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大そうな宴席が用意された源さん民宿の”会見場”。 上座に案内されたおしぐれさんが金屏風を背にして二枚重ねの座布団に座ると、なかなかのお上人さまでございます。
パリッと糊の効いたゆかたは大変よいのだけれど、峠でそちこち刺された虻の痕が温泉で温められて赤く腫れていて、そこが糊に擦れて痛痒い。
ゆかたの胸元から期限切れのVISAカードを吊るした細い紐お数珠が覗いている。
昔 小坊主の修行に出されるおしぐれさんを不憫に思った生母が首にかけてくれたカードだ。
そのとき母のあるおしぐれさんを羨ましそうに見ていたのがお供となった犬猿雉である。彼らに吉備の団子を分け与えたのはじつはおしぐれさんの母親だった。
「この子はお調子もんだで心配じゃー、皆んなー 頼んだでやー」
動物語が話せる生母は、当時としてはハイカラなマリアという名前だった。
その後そちこち旅をして、ローマ法王が裏書してくれたカードはなぜか50年以上を経てもコンビニのレジで使えるスーパーさである。
紐お数珠はダライ・ラマ師がカードに通してくれたチベット山中のレアメタル紫曜石。
長年の汗と脂が沁みたうえに心拍の振動と熱で炭素化しカラードダイアモンドになった。渋い輝きを放っている。
民宿のおかみさん すなわち源さんのおっかーがおしぐれさんを見て思わず手を合わせたのは、そのお数珠の威光である。おしぐれさんのお上人ぶりに手を合わせたのではなかった。
まだ修行が足りておらんようです。
おかみさんの実家は青森の木地師で仏具も作っていた。子供のころからお数珠を見れば手を合わせるのは習い性だった。
そうしないと木地師の父親から材料を寝かせておく真っ暗で恐ろしい蔵に閉じ込められるからだった。
何年も生地のまま寝かされる仏具用の印度産 堅木地からはよい匂いがした。暗いなかでひやりとした木目に触れると仏さまの輪郭が指に伝わって、少女は恐ろしさが消えた。
こーゆーひとと長く話すとおしぐれさんの似非坊主が露見しそうだから、何はともあれ宴会を始めることにした。
料理はお上人さまの下命通りにイノシシ抜きの山海の珍味。
酒もイカンということで般若湯を隠した竹筒から青竹の芳い香りがしている。
脇野沢は北限猿の越冬地として知られるが近海漁の漁港としても有名なところである。源さん民宿は山の部に属する猟師民宿。見たことのないキノコや蕗も並んで芸者衆も到着した。
「はいはい ご免なさいましよ。 いやいやいやー お上人さま 大旦那さまあ〜、 こんち また けっこうなお席でげすなあー」
太鼓持ちは良助どん、このひとは鉄砲の名手だそうだが幇間職もよく似合う。
村に芸者置屋はないのでむつ市内に住む源さんの娘がふたり、俄か芸者となってやって来た。
魔界の虎に憑りつかれた父親の窮地を救ってくれるというお上人さまにサービスをしろと源さんの厳命である。
ふたりとも市内の剣道場で一刀流 薙刀 (なぎなた) の師範だという。茶髪にロングスカートのヤンキー風師範である。
ひとしきり賑やかに飲んだところで 語り部 源さんの 「斗南藩哀史」 が始まった。
このひと会津ゆかりの者なのか徹頭徹尾の會津びいき。
戊辰の役のあと会津から下北に減封されて斗南藩となった旧會津藩への肩入れが程を越えている。戊辰戦争は會津の敗戦で幕を閉じたとは言わない、発展的撤退と美化する。
その点では自転車乗りが 転んでも ”落車した” と言い張るのと一脈通ずるものがある。だが史実や年譜の逆転などにお構いなしなのは如何なものか。
魔界の虎に憑りつかれた男にしては何ともお気楽な男である。
その点でもおしぐれさんと一脈通ずるものがある。こーゆーひとたちが知り合うと発展的展開は爆発的展開に … ならなければよいが ‥ 。
ちなみに会津は地名を、會津は会津地方の人や文化を顕しているので混同してはならないのだそうだ。
哀史というくらいだからご陽気なハナシではないと予想はしていたものの、それはそれは悲しくも哀しくて何処かがおかしい。
そーゆーハナシであったから聞かされる方のおしぐれさんは般若湯が大いに進んだ。
話す方の源さんも飲みながら喋るからなのか、普段からそうなのか、何処までが史実で何処までが創作で、そのうちの何処が 法螺ばなし なのかの境界が判としないという点ではあの名作 「おしぐれさんシリーズ」 にたいへんよく似ていた。
でほらくばなしには慣れているから法螺ばなしと与太ばなしの区別はつくものと、多寡をくくって会見場に臨んだペテン師おしぐれ上人であったが、それを上回る源さんバナシの幻惑効果に酔いは激甚であった。
魔界の虎を退散させるほどの法力を有するおしぐれさんであったが、源さん民宿の密造般若湯は またたびの実 が原料なのか虎も静まる催眠酒のようですっかり眠たくなった。
それほどに源さんばなしは面白くなかった。
カヨちゃんのドライブインに居候していたときに見たNHKテレビの 「あらすじ版 大河ドラマ 會津の桜」 の中味を會津有利に改編した 贔屓の引き倒し ばなしだったからだ。
「お上人さま 聞いてっかあー 目ぇー開けろし。
ほりでぇー よう、 国界いの山さ越えようど峠に向がう若侍さに、伝家の宝刀を振り上げだご家老はどーしたかってえー ハナシの続きだがや」
「次の休みのホリディー に藩士たちと山梨さ行って ほうとう を食うべえ、これがほうとうの(本当の)コミュニケーションだあ というごとになったんでげしょー。
さっき 聞いたがやー」
こちらもすっかり良い心地の良助どん、むつかしい漢字は読めないのになぜかカタカナ語の駄洒落を言って、幇間の仕事は果たしている。
「馬鹿こくでねーど 良助、おめ 知ってっかー 廃藩置県をこれがら進めっぺってー時代によ、遠い甲斐の国さーまで行っで ほうとう 食って その日のうちさに帰えーって来るごどなんか出来っかあー。
週休二日も北陸新幹線も関越道もまだねえー頃なんだどう。 この放蕩やろーめー」
「そごだあ 源さん旦那、斗南藩士はよ ワープっちゅう術が使えだんだ。人切り峠の頂上神社には 「どごでも ドアー」 ってぇ仕掛けがあってよ、そっからピューっと どごでも行げだんでげしょー。
だども 行ぐのはええんだけんど、「帰りの ドアー」 っちゅうのがねえんだなあ これ」
「そーなんだ、おめ よぐ知ってんなあ。 帰りがねーがら 藩士の数がどんどん減っちまってなや。業界用語で 脱藩 とか フケる ちゅうらしいが 坂本竜馬の発展的脱藩道 とは微妙〜に違う。
ところで おめ、藩の最高機密の 「秘術 どごでもワープ」 のことをなんで知ってんだあ。
ははあ〜ん おめ、幇間に化けた敵の間者だなあ、このやろ 伝家の火縄銃で撃ち果たしてやる。 おっかーっ! 種子島を取れえーっ」
「なにを申すか 老いぼれの會津爺いめー 指が震えで火縄に火が点くまいよ。
正体がばれっちまっでは仕方がねえ。 えーが! おらほには新式村田銃があるだ。 熊撃ちマタギをなめんなよー」
「あにー 村田の銃とな! 我らが聖城 鶴ヶ城に砲弾を撃ち込んで来た薩長の銃が村田ぞ。この裏切り者めー。
おめ、マタギと言ったな? そーいえば おめは秋田がら婿に来たんだったなあ。 あんとき口を利いてやったのはオラだぞ。 この恩知らずめー」
「なにおーっ 恩知らずと言われようと裏切り者とそしられようと、耐えて生きるが忍びのつとめ。
秋田マタギの哲学をまっとうし 斗南の陰謀を生国に伝えるまでは断じて死ねん」
良助どん、角帯の背中に差した太鼓のばちに似せて隠した小型銃を取って水平撃ちの構え。
それを見た源さんの娘らが忽ち父をかばって前に出て、素早く三味線の棹を払うと中から仕込み刀が現われた。それを棹につがえて閉所戦闘用の小薙刀となる。
「さては さては 間者め、秋田佐竹家の密命を帯びておったか、拙者としたことが迂闊であった。
秘密を知られたからには此処から出して成るものか。
おっかー! 仏間のなげしから伝家の宝刀 會津双龍の槍を取れえーっ! 娘たちーっ 抜かるなよっ! 會津日新館 免許皆伝 誉れの一刀流 薙刀の冴え、見せるは今ぞぉーっ!」
会見場ははからずも會津対秋田の決戦場と化してしまったが、この日二度のヒルクライムに疲れたおしぐれさんは座布団を枕に眠り込んでしまった。
座布団とはいえ布団で寝られるのはこの後しばらくはないのだろう。 おしぐれさんの旅は続くのであった。
明治新政府によって戊辰の役の改易から藩の再興を許され、極寒下北の現在のむつ市大湊辺り、過疎な原野地に名目3万石(実質1.5万石)の領地を得た元會津藩の斗南藩だったが、
會津での旧領地が33万石(実質45万石)との圧倒的な格差に落胆した藩士が脱藩したり、貧困が原因の藩士同士の対立が相次ぎ、基盤の定まらぬまま結局は廃藩置県によって斗南藩は消滅した。
徳川直系の會津松平家が下北に減封されるに際しては、新政府より会津にほど近い猪苗代湖周辺にも同じ3万石で候補地が示されたという説もある。
誇り高き會津藩が断固猪苗代を蹴って、あえて寒風吹きすさぶ下北を選んだ訳にも諸説があって有力説が定まらない。
それらは歴史家の考察に任せるとしても、朝廷の真筆の信任状を持ちながらも戊辰の敗戦により朝敵とされ、汚名を背負ったまま謹慎地の秋田から船出して海路むつの大湊浜に着いたとき、
彼らの見た風景はどんなだっただろう。
黄金色の稲穂が磐梯山の風に揺れる會津の郷を見慣れた藩士の目に、下北で最初に映った景色は熊と狼と猿と、猪と鹿と蝶が跳ねまわる茫漠の原野だったのだろうか、
それとも此処を足掛かりに蝦夷に独立国をつくる希望の大地だったのであろうか。
後者であれば蝦夷への最短岬は大間である。
夏場ならヒバの大木に掴まって泳ぎ渡ることの出来る距離である。現に酋長モグールに従った灰色狼の群れが泳ぎ切っている。
大間崎への街道を開こうと若侍たちが峠に挑んだ理由は理解できる。
現在でもむつから大間に向かうルートはふたつしかない。ひとつは下北を真っ二つに縦断して風間浦に出る山路だが中間地に恐山の要害がある。
ここは摩訶不思議の別地だから避けるとすれば残るは半島西側を海沿いに行き、脇野沢から人切り峠を越えて仏ヶ浦を通り大間に至るルートである。
峠には魔界からの使者のような虻が今でも待ち構えているが、ここを運よく突破できれば仏ヶ浦には弁天さまのようなカヨちゃんがいる。こちらのルートをお勧めいたします。
明治2年、斗南藩の上陸当時の峠には名前などなかった。
人切り峠の名がついたのは本編に書いてきたように辛く哀しい事実があったればこそ。
通過の際には山頂神社へのお参りをお忘れなきよう。またその際には帽子長袖長ズボンの着用を強くお勧めいたします。
また麓にある道の駅 わきのさわ にてキンチョールのアブコロリを購入することが出来ます。
会計の際に 「會津」 と渋くひと言 ”合図ワード ” を呟くと割引が期待できると源さんが言っていましたが、どうでしょうかねえ。
「人切り峠」 おわり
前章 パート 3 に添付の画像が、より本章に合っていましたかな。
次回予告は 「北海岬」
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峠の下りをモチベーション全開で降りてきたおしぐれさん、村が近くなったのか道に沿った山の斜面にイノシシ牧場の柵が続いているエリアに出た。
脇野沢のイノシシ牧場は、猪豚でない純血のニホンイノシシが自然の地形を利用して作られた広大な柵内の山野で人間による半餌付けの環境で暮らしている。
”半餌付け” とは誇り高き野生動物にとって屈辱的な言葉であろう。
人間はそれほど偉いのか、許しがたい思い上がりだ。との思いもござろうが、適語がないので使わせてもらった。ご容赦願いたい。
寒冷不毛の下北では陸奥湾の南東側から来た農民が入植を開始した昔から、人間の主食である穀物の収穫が期待できる土地は僅かだった。
そこで収穫見込地の耕作権を人間が占有する見返りに、実りの一部を動物たちと等分に分かって両者の安全を図る知恵は当然の帰着だった。
明治新政府発足の頃になってやっと文書での記録が残るようになったのだが、相当昔からそのシステムは完成していたと考えられる。
明治後期になって、穀物の種類別に分け方の係数を動物の体重で勘案した緻密な書き付けが、脇野沢の農家の古い納屋の梁柱で発見された。
その書体から考察すると書かれたのは鎌倉時代と推量され、その時代すでに日本の農民は下北の西部にまで到達していたということになる。
これは日本農業史の年号譜を書き替える大発見だったのだが、折りからの日露戦争勃発により供出する軍馬の増産令を受けて納屋は産馬小屋に改築され、梁柱の書き付けは初産雌馬の歯に削られて消散した。
そのことを知っているのは、当時太陽系からひとつ外側のM16冥惑星より宇宙船コルナ号に乗って地球を目ざしていたおしぐれさんが、丸窓から遠眼鏡でのぞき見た記録だけである。
手書きの記録だからISOに合致していないと、ニッポン中央ナントカ院はいまだに学術的価値を認めていない。
小保方博士と同じ忸怩の思いは、この国にあっては当分続くのだろう。
下北の動物たちの中で熊は人間からの扶養を嫌って深い山中に消えて行った。
もうひとり、孤高の雄 日本オオカミ最後の酋長といわれた灰色狼のモグールは、人間の提示したシステムそのものを拒否して仲間たちを引き連れ大間崎から荒海の18.9kmを泳ぎ渡り、北の蝦夷地へ去って行った。
明治あけぼのの時期に北の大地でアイヌのひとたちに畏敬をもって語り継がれた酋長モグール率いるヤマト狼とオホーツク系プーチン狼との血戦だが、ヤマト狼がじつは下北の出自だったと書いたのは本邦において本編が最初である。
いずれ 「おしぐれさん 北海道へたれ旅」 を書く際に明らかにするとして、今回は内地残留を選んだイノシシ君に登場願う。
熊と狼が人間と決別したのに対し、村の近くに残ったイノシシや猿は意気地なしの代表のように解釈されるが、そうではない。
彼らには、彼らなりの緻密な計算があったのだ。
イノシシは人間に付かず離れずの距離でいないと食いものにありつけないことを知っていた。
山の木の実より根菜類を好み、特に人間の耕作したイモ類は大好き。
畑を掘り返すに適したシャベルのような鼻を持っているのはそのためだ。
時に鉄砲で撃たれて人間に食われることがあっても、子だくさんだから群れが絶えることはない。
群れがしばし住み着いて踏み抜いた村近くの泥地には虻やマムシがいなくなり、新しい田んぼとして人間が利用できた。
新田開拓のパイオニア的役割を果たしていたから人間とはギブアンドテイクの関係だった。
フクシマで不幸な事故があったあと、あの地域のイノシシはひとのいなくなった村に降りてきて農地が放棄されていることに困惑したが、字が読めないので事情を読み取れないまま空家周辺に住み着いた。
山にいてもよかったのだが村には親戚筋の色白で色っぽいメス豚が残されていたので、彼女らの面倒をみてやらねばと親切ごころから村に住み着いてやったのだ。
雑食性ばかり喧伝されるイノシシはそれゆえ賤獣のように言われる、シロアリや蜂の巣まで食べるからだ。
フクシマの空家地域の家屋と土地をシロアリや熊ん蜂の蔓延から彼らが専従で守っている事実は語られていない。
住民が避難して遺棄されていた飼い豚に子を産ませ、それがF1のイノブタとなってさらに荒廃化が進むと盛んに云われているが果たしてそうだろうか。
イノシシもイノブタも日本の動物界では大型の生きものである。大型獣が喜々として走り回る大地は荒涼の廃野なのだろうか?
逆ではないのか、彼らが踏み広げた大地はやがて豊穣な農地に帰るのではなかろうか。懸念されるナントカ ベクレルというヤツも彼らに任せておけば、やがて消えるのではないか?
イノシシは雑食のノンポリシーと云われるが最も好む食物は意外なことに小さなミミズである。柔らかで食べやすいうえに動物たんぱく濃厚。しかも畑の土のすぐ下に豊富にいる。
ミミズは地面下にいて土中にトンネル状の穴を空けながら進む。
腐葉土を食うから穴が空くのだが、後ろに残してゆく糞中には土壌に有用なバクテリアと腐葉土のミネラル、それとたっぷりの酸素と窒素が含まれている。
モグラも土中にトンネルを構築することで知られている。
掘削工事の専門会社がモグラをモチーフにした社章を作ったりするが、コーポレーテッド アイデンティテーを制定するならモグラよりミミズでしょう。
なぜなら、モグラがひと掻きで排出する土の量と進攻速度はミミズの数百倍だが、哺乳動物の常ですぐに怠ける。居眠りはじつに18時間に及ぶ。
一方 無脊椎生物のミミズには疲れるというコンセプトもカテゴリーもないから一日中掘り進む。直径2ミリ程の穴なので、人間が踏み抜いて足首を捻挫したなんて間抜けなハナシもない。
一匹のミミズが一年間に土壌改質を行う面積と体積はモグラのそれを数千倍も凌駕するのだ。
ミミズのいない土中のナントカ ベクレルを1とすると、ミミズの這い回ったあとのそれは1年間で0.9になるという計算がある。
誰の計算に依るかというと、それは精巧緻密な冥惑星式暗算の名手といわれるおしぐれさんだ。だから相当に信頼性のあるハナシだ。
ミミズにはかわいそうだがナントカ ベクレルの土中を進むので事故前より個体は疲弊する。だが死ぬ前にイノシシに食われて生の輪廻をまっとうし、ミミズは満足して神に召される。
ミミズを美味しく食ったイノシシにナントカ ベクレルが蓄積するのは否めない、しかしそこは気合で跳ね返し子供をたくさん産んで大量のミミズを食う。
食われるミミズは世代交代のサイクルがどんどん回ってどんどん土中を掘り進み、廃炉が終了する40年を待たずフクシマの大地は聖潔清廉な土壌で満たされる。
40年後の時点でイノシシとF1イノブタの子孫たちがどうなっているかというと、彼らは掘り起こして食べたミミズといっしょに土中の亜鉛や沃素も知らず食べているから甲状腺異常など起こっていないことが確認され、大地再生の第一功労者として立派な銅像が双葉町の海を見下ろす高台の公園に建てられる。
そのデザインは渋谷駅前の、あの銅像をモデルにした大そう立派なものである。
さて話しを下北に戻そう。
自転車のタイヤ音に反応してひときわ大きなイノシシが跳び出して来た。牙の大きさが半端でない。
眼の高さまでしゃくり上がった自慢の牙を見せて戦闘能力のパフォーマンスを誇示している。こいつが群れのリーダー 「八戒」 のようだ。
彼のことは福浦崎の ぬいどう石山 でボス猿ベンツから聞いていた。
ベンツ自身 自分の子供たちだらけで息苦しくなった大分高崎山を出奔して以来、下北まで旅している間に大分では死亡説が流れ葬式まで行われていた。
騒ぎをよそに老猿は下北の群れの質素な暮らしと北の猿気質のおおらかさと気高さに惚れこんで、ここに居着く決心をしていた。
大分時代にノウハウを得た えぐみ のある草の実のアク抜き法などを群れに教授していたら、いつの間にかボスに推挙されてしまった。
「今さらボスは気が重いが、厳寒下北の群れに若手の有能な猿が育つまでの仕事と思うておる。 間もなくわしにもお迎えが来ようがオオウラヒダイワタケを食って長生きしておる」
大ボス ベンツ行方不明の真相はこーゆーことだった。
さらに彼は続ける。
「イノ公の八戒は少々お馬鹿だが根はいい奴なので、つき合い方次第ではここ一番のときの強い頼りになる。馬鹿力は いの一倍 だからなあ。
ただし、彼の群れは村の有限公司に管理された柵の中のコミンテルなので、出来ることと出来ないことの境界が実にハッキリしている。
それは 「潔よし」 という日本的感覚からすれば武士道のカガミなのかも知れんが、わしは好かん。
樹上の生きものは己の判断一丁だけで生死を分けるとき、ケツの底から生への感動が湧き上がって掌に汗が滲んで来る。だから樹木の枝を掴んだ手がスリップしないのだ。
地上にいて、しかも果てには柵のある環境に甘んじていてはこの境地は得られない。
これは我らが父祖、孫悟空がお釈迦様の示す両手の掌の距離を限界として千万回 錦斗雲に乗って往復し、ついに千万百一回目に掌を突破して会得した奥義なのじゃ。
だからといってイノシシを軽んずるものではないが、やつらの猛進猪突で開いた柵はない。
人切り峠で死んでいた猪獅子は、群れに属さない破天の志士じゃった。 ひとり森に棲む猪武者の獅子じゃった。
わしは何度も彼とマムシ酒を飲み、カジカの素焼きを塩も醤油もなしに食った仲じゃった。 彼の無頼の生き方が好きじゃった。
おしぐれさん、あんたが弔いに詠ってくれた寿限無のお経はよかったぞ。
あんた終生の名お経だったなあ、口から出まかせにして傑出の出来じゃった。彼は満足そうに尻尾を振って涅槃に召されて行った。彼に代って礼を申す。
おしぐれさん、あんたがフクシマのイノシシを擁護する発言の真意はいまいち分らんが、それらは900キロ離れたここの牧場にも伝わっているから歓迎してもらえるだろう」
ボス猿ベンツは何でも知っていた。彼ほどの老練なリーダーを得て下北の北限猿はこの後も清廉に生きてゆくことだろう。
そういえば尻屋崎の丘で太平洋から吹いてくる風に向かって雄々しく立つ寒立馬のリーダーは、かつてドン・キホーテの乗馬だったロシナンテの名を引き継いでいるそうだ。
ナンバー2のキタノマキバオーを従えて威風堂々の佇まいとか。
少し品位は下がるものの、イノシシ牧場のリーダー八戒にとって眼の上のタンコブだった柵外の帝王 猪獅子が人切り峠で死んだので内心晴れ晴れしているだろう、今訪問するのは適時といえる。
柵に沿って走りながら片腕を突き上げてガッツのポーズを見せると、喜んだイノシシ八戒、柵にカラダをブチ当てながらおしぐれさんの自転車を追いかけてくる。
「オーレ! オーレ!」 と吠えながらどこまでも追いかけてくる。
その熱狂のさまはツールのマドン峠で自国の選手を追いかけて緑白赤の三色旗を打ち振るうイッターリアーノのようだ。
一方 青白赤のトリコロールは地元フレンチ カンカン娘、へそ出しコスチュームで踊り狂う。
そこにネザランドだのエスパニアーニだのが乱入して大変な騒ぎ。
そのような ご陽気騒ぎのイノシシ園が道のすぐ脇にある。さすがは下北脇野沢、旅人のもてなし方がワイルドだ。
哺乳類なら追いかけられても、おしぐれさんはバイリンガルだから大丈夫なのだ。
ダメなのは虻や蜂など昆虫と爬虫類。
卵生及び卵胎生の生きものとコミュニケーションできないのは生国の冥惑星にそのような生物がいなかったからだ。と本人はいうが何となく まゆつば 臭い。
「見たかイノ公、どんなもんじゃい! ブレーキのゴムなんざチィーットもすり減らしておらんぞ」
確かにブレーキはすり減っていないようだが肩とひじと尻がすり減って血が滲んでいる。
どこかのカーブで派手に転んだようだ。
ただしサイクルマンは転んだとは言わない、誇りを込めてプロ用語の 「落車した」 と言う。はたから見れば同じことなのだがモチベがぜんぜん違う。
「カサブタは1週間もすればなくなるが、すり減ったゴムは元に戻らんからなあ。シマノの純正はよく効くがお値段が高いんじゃよ」
イノシシ園の柵の終点にレストランのような建物があった。「道の駅 わきのさわ」 と看板が出ている。
「やっと人間に会える、半日ぶりだ。だけどまたワープして変な処に出たんじゃなかろうなあ、脇野沢に間違いないんだろうなあ」
”湧きの沢”だったら魔界の入り口だ、沢の大出水で自転車ごと押し流されてしまう。
恐るおそる駐車場に入って行ったおしぐれさん、一台だけ止めてあった軽トラの荷台に虎の足首が挟み付いたままのトラバサミを見て驚いた。
よく見ると虎と思ったのはイノシシの大きな後ろ足だったからだ。
「こっ これは! 猪獅子の足じゃあないか。 こんな大きなトラバサミだっとは、これはワシントン条約違反のサイズと残虐性だ。許せん、猟師をとっちめてやる。
だが、今すべきは 命と引き換えにワシを救ってくれた猪獅子の足を彼に帰してやることだ。
足が一本足らんでは天国の階段を歩きにくかろう。
僧侶としての務めでもあるがその前に、命をもらった者の務めじゃ、荷台にいつまでも転がしておいていい訳がない」
荷台の隅に転がっていた金テコをトラバサミの歯と歯の間に差し込んで力一杯こじると、乾いた血がこびり付いた足がボロッと外れた。
おしぐれさん、それをジャージの背ポケットにねじ込んで自転車を押し出すと、今来た道を取って返して峠の見える坂の登り口まで一気に走った。
ここまででも相当の登りだった。すでに力を使い果たしているおしぐれさん、峠を見ながらついに失速して落車した。
きょう何回目の落車なのだろう。
擦り傷は大したことでないのだが背中の猪足と一緒に尻もちをついたから猪の血の最後の塊りが吹き出しておしぐれさんの背中から腰は真っ赤な血で染まった。
「猪獅子よ、へたれなワシを許してくれー、もう登れない。 ここから投げるでよー 受け取ってくれえーっ!」
そう叫ぶと、猪獅子のむくろがあるはずの峠の方向の谷間に向かって足をふんばり、力の限りに血のりの猪足を放り投げた。
輝きを増し始めた夕陽を浴びて飛んで行く猪足には赤い羽根が生えたように見えた。それは長い尾を曳く血の航跡だった。
どんどん飛んで行って風を受け、一度高く舞い上がってやがて深い谷間に吸い込まれ、消えて行った。
そのあとを一匹の大きな虻がシューッと追って行くのをおしぐれさんは見た。だがなぜか恨む気持ちにはならず、生あるものの生きざまだからそれでいいと思った。
道の駅 わきのさわ の駐車場に戻ると隅に融雪用のホースを見つけた。
お店から出てきたふたりの猟師が裸になってカラダを洗っているおしぐれさんを見て驚いた。
「オメさん どーしただねその血は! クマとでも戦っただかね?
救急車呼んでやっぺか? といっても むつ から来るで 小一時間かかるがよう。具合悪りーようならオラの軽トラで送ってやってもええだよ」
「いやー 源さん 警察のほうが ええんでねえがあ、このひと あすこに貼ってあるポスターに似でるんでねーがや。あれはお尋ね者の手配書だっぺ?」
もうひとりがヒバの間伐材で作った大きな掲示板を指差す。
「良助どん、そーゆーごどを言ってはなんねえど、このおひとの背中を見でみろし、『 同行二人 』 と彫ってあっぺし。
こりゃー おめえ 弘法大師様と一緒に旅をなさっておるという意味だあ。悪いひとのはずがあんめーよ」
「そーがね。 だども源さん、 おらはムツカシー漢字は読めねえだがら 虻に刺された痕 にしか見えねえなあ。良くって ねずみ男 の絵だな」
「あー おほん。 そこもとふたり、何を申しておるか、ワシはお尋ね者でもねずみ男でもないぞ。
ワシに似ておるというポスターとはカンヌ映画祭のグランプリ 「親鸞の旅路」 のポスターであろう。じつはワシに親鸞上人の役で主演の話しもあったのじゃが、僧侶として一企業の興行の片棒を担ぐわけには参らぬと断った経緯はある。
映画はその後 仲代達也 の主演で完成したんじゃ。ワシが主演しとったらゴールデンパルムドール賞を獲得したであろう」
「げっ! オメさまはお坊さまかね? したらば 親鸞上人のお仲間かいね。
そーゆーおひとが その刃傷のさまは如何なされたとかいね?」
「うむ この先の人切り峠でいささかのことがあってのう」
「びえーっ 人切り峠を自転車で越えて来なすっただか? そったらおひとは親鸞さま以外にはいねーだよ。なあ良助どん」
「んだ、 あっこは窓をぴったし締め切った軽トラ四駆でなければ越えられねーだ。
歩きの旅人はみぃ〜んな 人食いアブに食われっちまうか、はぐれイノシシに突き殺されるか、どっちにしても生きて峠さ越えた者はいねえだ。なあ源さん」
「昔か〜しぃ 斗南藩のお侍衆が新天地の蝦夷への近道を開拓すべえと、お上に内緒で登っていっては何人も死んでいるだあ。
それもなあアブの大群にやられて気が変になってよ、仲間同士の斬り合いになって死んだんだあ」
「んだぁー あっこのアブの毒はアブねえだで、下北のもんは決してひとりでは近づかねえだよ。まして自転車でなんて正気の沙汰でないとよ。
あに? 今日は土曜で サタデナイトよ だと! オメさん ホースこっちさ貸せ、アタマから水ひっかけてやるだ」
「オメさん お坊さまなら斗南藩興亡の 哀話ばなし ば知ってっぺや?
あに? 知らねえだあ。 詳しく聞かせてけろだとー!」
「 … 」 (おしぐれさん無言)
「よぐ聞いてくれだなあ〜 旅のひとー。 オラはよ 村の教育委員会の嘱託の語り部だっちゃ。 話したぐでしゃあーねえんだども村の衆は耳タコだあーっ つって逃げでしまうんだ。
オメさんええどこさ来たなあ。今日はよ 良助どんと仕掛けでおいたトラばさみに伝説の虎の足が掛っていだんだあ。そのハナシも含めで斗南藩の話しっこをしでやっからオラの民宿さ〜泊まれ。
なあに宿泊代はいらねーだ、教育委員会の研修費ちゅうこどにすっから心配ぇーいらねえだ」
「大変だあー 源さん! 軽トラの荷台の虎の足がなぐなっでいる。どごさ行ったんだんべ。
オメさん こごさにいで、何か見なかったかや?」
「ああ それなら先ほどワシがここに着いたとき、三本足の大きな虎が険悪な眼つきで軽トラの周りを唸り歩いておった。
ワシと目が合ったら荷台から何やら咥えて立ち去っていったが、あれが伝説の虎かね」
「びえええぇ〜 源さぁ〜 ん、来たよぅぅ 〜 虎が仕返しに来たんだあぁぁぁ〜 どうしべえぇ〜」
「ワシは修行により法力を具えておるから虎はあきらめて帰って行ったが、体じゅうから血を流して憤怒の姿であった。そこもとたちが居たら危ないところであった。
あの姿は魔界の性と見た。じゃからワシはホースの水を流して邪悪の血を清めておったところじゃ」
「あいやー オラはあ 語り部ごどさのハナシでなぐなったなやこれ どーしたらはあ よかんべ。
そーだ オメさま、お上人さま。 何とかしてけろ、お礼はなーんぼでも出すだで ありがてえ〜 お経を上げてくださりまっせぇー。
良助どん おめもオラの民宿さ泊まれ、用心のためだ。なあーにオラだぢにはお上人さまが付いでいなさる。魔性の虎など退散させでくれなさる。 なあお上人さま」
「あー おほん。両名ともよく聞け、虎の意趣返しはワシの法力で防ぐことは出来ようが、そもそも何故ゆえに別界の虎を怒らせたか。
その根本を尋ねんば傾向と対策が浮かばん」
「 … 」 (両名無言)
「そこもとたち、 面を上げえーっ、汝ら両名 人間の本質にもとり また良心にも恥ずる卑怯なる振る舞いを動物たちに行ない、よって私腹を肥やしていたのではないかっ、きりきり白状いたせえーっ!」
「ひえええ〜 お上人さまぁ〜 お許しください、 すべて申し上げまするぅ〜」
「うむ 殊勝な心根になって参ったの。
じゃがその前に、ワシは疲れたのと腹が減ったのと、カラダがそちこち痛いのとで参っておる。
早よう そこもとの民宿へ案内いたせ、風呂と飯じゃ。 それと寝る前にマッサージもな、頼むでよ」
「はははぁー 只今 ただいま。ご用意をぉーっ。
これ良助どん、何あーにしてんだ。 お上人さまのお乗り物を軽トラに積まんかい。積んだらひとっ走り先に行ってな、おっかーに事の次第を話してお席の用意をさせろ。
他の客はぜーんぶ断って迎えの車を出せと言うんだ。マイクロバスじゃあーねえど、ご祝儀用のメルセデスのリムジーンを走らせろー」
「それは雑作をかけて済まんな、世話になるぞ。
拙僧は戒律により酒は飲まんが代わりに般若湯は大いに戴くぞ。料理は精進でなくとも特にかまわんが但し、イノシシはいかん。いいか! イノシシ料理はいかんぞ。
分ったら良助どん、早よう行きーっ。
ところで源さんどの、この村には芸者衆はおらんのけ?」
パート 4 へつづく
おしぐれさん、今夜の宿が見つかってよかっただすなあ。
この村の料理はどんなんかなあー、 イノシシ芸者も楽しみでございますー。
やっとの思いで峠のピーク地点を過ぎたおしぐれさん、待望久しき下りにかかって途端に元気を盛り返す。
「ここまで来ればもう大丈夫、ゾンビ野郎などあっさり振り切ってやるわい。ワシを誰やと思っとるんじゃ、ガンダーレ ブッダ・マゲータの1948番目の弟子やぞ。
ナメとると承知せーへんでぇー! こんど来るときは キンチョールのアブコロリ 持ってくるさかいに 憶えとれよー」
フロントギヤをハイ側にシフトしてすぐに、見晴し台のようなトイレ休憩所のようなパーキングがあった。芝生に水飲み場とベンチも見える。
小さな群れの猿たちがくつろいでいたがおしぐれさんを見て高い木の枝に移って行った。
群れのリーダーは顔見知りのA200、大ボス ベンツの補佐ナンバー3である。
「なーんだ こんなリラクな施設があったのか、登り側にも欲しかった。
でも あっち側の斜面は虻のテリトリーのようだから猿も利用しないわなあ」
芝生広場の眼下は目の覚めるような絶景の山地風景。
辺りの樹木はヒバからブナに変わり広葉樹林帯になった。結実樹木が多い、なめらかな緑の葉が午後の日差しを反射して谷間の向こうに海が見えている。
おしぐれさん何度も峠の方をふり返り、ゾンビ野郎の吸血虻が追ってこないことを確かめてから自転車を降りた。
芝生の段差は自転車を担いで越えてベンチに立てかけ、自身は短く刈り込まれて手入れの行き届いた芝生で靴を脱ぎ、手足を伸ばして寝転んだ。
北限ニホン猿の群れは行儀が良くて、芝生に糞や抜け毛を残したりしない。河川ロードの散歩犬は見習うべきだ。
正確には犬のリードを持つ飼い主が見習うべきなのだ。犬も猿もボス次第で行儀が良くなる。
つまり、河川ロードでよく見かける大型犬の飼い主のお行儀が悪いと申し上げておる。
あの太い糞を溝のないロードタイヤで踏んでごらんなさいましな、フンでもないことになる。
おしぐれさん、虻にやられた鬱憤を犬の糞に憤慨している。
このひとの思考は3Dの軸が同一の零点からスタートしていないから分りにくいことは多々ある。だがこれはこれで正論なのだ。
ロードでよく観察すると犬の糞に河原アブがたかって産卵していたりするから なるほど、正論だわ。
「いやいやー 聞きしに勝る 虻地獄じゃったわい。
与作さんのおかげで助かったというものだが、さむらい時代の忠臣とは凄まじいモチベーションの塊りなんだなあ。
『 おのが血で 虻どもばらを引きつけまするがゆえに 旦那さま、 ここは一敗地に伏せようとも くちびる噛んで落ち延びなされ 生きて藩命を果たされまっせー! 』
今まさに腹に刀を突き立てた老人がよ、噴き出る血をゾンビの虻に吸わせながら こーんな ぬいどう歌舞伎 のような長ゼリフを言えるんだから凄い。
主人の若侍だって凄いよ、ガキの頃から世話してくれた父親がわりの爺いの首をだよ、
『 先君より賜りし家宝の太刀にて介錯いたすっ! さらば わが師よ 』
とか言ってスッポーンと斬っちゃうんだもんなあ。
こーゆーのってワシの故郷の冥惑星の文化にはないなあ。ワシ 正直ビビッてサイクルパンツに座りしょんべん漏らしちゃったよ。
ここ誰もいないから脱いで乾かしちゃおーっと。 お行儀悪くてゴメンねー。
誰もいないし誰も通らないのに誰がこのパーキングを管理しているんだろうなあ、国費の無駄だがワシにはありがたい。パンツが干せる。
お礼と言っては何だが、改めて与作爺さんとイノシシの菩提を弔ってやろう。ワシ 坊主じゃけんのう。
『 南無大師遍照金剛 ‥ 中略 ‥ というよりうろ覚えだから省略や〜 ‥ 海砂利水魚の吽形松 ‥ 中略 ‥ 摩訶般若波羅蜜多心経ぉ〜 ‥ 』 これでよしっと。
ふるちんでお経を詠んだのはダライ・ラマ師に連れて行かれた幼稚院の小坊主のとき以来だなあ、気持ちがいいやさねぇ〜。
それにしてもナニだねえ、切れるものなんだねえ恩賜の太刀ってやつは、只の飾りじゃなかったんだねえ。
あーゆーモノは柄や鞘の紫蝶貝の螺鈿装飾ばかりで中は竹光だと思っていたが ありゃー本物だったぜよ。 あーんな重そうなモノ持ってよく旅ができるものだがや。
ワシは8kgの自転車にパンク用品以外には期限の切れたVisaカードしか持っておらんよ。それでもこのカード何故か使えるんだ、支払いはローマ法皇庁がしてくれているみたいだがよくとは知らん。
知らんといえば、与作爺さんのむくろがイノシシに変わっていたトリックがよく分らんが、ジャパン忍者のことだからこーゆーのは有りなんだろうねえ。
与作さんの名字はハットリというんだろうなあ、藩命とは他藩の秘密諜報に違いない。いやいやー 凄い時代にワープしたもんだ、現世に帰れてよかったなあ。
そーか! この峠は時空が捻じれたワーピングゾーンなんだ。
何度もS字の坂を登るうちに左右の旋回回数の足し引き算が合わなくなって、3Dの時間軸が絶対破綻したときにワープるんだ。
このあと下りでもワープしたらどの時代の何処に出るんだろう? 出来れば乙姫さまの竜宮城なんかに行ってみたいもんだでやー、 亀はいねーかあー」
おしぐれさん、ふるちんで芝生に寝転んだまま訳の分らない納得をすると、やおら起き上がり水飲み場の水をジャージャー流して亀を探し始めた。
スッポーン亀は山にいないでしょう。
虻毒のパニックで一時的に気が変になっているのは確かなようである。変なのは一時的だけではないという噂も一部あるやに聞くが、それは個性というんだ。 ほっといてー。
「悪りー子は いねがぁ〜 いじめられた亀っこは いねがぁー オラだあー 浦島たろー だぁ〜」
おしぐれさん、ナマハゲは秋田でねーけ。 ここは下北の脇野沢ずらぁ〜 亀でねーずら 北限猿と猪獅子の聖地だしー。
パート 3 へとつづく だしー。
ボス猿 ベンツ、高崎山動物園では行方不明のまま死んだとされ、お参りのひとが絶えないようです。
彼は健在です、ぬいどう石山周辺に赴任して元気に現役ボスを張っておりますゆえ、皆様にはご安心のほどを。
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下北西部の日本海から直接せり上がった嶮しい山中に人切り峠という物騒な名前がついた峠道がある。ピーク点の標高は521m。
その名の由来が山岳路にはしばしば出現する虻(あぶ)であることに自転車で山を登り始めてから気がついた。
おしぐれさんに付きまとう毒槍の刺客は飛行術を心得た猛者、下りなら滅法速いおしぐれさんだが登りではカラっきしのへたれなのだ。
虻の数がどんどん増えてきたのは、自転車の速度がどんどん落ちて逃げても逃げても追いつかれてしまうようになったからだ。
それを手で追い払っているうちはまだよかった。
追い手の風を帆にはらんだ追っ手は、追っても追っても追って来る。まるで熱線追尾型トマホークである。
登りの勾配がいよいよきつくなって、30Tのスーパーローギヤでも踏み込みが重くなってからはハンドルから手が離せなくなり、奴らにやられっぱなしになった。
蜂は自分の巣に近づき過ぎた動物を外敵として認識すると、初めは 「カチカチ」 いう歯音と 「ブンブン」 いう羽音で威嚇する。それでも敵が接近を止めない場合にのみ一斉攻撃を断行するのに対し、虻は自分の食糧として動物の血を吸い小さな昆虫なら食べてしまう攻撃型肉食性。
獲物を探して向こうからやって来る。
日本の山野で一番怖いのは熊でもマムシでもスズメバチでもなく、じつは吸血性のヤマヒルと虻なのだ。その次が毒ムカデだが行動性の点で虻が断トツ1位。
人間にとってはアフリカの草原でジープが故障し、たったひとりで丸腰で歩いているときにライオンやヒョウと出っくわしたのと一緒。
人間は偶然出っくわしたと思うが、ライオンは何時間も前から茂みに身を隠して間合いを詰めて忍び寄って来ていたのだ。
下北山地の虻は隠れたりしない。公然と空中を飛んで来ていつの間にか背後に回り込み、いきなり刺す。
しかもひとたび狙いを付けると何処までも追いかけて腹いっぱい血を吸うまでは攻撃をくり返す。この執拗さは哺乳類のライオン ヒョウと違う始末の悪さである。
背中や肩を チクッ と刺されると跳び上がるほど痛い。
蜂と違って奴らの眼はさほどよくない、しかし動物の体表面から放射される赤外線を感知してむき出しの皮膚や体毛の薄いところを口嘴で狙い刺す能力に長ける。
写真を見てください、眼というより赤外線レーダーですわな。
眼がよくないからこそ怖いものなしに襲いかかれるのかも知れない。
蜂は熊に蜂蜜を盗られても熊が怖いから黙って盗られるに任せ、嵐が過ぎればまた巣を作り始める。
営巣中に人間が観察などに行ったりすると、弱いのを知っているから熊にやられた怨みの倍返しで酷い目にあう。だから熊のぬいぐるみを被って行けと言うのは本当なのだ。
パンダでもいいが可愛いからとレッサーパンダのぬいぐるみでは駄目、劣性パンダではダメに決まっておろうがタワケめ。
虻のクチバシには消防レスキューの破壊ソー (ギザギザ刃の付いた動力ノコギリ : 閉じたシャッターや薄い壁などを槍のように突き崩し、破壊して前進する) の切り裂き歯が外に向かって生えているので、刺された皮膚は鋭く切り裂かれる。
ノコギリ口嘴の先端を皮膚内へ深く刺し込んだまま生きた動物の血を直接吸うのだ。
おまけに奴らの唾液には血液を固まらせない成分が含まている、それは激しい痒みの元になる。
この点では蚊も同じだが、虻は昼間も出る。
虻に刺された処が太陽光を浴びてどのような反応変化となるのかは分らないのだが、光化学アレルギーとでも言うのか夜刺されたときより酷く痛いし痒い。
それはイライラして腹立たしい痛痒なのだ。 これは1秒を争うアスリートにとっては致命的なストレスとなる。
普段はシロート衆と争わないおしぐれさんだって、虻に刺されて愉快な訳がない。
刺された側の動物の自立神経は痛さ痒さのレベルを低減分散させようとし、自動で筋肉を収斂(しゅうれん)させるので筋温度が上がる。それがますます奴らを誘き寄せてしまう結果を招いている。
動物によって痛さ痒さの感じ方は違うようで、牧場の牛などは刺された周囲の皮膚をブルブル震わせて虻どもを払い落とそうとししている。
また尻尾で叩いて追い払ったりしているのを見るが走って逃げたりはしない。大した我慢強さだとアタマがさがる。
しかし本来は牛だってこんな吸血ゾンビー野郎に献血などしたくないのは当然のはずで、沼や田んぼの泥をカラダ中に塗りたくって奴らの槍を防御する知恵を持っている。
アフリカのサイを見なサイ、装甲車のような堅い皮膚はじつは粘土質の泥を塗り固めたものなのだ。
ケニアの家屋の外壁の干乾しレンガ、レンガとは現地語でサイの糞のこと、粘土と糞を練って固めたものなのだ。だからあーゆー色をしている。
ところが文明国日本の牧場では中途半端な衛生意識からか泥地を埋めてしまったが、牛舎や運動場を清潔にして虻の侵入防御ネットを張り巡らすところまでは手が回っていないのが実情。
し尿の処理池に蠅(はえ)が発生し、その蠅の子であるウジを食べに山の方から飛んで来た虻が、むっちり太って美味そうでしかも無防備な牛に目をつけるという逆効果になっている。
牛よりカラダの小さい人間では、虻に刺されると痛さ痒さは強烈なイライラ感を生む。虻の唾液中にはそのようなアンチドーパミン的成分が含まれているとおしぐれさんは睨んでいる。
小保方博士に研究を依頼してあるのだが、今のところお忙しいようだ。
ともかく、掻くと体温が上がってますます痒くなり、怒り狂う症状を催してさらにイライラを促進させる。
両手両足を自転車に固定して登りをもがくおしぐれさん、噴き出る汗が赤外線を拡幅して吸血鬼の出現を呼んでしまった。
そちこち刺され、怒り心頭なのに反撃できず刺されっ放し。 こーゆーのがマインンドに一番よろしくない。
「ギョエーッ このままでは狂い死ぬぅーっ 神よ 仏よ お守りくだされぇーっ」
おしぐれさん、ガンダーレブッダ・マゲータの1948番目の弟子だが、弟子中一番のへたれな破戒僧、破壊ソーの攻撃に遭って師匠の仏より発音しやすい神を先に叫ぶ。
どちらが先でも神仏はドーパミンが効いているから怒ったりはなさらない、なさらないが簡単に奇跡は起こらないのが本編の定めなのだ。
たまらず自転車を降りて両手両足を振り回すが、一度呼んでしまった虻の大群は攻撃の手を緩めることはない。牛より美味い人間の血の匂いが奴らの狂暴性を目覚めさせてしまったのだ。
どうするおしぐれさん、こんな山中で狂い死にするまで手足をバタバタし続けるのか。
自転車を止めたこと自体がとうに判断の狂いを生じている証拠。
止まったら死ぬとオートバイ青年にあれほど言われたではないか。
失速寸前の速度でも登り続けられるようにと、カヨちゃんのクレジットを誤魔化して30Tのスーパーローギヤを楽天ネットショップで買ったんじゃあないか。
もう走れないのか? ここで失速いや失血して死ぬ気か! 意気地なしのペテン師のへたれな似非坊主めーっ!
そのとき、坂道をまろび転びつ駆け降りてくる奇妙なふたり連れが目に入った。
二人とも相当虻にやられたようでヨロふら状態。すでにそちこちから血が吹き出してズタぼろの荒い息、背後に虻の大群が雲のようになって迫っている。
おしぐれさんが驚いたのは虻の数ばかりではない、二人の恰好が奇妙なのだ。
さむらい風衣装の若い男と従者と思われる老人、まるで時代劇の道中旅姿である。
「旦那さまぁー、おいぼれの足ではもはやこれまで、わたくしをお斬りなされませーっ!
わたくしの血で虻どもを引きつけますゆえ、その間に旦那さまぁー お逃げなされませぇー!」
歩みの遅れた老人ががっくりと道脇の草に膝をつき、外した菅笠を前に置く。ちょんまげは白髪だ。
「なにを申すか与作。 気を確かに持て、すでに峠は越えてあとは下りじゃ、ここを駆け下れば海に出る。
鮮烈な潮水に飛び込んで汚血を洗い流すのじゃ。 さあ立て!」
「御免なされましぃーっ!」
さむらいがはっとして駆け寄る前にお共の老人、着物の前をはだけ腰から短めの刀を引き抜くと両手に握って己が腹に突き立てた。
あっという間の出来事だった。
「むぅーふぅ」
断末魔に耐える老人の口から嗚咽が漏れる
「旦那さまぁ 藩命を ‥ 初志を果たされませーっ。
爺いはここまでお共ができたこと ウッウッ 幸せでございました。おさらばでございますーぅ」
さらに刀に力がこもり、膝をついたままがっくりと首を垂れる老人、もはや声が出ない。
噴き出る血が草を染め、頭上を飛び交う虻どもは一瞬ひるんだあと地上に降りた。
駆け寄ったさむらい、ぶるぶるぶるっと震えると絞り出すような声で言った。
「与作ぅーっ! そなた、わしの共をしたいと申し出た真の訳はこの時の覚悟であったのかぁー すまぬ、許せよ。すぐ楽にしてやるぞ。
そなたの最期 しかと見届けた。ご内儀には見事な忠義であったと伝えると共に、殿には士分として取り立てて頂くよう没後仕官を願い出よう。
そして 永代わが家の誉れと致したい。
うっうっうっ
爺いーっ これよりはそなたを誇り高き斗南藩士のひとりとして取り扱う。よって戊辰の役にて亡き父が先君より賜わりし恩賜の太刀、当家の家宝にて介錯つかまつるっ!」
錦の刀袋がシュッと払われて、ぎらりと光る太刀が一閃。
草地の血の池はさらに広まって、すべての虻がそこに集まって行った。
さむらいは立ったまま暫し両手を合わせて瞑目ののち、切り取った忠臣与作の白髪の遺髪を握りしめて脱兎のごとく坂を駆け下って行った。
「ひゃぁー 今のは白昼夢かい、それともワシは狂ったか?
まさか どっきりカメラではあるまいな。 はて 不思議なことに虻の大群がいなくなった」
気が付くと与作爺いの遺骸の草地に大群の虻が群がっていて、恐るおそる遺骸に近づくと何とそれは大きなイノシシだった。つい今死んだばかりのように見える。
後ろ足が足首近くで千切れていて、そこから流れ出た血が草を染めている。
掛った罠を気合いで振り切り、鎖に足首を残したままここまで逃れて来て息絶えたのだろう。トラバサミに挟まれた足の断裂面が見えた。その肉を虻が貪り食っている。
「恩賜の太刀ならもっとすっぱりと切ってやれたのになあ、かわいそうに」
だがおしぐれさんにとっては幸運だった。
今のうちに逃げるのだ。さむらいが言っていたように程なく峠の頂になる、そうすれば後は下りだ。
下りならおしぐれさんより速いライダーなどこの世にいない。
他にいてたまるものか べらぼーめーでござる。
ぬいどう石山の下りで青森県警のミニパトをビビらせた幽鬼の走りで逃げるのだ、勇気を出さんかい おしぐれさん!
「までー! 逃げる前ぇーにイノシシさぁー弔ってやるごど 忘れるんでねーだよぉー。 オメさま坊主でねえがぁー」
はるか後方となったぬいどう石山のてっぺんに乗って、ボス猿ベンツが大声で叫んでいた。
そろそろ石山に夕陽のかかり始める時刻だった。
「人斬り峠」 パート 2 に続く。
写真は ニッポン オオアブ。
いやー やっとサイクルロードらしくなってまいりましたなあ。
まぼろしの斗南藩のことは、むつ市郊外にある 「斗南藩士上陸地跡記念碑」 をしっかり取材して来ました。
ここの駐車場にトランポを3日間置きっぱなしにして、恐山から直滑降で降りてきたら叱られましたがね。
その点 「寺山修司記念館」 の駐車場は鷹揚ですなあ、おしぐれさんは2か月半も放置したまま放浪中でっせ。
えっ? 早くパート 2 を書け! ですって、あんた 虻より性格悪いんやないの。
欠番となった episode 7 のことを始めに言い訳しておかねばなりません。
このたび作家は、著作物における 「淫靡かつ扇情的表現を世界ネットから排除する自主規制委員会 ワールドアース部会」 よりの勧告を受け入れ、
前述の一巻を委員会所轄の倉庫内に幽閉することに同意しました。
倉庫というのは太陽系の一個外側にあって太陽系といっしょにグルグルしている冥惑星に人知れずあるという開かずの倉庫のことです。
扉には鬼の顔をした郵便ポストがあって、牙の生えた口がDVDの投函口なんだそうです。
〒マークの代りにブラックホール入り口と書かれたプレートが掛けてあるそうです。内部を覗いた者はありません。
そんな倉庫を持っている委員会がワールド作家協会機構内にあったなんて認識していなかった作家は、驚くというより協会機構から通知があったという事実のほうが嬉しくて、
「ワシ 協会員だったのね、会費払ったことないけど。
とゆーことはワシ、作家のひとりとして元東京都知事のあの人と同じステータスの処にいるのよね。ボストン型のカバンの中味が現金か質札かの差はあるけれど … そーゆー問題ではないワケよね」
兎も角もです、ワールド作家協会機構は作家著作権協会や新作落語協会を包括する唯一の世界メジャーですからその権威は強大。
作家は、抗し切れない大きな圧力に対してはあっさりと屈するのが一番と考えるタイプのひとですから異など唱えません。エロス指定された episode 7 は蔵入り封印となりました。
ここ数編のロード歳時記は 「核燃サイクル」 に特に関係のない艶笑モノに終始しておりました。しかしそれは行きがかり上の都合でありまして、おしぐれさんの意図ではないのであります。
責任はひとえに作家にありまして、エロ物書きの風評を一変させるべく鋭意努力中につき間もなく元の核燃料サイクル機構の環状ロードに戻れる見通しでありますゆえ、今しばらくのお付き合いをお願い申しあげます。
ここまでの話しを整理しましょうね、作家もなんだか分らなくなった。
針路を核燃サイクルロードに戻したい一心から場面展開を一気に強行した場合、オオウラヒダイワタケ食中毒事件を取り上げた前作が無意味なものになってカヨちゃんの位置づけが曖昧になる。
カヨちゃんの尊厳を守り 禍恨を残さず、おしぐれさんが再び へたれなよろけ旅 を続けられるようにするにはどうするのがいいのだろう。
作家は両手をアタマの後ろで組んだまま椅子にもたれて 「フーッ」 と深いため息をつく。
「だいたいに於いてさあー おしぐれさんが気まぐれなよろけ走りをするから、こーゆーことになる。いくら辛抱強い作家だってもう助けてやれんよ。
カヨちゃんと夫婦になってもらって事態を収拾するという強権力の行使もありだなあー」
「いやー それは安易すぎるんでないかい、根無し草が根を生やかしてしまったらイカンべーよ。 残してきた根っこが気になって下りのカーブを攻め切れねぐなってしまうべさ。
それより、そーゆーのって なんだが書いていで面白ぐねーな」
アタマの後ろに組んでいた手の指が緩んで 「ガクッ」 と作家の首がうしろに傾き、「ゴッキン」と頸椎骨のはぜる音がした。 こーゆーのは骨周りの筋力が低下している証拠だが、
「こらー、 オメ 居眠りしていたんでねーのけ!」
さて、下北の寒漁村 福浦崎 を通る二級国道338号線の ぬいどう石山林道分岐点。
ぽつんと突っ立って点滅をくり返している信号機があって、そのたもとにウニ丼が名物の寂れた感じがほどよい飯屋が二軒、信号機の電柱を挟んで少し離れて営業している。
そのうちのより寂れた感じのする 「海峡ドライブイン」 前に差しかかったおしぐれさん。店の前をホーキで掃いていた女性を見かけて声をかけ、道を尋ねたのが運命の分岐点。
点滅信号は4方向共に超エマージェンシーの赤だったことに二人とも気が付かなんだとは、運命とは苛酷であります。
その女性とはなんと、40数年前の色気ガキだったおしぐれさんが中学校の道徳の授業中に隣りの席の女子と机の下の裸足の指と指とをからませてチチクリ合った胸デカのカヨちゃんだった。
カヨちゃんが生まれ故郷を遠く離れた下北の寒漁村に行った経緯は置くとして、足入れ婚した亭主は婚礼の3日前に海の時化で船ごと行方不明になった。
帰らない男の母親とここで飯屋を始めて30余年になる。
十数年前、初めて生国に帰省したカヨちゃんは中学の同級会で懐かしい元色気ガキどもに再会した。
そしてその中のひとりが 「定年したら一緒に暮らそう」 と言ってくれた。
その男がなぜ独身なのかの経緯も置くとして、それがおしぐれさんだった。
こんな優しい男は死んだ亭主の (とはいっても婚礼前だったが ‥ ) 生まれ変わりに違いない。
以来、いつかはおしぐれさんが迎えに来てくれると信じて後家のみさおを守って (本人談) 待っていた。
数年前に母親が死んでひとりになったときも、此処を離れたらおしぐれさんが探せなくなってしまうと店を続けて頑固にウニ丼を売っていた。
episode 6 以来時々数行だが登場する漁港の爺さんが新鮮なウニやホヤなどを届けてくれるので助かっている。
この爺さん 死んだ亭主の父親、つまり死んだ母親の元亭主なのかと思うこともあったが、その方向に振るとハナシが増々ややこしくなるので、気のいい老漁師としておく。
「おしぐれさん やっぱり来てくれたんだねえ。アンタはあっちへふらふら こっちへふらふらの男だと風の便りに聞いてはいたけれど、約束通りに来てくれた。もう離さないよ。
アンタひとりくらいあたしが食べさせてあげるから、死ぬまでずーっと此処にいてね。もう何処にもいっちゃあーだめよ」
根無し草の男にとってはじつによい話しである、世の男の大方はこーゆー生き方を願っている。だがほぼ99%はあえなく挫折しているのが現実だろう。
そんななかで1%の枠に入ったおしぐれさん、あてにならない年金の心配などもういらないのだ。団塊屋に頭をさげて相談に行くこともない。
ところがおしぐれさん、根無し草の性根が根本に染みついちゃっているからか、生まれ故郷の冥惑星のDNAなのか、こーゆーのはどーも駄目なのだ。なんだか微妙に気に入らないのだ。
ヒモ暮らしはとってもグッドでナイスなのだけれど、何処にもいっちゃあーだめよ 他の女を見ちゃあーだめよ という辺りがどーも 駄目なのだ。なんだか微妙に気に入らないのだ。
サバンナのライオンだって モンスーンのトラだって、知床岬のヒグマだって、繁殖期以外のオスは家族の群れを離れてひとりでふらふらしているではないか。
人間の男だってそうなのだ。
地球に有性生物が創生して以来そうなのだ。オスのふらふらは神の意思なのだ。
妻と子供たちの家に毎日帰るのは、そーしないと毎朝パリッとしたシャツで会社に行けなくなってしまうからで、Yシャツなど着たくない ネクタイなどしたくない男には妻も子も家も、さして重要なことではない。
本当はみんなそう思っている。
目先に必要な現金とコンビニのプリペイドカードさえあれば日本中をひとりで漂流していたいのだ。
カヨちゃんの出現は現段階のおしぐれさんにはとてもありがたい、本州の北端にベースキャンプを持てるのは絶好のチャンスと考えるべきだからだ。
いつ死ぬかわからない年になったのだから、「死ぬまで一緒にいてね」 と言われたら 「ああいいよ」 と答えても詐欺ではあるまい。
だがスポンサーのカヨちゃんの歓心を失えば、こちらからお願いしなくたって追い出されるさ。
追い出されるのはやぶさかではない、むしろ望むところだ。だがその理由が最近不安な閨房での 「役立たず」 では、ちびっとばかりカッコ悪いっぺや。
そこで40数年前のチチクリ合いの続きを再開するためには、邪道ではあろうがオオウラヒダイワタケの効能が必要になったというワケだ。 立派な理由だ。
というのがおしぐれさんの独白。
おしぐれさん、自分を悪ぶって見せるヘキがある。その辺は根無し草に共通する考え方の根っこ、カッコつけて斜に構えたところ。
そしてその辺りからお堅いはずの核燃サイクルロードが急展開して、軟派なエロロードに傾斜して行ったのだった。
おしぐれさん、カヨちゃんの一途さに答えられる方法を最も原始の愛情表現でしか具現できないと、40年を無理やり跳び戻って色気付いたばかりのガキに戻ろうと、痛む脊柱管を庇いながら回春のキノコが生えているという石山まで登って行って、無味乾燥に咽せながら無理やりイワタケキノコを貪り食ってボトルの水で飲み下したんじゃあないのかい?
それもこれも十数年前の、まだもちっと若かったころの約束を守るためだったのか。
作家は泣いたね、こんな純愛物語が現代にもあったのか。
この問題は 「自主規制コードQ」 には抵触しない。これからの高齢化時代の残り人生と社会生活への関わりのことだから書いてもよいのだ。
日本では女性に続いて男性も平均寿命が延びた。延びたけれど使い切ったアレは伸び率が鈍化 … だから ‥ こーゆージレンマはそちこちにあるよね。 そしてとても大切なことだよね。
違う、オレの寿限無寿限無ゴボウのすり切れは伸びる。 まだまだ立派に伸びるぞぉー という読者は即退場じゃああー、二度と来るなあぁぁぁー。
じゃが じきに再入場して来るのは … 見えとるわい。
入道さまの石山から 「海峡ドライブイン」 に降りてきたおしぐれさん、そのまま食客としてカヨちゃんの店に留まることになってしまった。
というのも、ウニ カキ イクラ ホヤ ホタテ、イカ に カニ (ウニ 〜 カニ の部分、声に出してゆっくり読んでみてください)
七五調 下の句の優雅さで次々出てくる福浦漁港の海鮮を腹いっぱい食って酒も飲んで、んでもって ‥ 中略 (ここは書けない規約でして) ‥
そして昼寝をしている間におしぐれさんの体内ではある種の毒素反応が起きていた。
なんと目が覚めたら下痢 腹痛でだらしなく行き倒れてしまったのだ。
腹いっぱい飲み食いしたうえに艶福な出来事もあったりして、そんでもって行き倒れとは何とも贅沢な行き倒れ者でございますが、警察用語・行旅死亡者を分り易くいうと行き倒れのことなんです。
カヨちゃんの献身的介護のおかげで死亡は免れたものの、トイレで胃腸内のへたれな根性を根こそぎ流し出してしまったおしぐれさんはポテンシャルが上がらず寝たきり。
それでも体内毒素が薄まってきた1週間後には立って歩けるまで回復した。
その毒素反応というのは大間崎で出会った北里大 農獣医学部のオートバイ青年が、民間伝承の回春薬効について研究解明に取り組んでいる秘茸オオウラヒダイワタケが原因の可能性大。
よくとは分らんイワタケ成分に海鮮たんぱく中の潜在プランクトン毒が反応して、ジテルペテン系アルカロイド毒に変性したらしい。つまりトリカブトにコブラを足した級の毒素。
これは咬まれるより腸壁から吸収したらひとたまりもない。
薬学不案内の作家が何故も潜在プランクトン毒などと専門的なことを書けるかというと、くだんのオートバイ青年が訪ねて来たのです。
彼の提供した目撃情報をもとに容疑の行旅不明者を発見したと青森県警からお礼の電話があって、そのなかで容疑者は異様に股間を膨らませていた。という話に薬学青年は大いに興味をそそられオートバイを駆ってやって来たのだ。
学究の興味でやって来たのだが、大間崎でまぐろをご馳走になり民宿の空き部屋を内緒で一晩提供してくれたおしぐれさんに対してはツーリストとしての恩義がある。
ところが再会したおしぐれさんは大変なことになっていた。
下痢で憔悴した恩人を放っては置けないと彼の知識をフル動員して解毒のカキ汁を作ってくれた。
カキと聞いて身を震わす病人に彼はニッコリして言った。
「柿ですよ、牡蠣じゃない。まだ実が熟していない渋柿がお店の裏に実っていたので作ってみました。植物性タンニンは解毒効果が穏やかだから傷ついた腸壁の修復に役立つでしょう」
そばで聞いていた漁師の爺さんが枕元に這い寄って小声で言った。
「そらー ぬいどう症だなあ。漢字では入道症と書くんだあ、あそこが弓削の道鏡のようになって戻らんのだわ。
オラも昔あーし 罹ったことがあるだ、石山キノコとホヤの食い合わせはいぐねーという言い伝えが村にあっただよー。そんでもな いぐねーつったってよ、 これがいぐいんだがら しゃーあんめえ。
どれ オメさん見してみれ。
ふーむ 道鏡には大いに劣るが、元々が小振りだったとすれば相当な弓削ぶりだと思わねーがや。下痢のほうは止まればもうええんだ、ぬいどう症が定着した証しだかんなあ。立派なもんだがやー」
「おしぐれさん! 血液を少し採取させてもらっていいですか? それと尿と精液も」
今度はオートバイ青年の薬学博士候補が弾んだ声を押し殺して小声で言った。
という訳でおしぐれさんは全快した。
ひと月も経つうちには自転車のトレーニングを再開し失った筋力が戻った。
オートバイ青年は血液検査について何も言ってこないからおしぐれさんが道鏡入道の能力を手に入れた確証は掴めなかったのだろう。
カヨちゃんはよくしてくれて、食はもちろんのこと衣色住の面倒をよく見てくれたからついつい長居をしてしまった。
しかし、旅の僧はひとつ箇所に安住してはならぬのが定め。
元気を取り戻すにつれ、その思いがおしぐれさんを旅に駆り立てるのであった。
「おお そうじゃ、トランポを三沢に置いたままじゃったわい。寺山修司記念館でも迷惑がっとるじゃろ、行かねばならん。
カヨちゃん 世話になったなあ。 ちっくら出かけるが、達者でいろよ」
むこうを向いたまま自転車のタイヤに空気を入れる男をカヨちゃんはもう止めなかった。
それどころかサイクルボトルに台所の水を入れて黙って手渡した。
こーゆー男は止めても無駄だと知っていた。さすがは海で死んだ男の元女房である。
こーゆー男は酒を飲むたび置いてきた女を思い出すと知っていた。さすがは北の海道でウニ丼を売る海峡ドライブインのおかみである。
そしてこーゆー男はそのうちフラリと帰って来ることも知っていた。さすがは元色気ガキの元同級生である。
「えーい 馬鹿やろー 行っちまえー、 そうだ 塩を撒いてやろうっと」
カヨちゃん、台所から活ホヤの入った桶を持って来ると男が立ち漕ぎで登って行く仏ヶ浦の坂道の方に向かってタップリ潮を含ませたホヤの腹を絞った。
「ピュッ ピュー」
勢いよく吹き出す潮は点滅信号機を越えて隣りのぬいどう食堂の裏にある犬小屋まで飛んで行った。
なりゆきを見ていたのかレッドブル、「ワン」 と一声悲しそうに吠えた。
犬の声が坂にこだまして男の背中に届いただろうか、一度だけ振り返ったようにも見えたがやがてヒバ林にかくれて見えなくなった。
episode 10 につづく
いやー うまいこと脱出しましたなあ。
ちょっとばかり もったいない気もいたしますが旅の僧はこうでなければならんとです。
おしぐれさん、峠の見晴し台まで登って自転車を止め、ボトルを取って グビリ と飲む。
「何だぁー これ? 海で溺れたときのような味のする水だなあ」
写真はモデルにさせていただいた 仏ヶ浦ドライブイン。
さあ入ってみなはれ、カヨちゃんそっくりのおばちゃんがガラス戸の向こう側にいまっせ。
ただし 「コブラ丼」 はありません、あれは作家の創作です。