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「俊水」の掲示板
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おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイド JAPAN 2013 (11) 最終回
2013/07/08

決戦2日目 6月9日(日) 福島ゴール

サイクルエイドJAPAN はレース競技ではありません。
順位もタイムも記録に残りません、残るのは参加したことだけです。(大会コンセプトより)                                                    

そやからワシには決戦なんよ。
福島ゴールを目標に5か月も準備してきたんや。参加して完走することは勝利だべ。
勝利とは決戦に勝つことやろ。
完走するには最後まで踏み続けにゃならん、。踏み抜けばワシが勝つべ。
完走はワシの決戦なんじゃ、坂のこん畜生を踏み抜いたっちゅうだけやけどな。


昨日の1日目、白石市周辺は昼前後に激しい雷雨となった。
雷雲は北東に移動して行ったので、ちょうどその頃に旧奥州街道を白石めざし南西に向かっていたエイド出走者の真上を通過したことになる。
狭い範囲の雷雨であったにも拘らずロングもミドルもライダー全員がずぶ濡れになるという、誠に公平な雷雨であった

その時間帯のワシは車両通行量の多い旧奥州街道から左折して、比較的ストレスの少ない柴田町辺りの県道に達していたから恵まれたと言える。
折よく東北本線のガード下に雨宿りを見つけ、10分ほどタイムロスはしたが雨脚が遠のくころには程よい休憩もとれて再スタートのモチベーションとなった。
後続の多くは信号での停止を繰り返す国道上を辛抱の走りでゴールに向かっていたのだろう。
初めての道で雷雨とは心細かったと思うでー、みんなようがんばったなあ。

事故が無かったのは、あの雷雨のなかでもマナーを守って走り続けたライダーの努力と、参加者の安全を守り抜いたスタッフバイクの献身があったおかげと感謝しています。
ワシの周りだけでなく、エイドライドの語り草となるような感動のドラマがそちこちで展開されていたに違いありません。
手段のあるひとは、そのこと全国に広報すべきです。
でも、あまりやり過ぎると雷神様までその気になって来年もエントリーしてくるからほどほどに。

雷雲が去って白石ゴール手前の最後の坂を登るころ、突然晴れてカンカン照りになりました。
前を行くライダーの背中から水蒸気が立ち昇っていました。
雨の粒子に汗の粒子が混じった水蒸気は、透過光の屈折が微妙に揺らぎます。

それは真上から射す陽の光りを受けて、まるで仏さまの光輪のように見えました。
ひとりが一個づつ小さな虹の輪を背負って、懸命に坂を漕ぎ登って行く。

「ほーい おめだぢ 仏さまの弟子になったんかあー めっちゃ かっけーなあー」
「はいー あんさまもー かっけーどー」
「はーん これがエイドだべー エイド えいどー」  

宮崎 駿の動画の世界のようです。
けっしてパクリやあらしまへん。 この目で見たんやから、真実だす。
ヘルメットカメラを装着していなかったことが悔やまれた一瞬でした。
亘理町にいたプロカメラマンにもけっして撮れない、ピュリッツアー賞ものの一瞬でした。

なぜアカデミー賞ではなく、ピュリッツアー賞なのか。
そやないけ、真実の報道写真のアカデミー賞がピュリッツアー賞やないけ。ワシの決戦と完走の関係みたいなもんや。

翌日もライドのあるワシは、ゴール後の完走セレモニーで湧く会場を早めに退出してバイクのメンテを十分に行った。
雨に流れて飛び散ったチェーンのワックスが付着し、制動効果の落ちたブレーキも丁寧にクリーニングして万全を期した。
もちろんしっかり食って早く寝てカラダのメンテも十分。

最終日の今日は早朝の霧が晴れたら青空と太陽が眩しい。梅雨入り直前大サービスといった感じの晴天だ。
集合時間前から気温が上がり始め、日中の福島は30度の予報。
日焼け止めクリームをたっぷり塗って、サングラスのシェードにもぎらつき防止剤を塗った。
ヘルメットと靴はしっかり乾かしてあり、ウエアと手袋は晴天用を着用。体調も良い。
雨の後遺症は完全に払拭して決戦に臨む。

ここからは、初日編同様に帰宅直後のサイクル仲間に宛てたメールを基に記述します。

2日目午前8時、福島最終ゴールに向かってミドル(58.2km 63名) ロング(91.0km 208名)が5名づつ3分間隔でスタート。
号砲は昨日同様に白石城址鉄砲隊による火縄銃。
会場を出たところでミドルは東へロングは北へ進路が分れ、たちまち白石城下の街は自転車だらけになった。

ワシはミドルコース。
ロングの距離を山越えでショートカットするコース、距離が短いぶん標高差の苦しみが味わえる(大会公式ガイドブックより)という。
スタート順は早くなって2グループ目。1グループは白いブリジストンのベストで揃えた女子が5名。

これは、女子だから先にスタートさせたということではない、彼女らは早くから前に並んで1番スタートを取ったのだ。
クロスバイクのひとりが不安そうにしているのを、リーダーらしき女性が励ましていた。
エイドらしい良い光景である。
じゃが、この期に及んで不安とは如何なものか、みちのくおなごの覚悟をば お見せなんしゃい。

ワシは単行だから周りのことは構わないスタイル、昨日はそれでうまくいったが今日はどうだろうか。
市街を抜けたところで昨日と同様に強く踏んだら、先行グループをあっさりかわして先頭に出てしまった。

このとき前後のライダーに、
「行きまーすっ!」
と声を掛けたのだが付いてこなかった。
「はいーっ!」
という返事は聞いたが、まだ早いと自重したのだろう。
ワシは3分先をアベレージ25km毎時で行く青色ビブス着用の2台のペースメーカー車に追いつく勢いで加速していった。

脚が暖まっていないうちから独りで前に出たのはワシの作戦。
この先に待ち構えている壁のような激坂(大会コースガイドより)で蛇行をとったり、苦しさにひとり罵声を吐いたりしても周りに迷惑をかけることはない。
さらには思わず足を着いてしまっても、くねったカーブの連続なら誰にも見られず再スタートできる。
へたれ爺さまの姑息な作戦なのだ。

トライアル競技なら足つき減点だが、サイクルエイドは落車したって押したって、自力でゴールすれば誰でも勝者だ。
ワシは勝つためにここに来た。
そしてそして、叶うものならひとり目の勝者になりたい。

思った通り誰も付いてこない。
スタッフのサポートバイクもこの先の山越えに備え脚を矯めているらしく、独り飛び出したワシを追ってはこない。
「あいつ 潰れるでえー」 と言っているだろう。

じつはワシ、この山のコースを熟知していた。大会にエントリーする前にいちどクルマで下見している。
また大会の2日前に白石入りしたとき、高速道を使わず福島側の国見から山に入って毛無山を逆から見ている。
試走こそしていないが何度もクルマから降りて坂を歩き、斜度を確認している。

リヤに組んできた28Tのローギヤなら心拍数が危険ゾーンに達する前に登り切れる自信があった。
それに昨日の初日ライドで、エイドステーションの補給食の充実を確認できたから背中のポケットに重い食糧は入れていない。ボトルの水も少な目にして合計500グラムほどの軽量化で臨んでいる。
スタートから500グラムも軽いのは強力なアドバンテージである。

携帯電話も使うことは無さそうだから持ちたくはなかったが、規則だからチューブ入れに入れてきた。
電源を切っておくと1ナノグラム軽くなるというのが本当なら、そうしたいくらいだ。

山のルート以外は下見していないが、募集要項のコースマップを見る限りでは最初の山越えでエネルギーとモチベーションを残せればゴールまで行ける。
ワシは行かねばならん、フクシマではみんなが待っているのだ。
それに今日は、前年度国内王者 宇都宮ブリッツエンの正規ジャージ13年モデルを着用、誉れの勝負服だ。郷土のチームと協賛スポンサー様に恥をかかす訳には参らん。絶対に参らん。

もしもリタイヤなどして汚辱にまみれたら、二度と宇都宮には帰れん。
石もて追われる前に腹切るか、フクシマに残り名を変えて仮設住宅地の自転車メッセンジャーをして余生を過ごそう。
そういう覚悟だ。
辞世の句も荷物預け所に託してきた。

「もののふの 踏みしこの道 ペダル折れ 矢刃尽きせしも 這うて参らそ」

いちど追いついたペースメーカーだったが、山に掛かってからはじりじり離され、坂に隠れて見えなくなった。
ワシは苦しくなったがそれでも進んでいる。
のろのろでも頂上に向かって進んでいる、そのうち必ず登りは終わり下りになるはず。
日本には下りのない登りはない。 あるのはこの世にひとつ チョモランマだけだ。

蛇行のハンドルを左右に切った瞬間だけふっと呼吸が楽になり、酸素を急いで取り込む。
対向車がないので道幅いっぱい使っての大蛇行をとる。
酸素を吸うにはその前に肺を空にしなければならない、ただ空にするのではもったいない。吐きながらペダルを押し込み、さらに踏み込む。

心拍は165を示している、まだ大丈夫だ。
以前付けていた27Tギヤでは180に達して足を着かなければならなかっただろう。
たった1T歯数が増えて、ワシの心臓は細動を起こすことなく作動している。
モチベーションの続く限りワシの心臓はもつと確信した。できるならもっと大きな肺が欲しい。

エントリーを決めてからはこの毛無山の坂をイメージして練習してきた。野州大越路峠の最大勾配、石臼がんこ蕎麦屋の前の11%坂を登れるオラに、登れない坂なんかあるものか。
あってたまるか べらぼうめー!
これこれ このモチベーションでございますよ、わくわくしています。

第1エイドに最初に飛び込んだのはなんと、参加最年長と思われるこのワシだった。ゼッケンを付けた者が他にいないのだからワシが最初に違いあるまい。
エイドのお姉さんが水を持って駆け寄る。
ペースメーカーがラックに掛けたワシの自転車に近寄ってギヤを見つめている。
どんなもんじゃい べらぼーめー。

なんということでしょう、へたれのワシが毛無山に勝った。登り切ったぞ。
フクシマよ 原発なんかに負けるな! オラはこのままトップを引くぞー!

昨日、亘理町の復興道路でワシを狙っておったプロカメラマン! おめ、なあーんで ここさに いねーんだあ?
おらの速いのは 知ってっぺえー。
今からでも遅くはねーから 次のエイドさ先回りして カメラおっ立てて 待ってれー。
おらを探す手間はいらねーぞ、ぶっちぎりが おらじゃ、 わかってっぺえー!

いやはや大変なモチベーションになって参りました。
順位を競わないサイクリングイベントで先頭キープを目論んで、いきり立っているなんて、めっちゃ大人気ないけれど気分が高揚して止まらないんだから しゃーねーべえ。
もしかしてワシより先着者がいて、トイレに入っていたりしやしないかと見に行ったほどだ。

エイド食のバナナやチョコ饅頭を食べて心拍も下がった頃、やっと後続の集団が登って来てエイドに雪崩れ込む。
通過チェックのスタッフが慌ただしくゼッケンを読み上げるのを余裕で眺めていると、最初にスタートした女性グループが上がって来た。
5台いたはずだが1台は大きく遅れているようだ。
お揃いの白いブリジストンベストはウインドブレークのようだから暑かろう。などとトップ通過者の余裕で他の参加者の力量など計っていると、時間になってペースメーカーが再スタートして行く。

スタッフが来て、
「すみません、5名揃うまでスタートを待っていただけますか」
申し訳なさそうにアタマを下げる。
ワシを手練れのクライマーと見たかその丁寧な態度に、すっかり気分の良くなっているへたれのクライマーは快諾。 (ここの洒落、わかった?)

しばらくして、まだ息の荒いブリジストンレディースが立ち上がり自転車を取った。チラリとワシを見る。
大した根性やないけ。
ここからは下り、短いエイドでも回復できると読んでの再スタートなら侮れない女子たちである。

4名のうちひとりは遅れている仲間を待つと残り、女子3名とワシにもう1名加わって5台で再スタートした。
ところが集団の速度が上がらない、下りの路面が荒れているので慎重になり過ぎている。
ワシは下り大カーブでインから抜け出しペース車を追って加速した。また独りになった。
ペースメーカーはこの山道でもアベレージで走っているのだろうか、それとも下りで速度が上がっているのか、カーブが続き先が見えない。

左側に阿武隈渓谷の深い崖、右側は急峻な毛無山。頭上に覆いかぶさる老桜の樹木。
秋の観光なら絶景の紅葉街道、春は桜、今の時期なら水紀行の道なのだろう。
大岩の出っ張ったカーブのところに、やまめ 岩魚 鮎料理 と書かれた看板のお店があったがまだ開店前で静まりかえっている。

だがワシは観光客ではない、これは仕事だ。
エイドランは、あの大震災を幸運にもまぬがれたへたれ者に出来るたったひとつの仕事だ。
仕事中に景観などめでていては職務怠慢。
それどころか命にかかわる。脇見などしている余裕はない。

路面は荒れて狭く、所どころにギャップがある。
山道の凹みや横切る排水溝の蓋を小さくジャンプしながら進む。
先週替えたばかりのリヤホイールはスポーク両側がクロス組みの堅牢さ、この日に備え5か月かけて体重を絞ったワシの荷重に軽快に応えてくれている。

すべてうまくいっている。
対向して登って来る日曜サイクリストがワシのゼッケンに気づいて、何か叫んで手を振っている。
笑顔だからこの先で事故とか危険とか、そういうことではないはず。応援してくれているのだ。
要所に立って安全を図ってくれるコース誘導員も笑顔だった。

独走の断トツ爺いにビックラこいて黄色い旗を振り回し、
「気いーづけで 行げやー」
こちらは手を放すことなどできないから、
「ありがとー」
と言うばかりだが、マッハのへたれさん超速度だから聞こえているかはわからない。

好時魔多し 戒めのコトバが脳裏に浮かぶ。
昨日ゴールのあと、スーパー銭湯「ゆっぽランド」の駐車場で雨に流れたチェーンオイルとブレーキの消耗はしっかりメンテしてリムもピカピカに磨いた。タイヤの損傷もない。
やり残したのはフレームのワックス掛けだけ。

風呂に入ってビールを飲んで 「白石うーめん定食」 を食って早く寝る。の大原則を優先してワックス掛けは割愛したが、バイクのコンデションは良好。
危険なのはオラの舞い上がりなのだ。先頭キープにこだわり過ぎると命を落とす。
マインドを保て、阿武隈の流れを見てココロを冷やせ。
へたれ爺いの尊厳性をフクシマの大地に示せ!

山岳路が終わり平地に出て、国道349号を伊達市に向かって南進するもペースメーカー車を捕えられない。
南風になって気温がぐんぐん上がってきた。
舗装は良いから下ハンドルを取って風を切りながら進む、信号で止められることが多くなる。
縁石に足を乗せて後ろを見るが誰もいない。
沿道の市民が盛大に応援してくれているからミスコースはしていないだろう。でも誰も来ないのは少し不安。

信号が青に変わるいっときの休憩にボトルの水を飲むワシを見て、ママチャリ乗ったおじさんから声がかかる。
「今は水飲んで頑張れー ゴールしたら冷てー ビール飲ましてやっからなー」
もうこの頃になると慣れっこになっていて、いちいち声援に答えることなどはしない。
ハリウッドスターの気持ちがわかる。

青になったら立ち漕ぎで加速し、前だけ見据えて遮二無二走る。
ゴール前スプリントの走り方だ。
観客受けはしても脚がつぶれてしまう、それでもペーサーには追いつきたい。
「ペースメーカーはどこじゃー」
おいおい スピードレースじゃないんだってば。 

伊達市に入る阿武隈川の広くて高い橋の上を通過するとき、ついに前方小さく2台のペース車が見えた。畑中の直線路を飛ばしている。
その遥か先に、なだらかで大きな磐梯吾妻連峰がはっきり見えた。
あそこへ行くんだあの山の下に福島がある。

これでミスコースの不安は払しょくされ、再びモチベーションに火がついた。
しかも”おらほ”は高い橋からの一直線の下り、今コースで初めてトップギヤまでシフトを入れた。
12Tが11Tのままだったらもっと速いのにと悔やまれるほどの力走で軽トラを追い越し、次の信号で止まったペース車に追いついた。
信号で大きく息を継ぐワシのずーっと後ろに止まった軽トラは、ワシらが走り出してもしばらく動かなかった。

ペースメーカーは大会本部の指示速度でスケジュール通りに走っているのだが、後続が来ないので気になっていたのだろう。
追いついたワシの風除けとなって3台のトレインで国道を進む。
後尾のワシはこんな楽ちんなことはない、コース案内看板を探すこともなく信号の変わり目を気にすることもなく、前走車に付いて行くだけ。
背中に回した手信号の合図で信号減速や障害物の有無が判るから頭を固定した安定的フォームでぺダリングに集中できる。

なにより風除けがありがたい、タイヤ同士が接触しないよう気をつけていれば前走車の7割の回転数で着いて行ってしまうから、ここまでに使った脚にエネルギーが戻ってくるのがすぐに分かった。
心拍数は普通のトレーニング値まで下がり呼吸が楽だ。口笛が吹けるペダル回転数だ。
先のエイドでもらって背中に入れてきた”梅しば”の包みを手放しライドで開いて口に入れる。カラダ中にカリウムとミネラルが行き渡ってゆくのが分る。
包み紙は背中に戻し、沿道の観衆に手を振る余裕がココロに戻った。

       上の行 戻し、戻った。 この何気ない記述に、この時のライダーの心理が如実に表れていると言えます。
       ペーサーに追いついた安堵感をカラダの動きで、見えるカタチとして表している良い表現ですね。
(編集注) 直前の軽トラさんへの無礼を懺悔しているとも見るべきで、見事な文学性と評価したいが如何でしょうか。
       読者に編集者私感を強要するのは教養の欠如と叱られそうですが、近頃の読者はねえ… ああっ 待って! 石を投げないでー。
       ひとは太古よりカリウムやミネラルが枯渇すると攻撃的になって石を握ると言われます、アスリートは塩昆布を食べましょう。

ペースメーカーは無表情に淡々と走る。
「ありがとー」 だの 「がんばっぺー ふくしまー」 だのと騒いでいる後尾の爺いを引っ張って坦々と進む。 
淡々とそして坦々と… そーやあ これがエイドや 憶えときー。

やがて二段階右折で県道に折れると坂道が現われ、引き離されまいとギヤを上げて立ち漕ぎ体勢をとったら、そこが第2エイドの入り口だったので拍子抜けした。
ペーサーがおらんかったら行き過ぎてしまうところだった。
ワシはエイド間17.7kmのほとんどを 「独走つんのめりライド」 で走って来たが、終盤に風除けを得てエネルギーを戻し、桑折町体育館の入り口急坂路を息も切らさず登って第2エイドに着いた。

エイド責任者は白髪の爺いだったが、トップ到着者がブリッツエンの派手なジャージを着たへたれな爺いという予想外の事実に驚愕したか、カメラを持った手を腰に落として固まっていた。
「ざまー見やがれ、これが昨シーズン国内王者 宇都宮ブリッツエンの実力じゃー」
おいおい これはスピードレースじゃないんだってば、梅しばを食べろー。

このエイドステーションでもしっかり補給を取って、脚のマッサージをして、トイレの水でサングラスの汗を洗って、さらに山岳路を越えたタイヤのチェックをしてと王者の風格を見せていた頃、
やっと第二集団がやって来た。
レディースチームもいつの間にか4名に増え、きっちり第二集団に入って来たのだから驚く。
第1エイドで山に残ったリーダーの彼女は、遅れた仲間の棄権を見届けた後、意を決してあの山岳路の下りを踏みまくり 区間賞の激走で仲間3名に追いついたのだろう。
あの狭隘でラフな山峡の道をワシより速い速度で降りて来たなんて… 命を賭ける以外に方法はないはず。

なぜなら、ワシが下りてきた速度が命がけの少し手前のぎりぎりってやつだったからだ。
よくまあ無事で…。
エイドの神様が、鬼を使いに出して彼女の背中に憑りつかせ、守り切ってくだすったに違えねーだ。

ワシは本大会を走るについて、大津波の日に冷たい東北の海に消えたアスリートたちの無念を鎮魂するために走っている。そう自分を思い上がっていた。
彼女は違う。
今生きて、前を走りながらリーダーを待っている仲間のために走った。
山で倒れた仲間から預かった”たすき”を前行く仲間に届け、止まったものに再び走り出す勇気を奮い起こさせるため、彼女は命がけで追って来た。
覚悟が出来ていたからこそ、あのとき山に残れたのだ。

これは今大会一の感動だ。エイドの鑑だ。ニッポン撫子(なでしこ)娘ここにありじゃ。
この事実を目撃できた者は少ないだろう、ワシは神様に感謝したい。

じゃが、それにしてもじゃ。区間賞は譲るにしても、ワシの暫定総合1位は揺るがんぞ。
揺るいでたまるか べらぼーめ、こーんなことは 一生一度のことなんじゃから。 暫定総合1位は譲らんぞー。
おいおい いい加減にしておけ。

再スタートはまた女子チームと一緒だった。
彼女ら、こころなしか第1エイドからのスタートのときより漕ぎが力強い。鬼の憑いたリーダーがおるからのう。
もはや手加減などいたさぬぞ。

県道の合流を最初のひと漕ぎで前に出て、ペースメーカーの後ろにぴたりと着く。
平坦路なら彼らの脚とワシの脚にさしたる違いはない。なんたって渡良瀬遊水地と鬼怒川ロードで鍛えた平地用スペシャル 「黄ぶな印」 の黄金の脚だぜい。
ところが黄ぶなは中下流域の魚だから激流には弱い、坂に掛かるとどうもいけません。ペーサーと距離が開く。
風除けに行かれてしまうとますます遅れる。

遅れては追いつきをくり返しながら広大な果樹園地帯を行くと、遠くに見えていた磐梯吾妻の山々が近くなってムードが山臭くなってきた。
最後にひと山登るのはコース図で知っていた、標高では朝の毛無山より高い飯坂高原だ。
距離をかけて登るから勾配は毛無山より楽だが、延々続く登りというものもまた魔の世界なのだ。
ここまで暫定1位のプライドが試される。
ワシには今のところ鬼が憑いとらんから頼れるのはコレしかない、吠えよ モチベーション。

それにしても暑い、すでに気温は30度になっているだろう。今年初めての夏日だ。
昨日の肌寒さとその後の雷雨に打たれた手足に今日は真夏の太陽が降り注ぎ、首の後ろ側の日焼けに汗が沁みてひりひり痛い。
たっぷり塗った日焼け止めだがすでに汗で流れたらしい。
こういう少しづづのダメージがモチベを折る。だから要所にエイドステーションを設けて気合いの再チャージを図るのだが次のエイドがまだ遠い。

飯坂温泉に向かう道を行くと、さびれた感じのトンネルがあった。その手前で大会看板は左折を示している。
だが左折の道は妙に貧相で狭くて、畔道に毛が生えた農道としか思えない。
道の傍には桑の木が点々と植えてある。

ペースメーカーが止まってポケットの地図を確認している間に、ワシはトンネル内の涼しい日陰で水を飲む。
もし独りだったなら、水など飲んではいられない。
パニックになるところだが、今はいつの間にか信頼を互いに構築しあった頼れるペーサーがいる。
「ありがとう 楽ちんさせてもらってまーす」

「あれえ あいつら! なんだあ?」
トンネルを抜けた先にやはり迷っているライダーが2台いて、ワシらを見てこっちに来る。
見ると本大会のゼッケンを付けている。

「なにーっ!? ゼッケンだあー? おらだぢの前さに 走っているヤヅなんぞ あんめえー」
今度はペースメーカーがパニックになった。
「なんで? なにが起きてるの!? おらだぢは時空を迷ったかや? えいどの冥途に踏み込んだべか?」

あとで解かったことだがこの2台は第2エイドの入り口を見落として直進してしまい、ワシらが第2エイドを出た頃にはその先を走っていた。
途中には立哨員のいる交差点や分岐点があったはずだが、ゼッケンチェックの機能はないのでペーサー通過の確認がないまま、ここまで走って来てしまった。
規則ではエイド不通過とペーサー追い越しは失格となる。

だが第2エイドのテントが県道からは見えない桑折体育館の陰の位置にあり、しかも案内看板が見つけにくかったことに加え、
ペースメーカー到着と同時に入り口に立たすべき誘導員に、エイド長からの指示がなかった。

その理由は、ぶっちぎり独走で入って来た1号ライダーを写真に撮ろうとカメラを構えていたエイド長が、なんとライダーは自分と同年配の白髪の、しかもへたれた爺いという驚愕の事実を目の当たりにして、カメラを持ったまま固まってしまったからなのだが… そんなことは理由にならんぞ! エイド長。

そして決定的なのは、ペースメーカーがいまだ通過していない分岐点 立哨点にあって、当該2名の通過を黙って許すに至った立哨員体制の根本的本部ミス。

上記3点をかんがみるに、責をライダー個人に問うのはいかにも妥当性に欠ける。
本事案は大会側の不手際が重なって惹起された、いわば不幸な事象であったことは明々白々、よって本件は不問とし、
2名はすみやかに現状に復し、ペーサー後方の隊列に自らの意思で加わることをもって落着とする。

次の第3エイドで事情が明らかになったとき、それを知ったのは到着した5名とエイドスタッフ数名だけだった。
「エイド責任者を差し置いて参加者のワシが言うのも憚れるが、ことは急を要す」

と前置きして、大声でワシが下した結論は上の三行の通り。至って明快だったから皆それに従った。文句なしだった。
水渡しお姉さんには難しかったようだが、皆にならってうなずいていたから解かったのじゃろ。

もしも文句などあろうときには、「ワシは裁判所のモンじゃあー」
と一蹴するつもりだった。官命詐称などはしてはおらんよ、裁判所の門の近くに住んでおるんじゃ。

それよりも、今ただちにリカバリーの必要なことは。
1 第2エイドに連絡して入り口の県道に誘導員を配すること。
2 トンネル手前分岐点に近くの立哨員を走らせること。
3 第2エイド長に 「私的に連絡」 して2名の通過にチェックを入れること。

いーか よっく聞け。
このあとロングコースの200名超とスローペースのミドル者が続々と通過するのだ。
迷い・混乱を回避するため最善を尽くすことが今至の諸君に課せられた最大の使命である。
モチベーションを高くして事に当たればおのれの役割りは分ろう。
理解できた者からすぐに掛かれーっ!

ワシの大号令に若いスタッフがマウンテンバイクに飛び乗って畑の中を近道でトンネルに向かう。
エイド責任者が電話機に飛びつき、サブはパソコンから立哨員の各携帯電話にメールを送る。
水渡しお姉さんが胸に手を組んで呟く。
「理想の上司だわあー」

第3エイドでワシはとてもかっこ良かったのだが、その手前の例のトンネルで不明なルートが判明して走り出した直後に、かっこ悪い失敗をしでかしている。
それを書くのは少々恥ずかしい、でもかっこ良い話しばかりでは嘘っぽく感じる読者もあろうから正直に書こう。

トンネル手前の狭い桑の木の農道をペーサー2台が立ち漕ぎで加速して行く、ロスタイムを取り戻すときの本気の走りだ。速い。
遅れてならじとワシ、ミスコースしていた2台が続く。
この二人、今朝の白石スタートのときすぐ近くに並んでいた男たちと気が付いた。
農道を右ヘアピンに曲がってすぐに、ブラインドから急な登りが出現した。

ペーサーの行方を目で追いながら、後ろを気にした瞬間の不意を突かれてワシは一瞬ギヤに迷った。
リアをローまで持って行って乗り切ろうと右シフターをダブル操作した直後、フロントがアウターでは無理だと判断を変え、リアを2ndに戻しながらフロント用の左シフターを操作した。
一気に足が空転し、直後に 「シャリーン」 と音がして、駆動力が車輪から消えた。(ここ、洒落やありまへん。緊急事態に洒落なんか あーた、言えまっかいな)

「やっちまったー!」
鋭角に曲がって立ち上るところだったから速度は低かったが、立ち漕ぎに入ろうと腰を浮かせての操作だった。
リアの変速アクションが終了し切らないうちのフロント操作で、テンションの余ったチェーンがフロントギヤから落ちたのだ。

辛うじて落車は免れたが、左の足を外して急坂に踏ん張るのが精一杯。
立ち漕ぎの高さからサドルに打ち付けた股間の激痛があとからやってきて右足が外せない。
目が回って立っていられない、握りしめたブレーキレバーがぶるぶる震えている。
斜めになったまま今にも倒れそうだ。

倒れたほうが楽になれる。
そう思ったとき、急停車した後続車が自分も急坂に足を踏ん張りながら一方の手でワシのバイクを支えてくれた。
おかげで右足も外せて立つことができた。
後続車の支えがなかったらワシは倒れてバイクと共に坂の下まで滑り落ちて行っただろう。後を巻き込んでいたかもしれない。

後方の異変に気が付いたペースメーカーが戻ってくるまでの1分半の間に、ワシはチェーンを復旧し後続の2台を今度は前にして急坂を発進していた。
手袋がチェーンルブで汚れた以外は異常なし。 股間の痛みは… が がまん しますっ!

ワシらは5台の隊列となって走り出した。
あの農道と急坂の隘路はトンネルの上の広域農道フルーツラインに上がるためのショートカットだったのだ。
フルーツラインはクルマ少なく路面よく、展望が開けて吹く風が清々しい。
いかにも福島らしいのびやかな風景が広がっている。フルーツライン その名の通りのネーミングだ、陳腐なのが実に誠実で誠によい。

股間の打撲は幸いにも高回転ぺダリングに影響はなさそう。
最後尾なのを良いことにサドルの上で腰を浮かせて振ってみたり、捩じってみたりしても大丈夫。元々こじんまりした股間でよかった。
バイクを支えてくれた二人には次のエイドでお礼を言わなければならん。生ビールでも奢らせてもらいたいが、エイドには水しかないなあ。
パンクしたときには手伝うけんね。

ぺースメーカーが後方のアクシデントで戻って来ることは通常ありえない。落車やトラブルには集団に混じって走っているサポート車が当たるからだ。
テロ事件以外なら何があっても突っ走るのが使命の彼らが戻って来て、
「走れる? OK? よーし行こう!」
と言ってくれた。 これがエイドよ、エイド えいど。

トンネル手前で交わした短い会話や、前のエイドで並んでトイレした間に友情が芽生えたのかも知れない。
それとも、たぶん出場最年長のへたれなくせにやたら派手なジャージの爺いが、歯を食いしばって何処までも喰らいついてくるのを楽しんでいたのかも知れない。

美しいフルーツライン入ってすぐに、前出の第3エイドがあったのだ。
ワシは道に迷ったペースメーカーと、ミスコースしてペーサーを追い越してしまった二人に大変お世話になった。
先ほどの判決文的な発言は、そのお返しのつもりで彼らを庇った訳ではない。

あれは正論であろう。当人たちが反論の機会もないままペナルティを負うとしたらエイドの精神に反する。
そーゆー気持ちで股間を押さえながら言っただけだ。
現にそうなったし、その後の多数のミスコースが防げたのなら股間の痛みなど、なんのこれしき でござる。

第3エイドのあとは残り13.3km。掲示板の地図ではフルーツラインを行って吾妻丘陵を登ってゆけば四季の森だ、ゴールの四季の里はその森のなかにある。
ワシにとっては5か月がかりのゴールとなる。
なんだか泣きそう。

通過時刻ダイヤグラムのペースメーカー用に描かれた線とぴったり同じのオンタイムでワシらは走っている。
つまり暫定1位のままだ。
ここまで無事故無違反で走って来たのです安全を最優先にと、エイド長から念を押された。

時間通りにペーサーがスタートした。
ワシらも水渡しのお姉さんに盛大に送られて再スタートした。
本来は5人だが、面子が揃わないので3人で出てよいとエイド長の判断である。現場の良い判断である。

先頭は白のアンカー ゼッケンS9011、二番手がシルバーの車名不詳クラシック S9010、後尾がワシ、 赤のコルナゴ S9019。
アンカーとクラシックは番号が連続しているが見ず知らず、たまたま白石スタート会場で前後にいたので一緒に走って来て一緒にミスコースしたのだそうだ。
もちろん名前などは知らない。脚質が合えば一緒のほうが心強い。
ワシが独走で飛び出したときは後ろで見ていて心配したと笑う。

「でも すげー かっこよかったす。おれも行きたかったすが、前が動かねーんでねえー」
クラシック氏が前を見たまま言う。

「そうだったのー あんたが出れば ボクも行くつもりで 準備はしていたのさー」
アンカー氏も本音はスプリンターのようだ。

ペーサーは見えなくなってしまったが、ワシはこのまま3台隊列でゴールを目ざすことに決めた。
息を切らせて前を追うばかりが自転車ではない。
大きな山並みに残る残雪を眺めながら走り、放牧場の牛に手を振ったら嬉しそうに追いかけてくるのにびっくりしながら走る。
乳牛でも走るとけっこう速い。

ワシ、この二日間で初めて安らいで走っている。
「これがエイドだ!」 と何度も書いたが、本当のエイドはこれだな。 

アンカー氏の車速は決して速くはないがこまめに変速を繰り返して一定の回転数をキープしている。
レトロなダブルレバーのクラシック氏はペダルもアンティークなストラップ掛けにナイキの運動靴、パワー派なのか重たいギヤを黙々と踏んでアンカー氏の航跡を忠実にトレースして行く。

ワシはこの二人と一緒に行けば目標の11時50分をクリアしてゴールすると計算ができた。
迎えのホラキちゃんには12時にゴール地点で待てとメールしてある。
白石から3時間50分でのゴールは上出来だろう、ペーサーの所要タイムが3時間40分のダイヤグラムなのだから。

エイドの募集要項に平均15km毎時と書いてあるのは、距離を全所要時間で割った速度。
実際には登りでの遅れや信号停止、エイド休憩の時間などはロスタイムとなるから、メーター読み25km毎時超で走っていないとオンタイムを下回る。
下りなら軽トラを軽く追い越す脚力とモチベが必要となるのだ。

第3エイドを出てからは3人走の登りとなってペースは落ちたが、前半の貯金があるから暫定1位が確定1位となるのも夢ではない。
気がかりなのは後方からの追撃だが、今のところその気配はない。

残りの道はすべて登りになった、だが斜度はさほどではない。
アンカー氏がシフトを変えて小さく蛇行を始めた。クラシック氏も1段上げて黙々と踏んでいる。
車速は当然下がり、二人とも無口になった。
時々顔を上げて坂の先の方を見ている。
メーター残距離は5キロを切っている。がんばれアンカー。

ワシは回転数を下げないよう先ほどからインナーギヤで踏んでいるから口笛が吹けるが、もちろん吹かない。吹いてもたぶん音にはならない。心拍が上がってきた。
先頭で風を切っているアンカー氏に今さら先頭交代を提案するのは気が引ける、クラシック氏にはまったくその気がない。
こうやって白石から50km以上を走って来たのだろう、暗黙の約束と了解がいつの間にか出来ている。エイドなんだよね。

後方から追い上げているグループがあるとすればそろそろ来る頃だ。
もしアタックが掛かってもワシは乗るまいとココロに決めた。
ゴールアタックに乗って、今さら二人をチギって前に出たら今度こそは、

「すげー かっこよかったす」
とはならん。

「調子こきやがって クソ爺いーっ」
ワシならそう言う。

この二人より先にゴールラインに入ることはない。もう迷うことはなかった。
暫定1位のプライドでそう決めたのだ。

突然後方からタイヤ音が迫って同じジャージの5台の一団があっという間にワシらを追い越していった。
白のブリジストンであることを願ったのだが、EAST なんとかという屈強な男たちのチームだった。
第3エイドでワシらと入れ替わりに到着したチームエントリーのひとたちだろう。
連携の取れた走りで先頭交代をしながらチームを進めて来て、最後の坂でアタック合戦。見事にエイドを楽しんでいる。

ワシは勝ったか、なんてもう言わん。
今朝のスタートラインに立ったとき、すべての走者はすでに勝者だった。
大会コンセプトにあるように困難をねじ伏せて参加してきた者は、なんだってかんだってエイダーであろう。 勝者はいらない、勇者がエイダーだ。

四季の森に入った。
広大な県民の森に様々な体育施設があるが、今日はエイド一色だ。
コース以外の道々に応援のクルマがぎっしりと、すき間なく駐車しているのが見える。駐車場はとうに満車なのだろう。大型バスまで路上駐車だ。
でもトラブルなんかは起きていない、えいどフクシマ。

四季の里入り口の看板が見えた。
その下に GOAL と書かれた巨大な金色の風船が揺れている。子供たちが揺すっているのだ、笑っている。スタッフが飛び上がって手を振っている。ここだここだと呼んでいる。
そこを曲がると予想もしなかった大歓声と大拍手が待っていた。
タイヤの音もチェーンの音も自分の呼吸音さえかき消す大歓声だ。

福島県民が全員来ている。
それ以外のひとたちも来ているから県民の二倍の数のひとたちがここに集まって、ワシらのゴールを待っていてくれた。喜んでくれている。
笛 太鼓 鐘 バケツ 音の出るもの何でも打ち鳴らし、声の限りに声援をくれる。

「いいぞー ブリッツエン よくやった!」
誰かが叫んでいる。それだけは聞こえた。
参加してよかった。完走できてよかった。そしてなにより楽しかった。みなさんありがとう。

ゴールゲートにはチアガールズがヘソ出しコスチュ−ムで踊っておるし、よさこいウェアのおばちゃんたぢも踊っていでな、なーんだか分らんけんどなし 太鼓もどんどん鳴っているだ。
白石の甲冑鉄砲隊もいなさる、大将はなーんと 會津のお八重さんでねーが。 スペンサー銃で祝砲をば ばんばん撃ち鳴らすだあー。 おら たまげっちっただよー。

ゲートで下車し、アンカー氏 クラシック氏 ワシの順で自転車を押してゴールラインを越えた。
「11時45分0秒」
計測係の声が聞こえたが、大歓声であとは何だかわからない。
いいんです、順位もタイムも競わない。楽しんだひとが1番なんです。

ワシは自転車のサドルをぽんぽんと叩いて言った。
「ありがどなし」

迎えのホラキちゃんが駆け寄ってきて、目ん玉を見開いたまんま、
「見直しました! 尊敬します。 今日からはへたれ”先生”と呼ばせて頂きます」

ふん そんくらいじゃ 足らん。 先生の前に大をつければ、まあエイドしよう。
「おーし 生ビール 奢れー!」

そのとき白のブリジストンベストの一団が入って来た。
「ほーい おらだぢのエイドは終わったどもなしー フクシマのエイドは まーだまーだ 続くどー」


おわり

長いあいだの ご購読、 あっ いや ごっ ご辛読、ありがとうございました。
syn

おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイド JAPAN 2013(10)
2013/07/04

決戦初日 6月8日(土)

出走受付を済ませ、着替えテントでジャージの前後にゼッケンをつけた後トイレに行って鏡で位置を確かめる。
登りで体温が上がったときファスナーを開けて胸に冷却風を十分取り込めるか確認するのだ。
すんごいハナシでしょうや。
こんなモチベーションの爺い、聞いたことありませんな。

背中のゼッケンが変についていると走行風でバタついて空気抵抗になるし見苦しい。バックスタイルは自転車のイノチやで。
ジャージにプリントされたスポンサーロゴが隠れてしまってはもっといけない。
地元に知れたら 「恩知らず 売国奴」 と石を投げられます。 落車してもスポンサーロゴがカメラに写るように転ぶ練習欠かしません。
すんごいプロ意識でございます。

テントに戻ると大勢が準備中、背中のゼッケンを仲間につけてもらって安全ピンで皮膚を刺され、
「痛ててっ! おめー おらの黄金の脚を妬んでわざと刺したなー」
「うんだー、もう走れねべ 棄権すっか?」
笑い声が上がって、いい雰囲気である。

安全ピンといえば、渡されたゼッケンに付いてきたピンはやや大振りなのでワシは持参したより小型のものを使用している。
その理由を問われれば、重量と空気抵抗の低減・落車時の二次災害防止である。
いやはや、すんごいこだわり様でございます。

ワシのように細かなことに気を配っているひとは少ないようだ。
みなさん、曲がっていたり背負ったリュックに取りつけたりと色々で、それはそれで笑えるからよい。

今日の天候は不安定で早朝は細かな霧雨が降っていた。
受付開始時間のころから雨はあがり、路面が乾き始めて日中は晴れそう。
路面がドライならタイヤのエア圧を練習時と同じまで入れられる。
ウエットなら0.1落とそうと思っていた。この差は距離が延びるほど足が重くなるから晴れて欲しい。

隣りのテーブルで携帯電話の天気予報を見ていた男が、
「雨は降らんとよ、気温も上がるだっちゃ」
と断言して着ていたメッシュのインナーを脱ぎ捨て、半袖ジャージを直接素肌に着込んだ。
でも現在気温は低い、ジャージを長袖にするかインナーを着て半袖にするか悩ましいところだ。

スタートから間もなく深い山越えがある。
頭上の樹々から しずく を受けたり、路上の水溜まりも予想されるのでワシはロングソックスと長袖ジャージを選択した。
この選択は結果的に大成功で、コースを下見したことが役に立っている。

リュックを背負っているひとは雨衣を入れているのだろうが、ワシの経験では降り出しても止まって雨衣を着る決断がなかなかつかないことが多い。
走り続けている間にすっかり濡れて、濡れた上に雨衣を着ると逆効果の蒸れとジャージとの張り付きに悩まされる。

超高価品は蒸れを追い出す構造の繊維素材で作られていて快適だとはいうものの、スーパー万能ではない。
本当に万能な「第二の皮膚」なら、それでジャージを作っているはずだよね。
雨衣は冷たい雨なら必需だが、東北とはいえ6月なら持たずに身軽にしてパオーマンスを高める方向に賭けてみた。

「すんごいやる気でんなあ」
「あたりまえや、自転車乗りはのう みーんな そーゆー覚悟じゃあー」

ロングソックスはいわゆるコンプレッションと呼ばれる筋力補強効果を追及したタイプ。ふくらはぎと踝(くるぶし)を締めつけて長時間の負荷を軽減してくれる。
これを履くときは大変で、床に座り込んで慎重に位置を合わせ履くというよりゴムチューブを装着するという感じ。
実際履き終わるころにはうっすら額に汗をかく。
きちんと装着出来ると脚がほっとするのは、筋肉が正しい位置に収まっている実効感なのだ。

締め付け力を数値で選べるものを数年前に買ったが、洗濯を繰り返すうちいい具合に馴染んで、履いていると安心感がある。
体温の損失が少ないから今日のような天候にはベストだろう。
もしもカンカン照りになって暑くなったら、めくって膝を露出できるのでロングタイツより格段に対応性が良い。

みなさん空を見上げてウエアをどうするか迷っている様子、迷えるひとはいいよね、用意があるんだから。
低温用の用意がないひとはウォームアップで体温と士気を鼓舞している。えらいぞ。

業者ブースではアームウォーマーや厚手のソックスなど売っているが買うひとはいないようだ、泥縄では自分に合ったものが選べないことを皆知っている。
一方で保安用品のブースではライトやベルなどが売れている、車検で指摘された粗忽者があわてて買って取り付けている。

準備が出来て早々と出走ゲートに並んだ年配者は、さすがに経験者らしく足首までカバーするパンツに長袖が多い。
ワシも準年配風スタイル、顔と指先以外はフルカバーである。

不用な半袖や輪行袋・カメラなどをひとりひとりビニール袋に入れて預かってくれる。明日は福島のゴール地点へ回送してくれるそうだ。
ワシも着替えとカメラ・クルマのキーなどを入れたリュックを預けた。携帯電話も持ちたくないのだがこれは義務付け、山中で迷子になったときに必要なんだと。
なのでエイド本番中の写真はありません。
大会ホームページの写真をご覧ください。今のところワシが何処に写っているか確認できておりませんが … ハナシが違うぞー。

さていよいよ出走。
ここからは、エイドが終了して帰宅した直後にサイクル弟子に宛て送ったメールを基にして書いて行きます。
時間が経ってから書いたものは、どうしても演出臭くなっていけません。
サイクル弟子はワシのメールをさらに仲間に転送したらしいので、当初の筆致とそれから一か月近く経ってから書いたものに大差があると、作家の歪曲性が公に露わになるというものです。


初日
白石周回ミドルコース: 75.2km 出走66名(棄権1名) 
予想より少ない出走数だ。
同日松島をスタートするロングコースの走路に工事によるキャンセルがあって74.1kmに短縮されたため、そちらへ変更したのかロングは239名と大勢の出走になった。
スタート前説明会のスタッフが言っていたが、コース内の勾配距離を考慮すると白石ミドルが一番きついとのこと。

「おーし 望むところじゃー」
ワシが渋く呟くと、前後のオヤジが 「じぇじぇっ!」 っとビビった。

大勢が一度にスタートすると一般の交通に支障をきたす、それはエイドの精神から本意ではないので5名づつ3分の間隔をおいてスタートして行く。
ワシは4組目にスタート。
説明会に並んだ順で決まってしまったが特に不満はない。

しばらくはグループ内に留まって整然と走る。街中を過ぎ脚が暖まってきた、膝がよく回り調子は良いと判断。
路面は乾き、風もない。
前のグループと距離が開いていたので練習走の速度に上げたら、グループを抜け出て独走になってしまった。

前方の走者もバラケていて、数台抜いたところで山に掛かった。
重たいギヤを無理して踏むのをやめ、早目にフロントをインナーギヤに落とす。
坂はますます急になり、どんどん減速操作をしてとうとう28Tのローギヤを使う。

28Tを取り付けて来たのは大成功だった。心拍はさすがに高くなっているがすいすい進むので、くるくる踏んで数台を抜く。
ワシは好調だと二重形容を多用する文法になる。 ますます・どんどん・すいすい・くるくる。
カラダもそうだが脳が絶好調のときの証しである。
ヘルメットを吹き抜ける風が気持ちよい。モチベーションは脳の前頭葉あたりが気持ちよくなっていると、むくむくしちゃうのよね。

28Tだから速度は遅い、それでも坂で数台抜くとは相当なくるくる回転数なのに心拍数が145程度で収まっている。
それは抜かれた方が相当遅いだけのことなのだが、並んだ相手に声をかける。

「お先にぃー」
じつは声をかけるのは辛いのだ、その分の呼気は自分の肺に送るべき酸素なのだから。

「うわーっ! 強いねえー」
抜かれた方も必死に声を絞り出す。

返事を返す義務はない。辛いんだから黙って抜かれろー、あんたいいひとだねえ。
強いねー なんて言われるとその気になって前に出るから、さらにその前のひとにも追いついてしまう。

「サイクルエイドはレースではありません、各人のペースで楽しく安全にゴールを目ざして走りましょう」
この標語がちらちらし始めたらヤバくなって来た証拠。心拍が150を越えた。
回転数を下げて息を継ぎ、失速しないぎりぎりの速度でヒルトップを越えたら、いきなり下りになった。

下りになれば 「ヒャッホーイ!」 である。
ボトルを取って水を飲む。最初の坂を越えて余裕ができた。
後方からも 「ヒャッホーイ」 と声が上がる。みんな同じだ。

「まもなくAID」 の看板が見えて、スタッフが手を振っている。
前走者に追いついてしまったが後ろに着けて拍手の中、第1エイドに到着した。
拍手はありがたい、元気がもどる。
だが、それより水とトイレとバナナだ。

第2エイドまでは平地を進む。
阿武隈川沿いのサイクリングロードに上がると、高い土手上のためか向かい風になった。
そこで追いついたフロントサス付き太タイヤ車のライダーが大柄な男だったので、勝手ながら風除けになって貰って後ろに着いて楽させていただいた。
S8001のライダーさん、ありがとう お世話になりました。

ロードから降りて一般道に入ると車両の通行量が多くなり、「歩道を走れ」 の指示が出た。
前を行く大柄ライダーが苦しくなっているのが分った。カラダが左右に揺れて速度の上下動を繰り返す。
だが 「歩道上では追い越し禁止」 がエイドの規則、しばらく着いて行く。

直線路で車道に出たので彼に並んだ。
「今度は僕が引っ張ります、がんばって」
「はいーッ」
声がうれしそう、もっと早く前に入ってやればよかった。

カーブの度に振り返って彼が着いて来ているのを確かめながら進んだが、機材も人材も重たいので苦しそう。
静寂なら彼の太タイヤ音が聞こえるはずなのだが大型車の音で消されてしまう。
やがて坂が現われ、追いついた2台ほどを抜くうちに彼はチギれていった。

第2エイドのテントは漁港のそばの空き地にあった。
通過チェックと補給のサービスがある、ほぼ半分を走って来たことになる。
規定タイムを過ぎてしまうとタイムアウトとなって 「お助けバス」 に回収されることになっているが、後ろの様子はわからない。

マヴィック社の黄色いスバルが屋根にホイールを20本ほど積んで待機していた。
これは、あの有名なツール・ド・フランスでもお馴染みのニュートラルサービスカー、これと一緒に映ったら絶対テレビに流れる。 
自転車界ではそーゆーステータスの車両なのだ。 おらー どーすっぺやー。

ここでワシらは過分なるお接待を受けた。
ドラム缶に炭火をおこしてホタテの磯焼き・磯汁。地元の方々から太鼓を叩いての大歓待を受けたのである。
トイレの壁に 「がんばれエイド おらほも がんばる」 カレンダーの裏に書かれた紙が貼ってあった。

漁船の着く岸壁が斜めになったままだ。
テントの立っている場所は元は何が建っていたのだろうか、砂地にぺんぺん草がひょろりと生えている。
亘理町 荒浜漁港は甚大な津波被害を受けた、それまでは名勝地 「鳥の海」 の中でいちばんの美港だったと聞いている。

死者も出たのだろう。
なのにワシらのために大漁旗を揚げ、ドラム缶に火をおこして待っていてくれた。
おばちゃんたちは姉さんかぶりに祝い法被(はっぴ)を着てホタテを焼いている。

この辺りの名産はホッキ貝が有名だが、海が掻き混ぜられてホッキは獲れなくなったのかも知れない。
ワシ、そんなことおばちゃんたちに聞けない。
ありがたく焼き立てのホタテをいただく。

ワシ、そろそろ戦闘モードを捨てないとせっかくのサイクルエイドを苦しいだけで終わることになる。
この後は追い越しをせず、脚質の合うライダーを見つけて一緒に走ろう。
焼きホタテを美味しくいただきながらそう思った。

バイクラックに掛かった数からするとすでに先頭集団に追いついている、ワシは十分に頑張ったよ。
荒浜のおばちゃんたちと比べたらまだまだかも知れんが、ワシ死にもの狂いで走って来たどー。
もうのんびり走ったっていいよね。

例の太タイヤの彼がエイドに入ってきた。
軽く手を上げて合図すると、顎から汗をぽたぽた落としながら、
「いやー ロードバイクには着いでいげねえー。 腹減ったー ほたて くでー」

彼を待ってやらなかったことに少し後ろめたさがあったのだが、あの坂を無事越えて来たようだ。
よかった。吹っ切れた、この後もがんがん行くぞー。
ホタテを食ってバナナと梅干も食って、そして太タイヤを見て、再び戦闘モードになっている自分に笑ってしまった。

再スタートはゼッケンチェックを受け、第2グループの先頭でスタートした。
太タイヤはまだホタテを食っている。
後ろの4台はワシのペースに着いてくるので、6分前を行くペースメーカー車と同じ25km毎時で進む。

昨日の下見で見た「除塩作業中」の幟バタの道を通った。今日も風が吹いている、右前からの海風だ。
道端の草地にタクシーが止まっていて、プロカメラマンの巨大なレンズがこちらを向いている。
思った通りあの幟バタとエイドライダーを一緒に撮るのがプロの視点なのだ。

練習してきた通り、前傾のまま右腕を突き上げるポーズを決めた。先頭でやで!
シャッター音は聞こえんかったが、これを撮らんプロはおらんじゃろ。
連写しやすいよう長いことポーズしてやったんや。スポンサーロゴも写ったかなあ。

なのに何処のメディアにも載っておらん。
タクシーで来たちゅうことは中央の新聞社かも知れんな。サイクルスポーツ社かも知れん。
そのうちオファーがあるやろが、前傾姿勢やったからゼッケンが写っておらんで連絡しようがないのんかなあ。
団塊屋に問い合わせないけ?

最終第3エイド手前の土手の道でロングコースの239名と合流。
阿武隈河川敷の運動公園に設けられたエイドで、トイレから出てテントに戻るときすごい数の自転車がこちらに向かって来るのが見えた。
バイクラックが足りなくなりそうなので自転車を取ってスタートの方に押して行ったら、
「準備よければスタートしてください」
と言われ、ゼッケンをチェックされた。

エイドが混雑しないように5台ルールは一旦解除らしい。
渡りに船でスタートし、前を行くロングの一団を追って国道に出た。奥州街道を南へ、白石に向かうのだ。
この辺りから空模様が怪しくなり、進行方向の上空が真っ暗になって稲光のようなチカチカするものが見える。
稲光は宇都宮ブリッツエンのシンボルマークだからワシに落ちることはあるまいが、今にも竜巻雲が現われそうな様相。

奥州街道では左端の白線の上を行くしかない。信号で止められてまた進むを繰り返すうち、前後がチギれて前を行くフラットバーのクロスバイクと2台だけになった。
前はロングのゼッケンをつけている。
失礼だが後方から観察させて貰うと、信号手前からの減速操作や加減速の具合、止まったときに足を着く縁石の位置取りの仕方などがワシの走り方に似ている。
アベレージ速度も合うからこの彼に着いて行くことにした。
この判断は大成功だった。

残り12キロほどは雷雨のなかのライト点灯走行となった。
このころフラットバーとワシは国道走行から左折して、ホッとしながら柴田町辺りの県道を走っていた。
先頭の彼が東北本線のガード下を見つけ、躊躇なく橋脚の間に自転車を止めた。ワシも続く。
雨宿りすることにしたのだ。

ワシらの雨宿りを見て仲間に加わる者もいたが、大半の後続車は水しぶきを上げて吹っ飛んで行く。
大したモチベーションやないけ。
しかしワシはメガネが曇ってよう見えん、こーゆーときは一服するもんじゃ。

雷雲の本体は頭上を過ぎたようで雷鳴は去り、小降りになって明るさが戻りつつあった。
朝のスタート時に一言二言交わした小径車モールトンのおじさんが雨合羽着用で通り過ぎ、ワシに気づいて手を上げる。
「おーっ! ワシも行くでー」
サングラスの水滴を拭き取っていると、オレンジ色のビブスを着用したスタッフのサポートバイクが止まって、
「トラブルですかー?」
「雨宿りやー いま出るところやー」

この後はフラットバー・ワシ・サポートバイクの順で水溜まりの残る道を進んで行った。
背後にサポートバイクを従えて走っていると、車両からガードされている安心感があって心拍計は125程度で安定している。
前行くフラットバーのテールランプを追ってぐんぐん行く、チェーンのワックスが流れてシャカシャカいっているが構わず踏む。
濡れてシャーシャーいっていたブレーキもすっかり乾いて制動力が回復した。

白石市に入って最後の長い登りに掛かったとき、急に晴れてカンカン照りになった。
今度は湿気でメガネが曇る。
信号で止まったときにメガネを拭いて周りを見ると、見覚えのある坂やないけ。
白石に着いた晩、トランポで迷走した坂や。
坂を登って下ればゴールのホワイトキューブは目の前じゃ。

「おーし ここからなら残り2キロもないで、アウターギヤのまま行けるでー」
前のフラットバーに声をかける。
彼は前を向いたまま右こぶしを上げる、親指が立っている。

信号が変わりワシらはスタートしたがサポートバイクは残った。ワシらの元気さを確認して次の集団を待つのだろう、ありがとうございました。
登り切ったところから白石の街並みが見えた。涙が出そうになった。
新道の急坂をトップギヤで駈け下る、雨のしずくか汗のしずくかわからんが後ろへ飛んで行く。

「ヒャッホーイ」
お約束の歓声が口を突く。

前からも聞こえる。
「ヒャッホーイ」

万国共通語の語源はスイス高原のヨーデルと聞く。
おめさん そーんな でほらく よう出るなあ。


(11) 決戦編 2日目 福島ゴール に続く 
syn


(写真説明)
写真は初日のワシのゼッケン。

誠にうかつなことながら、この日の終盤に15kmもの距離を引っ張ってくれたロングのフラットバー氏のゼッケン番号を失念しました。
ゴール会場で輪行袋に自転車を収めている氏を見つけて、

「明日は出ないの?」
「これから電車で東京に帰ります、また来年も出ます」
「うん ワシも来年出るよ、きっと会えるよね」
「はい お元気で…」
「お世話になった、ありがとう」

これだけで別れましたが、どこかで 「団塊屋」 を見て、「フラットバーって僕のことだ!」 というフラットバーさん。
来年はワシが引っ張るでよー、また会おうなあ。

おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイドJAPAN 2013(9)
2013/07/01

6月 出発日
白石市スタートのエイド初日は6月8日(土)なのだが出発日を早めて6日(木)の午後、宇都宮の自宅を出た。
こんなに早く現地入りしても時間を持て余すのは分っていたが、家にいても持て余しそうだから思い切って出発してしまった。

あらかじめセットしておいたナビが高速道路の方向と逆に進んでいるアラームを盛んに鳴らす、煩いからからOFFにしてそのまま国道4号を北上する。
高速道で行くと4時間程度で会場に着くが、それでは余りに早すぎる。
会場周辺がエイドムードになってきた頃に行かないと小さな町でワシのトランポ車は目立つから、変なおじさんと思われるだけだろう。

一般道を通って時間をかけながらノスタルジックに行くのもいいかなと、走り出して間もなくルートを変えたのだ。
ナビには悪いが現在地表示だけになってもらった。
国道4号は少年のころヤマハの125ccバイクで走り回った懐かしい道、福島 仙台あたりまではよく出かけていた。
懐かしいとはいうものの、4号という呼び称以外はすっかり様変わりして家並みは今風だし道は広くて真っ直ぐだし、新しいバイパスが出来ていて風景が違う。
市町村合併で知らない名前の町になっていたりする。
初めて走るのと同じだからナビの地図は消せないが、それすらも収録図の緯度経度と現実が合っていない箇所は多い。

「こりゃー 面白いわい。知らない町を通って行くのがジャーニー じゃにい」
こーゆー全然緊張感のない旅立ちでよいのだろうか。

原付免許をまだ持っていなかった頃からオートバイ大好き少年だった。
自己流で改造した2サイクルバイクにはオイルの丸缶を切って作った消音器を取りつけ、いっぱしのチューナー気取。
速くないのに音ばかり大きくて、「おまえが来るときは10分も前から分る、普通は本体が先に来て音は後から来るもんだ」 とよくいわれた。
バイクの名前は音倍号だった。

当時の白石には街の入り口だったか出口だったか国道にかかる橋の欄干が大きな こけし の人形で出来ていて、花柄の着物の腹部に しろいし と彫られていた。
それはエンターテイメントなものを見慣れていない少年にはすんごい異質なものに見え、
「おおー みちのくはすげーなあ なまはげはいねがー」 と思ったものである。

後年大阪で見た巨大なカニが店舗の看板に憑りついて、もにもに 動いているのや、道頓堀太郎人形が 「いら〜しゃい」 と桂三枝の口調でしゃべるのには、驚くには驚いたものの白石大こけしに驚いたときのほうが新鮮だった気がする。
「白石こけしの欄干は昔、領地交代で上方から来たお殿様があのこてこての大阪文化を懐かしむあまり、新任地白石のこけし職人に命じて作らせたに違いない」
日本の東西文化交流の歴史を思ったものである。

少年の日の白石の記憶はその 「こけし橋」 だけ、橋を通過するだけで街中に入って行ったことはなかった。
福島を過ぎて国見峠を越えると宮城県、最初の町がこけし橋の白石だという程度の記憶しかない。
あの頃、国見峠の辺りにはドライブインだのトラック食堂だのがたくさんあって、雨宿りしたまま翌朝まで座敷のコタツで寝させてもらったこともある。
今はもうすっかり様変わりしてトラックはみんな高速道を行く。
旧街道を走っているのは地元の通勤車か軽トラだけで、ぽつんとあるコンビニのあたり以外は照明もない。

今年2月、エイドイベントに参加するかどうか決心をつけるために一度下見に来ている、その時は高速道で往復した。
近くのインターで降り、スタート会場となる市のスポーツ施設を探して市内を走っていたとき、欄干に こけし の付いた橋を不意に渡った。
でもその橋は国道4号から折れて新幹線白石蔵王駅に向かう新しい道の途中にあった。
こけしの橋は不意に出現したが、その道は旧奥州街道(国道4号)であるはずがないから不思議に思っていた。

今回現地入りが早く、時間に余裕があって車中泊に適した場所を探してそちこち移動して、そのとき分った。
現在は片側二車線になった国道4号を拡幅改修したときにあの こけし橋 は取り壊されることになり、町のシンボルであるこけしは街中の新しい橋に付け替えられたのだ。
50年前の不良少年が初めて みちのく の畏怖を感じた巨大な木のこけしは、かつての姿のまま場所を変えて健在していた。
古びた感じは否めないが腹に彫られた しろいし の文字に見覚えがある、間違いない。
今でも首をひねれば「キュッ」と懐かしい音を立てるのだろうか。

6日木曜から7日金曜に日付が変わる頃、ワシは白石市体育施設 ホワイトキューブの正面ゲートの前に着いた。
施設は消灯され、閉鎖されたチェーンの向こうに警備会社の巡回車が見えたのでそれ以上は近寄らず、少し離れたコンビニの駐車場で仮眠することにした。
ワシのトランポはマシン1台だけの積載ならその隣に広々としたベッドスペースが得られるから手足を伸ばして眠れる。

店舗の明かりが眩しいときは移動して向きを変えて寝るのだが、一般的にコンビニの駐車場というものは地面に傾斜がついている。
雨水を流して水溜りをなくす配慮だろう、時としてこの傾斜の低い側にベッドの頭側が向いてしまうと寝にくいから別のコンビニへ引っ越す。
放浪のライダーはコンビニアンなボヘミアンなのだ。

有職のライダーが大会当日の早朝あわただしく駈けつけて来て、お握りを片手に持ったままの少々お行儀の悪い恰好で受付に書類を出している光景を見る。
その点、ワシはめっちゃん余裕かましとるで。
「おらーなあ、懐かしー白石こけしに再会しだし、ゆんべは「ゆっぽの湯」のあど隣の「ゆっぽ亭」でキリン仙台工場直送生ビールのメガジョッキさー飲んで白石うーめんも食って、たーっぷりど寝だでや。
おめらには ちいーっとばがし すまねーが、峠のトップはおらが引がせでもらうでよ」
当日、スタート前の集合地点で周りをビビらすせりふの練習をする余裕である。
こーゆーのをアドバンテージってゆうのやろ。


大会1日前

朝6時に会場へ行ってみると、広い駐車場内で CYCLE AID JAPAN 2013 とプリントされた白いスタッフジャンパーの男たちが10人ほど、打ち合わせを終えて準備を開始するところだった。
県内サイクルング協会などの関係車両やテント資材などを積んだトラックも入って来た。
リーダーらしいひとりがワシのトランポ内の自転車に気づいて近寄ってきた。

「下見を兼ねて早目に来たがや」
というと、
「一番乗り ありがとうございます。熱いコーヒー飲みませんか? 明日は賑やかになりますよ、がんばってください。 昨夜のうちにコースの分岐点には案内看板を設置しました。
下見に行かれるなら看板を目当てにお進みください」
なかなか良い応対である。

「邪魔になるから選手のクルマは出てください」
と言いがちな朝イチの緊張感のなかで、このリーダーは遠路よりの参加にまず謝意を述べている。
自分たちだって東京のイベント会社から来ている旅人のはずだ。
盛岡の第1ステージからずっと東北に留まったままのはずだ。
たぶん昨夜は寝ないでコースを回り、看板を立てて来たのだろう。
末端の地元採用臨時スタッフにまでこの精神が行き渡っていることを切に願うのだった。

後でも書こうと思うが、2日間を通してスタッフ 関係者の献身ぶりには花マル付き満足点を差し上げたい。
白石市長に至っては有り難くもかたじけなくも、あの重たくて派手派手の戦国武将の緋縅(ひおどし)の甲冑を着たまま、1時間も前からスタート会場で軍配を振り下ろす練習をしていたほどだ。
どこかでこの小文が目にとまったなら、一参加者からの謝辞と思っていただきたい。
50年ぶりに訪れて、「おおー 東北やるじゃん!」
復興のエネルギーを見て、食って、おまけに走らせて貰って、嬉しかったよワシ。

2月の下見行のとき、この坂はヤバイよとギヤ比の変更を考えさせられた毛無山の峠は最終日の福島に向かうルートだったと気づいた。
初日の海側を回ってスタート地に戻る周回コースは下見をしていないので、今日はそちらを回ってみることにした。

大まかな概念だが海に向かうのだから東に進むのだろう。
会場から出て東に向くと県道の角に最初の看板が立ててあった。それはなんと先ほどまで仮眠していたコンビニの角だった。
「それでか〜 あのリーダーが熱いコーヒーどうですかと言ったワケは…」
初っぱなから 「おおー やられちゃったぜい エイド!」 ワシ、熱いものを感じちゃったぜい。 

イベント全体でどれ程の数の立て看板を用意したものなのか、要所に出てくるコース案内看板は「間もなく左折」とか「次の信号二段階右折」 「ここから登り」 「急な下り」 など多岐にわたって設定されていて、迷うことなく第1エイド予定地の角田台山公園へ。
ここまでけっこうな斜度の登りとくねくねした下り、田んぼのなかの細い道、隘路や一時停止、をくり返しながら20km位。

集団のなかに挟まれて走るのはブレーキングの頻度が増え、そのあと加速のために立ち漕ぎするパターンをくり返して、ワシのようなピュアレーサーにはストレスとなりそう。
脚質の合う前走者に着ければ付いて行く手もあるが、間を開けるか先行して独走のほうがリズムを乱さず進めそうなので、当日の状況次第で早目の判断が重要となろう。
交通量の少ない田舎道といった感じのコースは小砂利の浮いていた箇所や田んぼの水が乗っていた路面もあった。
ザリガニが歩いていたのだから嬉しいよ。
落車したら痛そうなコンクリートの側溝もあったから、後方に車両がなければ道路中央を行ったほうがよい。

第2エイドへは平坦地になった。海が近いのだろう。
小さな市街を通り抜けて阿武隈川沿いのサイクリングロードに乗るのだが、下見とはいえ車両ではロードに乗り込めないから土手を遠くに見ながら一般道を行くうちにコースを見失ってしまった。
迷っているうち国道6号に出てしまった、コンビニでUターンして国道を戻る。
大きな川を探して走るうち、不意にエイドのコース看板を見つけて行ってみると、それは松島から白石に向かうロングコースの走者のための看板だった。

結局ミドルの第2エイドとなる亘理町の漁港のポイントは確認できなかったが、大津波被害の跡や復旧工事の近くを通過したので写真を撮る。
真っ直ぐな新しい道路を北に向かって走って行くと、右手に高い堤防工事がされていてその向こう側は見えないが海なのだろう。
防潮堤となる土手下の空地は草むらなのだが奇妙な草たちがぱらぱらと生えている。
初夏なのに赤茶けてひょろーっとしているのだ。

同じ空地に工事で余ったアスファルトが捨てられて塊りになったものが置いてあった。黒いざらざらの表面に白褐色の結晶が吹き出て異様だ。
左手一帯は畑だったと思えるが作物などはなくて、野っ原の先に大津波の流失から取り残された倉庫のような建物がぽつんと立っていた。

明日ここを走るのだろうか、隔てるものがない野っ原に風が吹いて 「除塩作業中」 の幟旗がゆっくりはためいていた。
除塩ってどうやって行うのだろう? クルマを止めて見渡してみても誰もいない。
堤防工事のはずの海側にも誰もいなくて、妙に閑静のなかにひょろ草と除塩の幟だけが揺れていた。

そのあとは下見を終了にして白石に戻ることにしたが、一部でもロングのコースを見ることが出来てよかった。
ロングはあそこから少し下流側の河川敷でミドルと合流し、国道4号の奥州街道に出て大車列を連ねて白石のゴールに向かうルートを取るのだろう。
100キロ超を来るのだ、ワシらミドルは敬意を示さにゃいかん。
しかしのう、ミドルじゃとていっぱいいっぱいの坂を越えてここまで来とるんじゃぞ、復興への思いは同じじゃ。

余談だが、走行距離ひとり1kmを10円に換算して復興NPOなどに寄付されることになっている。もっとスポンサーが付いて10円を100円にしたいものだ。
かたちは違うが休日等にひとりで走っても、その結果をネットで申告して距離に応じた金額が募金されるチャリティ ライドがすでに始まっている。
ワシはまだ未登録なのだが近々には参加したい。
距離もいいが、峠を登って獲得標高を募金するクライム チャリティもあったらいいよね。
峠の茶屋に投票箱があって、チャリで登ってティを飲む。な〜んてね。

国道4号と6号が最接近している地点がこの辺りだ。
海側を北上してきた国道6号の陸奥浜街道は、もう少し先の名取市で国道4号に吸収され奥州街道と名が変わる。
ガキのころ来たことがある。思い出が呼び起こされていよいよノスタルジーなファンタスティック トレインになってきた。

かつて伊達のお殿様が江戸に参勤するときには、金色堂藤原流のきんきら豪華衣装で街道を行ったわけだが、このとき行軍の楽な浜街道を通って江戸に向かったのでは勿来の関を過ぎるとやたら好戦的な徳川出身の水戸藩のエリアとなる。
そこで無用のニアミスを避けるため内陸の嶮しい道を取って白河回りの陸奥街道東山道を進み、下野の国 黒羽を経由して日光東街道から越谷草加を経て千住から江戸に入った。
この行程を矢立てを腰に笠を背に、逆に歩んだのが芭蕉とその弟子曾良である。

音倍号でそれらの街道に2サイクルエンジンのニオイ振り撒きながら何度も徘徊した不良少年は、50年後に音無しクリーン号を駆ってまた訪れるとは思わなかった。
早目に白石入りしたことで、思わぬところまで行ってみることができた。
再びこの辺りに来ることがあるなら、芭蕉色の忍者旅衣装に菅笠をかぶってマウンテンバイクで廻ってみるのもよろしかろう。

「曾良や サドルバッグから矢立てを取ってくれんか、一句 参ろうぞ。 俳句のことを俳諧というがの、ありゃーなにだよ 諸国を徘徊するからなんじゃ」
「お師匠さまー ざぶとん2枚でございますぅー」 

「夏草や つわものどもが 除塩して」
                      馬蕉
「見に来たど おほー今年は立派な ひょろりなり」  
                              素羅

さーて いよいよ明日はエイドだっぺ。 風呂さ入って早く寝るためにトランポを最良の位置に止めだら、うめー酒っこ飲んで 白石うーめんだっぺー。
今日そちこち下見して ワシ、一段飛び抜けたアドバンテージを手に入れちゃったもんね。 峠のトップは おらに決まりだっちゃ。

「峠とは 英語で トップと いうだっちゃ」
                       蛇足

(10 最終回 決戦編に続く)
syn


(写真の説明)
左: このような光景はまだそちこちに見られます。
   新しい道路はエイド用に作られたわけではありません、何も走っていませんでしたが…
   報道写真としてはなかなかの出来。

右: CYCLE AID 特設案内看板がこれ。
   車道は国道6号線、手前側が仙台方面。
   サイクルロードに上がると眼前に阿武隈の雄大な景色が広がっていました。 
   写真のポイントは、芭蕉と曾良主従が来た道を振り返ったとされる三叉路。

おしぐれ俊ちゃんの サイクルエイドJAPAN 2013 (8)
2013/06/27

6月初週
岩手県内でエイドJAPAN第1ステージが開幕した。
南下コース 初日は盛岡スタート花巻ゴールの105km、2日目 花巻スタート一関ゴール90km。

東北地方は梅雨入り前、曇りがちやや低めの気温ながらまずまずの天候でよかった。
エイドの勇者たちを冷たい雨で濡らすのは気の毒だ。
エイドは来週南下してワシも参加する第2ステージの宮城、長期予報では晴れ。 わくわくするでや。

地元 盛岡経済新聞によると、初日に盛岡をスタートしたのはロング ミドル合わせて197名。
4日間のエイド全ステージに1,318名がエントリー、とあった。
うーむ まずまず であろう。
なにが まずまず かというと、全12コースでの単純割りは コース当たり110名の出走。
人気不人気のコースもあろうが、大方この陣容か。

ワシの初日は白石周回コース。
ベースキャンプを白石市内に置いたまま、最終日の福島ゴールコースに挑めるので人気が集中することは予想していた。
だが多くても200名くらいなら整然としたライドの車列が望めるだろう。

ずっと気にしてホームページを見ていたが、大会の公式サイトには各コースへのエントリー数が載らなかった。
ワシのような戦略家にとって、一緒にスタートする人数やスタート順は重要な情報。
周りを走る選手たちと戦略的互恵関係を築きながら峠を越えて行く上で、これらの情報が欲しかった。

ワシのただ一つの戦略は 「初っぱなに相手をビビらす」 ことだけやから、近くにすんごい強豪がいたらこっちがビビってしまう。
エイドは競技ではない、親睦や言うけんど、ホンマのことを正直に吐露すればやで。
「競技には怖くて出られんけどエイド程度なら参加してみたい。叶うことなら集団をブッちぎって前に出てみたい。
一度でいいから 二度はなくてもいいから、こぶしを天に向かって突き上げる一生一度のゴールシーンってヤツを、おらー フクシマのみーんなの前でやってみたいんだあー」
み〜んな そう思うてんのや、口には出さへんけどな。

それには丘陵地帯でのアタックや、登りで一度アタックをかけたら緩めるワケにはいかん。
目がまわるほど踏んでもうダメだと思っても、踏んで行けば必ず下りが現われる。だから丘と陵の地帯っていうんやないけ。
大方の連中は漢字を知らんから丘陵は丘ばっかりやと思うてる。だから後ろでトロトロ漕いでおる。
そこがねらい目や先行するんや。
登りがあったら必ず下りがある、息がつけるんじゃ。それを信じて踏んで行くんじゃーっ!。

冒頭にわくわくすると書いています。ワシのモチベーションは健在です。
周りをビビらせるに足りて不足無し、キラキラのコルナゴと昨季の国内王者 宇都宮ブリッツエンの純正ジャージがあるっ!

そうなのです、コルナゴは甦ったのです。
前号(7)でリヤハブを損傷し再起を危ぶまれたコルナゴ号でしたが、翌朝10時に約束通り配達されたホイールセットと12T−28Tのカセットスプロケットを装着して、翌月曜には予定通りロードでの練習をすることが出来たのです。
土日の練習を休んで休養に当てるのは当初からの計画でした、月曜日には練習ロードを走っていたのですからブランクなし。
不幸中の幸いというろころですかね。
不幸を招いたのはホラキちゃんのメールでしたが、不幸を実行したのはワシの左右の腕でした。ごめんなさい。

届いたホイールはRS21−A という中級グレード、箱から出して眺めてみる。
ハブとスポークが黒色 リムがシルバー、リム高24mm標準。アルミフレームのピンピンに硬い軽量バイクに似合う雰囲気。若向きっていうカンジやね。
昨日ネジ切ってしまったフリーボデーはスチール製に改良されていました。
あそこをヤッチまうひとはワシひとりではないらしい。

スチールのフリーハブになったせいか空転時のラチェット音が大きい。
超扁平な形状のスポークは空力上有効かも知れんが、エレガントさの点でそれまでのアルテグラ7600Gに見劣りする。
上品さがワシとワシのコルナゴ号のコンセプトやから、リムサイドの円周状に貼られたグレードロゴのデカールを未練なく一気に剥がした。
一気に剥がさないと糊が残って醜いのだ。

デカールの取り去られたホイールはすっきりとして、やや上品さを備えたように見える。これならコルナゴ号の一員として仲間に入れて貰えそう。
早速ハブにギヤカセットを取り付けるのだが、注意書きが添付されていた。
「10速ギヤにはこのスペーサーを必須、11速ギヤは取り除く」 とある。
どうやら11速変速に対応した最新型のようだ。
10速で使うには付属のアルミスペーサーを噛ませてギヤカセットを組み付ける、と書いてある。

このホイールセットはシマノが最近発売を準備している11速変速機に対応した先行デリバリー品だった。
各地の認定小売店に対応品を行き渡らせておいて、頃合いを見てバアーンとメディア発表するいつものやり方だ。
頃合いというのは10速を売り切ってしまう頃のころのこと。 まあ自動車メーカーのモデルチェンジでもそうやね…

ワシは10速専用品でよかったのだがなあ…
なにが違うのだろうか? 手を止めて新旧ふたつのホイールを眺めてみた。
11速ギヤカセットはギヤが1枚増えるから横幅が増す、増した分は何処かで誰かが窮屈な思いをしなければ吸収できない。
その誰かとは?

これや! スポークの位置や。
スポークはハブのフランジ部から生えている。ここを内側に押しやって11枚目の歯を押し込めたんや。満員電車の最後の乗客の尻を押し込む駅員と同じや。
容積の決まっている電車内でも、人間の乗客やから押せばいくらでも縮む。少々可哀そうでも尻アタックで押し込める。
ところが自転車は金属の集合体やから押しても縮まらん。
無理に押せばたわむが、たわみは戻る。それを弾性変形という。
戻らんたわみを疎性変形といって、究極は折れ曲がりだ。 「ありゃー 曲がっちゃったわ〜ん」 とポイされる。

全巾130mmと国際会議で決まっておる自転車のフレームエンド内に、11枚のギヤカセットをどーしても入れるんには、スポーク巾を狭めんとならんかったんや。
その結果はどうなります?
スポーク剛性が落ちますやろ。
ホイールはハブとリムとの間を斜めに突っ張った20本のスポークが踏ん張って支えておるんやで。コーモリ傘の骨といっしょや、平らではイカン。
その斜めの度合いが少のうなったらどーや、ホイール全体の剛性が落ちますやろ。

こーゆー力学のハナシを関西弁で論ずると、どーも 緊迫感が薄れますな。
えっ! なに? もともとアンタは ゆるいてか。 放っといてー。

分ったぞー! それであの無骨なスポークのデザインなんやな。空力の扁平やー、言うとんのはマヤカシや。
ごっついスポークを叩いて平たく見せとるだけなんじゃ。
こっちのアルテグラを見てみい、扁平じゃが細くて角は面取りしてあって上品やないかあ。

ここで前号(7)と号外版の写真を参照してその違いをご確認いただければ、
箱から出てきた新ホイールをワシが 「エレガントさに欠ける」 と断じた理由がお解り頂けよう。

10速のシステムを使うユーザーには、フリーハブに厚み1.8mm のスペーサーを噛ませてギヤカセットを入れることで従来のチェーンラインと変わらぬ位置にギヤをセット出来るよう工夫している。
しかし、メーカーの本当の目的は10速専用品を市場から駆逐して、モデル数の整理を断行するところにある。とワシはみる。
工場の生産性と在庫の簡略化、販売店での展示のしやすさ、カタログ枚数の低減、など流通の合理化が狙いだ。
いわば10速車へのリストラなのだ。

うーむ やはり論文は東京弁で述べると臨場感が高まりますなあ。
つい最近、松本清張賞を受賞した社員食堂のおばちゃんだって東京弁でながったがや。 

ともあれワシはホイールを組んだ。
練習をしなければ松本清張賞はおろかエイドJAPANの完走賞すら戴けなくなる。
嵌合部に薄くかつ十分にグリスを塗って、締め付けトルクは細心の注意を払って 「カリッカリッ クッ!」 で止めた。

スペーサーを入れればチェーンラインは変わらないというのは信用できない。
ホイールセットが替わりカセットスプロケットも別ものになったのだから、空間上のまったく同じライン上をチェーンが走るはずがない。
事実、組み上げてペダルをゆっくり回しながら変速してみたら、ギヤ鳴り、チェーンの跳び越し、フロントからの脱落等々が起きた。
それは予想のことだったから、シフトワイヤを一度フリーにして変速機を初期化の状態から調整し直した。

昔買ったマニュアル本はここの辺りが油汚れになっていて、何処がポイントか直ぐ思い出した。
この本は、六角レンチと一緒に棺桶に入れてもらおう。

月曜日、いつもの鬼怒ロードで試運転。
ホイールの感じはやっぱり硬い、無骨なスポークは両側クロス張りなので剛性感が強く出すぎるのだろう。
交換前のアルテグラは左はクロス張り、右側だけが放射状のラジアル張りだった。
左右のテンションに差をつけて全体を調和させているのだろう。
上品さのミナモトが見えた気がした。

じゃが、そんなことを今言ってはいられない、ショップオーナーが電話で言っていたように新ギヤの走行感に馴れなければならない。
オープンレシオだから風の強さが変わった程度の負荷変化なら変速操作をしないで踏み続けなければならない。

解かりにくい読者のために詳しく書くと、
チェーンが現在掛かっているギヤの歯数に対し隣接の上下のギヤ歯数に開きが大きい、これをオープンレシオという。
このオープンなギヤ歯間でチェーンの受け渡し、すなわち変速が行われると変動幅が大きいだけに一定の速度を保つには、ペダルをより速く踏んだり、ゆっくりの場合はより強く踏まないとならない。
その段差感を早くつかめとオーナーはアドバイスをくれたのだ。

走ってみると誠にその通りで、5月にずっとやってきた 「一定の回転数を保って長距離を行く」 のがどれほど難しいかが良くわかった。
クロスレシオに馴れきった脚で小さいギヤを無理して踏むからハムストリングに筋肉痛があらわれた。
その筋肉痛を筋肉に変えられればワシの勝利や。
もう時間がない、ハムだろうがスペアリブだろが やってやろーじゃねーかー!

このモチベーションの根源はなんなのだろう? ワシ、踏みながら泣いたよ。
脚が辛くて泣いたんじゃない。
フクシマのみんなの前で、空にこぶし突き上げてゴールするシーンを想像して泣いたんじゃ。
あと1週間でそれが果たせるんじゃ。  文句あっかー。


(9)に続く
syn

エイド出走時のホイールと12T−28T
2013/06/26

エイド出走時のホイールと12T−28Tギヤカセット

ギヤが左へ行くほど(ロー側)急激に盛り上がっています、オープンレシオの組み合わせ。
変速時のショックとペダルにかかる重さの急変は今でも好きになれません。
エアロ効果の扁平スポークが見えます、でもエレガントさに欠けるようで…。

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