテン英語” では末尾を消音するのが貴族の慣習なんじゃよ。
本当さ、John Lennon の残した自筆サインをネット画像で読んでみろ! 彼は Sir の称号を授かっているからな、ジョ レノ としか読めんじゃろ。
あに? でほらく話しをすな! てか。
しからばサザン オールスターズはどうじゃ。クワタ ケスケは何を叫んでおるのか一向に分らんが聴衆はみな涙を流しているではないか、あの催涙テクは歌詞の末尾のウヤムヤにあるんじゃ。
儂は源蔵爺さん本人に聞いてみたことがある。
ある日のこと、儂が尋常小学校の図書室から借りてきた 「冒険少年」 を酒樽の上に乗って読んでいたら、爺いさんがそーっと寄ってきて、
「おまん 冒険が好きか?」
「うん 好きだよ」
「よーし それなら爺ちゃんの滿洲冒険話をしてやろう、じゃがその前におまんは樽から降りねばならん。酒樽は神様の寝床だからなあ 息が苦しくなっては相済まんじゃろ」
そーゆーて手を引かれて行ったのが、ほれ、そこの井戸の処じゃ。
そばに桜の木が一本立っておったのを憶えている。
「源蔵! そんな処で何をしておる。その旅支度は何だ! おまえが家業の酒屋を継ぐのを迷っているのは知っていた。だが親を捨てて黙って家を出ようとしておるのか?
おまえの徴兵回避にどれ程の大金を使ったと思うか、この親不幸者め!」
「違うんだ お父っつあん おらの話しを聞いてくれ! おらは満州で戦死した三吉の骨を探しに行くんだ。戦死公報だけで遺髪もねーんじゃ あいつのおっ母あーが 可哀そうでなんねえ。
この井戸の水を赤ん坊の頃から一緒に飲んで、兄弟同様に育った三吉だ。もう一度 井戸の水を飲ましてやりてえと 水筒に詰めていたところだ。
用意ができたらお父っつあんにだけは話して許しを貰おうと思っていた。でもおっ母さんにはとても話せねえ」
「ぬわんだとぉ〜 三吉の骨を拾いに満州へ行くだとぉ〜」
「行かせてくれ、三吉はおらが行くのを待っているに違えねえ。墓もねえところで寒さに震えているかも知んねえ。
あいつは故郷に残したおっ母あーが心配で、土にもぐって安らいでなどいられねーんだ。
出征壮行会の晩、あいつはおらに言った。
「本当は戦さなどに行きたくはねえ、おっ母あーをひとり置いてゆくのは心残りでなんねえ。
だがお国のためなら行かずばなんめえ。なあ源蔵 オラは必ず帰ってくるで、それまではよー 源蔵、オラのおっ母あーのことをオメに頼みてえが、ええが?」
おらは兵役に行かねえことを臆病 卑怯だとは思っていなかったが、三吉の前では恥じたよ。詫びた。
だから約束通り毎日お里さんの様子を見に行っては井戸から汲んだ水を届けていたが、講和条約の少し前にとうとう戦死公報が届いちまった。
それからは、おらはお里さんの前に出られねえ。三吉のおっ母さんの顔が見られねーんだ。
あいつはおらの分の鉄砲まで背負って戦地に行った。そーでなければ死なずに済んだはずだ。
三吉たち勇士の命と引き換えに講和のなった今、おめおめと いやぬけぬけと 祝いの祭りで手など叩いていては、それこそおらは卑怯者だんべ。
英霊たちの駆けた戦場をこの目で見て、故郷の香りの線香を焚いてふるさとの水を飲ませ、オメたちの働きで父母は安泰ぞと知らせてやるまでは、おらはずーっと卑怯者でいなくちゃなんねえ。
行かせてくれ、お父っつあん。これは三吉の鎮魂でもあるけんど、おらが臆病者でねーことの確かめでもあるんだ」
「よう言うた 源蔵。
村の者には酒造りの修業に出したと言うておく、じゃがおっ母さんには便りを書けよ。これを持って行け必ず役に立つ」
源蔵の父、つまり儂の曾い爺さんが源蔵爺さんに持たせてくれたというのは、なんと皮袋一杯の征露丸だった。
お二人もご存知のあの正露丸じゃが、この頃は征露丸だった。
正露丸と改称させられたのはもっと後で、日本が国際連盟に加入する際にロシアが条件をつけたというのだから国と国との軋轢というものはなあ‥ 。
大陸での源蔵爺さんが幼なじみの三吉さんの終焉の地にどーやってたどり着いたのかの詳細は、聞いたのだろうが憶えていない。
なにぶんにも儂が尋常小学の一年生のことじゃったでのう、
「冒険少年」 のダン吉のハナシならよく憶えておるが‥。
ともかく爺さんは毎日征露丸を飲んでチフスにも脚気にも罹らず、士気高く未知の大陸を進んで行った。
歩いたのかロバに乗ったのか泳いだのかヒッチハイクだったのかそーゆーことも憶えていないが、ともかくあの広い大陸の地上を這うような速度で西に行ったんじゃい。玄奘三蔵のコースじゃぞ!
九頭竜だの雪男だの山姥だのが次々に行く手に立ちはだかったに違いない。
ともかくじゃ、源蔵爺さんは棘の道をかき分けて進み、硫黄の山を踏み越えて、天山のふもとで遂に本懐を遂げるんじゃ。大したもんじゃろう。
それからは来た道を驚異の速さで走り、郵船に乗って帰ってきた。
日本帝国陸軍三等兵卒 下野縣石井郷 柳三吉 とかすかに読める擦りきれた綿布の縫いつけが痛々しい兵士背嚢を背負った彼の姿は異形だったという。
それはそうだろう、九頭竜と闘い雪男を素手で倒した男だ。オーラが違う。
帰還兵という言葉が風化し始めていた日本の街に、ふいに現れた亡霊のような姿だったに違いない。
貫通銃創だらけの兵士背嚢が幽鬼なら、それを背負った人物の鬼気の気配に圧倒され、船も鉄道もバスも料金キップなどと野暮なことを言うものはなかった。
あまりの汚さに近寄れなかったというのが実相らしいが、従軍経験のある者たちは黙って席を譲り、銃創痕に手を合わせたという。
戦死者を出した家の婦人は台所に駆け込んで握り飯をつくり、追いかけて行って黙って手渡したという。
征露丸の皮袋を懐に入れてふる里を出奔して以来3年。先の戦争は1年数か月で終わったがその倍の年月を彼はひとりで戦場跡の荒野を歩き、三吉遺品の背嚢を探し出した。
天山山麓の山懐で行き止まっていた彼を助けてくれた村で、長老の家にあったのを見つけたのだそうな。手の平一杯の征露丸と交換して手に入れたという。
だが三吉の遺骨にはついに巡り会えなかった。
天山の大地に注いだ水筒の水は、故郷の井戸から汲んだときと変わらぬ鬼怒の伏流水の輝きと香りを保っていたという。
三吉さんのおっ母さんは病床にあったが、背嚢を背負って薄暗い土間に立った源蔵さんを見て、
「おおお〜 三吉、帰ったかあー こっちさ寄ってよっくと顔を見せろ おおお〜 三吉じゃあー ご苦労さんであったなあ よう帰ったのう。
さあ風呂に入れ、めしの前に酒がええか、待ってれ すぐに源ちゃんが届けてくれるでのう、ふたりして一緒に飲めやあ」
数か月後、背嚢を抱きしめて微笑みながら三吉さんのおっ母さんはこの世を去った。
当時の習慣に従いお里さんは土葬され、喪主は源蔵さんがつとめたそうです。お棺に三吉さんの背嚢も一緒に入れたのは言うまでもないと思いますよ。
墓は当家の墓所の隣りに新たにつくりました。
今は三吉さんと源蔵さんは隣り合わせに眠っています。
ええ二人とも戒名などありません、そーゆー爺さんの遺言でした。儂が墓標の杭んぼをおっ立てたときに傍にもう一本、三吉さんのもおっ立てました。
一方に 滿風 柳三吉 一方に 征露岩 冒険源蔵 と墨書しました。
親爺は笑っていましたが、「オレのはちゃんとやれよ」 とは言っていましたねえ。
今飲んでおられるのが40年前に井戸の伏流水で醸した酒ですわ。
親爺に弟子入りして20年目にやっと儂の仕込みを許して貰いましてな、いやー 初作だで国税庁には内緒で、表には出さん酒です。
色が幽かに紅いですじゃろ、酒米を蒸すときの甑(こしき)に緋天蚕で織った絹布を使ったらそーなりました。
商売物にはなりません、内々で飲んでおりますが言うなれば密造酒ですなあ。 ふおっ ふおっ ふぉー。
そうそう 桜の話しでしたなあ。
えっ 緋天蚕も? そうでしたなあ。
まあ お飲みなさい、ぼちぼちその話しも致しますでな。
そうだ、今夜は泊っていきなされ、鬼怒の伏流水の風呂にも入っていただきたい。
あかすりの絹布がなあ 緋天蚕なんですじゃ、からだじゅうピンク色になる。
四につづく
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お店は何代も続く造り酒屋といった佇まいながら、重厚過ぎない外観の雰囲気がワシら軽薄二人組の背中を押してくれた。
店内に入ると印半纏を着た女性がひとりいたのでさっそく案内を乞うてみた。
ワシらのうち少なくとも一人は年に四度も咲くという不思議な桜への学術的興味は少々、じつは地酒の試飲が来訪目的の大半というミーハー的ココロ。
しかもアポなし到来者だから断られてもしかたがない。そのときは一本買ってあっさりと退散しよう。
見渡すと数種の酒瓶が棚にならんでいる。菰(こも)の樽も置いてあるが、赤い漆塗りの祝儀用ツノ樽に歴史を感じた。
子供の頃、村内で祝儀があるたびワシは稚児役を頼まれて赤いツノ樽の酒を三々九度の神器に注いだものだ。大半は畳の上にこぼれたが ‥。
当時100年にひとりの神童、と謳われておったワシだから祝儀の際には必ず呼ばれた。神酒を吸った畳は縁起が良いと上座に移し替えられるほどだった。
神童やで、酒呑童子より格上だがね。
そのときに対のおなごの稚児役をつとめた鼻垂れ娘が、後年ワシのふたりのムスメたちの母親なのだから人生とは分らないものだ。
そうだもう一本買って、元鼻垂れ娘が元気でいるか届けてやろう。 ‥ ツノ樽を見て、神童改めへたれ拝命後の数奇な歴史を思い出してしまった。
各地の造り酒屋とは大体こんな感じだろうか。多くを見たわけではないがこれが正しい田舎の酒屋、そんな気がする。
酒屋独特の匂いというのだろうか、蒸した米と麹と樽木の匂いの混じったような空気が流れてきた。
今は新酒の仕込みの時期、奥では忙しいのだろうが店頭はひっそりしていてドタバタした処がない。
店内は広いが商品をにぎにぎしく並べ立てていないところも実によい。
しばらくして品の良い老人があらわれた。
和服姿なのだがなんという着物かわからない、しいて言えば黄門様の旅支度のようなもんぺの裾を絞った着物。ただし色調は極めて地味で、袖なし羽織にはポケットが付いている。
それに足元は短いソックスにサンダルなのがとてもよい。
「よく来てくなすった。 ほーけ 自転車でなや、 遠くから来たんけ?
なに 隣り町から、若い人なら15分の距離を1時間かけて そらー えらがったなや」
先代蔵主という老人はサイクルウエアにヘルメットというワシら二人の出で立ちに初め驚いた様子だったが、「四季咲きの桜を見たい」 との申し出ににわかに好顔となった。
木々は紅葉から落葉となる深秋のこの時期に、桜を見に来たと平然と言い放つ珍客に好顔となる爺さんとは、これはただ者でない。
「ほーけ ほーけ ”桜を飲みたい” ではなく “見たい” とな。
ほーけ 嬉しーなあ そーゆー お客は40年ぶりだでなや。
これ お春、 社長に言ってな スーパーグランド四季の桜 オールド40 を出して貰いなさい。
ほーしてな お春、 えーが こちらのお二人はな、ただのお試し飲みの客ではないぞ。
あの桜を訪ねてお出でなったんじゃ。儂の客じゃと言うておけ。
それからな、簗場に電話して子持ち鮎を焼かせろ。うす塩で姿よく焼けたらすぐに隠居所へ届ろとな」
孫なのかお手伝いなのか分らないが、やはり上品なその女性が電話を掛けている間に老人は先に立ち、ワシらを案内して工場敷地の奥のほうに歩いて行く。
思わぬ厚遇にびっくりしながらワシらはその後ろをおずおずと、庭の飛び石伝いに自転車を押して付いて行ったのです。
背中のリュックに里芋の煮っころがしの重箱が入っている。レールマンの奥方が肴にと持たせてくれたものだが、今さら言い出せない雰囲気になっている。
酒屋へ試飲会に行く亭主とその仲間に、わざわざ里芋の肴を持たせて送り出す、そーゆー発想は今時の奥方にはないぞ。こーんなんは江戸落語の長屋のおかみさんだ。
レールマンの長い単身赴任中、奥方は三遊亭圓生のDVDを見ながらポテトチップスをポリポリやっていたに違いない。
ポテトも芋だ、里芋の発想はここにあったのか。やはりただ者ではない。
それにしても里芋がこれほど重いとは思わなかった。
アフリカではタロ芋やヤム芋を粉末にしたものを持って走り、川の水で練って焚火で焼いたナンを食ってエネルギーとし難を逃れたが、これ程は重くなかった。
ニッポン里芋は煮っころがしたときの出汁や砂糖と醤油で質量が増えたのかも知れない。カロリー高そうだし芋の炭水化物は長距離の助けになる。
粉末にして焼き固め、ショ糖とナトリウム塩を最適配分すればスポーツ エネチャージには最適食品となる可能性があるが、やはり野におけ里芋は 酒の肴がよろしかろう。
そーんなもろもろを思いながら老人の後につづく。
一方相方のレールマンは何も背負っていないくせにやたら遅くてママチャリに抜かれても平気。発奮ペダルなど踏まないことがたっぷり1時間かかった理由だ。
抜いて行ったママチャリは今頃きっと友達にスマホで自慢していることだろう、
「あたしさあ さっきね、土手を自転車でダメ犬の散歩させててさあ、カッコだけのノロ亀ロードを二台もブチ抜いてやったのよー。すごいでしょう。
ダメ犬はね、あたしの猛ダッシュに必死こいて付いて来てヘタレたのね、小屋で寝てるわよ、へへーんだ。これ犬の写真」
もろもろの諸因となったノロ亀の奴め、桜の木を探しているのかきょろきょろと周りを見回している。
それに気づいた老人、立ち止まって声をかける。
「桜はねえ じつは 枯れました。 かれこれ40年になりますかなあ、惜しいことをしました。 ほれ そこの井戸の向こうに小さな塚がありますじゃろ、桜があった処です」
「ひええ〜 枯れたあぁ〜! もう無いのですか? こどもの木も?」
塚に駆け寄るレールマン、手放した自転車が庭の砂利の上に倒れて音をたてた。
「あの桜はねえ、実を付けんかった。だからこどもの木はない。
さくらんぼの代わりに夏に薄紅色の繭がようさん下がってなあ、遠目にはそれがな、それはそれは美しい木の実のようだった。
けんどそれは桜の実とは違うものだったのですじゃ」
「ひょえー 薄紅色のまゆー! そっ それ、それ、もしかして天山の緋天蚕?」
塚の柵につかまったまま振り返ったレールマンの目玉が飛び出ている。
サイクルショップに行く途中の100円ショップで買った老眼鏡がこれほど似合う男も珍しい。
「ほうー オメさまも天蚕を‥ ほーけ ほーけ やっぱりなあー、 桜を見たいと聞いたとき儂はそう思った。
嬉しーのおー そーゆーお客を待っていた。 40年ぶりじゃ、今日はその話をゆっくりといたしましょうぞ。 さーさ 入ってくだされ」
このふたり何の話をしているのだろう、てんざん だの ひてんさん だの業界用語を使いやがって。
ワシは四季の酒の話しと、その現物に早くお目に掛かれれば幸いだというのに。
招じ入れられたのは飾り気のない離れの茶室、といった感じの老人の居宅だった。
家業の酒蔵を倅に譲ってからはここで鬼怒川の伏流水が湧く井戸の番をしながら、土手の上を旋回するトンビを眺めて四季の歌を詠んでいるのだという。
奥様を先に亡くされ、手伝いのお春さんが母屋から運んでくる食事のたび倅の仕込んだ酒を含んで味と香りが継承されていることを確かめるのが唯一の仕事だと笑う。
老人の丈夫な足腰と肌艶の良さは酒の良さの証明であろう。
「あのー 酒は口に含むだけですか? 飲まないの?」
レールマン、野暮な質問をする。
「ふぉー ふぉーっ ふぉっ、 飲んでおりますとも、吐き出してなるものですか。
酒なくして何でおのれが桜かな。 四季桜 命名の由来を守っておりまするぞ」
「すると何ですか? 銘柄名の四季桜と四度咲きの桜とは直接の関係はないと言われますか。緋天蚕はどういう位置づけに?」
レールマン、すがりつくような目で老人を見つめる。 桜オタク がんばれ! と応援したくなる。声にした ひてんさん とはナニ?
そのときお春さんが声をかけてきた。
「皆さん お支度が整いました」
庭の芝生にテーブルが出されて酒器が並んでいる。気持ちの良い秋晴れの好日である。
簗の川漁師が鮎の塩焼きを届けてきた、鮎の刺身もある。
店の番頭さんが酒を運んできた、なんと懐かしい二升瓶である。
「これはこれはお世話をかけましてありがとうございます。屋外での利き酒にはぴったりの日和でございますな」
お世辞でなく本当にそーゆーシチュエーションなのだ。来てよかったと思った。ひてんさん など、どーでもいいではないか。
思いが通じたのかお春さんも番頭さんもにっこりとして、
「利き酒じゃありません、会長は本気飲みでと申しております。 こんなことは珍しいんでございますよ、ごゆっくりと召し上がれ」
酒はコルク栓の口金に針金の金具が付いて、それが瓶の口に一体となっている古風な瓶に入っている。平成になってからは見ることがなくなった二升瓶である。
ラベルはないがこれが スーパーグランド四季の桜オールド40なのか。
そんな名前の四季桜は聞いたことがない、店頭には並ばない身内での符牒なのだろうがなかなか洒落たネーミングだ。
ワシは期待感よりも緊張感で震えそう。安易にタダ酒を飲みに来た自分を恥じております。
レールマンは元来が恥知らずだから四度咲き桜の研究をころり忘れて、まづは四季の桜を探究する顔つき。
さっそく戴くことにしました。
二升瓶はずしりと重い。常温よりやや低めの温度。
薄い色味のついたオールド40。中振りの江戸切り子のグラスに注ぐ。
しばし 香り立つ。
美味い。
他に言いようも書きようもない。それほど美味いのだがそれでは余りに芸がない。
ワシがんばって書く。一応は文士ですけんね。
<たちまち楽しくなった。何がってココロとカラダがです>
うーむ 素晴らしい表現だ、簡潔にすべてを表している。文士合格。
ちなみに創業二代目が詠んだという歌碑が庭にあった。
<月雪の友は他になし 四季桜>
やはり桜と酒とを同義語としているようだ。自然と共に酒もまた友 と高らかに詠っている。
三歩さがって文士平伏。
麻薬や媚薬やドーピングは非合法かつカラダに悪影響だが、美味い酒は合法かつカラダに良い。そのうえタダ酒はこのうえなく財布にやさしく、マインドの高揚にとても良い。ペダルも舌もよく回る。
だがタダ酒のなかには酷いのもありましたよ。
おととし招待された某自転車団体の忘年会で、某温泉の観光ホテルの宴会の酒、アレは妖しかった。
翌日の朝食に起きて来られた者は皆無だったし、昼近くなってチェックアウトで追い出され、クルマの屋根の自転車を降ろすこともなく全員が山を降りたのだった。
ワシだって酒の味くらいは分る。分るがあのときは妖しいコンパニオンに乗せられて、勢いで飲んでしまったのだ。 べらぼうめー。
ワシの内面の雄叫びが表情に現れたか、老人もお春さんもさらににっこりしている。
レールマンもすっかり気分よくなっているようだ。
唯一の問題はワシら帰りの足をどうするかだが、そーゆー配慮は口八丁 筆八丁の作家にまかせて今日は大いに飲もうじゃないかご同輩。
「おしぐれさん この前、ボクの見舞いにと持って来てくれたのが四季桜だったね、あれどーした?」
「どーしたもなにも、あんたが軽のドアにドアーっとなったのはコレが起因だって怒るから、おかみさんが台所に持って行ったよ。里芋を煮るんだって」
「それはいかん、料理酒などに使われてはモアもったいない。神棚に祀ってからしかるべく頂戴すべきだ」
編集注: この辺りの諸事情は バックナンバー 2013/10/17 (四度咲き桜 壱) を参照のうえご納得のほど。
ころあいをみて老人が話しだす。
「銘柄名の四季桜とはあの歌碑の通りですじゃ。
詠われた明治の中期にはのう、お訊ねの桜はまだこの庭になかった。歌碑の桜は雪月花、日本の文化イメージとしての桜と思っております。
お訊ねの四季咲き桜と呼ばれた桜は明治の終わり頃に実生で生えて、大正を経て昭和の後期までここで咲いていたんじゃが、最期は儂が見取った」
「ひええ〜」
レールマン 頓狂な声をあげる。
「お二人にはの、今は枯れてしまったが当家に咲いていた不思議な実生桜、四度桜のことなどをこれからお話ししてみたい。ぜひ聞いてくだされ。
とは言ってものう、桜を育てた先々代の爺さまから儂が子供のころに聞いた話のリメイクだでの、飲みながら話し 聞きながら飲むのがちょーど良い話しですのじゃ」
「ひょええ〜 ボイスレコーダーを持って来なかったあ〜」
レールマン 失礼な悲鳴をあげる。
こーゆー話しはオフレコが鉄則なのだ。いーや 鉄血の掟というべきだ。
ワシは手に持っていた切り子グラスの残りをグッと飲んでからそっとテーブルに置き、両手を膝の上に置いた。それが文士のタシナミというものだ。
飲み下した歴史の酒がはらわたに沁みていった。
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四度咲き桜 参 につづく
雨の日曜日にワシは大切な数少ない読者あてに台風避難情報を書いて送っていましたが、その間にも本県一の名坂 古賀志峠では冷雨をついてジャパンカップ サイクルロードレースが決行されていました。
貼付の写真は地元紙 「下野新聞」 の本日1面です。
雨に煙るスタート直後の登りを正面から撮影した写真。この一枚だけですべてを物語る傑作と思い、新聞を写真に撮って添付しました。
すでにレース結果はwebで紹介されているはずですから今さら「速報」というのはおこがましいのですが、この写真は下野新聞にしか載らなかったと思います。
地元記者の渾身の一枚、そう言ってもいいのではないでしょうか。
5時にコンビニへ走って行って各紙見た中で最高のショット。いつもは立ち読みなのに思わず買ってしまった新聞です。
死闘… 雨の古賀志 とあります。
雨の中のレースがどれほど辛いものかはよく分ります。
濡れて冷えた路面はスリッピーなうえ、前走車のタイヤから砲弾のような水射撃を受けて前が見えない。
それでも遠来の欧州勢は慣れない日本の峠を加速して行く。
プロなら当たり前、そんな評価が消し飛んでしまうほどの下りコーナーに、猛然と突っ込んで行く彼らには鳥肌です。
事前の練習走行をそれほどしていないにも拘らず、ブラインドのコーナーでブレーキから指を放せるなんて彼らは天才。
新聞の本文から引用です。
「雨と寒さが世界のトップレーサーたちを苦しめ、出場した17チーム84人のうち、完走したのはわずか39人だった。サバイバルレースを制したのは、終盤に飛び出したマイケル・ロジャース(33)豪州、
チームサクソ・ティンコフ。2位に44秒差をつける4時間25分0秒」 以下略。
天候のコンディションが劣悪だった昨日だったから、落車棄権の者もあったでしょう。
次週の 「埼玉版 ツール・ド・フランス」 を控えて、今は怪我はできないとの判断もあったでしょうよ。
だが、周回に遅れ終盤での挽回は遠い、との理由から途中棄権した大多数の日本人選手よ! 喝じゃー!
先の 「サイクルエイドJAPAN」 で、抜かれても抜かれても前を向いて走っていた老ライダーのいたことを思い出せー!
syn
桜オタクの元レールマンとふたりして 銘酒 「四季桜」 の蔵元を訪ねるべく、鬼怒川土手のロードをノロノロと走って行ったところまでが前回でした。
今日はその続きを書く予定でした。
渋めのお茶を用意していると作業場のテレビが(書斎でなく作業場の‥とするところが奥ゆかしいですな)日本近海の台風情報を伝えていて、その数値が大変なアタイなのです。
これは安穏と 「四度咲き桜の謎」 など書いてはいられない。
当欄でも番外編を出し、数億いや数人といわれる読者にいち早い緊急避難の号外をリリースするのはメディアマンの務めであろう。
どれほど大変かというと。
10年に一度の巨大台風といわれ、先週伊豆大島付近を通過して多数の死者を出した台風26号では、フィリピン東海上を北上しながら勢力を強めたときの中心気圧が940hPa 半径150kmと報道されていた。
来週にも日本に接近し影響が懸念されている台風27号は、その勢力が先の26号よりさらに大きい。20年に一度 いやそれ以上だ。
そして恐ろしいことに26号と同じような進路コースを取って東海から東日本を覗っている。伊豆大島や神津島が進路上にある。
台風27号の現在勢力は、中心気圧910hPa 半径200kmとテレビが伝えている。
雨風共に猛烈・最大級との表現だ。
前回の土砂崩れが海まで達せず陸内で一旦止まっている地域では、大量降雨と暴風によりそれらが再び崩落・土石流となる危険性がある。
幸いにも被害を免れた他の地域でも、すでに下地はできているから油断はならん。一気な甚大災害の起こる危険を予測すべきである。
もしかしたら なんかじゃない! 100年に一度クラスの超弩級・ヘビーワンのモンスターなのだ。
みんな逃げろ! 遠くまで逃げろ! 自転車で逃げたのでは掴ってしまう、電動アシスト付きで逃げろ!
青空が戻ったときに無事でいたなら、あの時計台の下で逢おうじゃないか。
ワシは気象庁や国交省・災害庁のアタマを超えてモノを言うつもりではなく、メディアマンとしての責任から早目に逃げろと号外をリリースしています。
逃げろと言ったって、何処へ どーやって 逃げればいいのか強制はできませんし、すべも持ちません。
号外編リリースの送信ボタンをポチッとしたら、自身は満足して一杯始めようかと あとはNHKに任せようかと そーゆー了見の処です。
ところで読者諸氏は27号の910hPa /200kmが 26号の940hPa/150km よりどれ程大型なのか想像がつきますか?
テレビの気象予報士は 「猛烈に大きい」 としか言わないから解かりませんよね。
解からなくて当然です。
今の日本の大人は 「hecto Pascal」 = 「ヘクトノッチ な パスカル」 が解からないのです。日教組の責任です。
いますぐ命に係わることですから憶えておいてください。
解かりやすく動物の大きさにたとえます。
普段の秋にしょっちゅう来る 「並みの台風」 を野ネズミの大きさとすると、26号はアマミウサギ、27号はアジアゾウの大きさ。破壊力は10万倍です。
気圧が10hPa下がると10×支配面積の√二乗倍にエネルギーは増幅するのです。定説です。
逃げたくなったでしょう?
この意識改革の功績でワシは民衆を台風から守った偉人と称えられることになるのだが、列島の東西幅が狭くて逃げ場がないから全員を救え切れないことが心残りですじゃ。
どーゆー計算かというと。
ワシらが小学校のころに習った圧力単位は 「kgf/cm二乗」 でしたが、こと気圧に関しては 「mmHg」 だったじゃないですか?
大気圧の重さはガラス管の水銀柱(Hg)の高さに換算すると760mm、思い出しましたかな。
これを最近の子供らには 1013hPa と教えています。ISOの空騒ぎ以降のことです。
そこから上を 「正圧」 あるいは 「高気圧」
それより下を 「負圧」 あるいは 「低気圧」 と呼んでいます、ワシらの昔でもそうでした。
ガラス管の一端にゴムのポンプをつないで手動でペコペコやって、760mmの倍の1520mmまで水銀柱を吸い上げたとき、その時のチカラを 「−760mmHg」 と言います。
地球の重力を無視すれば、それが真空です。
でも、まだどれ程のチカラか解かりませんね。
ドクターの使う血圧計のゴムホースを口で吸ってみてください、大人が思いっきり吸って 「−140mmHg」 程度です。
気をつけてくださいよ、直接水銀を口内に含んだり蒸気を吸ったりしてはいけません。特に子供はいけません。
ワシは小学生の頃にやってしまいました。50年で毒素は抜けると言われていましたが、どーなんでしょうかねえ。
平時の大気圧を1013hPaとしているのは先に書きました。
ここに台風27号が来ると1013−910=103hPa 分の気圧が下がります。mmHg 換算では77.25mmHg のマイナス増となります。
つまり低気圧です。この低気圧エリアに向かって周りの空気団が引き込まれると風が起こり、台風風となるのです。
大人が思いっきりホースを吸うときの半分強のエネルギーですが問題は、人間と違って何時までも吸い続ける持久力とそのエリアを大きく持つことなのです。
半径100km以上もある大きな和太鼓のなかの空気を、そのエネルギーで吸い続けたら太鼓の皮は910hPaになるまで内側に引かれ続けますよね。
静かに引かれているだけならどうということないのでしょう、でも地表には様々な地形の凸凹があるから空気の動きはうねりを生じぶつかり合って、大きな太鼓の中は風雲嵐の中の様相となるのです。
台風27号と26号のhPa差は30hPaです、mmHg換算では22.5mmHg 分だけ27号のほうがマイナス側に大きい。
−22.5mmHg の差ってどれ程のものでしょう?
チューした唇の端から空気が漏れて、無念にも唇が離れてしまう。急いで吸い直した。唾液がチューっと音をたてた。
そんなときの負圧感でしょうかねえ。
ただしその唇が100キロメートルもある魔女の唇だったら、スケベな酔漢オヤジなどたちまち呑みこまれてしまうのではないですか?
日教組のストライキに阻まれて科学をキチンと勉強してこなかったオヤジ諸氏よ!
感心などしておらんでもよいから一刻も早く妻子の手を引いて逃げることに関心をお持ちなさい。
つてを頼って200km圏外まで逃げるか、庭に深い穴を掘って地上より退避するのです。
静かになって地上に出てみたら、なぜか猿が支配する惑星に立っていた。
驚いて歩いて行くと流砂に乗り上げたノアの方舟があって、つがいの山羊やアヒルやワシの若いころに似た青年とLadyガガ似の女性が降りて来た。
遠くの丘に片目をつぶった自由の女神像が自転車に乗ってあらわれた。
風は吹いているが1気圧の気持ちよい風だ。
ここはもしかして、かつて地球と呼ばれた星ではないのか ‥。
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「止まっている軽自動車のドアは突然開くものだ」
ワシら自転車乗りにとっては30年も前から定説となっていることですが、
元JR鉄道マンの彼の脳ミソには、「プッシュー」 と鳴ってから平行に動いて車体の内側に収まるドアの動きしか擦り込まれていなかったようです。
サイクルロードまであと少しという環状線で前方に止まった軽のドアが急に開き、避ける間もなく見事に突っ込んだ彼は病院へ運ばれる救急車の車内で 「ドアが ドアって ドーアっても ドアに ドアーっと」
訳の解からん5段階活用を口走っておったそうです。どーやらアタマを打ったようですなあ。
だからヘルメットを被れって、ワシのお古を渡しておいたのに‥。
病院に一晩泊って家に帰れた彼を見舞いに行ったのです、「四季桜の上撰」 を一本持ってね。
「おまん 嫌みか! なにも 「四季桜」 を見舞いにせんでもよかろうに、「黄桜」 と替えてこい」
額に田んぼの稲の切り株で付いた剣山型の傷があるだけで、骨折などしていないそうでよかったが、主因はワシにあると言わんばかりの不機嫌さなのだ。
自転車で行こうと言ったのはたしかにワシだが、そもそも四季桜を見に行こうと言い出したのはレールマン、あんたやないけ。
自転車行の約束は来週のことだ。この日彼は細君のママチャリに乗ってひとりで出かけ、ドアに ドアーっと ドアったのだ。
今日のところは怪我人に同情しているふりをしてやろう。それが一番の薬だ。
「そらー 痛でがったなあー」
それにしても切り株で目を突かないでよかった、鼻の付け根の傷はメガネのノーズパッドの痕だろう。
事情を知らない奥方が一升瓶とワシと旦那の顔を三角形に何度も見廻して、「お燗しますか?」
それを制してワシは大急ぎで酒屋へ取って返し、「天翔」 を二本買って汗をふきふき戻った。
見舞いに行けば酒になることは行く前から分っていたから、ワシは歩いて行ったのです。
病人にしろ怪我人にしろ、こーゆーときには我儘な理不尽男になるものである。
桜にまつわる酒にして機嫌を損ねたから、今度はお目出度い「天翔」 にしたんです。
ビールの用意がしてあるちゃぶ台を前に座った彼は、星一徹 を爺いにしたようなむつかしい顔をして床の間に置いた 「天翔」 をジロリ見て、
「おまん! おれが軽のドアにぶつかった後に、宙を飛んで田んぼに落ちたのを見ていたのか? 天を翔ぶ酒とは出来過ぎたハナシだ。
しかも二本も、もう一度ぶるかる という謎か!」
どーも稲の切り株にぶつけたアタマが復旧しきっていないようです。子供のような因縁をつけるのはJR北海道が叩かれている意趣返しのつもりなんでしょうか。
ぶつけた切り株には、具合よくサッポロ ビールの空き缶が挟まっていたのでしょうかねえ。
「なぜまた急に自転車なんか乗り出したんでしょう? 後続車に轢かれてわたしのママチャリはペッチャンコです」
「いやー奥さん、申し訳ない。近々に二人で自転車で 四季桜 の工場見学に行こうと話してましてね、それで自転車の練習をしていたのでしょうなあ。
私は安全なサイクルロードまでクルマで運んで、そこから出発するつもりでいましたが練習に環状線を走るとはねえ」
彼は憮然とビールを手酌で飲んでいる。メガネを田んぼで失くしたのか注ぐビールはコップに届かず手前にこぼれる。
コップを取ってビールを受けてやりながら、
「当面出かけるのはやめよう、四季桜は家で飲むに限る」
入院中の昨夜はもちろん禁酒だったから二日分を飲む勢いで彼はビールを空にして、
「そーはいかん。四度咲きの桜の謎を突きとめ、しかる後に蔵元で振る舞われる蔵出し新酒をいただくのが酒飲みの本懐。そう言ったのはおまんじゃないか。
今日明日は無理でもあさってには行っみないと桜は散ってしまうかも知れんぞ。ここは這ってでも行って、おれの永年の仮説を証明し、しかる後に鎮魂の新酒を飲まん」
レールマン、だんだん調子が戻ってきたようだ。
「あんた、そげな 大げさなもんかね」
「そーともよ。二度咲き桜は時々見るが、四度の桜は伝承話でしかなかった。おれはその真贋を見極めたいと願い続け、単身赴任の山里時代から定年するのを待っていたんだ。
家に帰っておまんに連絡したら、「四季桜」 という銘酒があるというじゃないか、おれには神の声に聞こえたぞ。
わくら葉と開花の因果関係を結ぶ一本の糸、山繭毛虫の存在の仮説を実説として証明するのがおれのライフワークだ。
おしぐれさん 今しかないんだ。花が散ってしまう前におれを其処に連れて行ってくれ、頼む」
元ローカル鉄道マン、はやくも酔ったか痛むはずの膝を擦りよせてワシの手を取ってくる。
「何ですの、毛虫の仮説って?」
単身赴任でおかしな癖がついたかと訝る奥様は呆れたようにワシらを見る。
「ははは いやー 狂い咲きですわ。どーもね 私ら定年一年生に多い一過性の病気らしいんです。
仕事を終えた後のココロの孤無感を満たすというか、乾きを埋めるというか、何かこう 根を詰めるモノが欲しいんですよ。でも定年してから探しても遅い。
焦って もがいて、それでもそれに相当するモノが見つからなかった者は深い定年性虚脱症になる。
真面目に働いてきたひとほど鬱になる。そして三年後の調査での生存率はガクッと落ちるんだそうです」
「まあーっ おとうさん 鬱なの? 移さないでよっ!」
「おっ 奥さん! ここは洒落てるところやないー‥」
「おしぐれさん! あなた どーして鬱にならなかったんですの? 真面目に働いてこなかったから?」
「おっ 奥さん! そのお言葉でワタクシは鬱になるうー」
この奥様にかかってはレールの左右幅の誤差がますます進みそうな案配なので、ワシもビールをがぶ飲みして元レールマンの運行ダイヤに追いついた。
彼は鬱どころかスーパーオタクな桜マンになって帰ってきた。
「おーし おぬしの本願 叶えてやろうじゃないか! 計画を早めて明日出発じゃあー!」
「そーと決まったら さっそく自転車とメガネを買いに行こうじゃないか! おまん 付き合え」
「おとうさん! お弁当と肴を詰めた重箱が入る大型バスケットも忘れず買うんですよっ」
「おっ 奥さん ロードバイクにはバスケット用のネジ穴など無い」
「あらー そうなんですの? じゃあ バスケットに自転車の付いたロードバイクを買いなさい」
なんだか 「重箱爺いシリーズ」 とオーバーラップしてまいりましたなあ。
ともにもかくにも、気持ちよい秋空の広がる好日にワシとレールマンは連れ立ってロードを走って行きました。
背中の荷物が重いのとレールマンの足に合わせて超スローペースで走る二台のロードレーサーは次々とママチャリに抜かれます。
造り酒屋の酒蔵見学と称し、お弁当と酒の肴の詰まった重箱を背中に背負って爺いがふたり、アポ無しで行ったのですからスゴイもんです。
庭の桜の下か井戸の脇に空き樽を置いて、もちろんゴザでも構わんが 「そこで銘酒の味見をさせろ」 と言うのですから相手は驚くだろう。
なあに 口上は考えてある。
「ワシら定年組二名、御社 四季桜 の名声を従前より聞き及ぶに至り、命果つる前 いつかは訪問したいと切望していた処なり。
深秋大安の本日 土手を自転車にて走行中はからずも御社工場を見及んで、止むにやまれず罷り越したる次第。 なあに ご心配には及ばんぞ、ワシら肴は持って来た」
ってんですから断れないでしょうや。
味見酒もさることながら、その庭の桜にこそワシらの目的があったのです。
ロード歳時記(3)につづく。
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