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「俊水」の掲示板
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おしぐれさんの CYCLE AID JAPAN 2014 エピソード 1
2014/06/16

きょうも雨が降って練習ロードに出られない。そーゆーときには おしぐれさんの 「わが戦い」 を書きまする、と宣言してしまったことをいささか後悔しているのです。

だって、サッカーのワールドカップ戦はブラジルが会場だからテレビの中継放送は日本では朝方、おしぐれさんの練習時間と重なる。
練習を中止してワールドなそれを見ながら、草カップ戦に向けたオノレのへたれな道のりを書くのはあまり面白くないでしょうや。

ついつい華々しい戦いを書いてしまいそうで心配です。
だから 最初に告白しておきましょう、「あまり本気で読まないでね、大方は でほらく なんだから」

新式カーボン勢に伍して坂を登って行くには機材の軽量化しかない。

「その前にオノレの筋力と登坂スキルを高めるべきだ」

そーゆー無慈悲なご指摘は無視させていただいておる。
筋力もスキルもこれ以上は前に進まんから自転車を軽くして前に進もうと言うておるのやないかい、べらぼーめー。

軽くするといっても2007年にろう付け溶接で製造されたクロモリ素材のフレームはカーボン素材に比べたら倍ほども重い。
軽量なコンポーネンツを選んで組み立てているとはいえ計量したら10.9kgもあった。
どうやって計るかというと、自転車を抱いてタニタの体組成計に乗り、その値から自分のピュア体重(呼吸を3分止めたときの体重)を差し引くのだ。
おしぐれさんの自転車小屋には最新デジタル秤などないのだ、べらぼーめー。

ちなみにピュア体重は普通体重より20g前後軽くなる、魂の重さなのかも知れない。

最新カーボン車のハイエンドモデルは完成車重量6.4kgである、UCI 国際自転車競技連盟の規定している最低重量とピッタリ同じだ。
これは何を意味しているかというと、すでに世界の主だった自転車メーカーでは求められる安全強度を満たしたうえで重量規定を下回る車両の開発を終えているということ。
フレーム内の何処かにバラストウエイトを隠して6.4kgに仕上げている。
いま凌ぎを削っているのは走行中の空気抵抗低減競争なのだ。カラダへの負担が減る。

その隠しウエイトは簡単に取りだしてメカニックのポケットに入れることが出来る、実際には5kg台の自転車が峠を軽々と越えて行く。
おしぐれさんはひとりで二台の自転車に跨って峠に立ち向かっているようなものだ。

最新型の6.4kgの同じような形の自転車の優劣はどこでつくのかというと、フレーム ジオメトリーによる加減速のスムーズさとライダーへの肉体的負担の少なさだろう。
これらはなかなか数値化できない分野なので、バランスとか総合力とかいう曖昧な表現で語られてきた。
しかし近年ではハンドル部に取り付けられるワットメーター(出力計)なるものが出来て、ライダーはどのメーカーのフレームが一番自分に合っているか、どういう踏み方をしたら大出力を得られるのか、即ちレースで勝てる自転車はどれかが分るようになった。

ここがおしぐれさん最大のネックなのである。
おしぐれさんの自転車はヨハネ パウロ二世の黄金のコルナゴのコピーだと前作で書いている。 1978年製をコピーした重たいフレームで走ることをヴァチカンから義務づけられているのだ。
そうしないと例のどこでもドアーのような支払い免除のVISAカードが失効してしまうのだ。

あれが使えなくなると、おしぐれさんはお気楽な旅の似非坊主などしておれんようになる。
団塊屋商店のコピー機と紙を無料で借りて、若いころ模写した般若心経をカラーコピーしては大仰な装丁で掛け軸に仕立て、リヤカーを自転車で曳いて信州一帯を行商して歩かにゃーならん。

フレーム以外は最新の機材に更新が許されているのでこれまでにも色々やったのだが、筋力の後退と引き換えに変速比が大きくなってローギヤの半径が巨大化し、その分の鉄の量が増えて軽量効果と相殺されている。
ギヤ鉄の比重はアルミ材の3倍だからこれは堪える。なにより回転体の外周部が重たいとジャイロが効いて自転車が立ちあがり、コーナーでの挙動が緩慢になるのだ。
俊敏さが怪しくなったおしぐれさんプラス緩慢な車体では勝負になんめーや、べらぼーめー。

しかしそれで引き下がるおしぐれさんではない。
アルミやカーボンより3倍重いとされる鉄フレームの自転車でも、完成車重量では彼らの2倍の重さにまで身を削って肉薄させた先人の労苦を思うとき胸が熱くなるのである。
素材の宿命的重さを加工技術で克服し、鉄のしなやかさを堅持したラグ式工法のフレームは、ゆえに細身で美しい。

歩道に停めてあるだけでひとが立ち止まり、やがて人だかりとなって口々に 「美しい、セクシーだ」 と呟く。
アルミやカーボンでは 「すげー 速そう」 とは言うが セクシーだ とは言わないだろう。

老練なるおしぐれさんが軽くしようとするのは車体重量ではない、ホイールやクランクなど回転体の摺動を軽くして走りを軽くしようというのである。
ブレーキレバーの引きを軽くするだけでも終盤での疲労に差がでる。
これは工学的にまことに正しい方向性といえる。 チューニングの王道と誉めたい。

さすがは宗教家のおしぐれさん、思想の根本が儒教である。
儒教ばかりではないヴァチカンだってポタラ宮だって、それぞ宇宙の根本と喝采を送っているはず。
遠くM16冥惑星などではブラジルサッカーのテレビ中継を止めて惑星出身儒教者のプロフィールを流し、地球での快挙を祝っている。

まだ具体的に何の行動も起こしていないのに声明だけで快挙とは、冥惑星というのはさすがおしぐれさんの故郷ですなあ。
たしかおしぐれさんはペテン師症候群の隔離病棟として幼時に地球へ流されたと聞いておりましたが時代は変わったんですなあ、つくづく。


手始めは前後ホイールのベアリングのチュンナップである。
自称自転車名人、おしぐれさんの手腕に期待いたしましょう。

効果の評価は摺動抵抗値 〇〇g/秒 の低減。その効果は車重 △△gに相当。と関数化するのが今風なのですが そこはそれ、そんなゲージやメジャーやエクセルは小屋にはありゃーせんのよ。
ありゃーメジャーでリッチなファクトリーにしかないのよ。
手で回したグリグリ感を体感5段階で評価すればええの、おおいに儒教にかなっておる。

写真 : シマノのホイールハブ、これをより一層クルクル軽く回るようにしようという企み。工具はベアリングの玉当たり調整用レンチ、黒はリヤ用 オランダ製 青はフロント用 北米製。
     日本製もあるが高価なのでこれでよし。 中央の丸い缶はシマノ純正グリースの容器。 道具はこれだけ、あとはおしぐれさんのゴッドハンド。

おおー 後半25分 ブラジルがペナルティ キックを貰ったぞ。
本日の作業はここまで。

syn

おしぐれさんの ロード歳時記 episode11 「北海岬」
2014/06/02

海辺の町 脇野沢まで降りてきたおしぐれさん、漁港を望む丁字路で <左:むつ市方面 右:九艘泊 北海岬> と書かれた標識の前に自転車を止め何やら考え込んでいる。

「はて くそうどまり とな ? さても面妖な。
壇ノ浦の八艘跳びにて名を馳せし 清和源氏のおん大将 九郎判官義経どのの名を騙る九尾の狐でも隠れおるか、おのおのがた 油断めさるな」

昨夜の宴会場で繰り広げられた會津源さん家中 対 秋田良助マタギによる薙刀 VS 鉄砲合戦。
金屏風の陰に隠れて座布団枕に眠りこけていながらも戦乱の余韻が残っているのか、荘厳なるさむらい口調である。
おのおのがた、と重々しく言ってふり返ったところでおしぐれさんひとりしかいない。

海抜521メートルの人切り峠から一気に海水面まで降りたのでは高度順応不適合、すなわち高山病になってこの程度の意識混濁は起こるのかも知れない。
高度順応不適合による判断力の低下で引き起こされる山の遭難危険については、初の日本女性隊エベレスト登頂を成功させた隊長であり、またご自身世界七大陸最高峰制覇の実績をもつ登山家でもある山エッセイストの田部井淳子先生が注意喚起をされている。

「下りこそ登るときより慎重に、低い山でも裾野の先はエベレストに繋がっています。ゆっくり息を吸って水分補給を忘れずリズミカルに、しっかり足を着けて降りるのが大切」 と書かれている。

ところがおしぐれさん、上りは失速寸前のヨタヨタ登りなのに対して下りとなると滅法速い。
ブレーキのゴムを擦り減らさない走法は単にケチなだけなのだが、エンジンブレーキのない自転車ではゴムの代りにひじや膝を擦り減らす肉弾ブレーキがある。

「ひじや膝なら一週間でカサブタが取れるさー なんくるないさやねえー」

本気か嘘か そーゆーことをうそぶきながら1秒間に高度を2メートル下げる速度では高山病にもスリムキ擦過傷にもなろうというもの。

おしぐれさんの研究によると、自動車や自転車のタイヤメーカーでは原料の天然ゴムに硬度と強度を与えるため黒鉛カーボンCを添加する。それでタイヤは黒いのだがそんなことはどうでもよい。
添加の際に両者を混和させたうえしっかり親和させる役目の硫化剤として硫黄Sを使うのだそうだ。
むつかしい化学のハナシだから、わからんひとはそーゆーもんかとご理解いただくだけでよろしい。

そこでおしぐれさん、スリムキ擦過傷の身を引きずって硫黄の温泉に横たわる。
すると硫化水素硫黄分が替えゴムのひじや膝からヒリヒリと沁み込んで、強くて厚い活性カサブタを形成し内側の傷の復活速度を高めると同時に肉弾ブレーキ性能の保証を可能にする。というもの。
この科学的なリカバリ療法で峠の下りと、下り気味な人生の数々の難局を乗り切ってきたという。

説明されれば実に納得のいくこの治療法は、信州地獄谷温泉の猿に聞いた。
尻の赤い部分で温泉に向かって山の斜面を滑り降りて来るとき、摩擦熱で赤いパッドがすり減って臀部を火傷するドジ猿がけっこういるんだそうな。
でも落下した処が硫黄の温泉なのですぐに良くなる。これをくり返すうち強靭な赤い尻の構築が完成するという訳だ。

今やレジェンドとなった高崎山出身のボス猿ベンツなら、こーゆーときには葛西選手のスキーを借りるか北海大蕗(クロボックルフキ)の葉っぱを尻に敷いて滑ってくるのにねえ。
確かに大分の猿よりも信州猿のほうが尻の赤味に緻密さというか光沢と言おうか、シルキーな厚みがあるように観察される。
九州地方には生育しない岡谷桑 (群馬では誇りを込めて富岡桑と呼ばれる) の葉っぱを食べているという側面もあろう。

余談だが、サイクルパンツの機能性 快適性で世界一評価の高いパールイズミの製品は、パッドの色が赤である。尻パッドに赤色を譲れない理由は地獄谷にあった。
どーゆーことかというと、パールイズミの創業者 清水釿治氏の生まれ育った故郷の村は 真珠のような泉に清水湧く 信州飯田。
飯田は地獄谷の野猿公苑に近いこともあって動物好きの釿治少年、幼少のころから自転車に乗ってお猿に会いに出かけていた。

猿のおケツはなぜ赤いのか? 赤いおケツは摩擦に強いのか? ボクのおケツも赤くなったのはサドルで擦れたためだがとても痛い、赤いおケツのお猿は自転車に長時間乗っても痛くならないのか?
そーゆーことを考えながら成長した釿治少年、長じて自転車アパレルのパールイズミを興したのである。

日本のサイクラーでパールイズミのお世話になったことのない者はいない。100パーセントいない。
スポンサーの関係で海外製品を使わざるを得ないツールのプロ選手でさえも、ロッカールームでこっそりとインナーにパールイズミを着用する。
ジャパンライダーはメーカーロゴ満艦飾のレーサーパンツの下に純白の羽二重サムライパンツを着けて戦いに臨む。ニッポン武士道とはかくなることか。といわれるゆえんである。

そればかりではない、信州茅野の ”まっさか落とし” を見てみなれ。大杉の御神木の先頭に跨った勇者の股間をよく見てみなれ。
神事だから白のさらしを腹に巻いて純白の猿股着用だがその下にはきまって、信州が生んだ股間の守護神 パールイズミ を穿いている。
まっさか の勇者のおケツを守るのは、ゴールドウインの野球用プロテクターではなく、地獄谷の赤い猿パッドなのだ。(添付写真参照)

ここで信州諏訪地方に縁者のない読者に ”まっさか落とし” の説明をせねばならない。

まっさか落とし をひとことで語るのは難しい。信州諏訪大社に納める式年遷宮用材の杉の丸太 御神木の 「おんばしら」 を山から切出すところから始めないとならないからだ。
大樹の気を鎮める神事を済ませ、これまで何も切ったことのない処女斧で切り倒す。
大斧を振るう 斧師 を勤める若者を排出するのは一家の誉れ。

その斧の出処ゆえんについても書けば、一編の鍛冶屋物語が書きあがるほどの安岐刃がねの壮大なロマンのヒストリーなのだ。
そのほかにも斧の柄となる強靭な 牛殺しの木 をツチノコのいる山中で探し出すのも大変なら、ノコギリを撥ね返すその木をヤスリで切り採る作業に三日もかかる。
この祭りが四年に一度しか開催されない理由がご理解いただけよう。近代オリンピックは おんばしら に倣った。

村の衆総出でわっせわっせと御神木をお仮屋まで搬送して、もう皆んなヘトヘトだからとりあえずおっ立ておいて あとは来年にすんべえ。
こーゆーエンドレスのお祭り、おんばしら祭 の最終ステージ前夜祭のモチベーションに酔った集団ヒステリー が、まさに ”まっさか落とし” なのです。
当番町が四年がかりで準備して、毎年少しづつ高めていったテンションを真っ坂の坂で一気に放出 爆発させる。なんと最後の坂の50メートル断崖を真っ逆さまに落ちるのです。

運び手の村の衆が断崖を前に ”づく” 尽きて、えーい ままよ と突き落としたのが真相なのは間違いないが、このパフォーマンスが受けた。天の岩戸が少し開いて女神さまがにっこり微笑まれたという。

命がけの落下転落がこれほど素敵でセクシーなお祭りは世界にふたつしかありません、諏訪の おんばしら祭り と イングランドの チーズ転がし祭り だけです。
ジャワのバンジージャンプですか? あれはカテゴリーが異なるじゃありませんか、却下です。
おんばしら の映像はNHKアーカイブスでご覧ください。

茅野のまっさか落としはおんばしら祭りのひとつのステージに過ぎないと書きました。
全部で何ステージあるのか正確に数えることの不可能なミニ集団ヒステリーがそっちこっちのご町内の坂で巻き起こっているのです。この時期の信州諏訪地方というものは、全域が魔界そのものです。

茅野生まれの著名人に団塊屋の なーさん がいます。いうことはありますまい、 魔人です。

ところで、その起源は平安時代という信州の奇祭 おんばしら大祭 を高い樹の上から目撃した信州の猿のハナシの続きです。
前頭葉の何処かが茅野の人間に近いんでしょうなあ、急斜面をケツで滑り降りることに並々ならぬ興味を持ってしまった。

茅野市郊外で行われる ”まっさかさ落とし” のグレートかつエクセレンスな狂乱ぶりに興奮した酔狂な猿が、杉の木の小枝に跨って地獄谷の崖を滑り落ちてきては熱湯池に まっさか に飛び込んで溺れる事故が4年毎に多発するので、祭りが近づくと長老猿は気が気でないんだそうです。

さてさて こちらは下北の脇野沢、道路標識の前にしばし佇むおしぐれさんのハナシです。
昨夜泊めてもらい硫黄の硫化水素温泉にも入れて貰った源さん民宿はイノシシ園の近くだったから此処よりも標高が高い。そこで一晩高度順化をしてから降りてきたのだから高山病ではないはず。
彼が変なのは単に二日酔いが醒めていないだけなのだ。

ここで冷静な田部井隊長なら次のようなご助言をいただけると思います。

「空気の薄いエベレスト高地で521メートルの区間を4分半で降りるプロ登山家などはいません。
それは素人の弾丸登山といって、弾道が単放物線を描くせかせか短慮型。
ヘリコプターを使った土日登山でエベレストに登ろうなんて無謀なテレビ局があるようですが生物学的に無理でしょう。そんなことをしたら短時間で生命を脅かされる高度な高度障害に陥ります」

先生、駄洒落がお好きだったとは ‥ 。 おしぐれさんを越えていますなあ。

「あのね、ヘリコプターのエンジンにガソリンと空気を送るキャブレータだって高度が上がると気圧が下がって混合比が変調するんです。近年はコンピュータで最適制御がなされますからずいぶんよくなりましたが天候急変で気圧がさらに乱れた気塊ゾーンに入ったりすると、酸素濃度の補正が間に合わずに墜落することがあるんです。
ジェット旅客機がエアポケットで急落下した場合は高度を落とせば収まりますが、こちらはエンジンが失火したままプラグが湿けって復旧しないんだから深刻さにおいてはより高度障害です。

ところで、おしぐれさんの場合は下降開始の海抜高度が521メートルですね。
エベレスト スケールメジャーで簡易換算するとこの高度は低度で、約520メートルはヤク山羊の産児放牧場より低い。

軽井沢の碓氷峠より少し高い処から自転車で何やらワメキながら降りてきたというだけのハナシですからご心配なく。
東京スカイツリーの高速エレベータに赤ちゃんを抱いて乗っても大丈夫なのと同じレベルです。
ただ この標高差をたったひとりで自転車を駆って4分半で降りてきた勇気には正直 ‥ ワタシ 泣きました ‥ いるんですねえ こーゆー団塊がまだ ‥ 」

「おおー パタゴニアの氷河の崖を吹き上がった風が ワシを呼んでいる、はやく来いよと叫んでいるー。 いざっ! 参らせ候う 北海岬ぃーっ」

おしぐれさん、自転車のアタマを右の方向に振ってわからんことをアジっている。
田部井隊長さらに続けて、

「これは二日酔いだけではなさそうねえ。 こーゆーキャラクターなんでしょう。 放っておくにかぎります」

脇野沢から九艘泊までは、さしたるアップダウンもなく、陸側に垂直の高い崖を見ながら進むと静かな入り江に着いた。
心拍もアップダウンしないままだったのでさしたる感動もないが、三方向を崖に囲まれた九艘泊の港は波も風も凪って静まりかえっていた。
天然良港とはこのような港を言うのだろう。 九尾狐の気配はない。

小さな船溜まりに四艘ほどの小型漁船が係留され浜の網干し場から潮の匂いが流れてくる。
残りの五艘は沖に出ているのかそれともこれで全部なのか、九艘もの船を収容するにはちと狭い港なのだ。
先の方に漁師小屋と見えるトタン屋根の作業小屋があって、軒から船を直接引き上げられるようにコンクリートのスロープが海水面の下まで延びている。

このコンクリート構築物はどうやって海のなかに生コンを注入して形成したのだろう。工事を指図した棟梁は祈りで大海原を切り開いたという七聖人のひとり、モーゼ親方だったのだろうか。
ふだん海の近くに暮らさないおしぐれさんには見慣れない風景だから自転車を押して近づくと、潮の匂いに混じって焚き火の匂いも漂っているのがわかった。
ひとがいるのだろうが人影はない。
声も聞こえない、聞こえるのは海鳥の鳴き声だけ。

朝の早い漁師は昼寝タイムなのかも知れない、時計を見ると7時30分だった。もちろん午後ではない。

田部井隊長のアタック隊がエベレスト臨頂登攀を開始したのは午前1時05分。風の止まっているうちの帰投可能タイムから逆算するとこの時間がアタック開始のぎりぎりなのだ。
星は瞬いているが真っ暗ななかで天候と隊員のモチベーションを判断をしてGOの決断をするのが隊長の役目。
あとは仲間のガッツと幸運と日本製機材の揺るぎなきを祈るしかない。

祈りとは人間の最終ウエポン。 MQ‐1プレデター や 利剣 など無機質無人の冷血アタック機とは根本のポンが違うんでえ べらぼーめえーっ!

宗教家のおしぐれさん 意を強くしてガッと踏み出す自転車にはこだわりがある。

1978年、ヴァチカンの中庭に引き出された一台の自転車。
献上されたばかりの黄金のコルナゴに跨った ヨハネ パウロ二世、周りの心配をよそに石畳の上を花壇の端まで50メートル走り、ブレーキを上手に使って後輪を浮かせると鮮やかなラビット ターンを一発で決めた。
たなびいた法衣の裾から風が起こり、ローザマリアの小さな花弁をつけた小枝がフヮーっと揺れた。

カメラ団の前に戻って来た法王の晴れやかな笑顔と黄金のコルナゴの映像はあっという間に地球上を駆けめぐり、宗教の垣根を越えて世界中のひとびとが喝采し歓喜した。

そのコルナゴのジオメトリーをそっくりコピーしたのが、後年おしぐれさんの乗車となったコロンバス スチール製のフレームである。
製鉄が産業としてイタリア ジェノバで始まったときの製鉄会社コロンバス。業種を問わず会社としての創業は世界最古といわれる。
クローム(Cr)やモリブデン(Mo) といった代表的改質元素の他にニオブ(Nb)と呼ばれる希少元素を添加して自転車向けに靱性強度を調整したコロンバス入魂の薄厚星型断面パイプは巨匠コルナゴの工房で溶接され強靭な自転車フレームになった。

おしぐれ号は平民用だから黄金メッキではなく、フェラーリレッドで塗装された。したがって法王号と比べたら格段に軽い。
そう書くとそれまでだが、あんた フェラーリレッドでっせ。そんじょのナニとは格もオーラも違う。

「ベネディクトのやつ、あんな重い自転車をよく漕げたよなあ。しかも90RPMでペダル回しながら両手離しでお祈りなんかしてやがった。
バイエルン生まれのスプリンターは生まれながらの敬虔なる クリスチャン・デ・ビチクレッソなんだねえ」

おしぐれさん、先代ローマ法王とたまたま同じ名前の知り合いの男を懐かしむ。
くり返します、たまたま同じ名前のベネディクトです。
先々代の法王 パウロ二世の自転車メンテナンス係をしていたベネディクトとは、よく一緒に地中海ロードの直線で ”もがき” 合った小坊主仲間です。

ベニーは 「ヴァチカンを卒業したらツールの選手になる」 のが将来の夢でした。
ヨーロッパの少年はみんなそうです。日本ではサッカー選手が夢の第一位のようですが、それは心得違いというもの。

サッカーは舗装された道路の少ない中南米系に任せておくべきで、国中に自転車で走れる道が敷かれた欧州や日本では自転車で世界チャンプを目ざすのが健全な少年のありかたなのです。
ちなみに現ベルギー国王のフィリップ陛下は、皇太子の時代にその健脚をナショナルチーム監督のエディー メルクスから懇願され、オリンピック ロード競技の強化選手に加わっておられます。

エディー メルクスに関しては、ここで多くを書く愚を避けますがベルギーの国家的英雄。わが国で言えば長嶋茂雄・大鵬幸喜です。
自転車とはそーゆーステータスですから、もちろん国技です。
皇太子はイタリア合宿にも参加され、苛酷な石畳の練習ロードを歯をくいしばって走っているところをぼくとベニーは何度も見かけました。
その頃はパールイズミの創業前で、石畳路は地獄のノルマンディーといわれたものです。

ぼくらは地中海ロードのフィッシュ&チップス屋台の前の、少し傾いたバイクスタンドに自転車のサドルを引っかけてからムール貝の砕いた貝殻をコンクリートに混ぜてある防波堤に並んで座り、夕陽を見ながらソフトクリームを食べるのが好きでした。
ぼくが首にさげているVISAカードはソフトクリーム屋でもミラノ ピッツア屋でも使えました。支払いはどーゆー仕掛けになっているのかは今でも知りません。
贅沢品は買ったことがないけれど、そーゆーときには雷のブザーが鳴って閻魔大王が出る。むかし母に言われたことを憶えています。

ぼくもベニーもイタリア生まれではないけれど、ここに座っている間はイタリアの男の子だからそれらしい振る舞いをしなければなりません。
海から吹いてくる気持ち良いシロッコ風が吹き抜ける防波堤に座り、浜辺を歩く金髪ビキニ美女に向けて 「♪ ピュッ ピュー 」 なぁーんて 口笛を吹いたりしていたものです。

でも夕陽が傾き、門限に厳しいヴァチカンの夕食までに帰るためには死にもの狂いで帰路100キロのペダルを踏まなければなりませんでした。
喉がカラカラになっても踏み続け、呼吸筋が 「♪ ピュッ ピュー 」 と鳴りました。大リーグ養成ギブスのような音でした。

それから何年経ったでしょう、たまたま同じ名前のベネディクト16世が第265代ローマ教皇に就任されたとのニュースが遠い日本にも届きましたが、タメ口で語ることの出来る男はメンテ係のベニーのことです。

九艘泊の鼻を曲がってさらに北に行くと左手の視界が大きく開けた。
ここが北海岬、日本のパタゴニアである。
ここより先に道は続いていない、崖に当って行き止まりになる。崖上の森を歩くにしても自転車を担いで崖を登るすべはない。

南米南端のパタゴニア岬には、足元の氷河の端っこに 「地の果て アッチは南極」 と書いた旗が立っていて、それが強風に引き千切れそうにはためく鮮烈な風景なんだそうですが、ここは静かな処だ。
海の先は北海道、西の遠くはロシア。海岸に漂着しているプラスチックゴミにはハングルの文字。

パタゴニアと同じ国際規格の Road End の標識の立つすぐ下の海を見て驚いた。

「びえーっ! ウニがいる 海底の石の上にウニがいっぱい うにうに しているーっ」 

ウニがこんな浅いところに、まるで道の上から黒の碁石を撒いたように、うにうにのウニが普通に見られるとは思っていなかった。
ウニは海女さんが鼻いっぱい空気を吸い込んで、握った昆布を逆にたどりながら潜って行った深い岩場にいるものとテレビの あまちゃん を見て思っていたからだ。

この辺りの海は透明度が高く、深いところのアワビまで海底の様子が見えるがウニは腕まくりして掴める深さにいるのだ、しかもでかい。
殻を少しだけ割ってスプーンでひと掬いして身を食べた後は、硫化硫黄液に漬けてまた海に戻せば小さな傷など忽ち元気になって大きく太りそうなウニちゃんなのだ。

おしぐれさん、自転車を止めてガードロープに立てかけると、靴を脱いで海に入り一個取ろうとロープの下をくぐって水辺に立った。
ウニちゃんはすぐそこにいる。
スプーンはないが笹の葉っぱで代用できるだろう、山側に生えている下北曲がり竹の葉は鋭く硬い。

「キーイ キッキン キッキン キューッ!」

背後の山の崖にしがみつくように生えた高い木にいた猿が、アラート信号を投げてきた。

「ひとが来る、小さな装甲車と中型の戦車が迫っている。海から上がれ! 極めて危険 危険!」

岡の方をふり返ると手押し車を押した婆あさんが道より高い土手の上にいて、手押し車を支えにして倒れないようにしながら額に手をかざしてこっちを見ている。
さらにその奥の方から荷台にのぼり旗をおっ立てた軽トラが、ガタピシしながらこっちに近づいて来る。
荷台ののぼり旗の横には鋭くて長いモリが縛りつけてあって、ガタピシ揺れるからキラキラ光っている

「なんだい 人がいるんじゃないか」

おしぐれさん のんびりそれらを見ていたが、

「えーっ 密漁取締り監視車 って書いてあるよ。密漁ってワシのことかね」

一切を合点したおしぐれさん、腕まくりをした両手を海の中に突っ込んだ。
ひえーっ そんなことをしたら密漁行為で検挙されるか、悪くしたら漁師のモリで突き殺される。

「おーい オメさん そごで何してんだあー こごはおらほの漁協の特別漁圃場だで よそ者は入ってはなんねーだ! もーじき けーさつが来っから そごを動くな!」

軽トラから降りてきた爺さんが海に向かって大声でいう。腰には鉈まで下げている。
もしかしたら背中に村田銃を背負ってんでねーのけ。

聞こえたのか聞こえなかったのかおしぐれさん、海に突っ込んだ手で両手一杯にすくった水を思いっきり顔やカラダにブチ当ててバシャバシャ洗う。水底のウニが驚いてうにうに逃げる。

滴をポタポタ落としながら道路に上がってきたおしぐれさん、手には何も持っていないし裸足に裸同様のサイクルウエアだから隠すものもない。
爺さんは腰の鉈に手をかけたまま睨んでいるが、近づいては来ない。
おしぐれさん、ゆっくりした動作で自転車のパンク用品入れから小さなタオルを取り出し濡れた顔やカラダを拭いていると、おしぐれさんの来た道をサイレン鳴らしてパトカーがやって来た。見覚えのある青森県警のミニパトだった。

「あいやー おめさん、福浦のー ぬいどう石山のー デカチン プロライダーでねえすか? こったらどこまで トレーニングだすか。はっちゃ ごくろーさんだすなあ。
爺ぃーさん、おめ 早とちりしてはなんねーだ。このひとは有名な自転車選手でなあ、しかも偉い坊さまで福浦のドライブインの陰のオーナーだあ。そのうえ旅行作家の先生でもあらせられる。
見でみろ! 海で汗を洗い流していだだけでねーが、このっ! えーが おらだぢは忙しーんだがら 思い込みでいぢいぢ呼ばねーでけろ」

ミニパトは生活安全課のあの二人組だった。
おしぐれさん 一言も釈明しないまま嫌疑が晴れて、ミニパトは帰って行った。
というよりこの二人組、おしぐれさんには出来るだけ係わり合いたくないという表情ありありで、無線機をがーぴー言わせながらそそくさと行ってしまった。本編には単にちょこっと出演してみたかっただけなのだろう。

「ほれみろ 爺ぃーさん、おらも言ったべしよー このひとは密漁者ではねーって。
濡れたシャツから透けて背中の彫り物が見えるっちゃ、同行二人 と彫ってあるべっちゃ。
この岬さまでわざわざ来たよそのお人で、同行二人といったらばあー このひとと弘法大師さましかいねえっちゃよ。おめ ケーサツなんか呼んで 罰ち当りな爺ぃーさんだなあ。
天罰が下らねーよに おらが拝んでやるだに」 

手押し車に寄りかかり、倒れないようにしながら婆あさんが両手を合わせて念仏する。
安心した猿たちが木から降りておしぐれさんの後ろに集まってきた。

「かんべんしてけれやー 旅のひとー。 おらもなあ 見張りの猿が鳴かねーがら いづもの密漁団とはちーっとばがし違うなあど思っていだんだあ。密漁団はボートで沖から来っかんなあー。
オメさま 猿語も分んのけ? てーしたお上人さまなんだなやー。 したらば おらは帰えーっからよー 罰ち当てねでくろっちゃー」 

結局、おしぐれさんはまったく無言のまま 爺ぃさんも婆あさんも去って、またひとりになった。
北海岬に静寂が戻り、逃げていたウニが浅い石の上に戻ってきた。
猿たちが小石の浜に降りて亀の手を拾っては器用に殻をむいて食べている。これは漁師が種を撒いたものではないので獲ってもいいようだ。

そのとき、静かだった崖の樹上から再びアラートが鳴った。

「八戒がくる! みんな上がれ、樹に登れ」

浜の猿たちは一斉に走って樹に駆け上がった。
逃げ遅れた子猿がおしぐれさんの背中に飛び乗った。戻ろうとしていた母猿はそれを見て高い樹に跳び移った。

「ガサガサガサァーっ」

音のする方から一匹の大きな牙のイノシシが一直線に崖を駆け降りてきておしぐれさんの前まで来た。
全身汗まみれ泥まみれ、鼻や耳や牙に蔦や蔓が絡んで吐く息荒く 悪鬼の形相。

「キキキッ」

小猿が怯えておしぐれさんのアタマの上まで這い上がる。それを捕えてジャージの胸に押し込むと小猿の震えが止まった。

「八戒 どうした。 柵を破って来たのか?」

「ハイだす、おらだってやる時にはやるよ。おしぐれさん 無事でよかっただすーう」

イノシシから悪鬼の気配が消えた。

「密漁監視車に追われでいなさるっちゅう 知らせがあっただ、おらあ三回目の体当たりで柵をブチ破って走ってきたんだあ。
おらが猪獅子から受け継いだ下北のシマで おしぐれさんにもしものことがあったれば、おらはフクシマの仲間から恩知らずの 意気地なしの 卑怯者の 大飯ぐらいと言われっちまうだ。
おしぐれさんがフクシマのイノシシのことをキチンと正確に書いてくれたことが ローカル双葉 民友新報 に載って、なんぼ勇気づけらてたことかってアッチの仲間から便りがあっただよう。
おらは字が読めねえだが手下には学問のできるヤツもいるんでさあ」

「八戒 ついて来い、海でカラダを洗ってやる。 小猿 おまえも手伝え」

「キキキッ」

小猿がジャージの胸元から顔を出し崖の木々から母猿たちも降りてきた。

北海岬、ここの浜と崖が北限猿の越冬と子育てのために秘匿された本当の場所。だが地図にはもう少し南に寄った脇野沢と記されている。
環境省も青森県も Zenrin地図も、担当者はそのことをよく知っているが黙っている。そして Road End の標識の先は空白に染められている。
よって読者諸氏よ、口外はなりませぬぞ。

八戒の汚れたカラダを海水で洗うと茶色い流れが起きて、それはウニの栄養分なのか うにうにうにうに 黒い碁石が集まってきた。囲碁なら白の一手総取り勝ち。


北海岬 おわり。


次回には下北半島の首根っこ地帯に戻って、核燃サイクルロードの環状線をひとサイクル終える予定でした。
ところがつい先日、恐れていたことが現実になりました。
サイクルエイド JAPAN の実行委員会から2014の開催案内に添えて、前回上位完走者であるおしぐれさんに対し 小癪にも 「果たし状」 が送られて来たのです。

原籍地を出奔中でしたからそちこち回送されて、お尋ね者のおしぐれさんの許にやっと届いた封書には経由地郵便局のスタンプが何個も押され、なかにはパタゴニア経由南極昭和基地特設郵便局なんてスゴイのもあってお宝鑑定団に出したいほど。

果たし状を突き付けられて 「腹が痛い」 と言っては 「逃げるか 臆病者め」 のそしりは免れぬ。

「ふっふ 片腹痛いわ 若造め 返り討ちにしてくれようぞ」

んな訳で、しばらくは筆を置いてトレーニングに励みます。じつは今年に入って股関節が変なんです。
でも言い訳しないのがサムライライダー 鉄の掟。
コースの猪苗代といえば旧會津藩ゆかりの地ではないか。

おしぐれさんは受けて立つことにしたのです。今年こそは新式村田銃にやられて果てるかも知れん、どっちにしろ果てるまでは走らんばならんのや。
新式カーボン勢を一台でも多く斬り崩して果てたなら、コロンビア CrMoスチールの切れ味と冴えの今も変わらぬことを先に逝ったベニーに届けられる。

雨で練習ロードに水が上がった日には昨年同様 「おしぐれさんの CYCLE AID JAPAN 2014 old rider かく戦へり」 をお届けしましょう。

それではみなさん ごきげんよう
おしぐれさんの熱きモチベーションにどうぞご期待ください。

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おしぐれさんの ロード歳時記 episode10 「人斬り峠」 パート 4
2014/05/19

大そうな宴席が用意された源さん民宿の”会見場”。 上座に案内されたおしぐれさんが金屏風を背にして二枚重ねの座布団に座ると、なかなかのお上人さまでございます。

パリッと糊の効いたゆかたは大変よいのだけれど、峠でそちこち刺された虻の痕が温泉で温められて赤く腫れていて、そこが糊に擦れて痛痒い。
ゆかたの胸元から期限切れのVISAカードを吊るした細い紐お数珠が覗いている。

昔 小坊主の修行に出されるおしぐれさんを不憫に思った生母が首にかけてくれたカードだ。
そのとき母のあるおしぐれさんを羨ましそうに見ていたのがお供となった犬猿雉である。彼らに吉備の団子を分け与えたのはじつはおしぐれさんの母親だった。

「この子はお調子もんだで心配じゃー、皆んなー 頼んだでやー」

動物語が話せる生母は、当時としてはハイカラなマリアという名前だった。

その後そちこち旅をして、ローマ法王が裏書してくれたカードはなぜか50年以上を経てもコンビニのレジで使えるスーパーさである。
紐お数珠はダライ・ラマ師がカードに通してくれたチベット山中のレアメタル紫曜石。
長年の汗と脂が沁みたうえに心拍の振動と熱で炭素化しカラードダイアモンドになった。渋い輝きを放っている。

民宿のおかみさん すなわち源さんのおっかーがおしぐれさんを見て思わず手を合わせたのは、そのお数珠の威光である。おしぐれさんのお上人ぶりに手を合わせたのではなかった。
まだ修行が足りておらんようです。

おかみさんの実家は青森の木地師で仏具も作っていた。子供のころからお数珠を見れば手を合わせるのは習い性だった。
そうしないと木地師の父親から材料を寝かせておく真っ暗で恐ろしい蔵に閉じ込められるからだった。
何年も生地のまま寝かされる仏具用の印度産 堅木地からはよい匂いがした。暗いなかでひやりとした木目に触れると仏さまの輪郭が指に伝わって、少女は恐ろしさが消えた。

こーゆーひとと長く話すとおしぐれさんの似非坊主が露見しそうだから、何はともあれ宴会を始めることにした。

料理はお上人さまの下命通りにイノシシ抜きの山海の珍味。
酒もイカンということで般若湯を隠した竹筒から青竹の芳い香りがしている。
脇野沢は北限猿の越冬地として知られるが近海漁の漁港としても有名なところである。源さん民宿は山の部に属する猟師民宿。見たことのないキノコや蕗も並んで芸者衆も到着した。

「はいはい ご免なさいましよ。 いやいやいやー お上人さま 大旦那さまあ〜、 こんち また けっこうなお席でげすなあー」

太鼓持ちは良助どん、このひとは鉄砲の名手だそうだが幇間職もよく似合う。

村に芸者置屋はないのでむつ市内に住む源さんの娘がふたり、俄か芸者となってやって来た。
魔界の虎に憑りつかれた父親の窮地を救ってくれるというお上人さまにサービスをしろと源さんの厳命である。
ふたりとも市内の剣道場で一刀流 薙刀 (なぎなた) の師範だという。茶髪にロングスカートのヤンキー風師範である。

ひとしきり賑やかに飲んだところで 語り部 源さんの 「斗南藩哀史」 が始まった。
このひと会津ゆかりの者なのか徹頭徹尾の會津びいき。
戊辰の役のあと会津から下北に減封されて斗南藩となった旧會津藩への肩入れが程を越えている。戊辰戦争は會津の敗戦で幕を閉じたとは言わない、発展的撤退と美化する。

その点では自転車乗りが 転んでも ”落車した” と言い張るのと一脈通ずるものがある。だが史実や年譜の逆転などにお構いなしなのは如何なものか。
魔界の虎に憑りつかれた男にしては何ともお気楽な男である。
その点でもおしぐれさんと一脈通ずるものがある。こーゆーひとたちが知り合うと発展的展開は爆発的展開に … ならなければよいが ‥ 。

ちなみに会津は地名を、會津は会津地方の人や文化を顕しているので混同してはならないのだそうだ。

哀史というくらいだからご陽気なハナシではないと予想はしていたものの、それはそれは悲しくも哀しくて何処かがおかしい。
そーゆーハナシであったから聞かされる方のおしぐれさんは般若湯が大いに進んだ。

話す方の源さんも飲みながら喋るからなのか、普段からそうなのか、何処までが史実で何処までが創作で、そのうちの何処が 法螺ばなし なのかの境界が判としないという点ではあの名作 「おしぐれさんシリーズ」 にたいへんよく似ていた。

でほらくばなしには慣れているから法螺ばなしと与太ばなしの区別はつくものと、多寡をくくって会見場に臨んだペテン師おしぐれ上人であったが、それを上回る源さんバナシの幻惑効果に酔いは激甚であった。
魔界の虎を退散させるほどの法力を有するおしぐれさんであったが、源さん民宿の密造般若湯は またたびの実 が原料なのか虎も静まる催眠酒のようですっかり眠たくなった。
それほどに源さんばなしは面白くなかった。
カヨちゃんのドライブインに居候していたときに見たNHKテレビの 「あらすじ版 大河ドラマ 會津の桜」 の中味を會津有利に改編した 贔屓の引き倒し ばなしだったからだ。

「お上人さま 聞いてっかあー 目ぇー開けろし。
ほりでぇー よう、 国界いの山さ越えようど峠に向がう若侍さに、伝家の宝刀を振り上げだご家老はどーしたかってえー ハナシの続きだがや」

「次の休みのホリディー に藩士たちと山梨さ行って ほうとう を食うべえ、これがほうとうの(本当の)コミュニケーションだあ というごとになったんでげしょー。
さっき 聞いたがやー」

こちらもすっかり良い心地の良助どん、むつかしい漢字は読めないのになぜかカタカナ語の駄洒落を言って、幇間の仕事は果たしている。

「馬鹿こくでねーど 良助、おめ 知ってっかー 廃藩置県をこれがら進めっぺってー時代によ、遠い甲斐の国さーまで行っで ほうとう 食って その日のうちさに帰えーって来るごどなんか出来っかあー。
週休二日も北陸新幹線も関越道もまだねえー頃なんだどう。 この放蕩やろーめー」

「そごだあ 源さん旦那、斗南藩士はよ ワープっちゅう術が使えだんだ。人切り峠の頂上神社には 「どごでも ドアー」 ってぇ仕掛けがあってよ、そっからピューっと どごでも行げだんでげしょー。
だども 行ぐのはええんだけんど、「帰りの ドアー」 っちゅうのがねえんだなあ これ」

「そーなんだ、おめ よぐ知ってんなあ。 帰りがねーがら 藩士の数がどんどん減っちまってなや。業界用語で 脱藩 とか フケる ちゅうらしいが 坂本竜馬の発展的脱藩道 とは微妙〜に違う。
ところで おめ、藩の最高機密の 「秘術 どごでもワープ」 のことをなんで知ってんだあ。
ははあ〜ん おめ、幇間に化けた敵の間者だなあ、このやろ 伝家の火縄銃で撃ち果たしてやる。 おっかーっ! 種子島を取れえーっ」

「なにを申すか 老いぼれの會津爺いめー 指が震えで火縄に火が点くまいよ。 
正体がばれっちまっでは仕方がねえ。 えーが! おらほには新式村田銃があるだ。 熊撃ちマタギをなめんなよー」

「あにー 村田の銃とな! 我らが聖城 鶴ヶ城に砲弾を撃ち込んで来た薩長の銃が村田ぞ。この裏切り者めー。
おめ、マタギと言ったな? そーいえば おめは秋田がら婿に来たんだったなあ。 あんとき口を利いてやったのはオラだぞ。 この恩知らずめー」

「なにおーっ 恩知らずと言われようと裏切り者とそしられようと、耐えて生きるが忍びのつとめ。
秋田マタギの哲学をまっとうし 斗南の陰謀を生国に伝えるまでは断じて死ねん」

良助どん、角帯の背中に差した太鼓のばちに似せて隠した小型銃を取って水平撃ちの構え。
それを見た源さんの娘らが忽ち父をかばって前に出て、素早く三味線の棹を払うと中から仕込み刀が現われた。それを棹につがえて閉所戦闘用の小薙刀となる。

「さては さては 間者め、秋田佐竹家の密命を帯びておったか、拙者としたことが迂闊であった。
秘密を知られたからには此処から出して成るものか。
おっかー! 仏間のなげしから伝家の宝刀 會津双龍の槍を取れえーっ! 娘たちーっ 抜かるなよっ! 會津日新館 免許皆伝 誉れの一刀流 薙刀の冴え、見せるは今ぞぉーっ!」

会見場ははからずも會津対秋田の決戦場と化してしまったが、この日二度のヒルクライムに疲れたおしぐれさんは座布団を枕に眠り込んでしまった。
座布団とはいえ布団で寝られるのはこの後しばらくはないのだろう。 おしぐれさんの旅は続くのであった。


明治新政府によって戊辰の役の改易から藩の再興を許され、極寒下北の現在のむつ市大湊辺り、過疎な原野地に名目3万石(実質1.5万石)の領地を得た元會津藩の斗南藩だったが、
會津での旧領地が33万石(実質45万石)との圧倒的な格差に落胆した藩士が脱藩したり、貧困が原因の藩士同士の対立が相次ぎ、基盤の定まらぬまま結局は廃藩置県によって斗南藩は消滅した。

徳川直系の會津松平家が下北に減封されるに際しては、新政府より会津にほど近い猪苗代湖周辺にも同じ3万石で候補地が示されたという説もある。
誇り高き會津藩が断固猪苗代を蹴って、あえて寒風吹きすさぶ下北を選んだ訳にも諸説があって有力説が定まらない。
それらは歴史家の考察に任せるとしても、朝廷の真筆の信任状を持ちながらも戊辰の敗戦により朝敵とされ、汚名を背負ったまま謹慎地の秋田から船出して海路むつの大湊浜に着いたとき、
彼らの見た風景はどんなだっただろう。

黄金色の稲穂が磐梯山の風に揺れる會津の郷を見慣れた藩士の目に、下北で最初に映った景色は熊と狼と猿と、猪と鹿と蝶が跳ねまわる茫漠の原野だったのだろうか、
それとも此処を足掛かりに蝦夷に独立国をつくる希望の大地だったのであろうか。

後者であれば蝦夷への最短岬は大間である。
夏場ならヒバの大木に掴まって泳ぎ渡ることの出来る距離である。現に酋長モグールに従った灰色狼の群れが泳ぎ切っている。
大間崎への街道を開こうと若侍たちが峠に挑んだ理由は理解できる。

現在でもむつから大間に向かうルートはふたつしかない。ひとつは下北を真っ二つに縦断して風間浦に出る山路だが中間地に恐山の要害がある。
ここは摩訶不思議の別地だから避けるとすれば残るは半島西側を海沿いに行き、脇野沢から人切り峠を越えて仏ヶ浦を通り大間に至るルートである。
峠には魔界からの使者のような虻が今でも待ち構えているが、ここを運よく突破できれば仏ヶ浦には弁天さまのようなカヨちゃんがいる。こちらのルートをお勧めいたします。

明治2年、斗南藩の上陸当時の峠には名前などなかった。
人切り峠の名がついたのは本編に書いてきたように辛く哀しい事実があったればこそ。
通過の際には山頂神社へのお参りをお忘れなきよう。またその際には帽子長袖長ズボンの着用を強くお勧めいたします。

また麓にある道の駅 わきのさわ にてキンチョールのアブコロリを購入することが出来ます。
会計の際に 「會津」 と渋くひと言 ”合図ワード ” を呟くと割引が期待できると源さんが言っていましたが、どうでしょうかねえ。


「人切り峠」 おわり

前章 パート 3 に添付の画像が、より本章に合っていましたかな。
次回予告は 「北海岬」

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おしぐれさんの ロード歳時記 episode10 「人斬り峠」 パート3
2014/05/16

峠の下りをモチベーション全開で降りてきたおしぐれさん、村が近くなったのか道に沿った山の斜面にイノシシ牧場の柵が続いているエリアに出た。

脇野沢のイノシシ牧場は、猪豚でない純血のニホンイノシシが自然の地形を利用して作られた広大な柵内の山野で人間による半餌付けの環境で暮らしている。
”半餌付け” とは誇り高き野生動物にとって屈辱的な言葉であろう。
人間はそれほど偉いのか、許しがたい思い上がりだ。との思いもござろうが、適語がないので使わせてもらった。ご容赦願いたい。

寒冷不毛の下北では陸奥湾の南東側から来た農民が入植を開始した昔から、人間の主食である穀物の収穫が期待できる土地は僅かだった。
そこで収穫見込地の耕作権を人間が占有する見返りに、実りの一部を動物たちと等分に分かって両者の安全を図る知恵は当然の帰着だった。

明治新政府発足の頃になってやっと文書での記録が残るようになったのだが、相当昔からそのシステムは完成していたと考えられる。
明治後期になって、穀物の種類別に分け方の係数を動物の体重で勘案した緻密な書き付けが、脇野沢の農家の古い納屋の梁柱で発見された。
その書体から考察すると書かれたのは鎌倉時代と推量され、その時代すでに日本の農民は下北の西部にまで到達していたということになる。

これは日本農業史の年号譜を書き替える大発見だったのだが、折りからの日露戦争勃発により供出する軍馬の増産令を受けて納屋は産馬小屋に改築され、梁柱の書き付けは初産雌馬の歯に削られて消散した。
そのことを知っているのは、当時太陽系からひとつ外側のM16冥惑星より宇宙船コルナ号に乗って地球を目ざしていたおしぐれさんが、丸窓から遠眼鏡でのぞき見た記録だけである。
手書きの記録だからISOに合致していないと、ニッポン中央ナントカ院はいまだに学術的価値を認めていない。
小保方博士と同じ忸怩の思いは、この国にあっては当分続くのだろう。

下北の動物たちの中で熊は人間からの扶養を嫌って深い山中に消えて行った。
もうひとり、孤高の雄 日本オオカミ最後の酋長といわれた灰色狼のモグールは、人間の提示したシステムそのものを拒否して仲間たちを引き連れ大間崎から荒海の18.9kmを泳ぎ渡り、北の蝦夷地へ去って行った。

明治あけぼのの時期に北の大地でアイヌのひとたちに畏敬をもって語り継がれた酋長モグール率いるヤマト狼とオホーツク系プーチン狼との血戦だが、ヤマト狼がじつは下北の出自だったと書いたのは本邦において本編が最初である。
いずれ 「おしぐれさん 北海道へたれ旅」 を書く際に明らかにするとして、今回は内地残留を選んだイノシシ君に登場願う。

熊と狼が人間と決別したのに対し、村の近くに残ったイノシシや猿は意気地なしの代表のように解釈されるが、そうではない。
彼らには、彼らなりの緻密な計算があったのだ。

イノシシは人間に付かず離れずの距離でいないと食いものにありつけないことを知っていた。
山の木の実より根菜類を好み、特に人間の耕作したイモ類は大好き。
畑を掘り返すに適したシャベルのような鼻を持っているのはそのためだ。
時に鉄砲で撃たれて人間に食われることがあっても、子だくさんだから群れが絶えることはない。

群れがしばし住み着いて踏み抜いた村近くの泥地には虻やマムシがいなくなり、新しい田んぼとして人間が利用できた。
新田開拓のパイオニア的役割を果たしていたから人間とはギブアンドテイクの関係だった。

フクシマで不幸な事故があったあと、あの地域のイノシシはひとのいなくなった村に降りてきて農地が放棄されていることに困惑したが、字が読めないので事情を読み取れないまま空家周辺に住み着いた。
山にいてもよかったのだが村には親戚筋の色白で色っぽいメス豚が残されていたので、彼女らの面倒をみてやらねばと親切ごころから村に住み着いてやったのだ。

雑食性ばかり喧伝されるイノシシはそれゆえ賤獣のように言われる、シロアリや蜂の巣まで食べるからだ。
フクシマの空家地域の家屋と土地をシロアリや熊ん蜂の蔓延から彼らが専従で守っている事実は語られていない。
住民が避難して遺棄されていた飼い豚に子を産ませ、それがF1のイノブタとなってさらに荒廃化が進むと盛んに云われているが果たしてそうだろうか。

イノシシもイノブタも日本の動物界では大型の生きものである。大型獣が喜々として走り回る大地は荒涼の廃野なのだろうか? 
逆ではないのか、彼らが踏み広げた大地はやがて豊穣な農地に帰るのではなかろうか。懸念されるナントカ ベクレルというヤツも彼らに任せておけば、やがて消えるのではないか?

イノシシは雑食のノンポリシーと云われるが最も好む食物は意外なことに小さなミミズである。柔らかで食べやすいうえに動物たんぱく濃厚。しかも畑の土のすぐ下に豊富にいる。
ミミズは地面下にいて土中にトンネル状の穴を空けながら進む。
腐葉土を食うから穴が空くのだが、後ろに残してゆく糞中には土壌に有用なバクテリアと腐葉土のミネラル、それとたっぷりの酸素と窒素が含まれている。

モグラも土中にトンネルを構築することで知られている。
掘削工事の専門会社がモグラをモチーフにした社章を作ったりするが、コーポレーテッド アイデンティテーを制定するならモグラよりミミズでしょう。
なぜなら、モグラがひと掻きで排出する土の量と進攻速度はミミズの数百倍だが、哺乳動物の常ですぐに怠ける。居眠りはじつに18時間に及ぶ。

一方 無脊椎生物のミミズには疲れるというコンセプトもカテゴリーもないから一日中掘り進む。直径2ミリ程の穴なので、人間が踏み抜いて足首を捻挫したなんて間抜けなハナシもない。
一匹のミミズが一年間に土壌改質を行う面積と体積はモグラのそれを数千倍も凌駕するのだ。

ミミズのいない土中のナントカ ベクレルを1とすると、ミミズの這い回ったあとのそれは1年間で0.9になるという計算がある。
誰の計算に依るかというと、それは精巧緻密な冥惑星式暗算の名手といわれるおしぐれさんだ。だから相当に信頼性のあるハナシだ。

ミミズにはかわいそうだがナントカ ベクレルの土中を進むので事故前より個体は疲弊する。だが死ぬ前にイノシシに食われて生の輪廻をまっとうし、ミミズは満足して神に召される。
ミミズを美味しく食ったイノシシにナントカ ベクレルが蓄積するのは否めない、しかしそこは気合で跳ね返し子供をたくさん産んで大量のミミズを食う。
食われるミミズは世代交代のサイクルがどんどん回ってどんどん土中を掘り進み、廃炉が終了する40年を待たずフクシマの大地は聖潔清廉な土壌で満たされる。

40年後の時点でイノシシとF1イノブタの子孫たちがどうなっているかというと、彼らは掘り起こして食べたミミズといっしょに土中の亜鉛や沃素も知らず食べているから甲状腺異常など起こっていないことが確認され、大地再生の第一功労者として立派な銅像が双葉町の海を見下ろす高台の公園に建てられる。
そのデザインは渋谷駅前の、あの銅像をモデルにした大そう立派なものである。

さて話しを下北に戻そう。

自転車のタイヤ音に反応してひときわ大きなイノシシが跳び出して来た。牙の大きさが半端でない。
眼の高さまでしゃくり上がった自慢の牙を見せて戦闘能力のパフォーマンスを誇示している。こいつが群れのリーダー 「八戒」 のようだ。

彼のことは福浦崎の ぬいどう石山 でボス猿ベンツから聞いていた。
ベンツ自身 自分の子供たちだらけで息苦しくなった大分高崎山を出奔して以来、下北まで旅している間に大分では死亡説が流れ葬式まで行われていた。
騒ぎをよそに老猿は下北の群れの質素な暮らしと北の猿気質のおおらかさと気高さに惚れこんで、ここに居着く決心をしていた。
大分時代にノウハウを得た えぐみ のある草の実のアク抜き法などを群れに教授していたら、いつの間にかボスに推挙されてしまった。

「今さらボスは気が重いが、厳寒下北の群れに若手の有能な猿が育つまでの仕事と思うておる。 間もなくわしにもお迎えが来ようがオオウラヒダイワタケを食って長生きしておる」

大ボス ベンツ行方不明の真相はこーゆーことだった。
さらに彼は続ける。

「イノ公の八戒は少々お馬鹿だが根はいい奴なので、つき合い方次第ではここ一番のときの強い頼りになる。馬鹿力は いの一倍 だからなあ。
ただし、彼の群れは村の有限公司に管理された柵の中のコミンテルなので、出来ることと出来ないことの境界が実にハッキリしている。
それは 「潔よし」 という日本的感覚からすれば武士道のカガミなのかも知れんが、わしは好かん。

樹上の生きものは己の判断一丁だけで生死を分けるとき、ケツの底から生への感動が湧き上がって掌に汗が滲んで来る。だから樹木の枝を掴んだ手がスリップしないのだ。
地上にいて、しかも果てには柵のある環境に甘んじていてはこの境地は得られない。
これは我らが父祖、孫悟空がお釈迦様の示す両手の掌の距離を限界として千万回 錦斗雲に乗って往復し、ついに千万百一回目に掌を突破して会得した奥義なのじゃ。

だからといってイノシシを軽んずるものではないが、やつらの猛進猪突で開いた柵はない。
人切り峠で死んでいた猪獅子は、群れに属さない破天の志士じゃった。 ひとり森に棲む猪武者の獅子じゃった。
わしは何度も彼とマムシ酒を飲み、カジカの素焼きを塩も醤油もなしに食った仲じゃった。 彼の無頼の生き方が好きじゃった。

おしぐれさん、あんたが弔いに詠ってくれた寿限無のお経はよかったぞ。
あんた終生の名お経だったなあ、口から出まかせにして傑出の出来じゃった。彼は満足そうに尻尾を振って涅槃に召されて行った。彼に代って礼を申す。

おしぐれさん、あんたがフクシマのイノシシを擁護する発言の真意はいまいち分らんが、それらは900キロ離れたここの牧場にも伝わっているから歓迎してもらえるだろう」

ボス猿ベンツは何でも知っていた。彼ほどの老練なリーダーを得て下北の北限猿はこの後も清廉に生きてゆくことだろう。
そういえば尻屋崎の丘で太平洋から吹いてくる風に向かって雄々しく立つ寒立馬のリーダーは、かつてドン・キホーテの乗馬だったロシナンテの名を引き継いでいるそうだ。
ナンバー2のキタノマキバオーを従えて威風堂々の佇まいとか。

少し品位は下がるものの、イノシシ牧場のリーダー八戒にとって眼の上のタンコブだった柵外の帝王 猪獅子が人切り峠で死んだので内心晴れ晴れしているだろう、今訪問するのは適時といえる。

柵に沿って走りながら片腕を突き上げてガッツのポーズを見せると、喜んだイノシシ八戒、柵にカラダをブチ当てながらおしぐれさんの自転車を追いかけてくる。
「オーレ! オーレ!」 と吠えながらどこまでも追いかけてくる。

その熱狂のさまはツールのマドン峠で自国の選手を追いかけて緑白赤の三色旗を打ち振るうイッターリアーノのようだ。
一方 青白赤のトリコロールは地元フレンチ カンカン娘、へそ出しコスチュームで踊り狂う。
そこにネザランドだのエスパニアーニだのが乱入して大変な騒ぎ。
 
そのような ご陽気騒ぎのイノシシ園が道のすぐ脇にある。さすがは下北脇野沢、旅人のもてなし方がワイルドだ。

哺乳類なら追いかけられても、おしぐれさんはバイリンガルだから大丈夫なのだ。
ダメなのは虻や蜂など昆虫と爬虫類。
卵生及び卵胎生の生きものとコミュニケーションできないのは生国の冥惑星にそのような生物がいなかったからだ。と本人はいうが何となく まゆつば 臭い。

「見たかイノ公、どんなもんじゃい! ブレーキのゴムなんざチィーットもすり減らしておらんぞ」

確かにブレーキはすり減っていないようだが肩とひじと尻がすり減って血が滲んでいる。
どこかのカーブで派手に転んだようだ。
ただしサイクルマンは転んだとは言わない、誇りを込めてプロ用語の 「落車した」 と言う。はたから見れば同じことなのだがモチベがぜんぜん違う。

「カサブタは1週間もすればなくなるが、すり減ったゴムは元に戻らんからなあ。シマノの純正はよく効くがお値段が高いんじゃよ」

イノシシ園の柵の終点にレストランのような建物があった。「道の駅 わきのさわ」 と看板が出ている。

「やっと人間に会える、半日ぶりだ。だけどまたワープして変な処に出たんじゃなかろうなあ、脇野沢に間違いないんだろうなあ」

”湧きの沢”だったら魔界の入り口だ、沢の大出水で自転車ごと押し流されてしまう。
恐るおそる駐車場に入って行ったおしぐれさん、一台だけ止めてあった軽トラの荷台に虎の足首が挟み付いたままのトラバサミを見て驚いた。
よく見ると虎と思ったのはイノシシの大きな後ろ足だったからだ。

「こっ これは! 猪獅子の足じゃあないか。 こんな大きなトラバサミだっとは、これはワシントン条約違反のサイズと残虐性だ。許せん、猟師をとっちめてやる。
だが、今すべきは 命と引き換えにワシを救ってくれた猪獅子の足を彼に帰してやることだ。
足が一本足らんでは天国の階段を歩きにくかろう。
僧侶としての務めでもあるがその前に、命をもらった者の務めじゃ、荷台にいつまでも転がしておいていい訳がない」

荷台の隅に転がっていた金テコをトラバサミの歯と歯の間に差し込んで力一杯こじると、乾いた血がこびり付いた足がボロッと外れた。
おしぐれさん、それをジャージの背ポケットにねじ込んで自転車を押し出すと、今来た道を取って返して峠の見える坂の登り口まで一気に走った。

ここまででも相当の登りだった。すでに力を使い果たしているおしぐれさん、峠を見ながらついに失速して落車した。
きょう何回目の落車なのだろう。
擦り傷は大したことでないのだが背中の猪足と一緒に尻もちをついたから猪の血の最後の塊りが吹き出しておしぐれさんの背中から腰は真っ赤な血で染まった。

「猪獅子よ、へたれなワシを許してくれー、もう登れない。 ここから投げるでよー 受け取ってくれえーっ!」

そう叫ぶと、猪獅子のむくろがあるはずの峠の方向の谷間に向かって足をふんばり、力の限りに血のりの猪足を放り投げた。

輝きを増し始めた夕陽を浴びて飛んで行く猪足には赤い羽根が生えたように見えた。それは長い尾を曳く血の航跡だった。
どんどん飛んで行って風を受け、一度高く舞い上がってやがて深い谷間に吸い込まれ、消えて行った。

そのあとを一匹の大きな虻がシューッと追って行くのをおしぐれさんは見た。だがなぜか恨む気持ちにはならず、生あるものの生きざまだからそれでいいと思った。

道の駅 わきのさわ の駐車場に戻ると隅に融雪用のホースを見つけた。
お店から出てきたふたりの猟師が裸になってカラダを洗っているおしぐれさんを見て驚いた。

「オメさん どーしただねその血は! クマとでも戦っただかね?
救急車呼んでやっぺか? といっても むつ から来るで 小一時間かかるがよう。具合悪りーようならオラの軽トラで送ってやってもええだよ」

「いやー 源さん 警察のほうが ええんでねえがあ、このひと あすこに貼ってあるポスターに似でるんでねーがや。あれはお尋ね者の手配書だっぺ?」

もうひとりがヒバの間伐材で作った大きな掲示板を指差す。

「良助どん、そーゆーごどを言ってはなんねえど、このおひとの背中を見でみろし、『 同行二人 』 と彫ってあっぺし。
こりゃー おめえ 弘法大師様と一緒に旅をなさっておるという意味だあ。悪いひとのはずがあんめーよ」
 
「そーがね。 だども源さん、 おらはムツカシー漢字は読めねえだがら 虻に刺された痕 にしか見えねえなあ。良くって ねずみ男 の絵だな」

「あー おほん。 そこもとふたり、何を申しておるか、ワシはお尋ね者でもねずみ男でもないぞ。
ワシに似ておるというポスターとはカンヌ映画祭のグランプリ 「親鸞の旅路」 のポスターであろう。じつはワシに親鸞上人の役で主演の話しもあったのじゃが、僧侶として一企業の興行の片棒を担ぐわけには参らぬと断った経緯はある。
映画はその後 仲代達也 の主演で完成したんじゃ。ワシが主演しとったらゴールデンパルムドール賞を獲得したであろう」

「げっ! オメさまはお坊さまかね? したらば 親鸞上人のお仲間かいね。
そーゆーおひとが その刃傷のさまは如何なされたとかいね?」

「うむ この先の人切り峠でいささかのことがあってのう」

「びえーっ 人切り峠を自転車で越えて来なすっただか? そったらおひとは親鸞さま以外にはいねーだよ。なあ良助どん」

「んだ、 あっこは窓をぴったし締め切った軽トラ四駆でなければ越えられねーだ。
歩きの旅人はみぃ〜んな 人食いアブに食われっちまうか、はぐれイノシシに突き殺されるか、どっちにしても生きて峠さ越えた者はいねえだ。なあ源さん」

「昔か〜しぃ 斗南藩のお侍衆が新天地の蝦夷への近道を開拓すべえと、お上に内緒で登っていっては何人も死んでいるだあ。
それもなあアブの大群にやられて気が変になってよ、仲間同士の斬り合いになって死んだんだあ」

「んだぁー あっこのアブの毒はアブねえだで、下北のもんは決してひとりでは近づかねえだよ。まして自転車でなんて正気の沙汰でないとよ。
あに? 今日は土曜で サタデナイトよ だと! オメさん ホースこっちさ貸せ、アタマから水ひっかけてやるだ」

「オメさん お坊さまなら斗南藩興亡の 哀話ばなし ば知ってっぺや?
あに? 知らねえだあ。 詳しく聞かせてけろだとー!」

「 … 」  (おしぐれさん無言)

「よぐ聞いてくれだなあ〜 旅のひとー。 オラはよ 村の教育委員会の嘱託の語り部だっちゃ。 話したぐでしゃあーねえんだども村の衆は耳タコだあーっ つって逃げでしまうんだ。
オメさんええどこさ来たなあ。今日はよ 良助どんと仕掛けでおいたトラばさみに伝説の虎の足が掛っていだんだあ。そのハナシも含めで斗南藩の話しっこをしでやっからオラの民宿さ〜泊まれ。
なあに宿泊代はいらねーだ、教育委員会の研修費ちゅうこどにすっから心配ぇーいらねえだ」

「大変だあー 源さん! 軽トラの荷台の虎の足がなぐなっでいる。どごさ行ったんだんべ。
オメさん こごさにいで、何か見なかったかや?」

「ああ それなら先ほどワシがここに着いたとき、三本足の大きな虎が険悪な眼つきで軽トラの周りを唸り歩いておった。
ワシと目が合ったら荷台から何やら咥えて立ち去っていったが、あれが伝説の虎かね」

「びえええぇ〜 源さぁ〜 ん、来たよぅぅ 〜 虎が仕返しに来たんだあぁぁぁ〜 どうしべえぇ〜」

「ワシは修行により法力を具えておるから虎はあきらめて帰って行ったが、体じゅうから血を流して憤怒の姿であった。そこもとたちが居たら危ないところであった。
あの姿は魔界の性と見た。じゃからワシはホースの水を流して邪悪の血を清めておったところじゃ」

「あいやー オラはあ 語り部ごどさのハナシでなぐなったなやこれ どーしたらはあ よかんべ。
そーだ オメさま、お上人さま。 何とかしてけろ、お礼はなーんぼでも出すだで ありがてえ〜 お経を上げてくださりまっせぇー。
良助どん おめもオラの民宿さ泊まれ、用心のためだ。なあーにオラだぢにはお上人さまが付いでいなさる。魔性の虎など退散させでくれなさる。 なあお上人さま」

「あー おほん。両名ともよく聞け、虎の意趣返しはワシの法力で防ぐことは出来ようが、そもそも何故ゆえに別界の虎を怒らせたか。
その根本を尋ねんば傾向と対策が浮かばん」

「 … 」 (両名無言)

「そこもとたち、 面を上げえーっ、汝ら両名 人間の本質にもとり また良心にも恥ずる卑怯なる振る舞いを動物たちに行ない、よって私腹を肥やしていたのではないかっ、きりきり白状いたせえーっ!」

「ひえええ〜 お上人さまぁ〜 お許しください、 すべて申し上げまするぅ〜」

「うむ 殊勝な心根になって参ったの。
じゃがその前に、ワシは疲れたのと腹が減ったのと、カラダがそちこち痛いのとで参っておる。
早よう そこもとの民宿へ案内いたせ、風呂と飯じゃ。 それと寝る前にマッサージもな、頼むでよ」

「はははぁー 只今 ただいま。ご用意をぉーっ。 
これ良助どん、何あーにしてんだ。 お上人さまのお乗り物を軽トラに積まんかい。積んだらひとっ走り先に行ってな、おっかーに事の次第を話してお席の用意をさせろ。
他の客はぜーんぶ断って迎えの車を出せと言うんだ。マイクロバスじゃあーねえど、ご祝儀用のメルセデスのリムジーンを走らせろー」

「それは雑作をかけて済まんな、世話になるぞ。
拙僧は戒律により酒は飲まんが代わりに般若湯は大いに戴くぞ。料理は精進でなくとも特にかまわんが但し、イノシシはいかん。いいか! イノシシ料理はいかんぞ。
分ったら良助どん、早よう行きーっ。

ところで源さんどの、この村には芸者衆はおらんのけ?」


パート 4 へつづく

おしぐれさん、今夜の宿が見つかってよかっただすなあ。
この村の料理はどんなんかなあー、 イノシシ芸者も楽しみでございますー。

おしぐれさんの ロード歳時記 episode10 「人斬り峠」 パート2
2014/05/12

やっとの思いで峠のピーク地点を過ぎたおしぐれさん、待望久しき下りにかかって途端に元気を盛り返す。

「ここまで来ればもう大丈夫、ゾンビ野郎などあっさり振り切ってやるわい。ワシを誰やと思っとるんじゃ、ガンダーレ ブッダ・マゲータの1948番目の弟子やぞ。
ナメとると承知せーへんでぇー! こんど来るときは キンチョールのアブコロリ 持ってくるさかいに 憶えとれよー」

フロントギヤをハイ側にシフトしてすぐに、見晴し台のようなトイレ休憩所のようなパーキングがあった。芝生に水飲み場とベンチも見える。
小さな群れの猿たちがくつろいでいたがおしぐれさんを見て高い木の枝に移って行った。
群れのリーダーは顔見知りのA200、大ボス ベンツの補佐ナンバー3である。

「なーんだ こんなリラクな施設があったのか、登り側にも欲しかった。
でも あっち側の斜面は虻のテリトリーのようだから猿も利用しないわなあ」

芝生広場の眼下は目の覚めるような絶景の山地風景。
辺りの樹木はヒバからブナに変わり広葉樹林帯になった。結実樹木が多い、なめらかな緑の葉が午後の日差しを反射して谷間の向こうに海が見えている。

おしぐれさん何度も峠の方をふり返り、ゾンビ野郎の吸血虻が追ってこないことを確かめてから自転車を降りた。
芝生の段差は自転車を担いで越えてベンチに立てかけ、自身は短く刈り込まれて手入れの行き届いた芝生で靴を脱ぎ、手足を伸ばして寝転んだ。
北限ニホン猿の群れは行儀が良くて、芝生に糞や抜け毛を残したりしない。河川ロードの散歩犬は見習うべきだ。

正確には犬のリードを持つ飼い主が見習うべきなのだ。犬も猿もボス次第で行儀が良くなる。
つまり、河川ロードでよく見かける大型犬の飼い主のお行儀が悪いと申し上げておる。
あの太い糞を溝のないロードタイヤで踏んでごらんなさいましな、フンでもないことになる。

おしぐれさん、虻にやられた鬱憤を犬の糞に憤慨している。

このひとの思考は3Dの軸が同一の零点からスタートしていないから分りにくいことは多々ある。だがこれはこれで正論なのだ。
ロードでよく観察すると犬の糞に河原アブがたかって産卵していたりするから なるほど、正論だわ。

「いやいやー 聞きしに勝る 虻地獄じゃったわい。
与作さんのおかげで助かったというものだが、さむらい時代の忠臣とは凄まじいモチベーションの塊りなんだなあ。

『 おのが血で 虻どもばらを引きつけまするがゆえに 旦那さま、 ここは一敗地に伏せようとも くちびる噛んで落ち延びなされ 生きて藩命を果たされまっせー! 』

今まさに腹に刀を突き立てた老人がよ、噴き出る血をゾンビの虻に吸わせながら こーんな ぬいどう歌舞伎 のような長ゼリフを言えるんだから凄い。
主人の若侍だって凄いよ、ガキの頃から世話してくれた父親がわりの爺いの首をだよ、

『 先君より賜りし家宝の太刀にて介錯いたすっ! さらば わが師よ 』

とか言ってスッポーンと斬っちゃうんだもんなあ。

こーゆーのってワシの故郷の冥惑星の文化にはないなあ。ワシ 正直ビビッてサイクルパンツに座りしょんべん漏らしちゃったよ。
ここ誰もいないから脱いで乾かしちゃおーっと。 お行儀悪くてゴメンねー。

誰もいないし誰も通らないのに誰がこのパーキングを管理しているんだろうなあ、国費の無駄だがワシにはありがたい。パンツが干せる。
お礼と言っては何だが、改めて与作爺さんとイノシシの菩提を弔ってやろう。ワシ 坊主じゃけんのう。

『 南無大師遍照金剛 ‥ 中略 ‥ というよりうろ覚えだから省略や〜 ‥ 海砂利水魚の吽形松 ‥ 中略 ‥ 摩訶般若波羅蜜多心経ぉ〜 ‥ 』 これでよしっと。
ふるちんでお経を詠んだのはダライ・ラマ師に連れて行かれた幼稚院の小坊主のとき以来だなあ、気持ちがいいやさねぇ〜。

それにしてもナニだねえ、切れるものなんだねえ恩賜の太刀ってやつは、只の飾りじゃなかったんだねえ。
あーゆーモノは柄や鞘の紫蝶貝の螺鈿装飾ばかりで中は竹光だと思っていたが ありゃー本物だったぜよ。 あーんな重そうなモノ持ってよく旅ができるものだがや。
ワシは8kgの自転車にパンク用品以外には期限の切れたVisaカードしか持っておらんよ。それでもこのカード何故か使えるんだ、支払いはローマ法皇庁がしてくれているみたいだがよくとは知らん。

知らんといえば、与作爺さんのむくろがイノシシに変わっていたトリックがよく分らんが、ジャパン忍者のことだからこーゆーのは有りなんだろうねえ。
与作さんの名字はハットリというんだろうなあ、藩命とは他藩の秘密諜報に違いない。いやいやー 凄い時代にワープしたもんだ、現世に帰れてよかったなあ。

そーか! この峠は時空が捻じれたワーピングゾーンなんだ。
何度もS字の坂を登るうちに左右の旋回回数の足し引き算が合わなくなって、3Dの時間軸が絶対破綻したときにワープるんだ。
このあと下りでもワープしたらどの時代の何処に出るんだろう? 出来れば乙姫さまの竜宮城なんかに行ってみたいもんだでやー、 亀はいねーかあー」

おしぐれさん、ふるちんで芝生に寝転んだまま訳の分らない納得をすると、やおら起き上がり水飲み場の水をジャージャー流して亀を探し始めた。
スッポーン亀は山にいないでしょう。
虻毒のパニックで一時的に気が変になっているのは確かなようである。変なのは一時的だけではないという噂も一部あるやに聞くが、それは個性というんだ。 ほっといてー。

「悪りー子は いねがぁ〜 いじめられた亀っこは いねがぁー オラだあー 浦島たろー だぁ〜」

おしぐれさん、ナマハゲは秋田でねーけ。 ここは下北の脇野沢ずらぁ〜 亀でねーずら 北限猿と猪獅子の聖地だしー。


パート 3 へとつづく だしー。


ボス猿 ベンツ、高崎山動物園では行方不明のまま死んだとされ、お参りのひとが絶えないようです。
彼は健在です、ぬいどう石山周辺に赴任して元気に現役ボスを張っておりますゆえ、皆様にはご安心のほどを。

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