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今週も峠でなく平場です。
渡良瀬の新芽情報と野鳥の回帰数動向をお知らせせねばとの使命感から草原通いが続いています。
「コノヤロ 高い峠が辛いものだからヨシの新芽にことよせて、最大勾配たった7%の高さ20mもない土手登りの安易なコースを選んだな」
見透かされているようで面目ないが… まあいいじゃないですか。いくつも土手を上り下りしていればトータルの生涯獲得高度はチョモランマをはるかに超える。
前回つんのめり(2)でお知らせをした「4月初旬の渡良瀬バルーンレース 観戦ツアー有料ガイド」については、
「有料」の二文字がわざわいしたのか、それとも団塊屋一派の山師と敬遠されたのか、初日までに応募者なし。
「まったく 遊び心のない爺じいばっかりやなー そんなことでは長生きできへんでー」
遊び心ばっかりで他に甲斐性らしきものは持ち合わせないポリシーなき風来爺いは、ぶつくさ言いながらひとりで出かけました。
バルーンの朝は早い。
地表外気温とバルーン内部の熱空気との温度差が大きいほど上昇力を得られるから夜明け直後が一番よい。
つまり一番寒い時間帯がバルーンのスタート時間になる。
そして風向きの変わる昼前には競技を終えて撤収するのだ。
立春を過ぎ、穀雨が過ぎてもコタツぬくぬく爺いなど心筋梗塞を起こすから来なくていいわい。ザマミロ。
6時半、自転車を積んだトランスポーターから渡良瀬の高い土手が見えてきたときには、すでに土手の上の空に十数機のバルーンが浮かんでいた。
ヨシ焼きで一度丸裸になった大地に新芽が萌え始め、土手の斜面には菜の花とタンポポが咲いていて、そこに朝日に輝く熱気球が「グワッ」と膨らんで浮かび上がって行く。
その上昇速度は意外なほど速い。
「こらいかんわ もう始まっとる。大会開催地点まで行っとったら間に合わんでワシも此処からスタートしよう」
渡良瀬に来たとき何時も駐車場にしている生井の桜堤(なまいのさくらづつみ)で自転車を降ろし、急いで着替えて乗り出した。
バルーンが立ち昇っていく方向に向かうのだが、遊水地内の土手上の道は一直線ではないから会場の渡良瀬運動公園の方角が右になったり左になったりする。
高い位置に色とりどりのバルーンが浮いているから見失うことはない、でもうんと高くまで昇った機は北風に押されて早くも南に移動を開始している。
バーナーを吹かす「ゴーゴー」という音がまだ聞こえてこない。
それはまだまだ自分が距離を詰めていないということだから一旦止まって考えた。
「こりゃー長距離の追っかけになるなあ、重装備でないと帰りにエネルギー切れになる。水食糧の他に現金、通信機器、パンクの用意も必要だ」
急いで乗り出したからそれらを装備しない云わば「丸腰」で走ってきた。
しかもタイヤエア圧を推奨圧上限の高速レンジに合わせて来たので路面からの突き上げがハンドルから手に伝わって痛い。
「こりゃーいかんわ、エアを落としてエンデュランス(ENDURANCE : 耐久とか頑張るとかの意らしい)のレンジにあわせにゃならん」
寒かったから長袖ジャージの上にウインドストッパーを重ね着しているが、長距離となると日中は邪魔になる。
そこで一旦ベースキャンプのトランスポーターのところまで戻り、種々対策を講じて出直すことにした。
上空のバルーン群に背を向けて先ほどのスタート地点に戻ると、驚いたことにワシのトランポの周りにバルーン見物のクルマがたくさん止まって皆カメラや双眼鏡を手にしている。
「わー」とか「きゃー」とか「すごーい」とか「初めて見たー」
とか言いながらサイクルロードに出て来て、道幅の南端ギリギリに一列に並んで空を見上げている。
それ以上前に出ると土手に落ちるのだ。
上空のバルーンを見上げるのに何もそこまで前進しなくともよい。車の中で見ればよかろうと思いのだが、それが見物人の心理なのだろう。
これらの人々はすべての注意力が空を向いて、近づいてくる自転車は目に入らない。
危険は空の冒険者で自分自身には危険は及ばないと判断すると、見物人というものは大胆なことをする。
つまり不測のアクションを取るのだ。
ふり向きざまに車道(この際は自転車道に相当)を横切る。カメラを構えたまま後ずさりして車道中央に立つ。
火事場の「野次馬」、落語の「たが屋」、皆さんそれぞれいい人なのだが、浮かれてしまったその時が事故のもと。
「たが屋」では丸く巻いた竹の「たが」が混雑する大川の橋の上で通行人の肩に当たって緩み、シュシュシューっと撥ね伸びた。
折悪しくも 「寄れーい 寄れーい」 と威張って通りかかった行列の、馬上凛々しきお殿様の陣笠をシュポーンと撥ね飛ばしてしまったではないか。
だいたいねえ、花火見物で浮かれる庶民の雑踏のなかに馬で乗りつけて来るお殿様ご一行の了見がいけねーやね。
ということになって、「たが」という高反発の機械エネルギーを内包した危険物を梱包もせず安易に担いで持ち込んだ「たが屋」の過失については触れられていない。
落語は弱い者の味方だから、切られて「シューッ」と打ち上がるお殿様の首に向かって、「あがった あがった あがったーい たーが屋ー」
と歓声があがる。
これは理不尽である。であるが理不尽こそ落語の真髄なのであって、お殿様といえど政府と家臣との板挟みの狭間で苦慮する弱い者側の立場なのだという真実は隠され、きらびやかな衣装を着せられて強い者側の象徴として取り扱われている。
ワシのイタリアン・バイクもきらびやかなカラーリングだから、庶民どもの目には「鉄の馬に乗ったバカ殿」に見えていることをしっかり自覚せねばならない。
蛇足ながらワシらの自転車やウェアがキラキラの派手ハデなのは「おらはキケンだぞー」と周りの庶民に知らしめているのだ、毒蛇だってそうでしょう。
ワシらは親切心でこっぱ恥ずかしい毒蛇ウェアを着ているのだ。けっしてお殿様のご威光を後ろ盾に威張っているワケではない。
ちなみにワシのジャージは「スパイダーマン」ですだ。
「ねずみ男」のプリントのが売っていなかっただけなのだがどちらも正義の味方でござろう。
Amazon通販で見たら「鬼太郎」のは二種類売っていた。
紺の格子の半纏(はんてん)に目玉おやじがしがみついているデザインは秀逸で、孫が自転車に乗るようになったらジュニアサイズを買ってもいいかなと思うがその気配はない。
渡良瀬土手上の庶民は上空で格闘する一人乗り競技用バルーン勇者の孤高の冒険にココロがすっかり奪われて、地上の背後に迫りくる今すぐの危機を忘れている。車上の自転車マンにとっては極めて危険。
こういう時には逆らわないのが一番である、手前で降りて押して歩く。お殿様だって歩くべきだったんだ。
ほーら やっぱり、不相応な大型一眼カメラを持った爺いがモニタを覗き込みながらヨロヨロと中央を横断する。
止まってやり過ごそうと待っていると、爺いも止まる。
ワシが進むと爺いも動く、まだ気づいていない。
「やいジジイ! ワシは忙しいんじゃー。のかんかい よろけ爺いはこんな処に来んなー、家で猫でも撫でておれー」
こーゆーことは言わない。ワシもよろけ自転車のひとりやと自覚しとります。
なんとかトランポにたどり着いて長距離追っかけ仕様を整え、再スタートした頃には数十のバルーンが空に浮かんで南に流れて行く。
今日は予選だからこんな数だが、本選となったら数百の風船が空を埋め尽くすのだ。
地上の自転車コースはその陰になって陽光がさえぎられ、薄暗くなるほど。
開催側が設置した地上のマーカーに向かって上空から砂袋を落とし、その正確度を競う今回のバルーンレース。
できるだけ接近して砂袋を投下したほうが確度が上がるからパイロットは危険と引き換えに急降下してくる。バーナーを絞って浮力を捨てるのだ。
大げさに言えば地球の引力に導かれ落下の法則に抗いながら落ちてくる、そして砂袋をシュートしたら火力を最大にして浮力を回復させ地表との激突から回避する。
まるで爆撃機編隊スーパーボンバーズの一人乗りバージョンなのだ。
このとき風で種火が失火して再点火に手間取れば地表に墜ちる。
胸と背中にエアバッグを義務付けだが、上空でひとりで忙しいときに邪魔なので外したままだ。
自己責任の意味がこれほど試されるスポーツは他にあるまい。
他のバルーンも同じことを考えているからマーカー地点が最大の見せ場。命がけの修羅場なのだ。
遊びなのに命がけ、いーですなあ。 adventure アドベンチャーとはventureをadする者。
その修羅場まで地上から接近できるのは自転車だけ。
マーカー地点はバルーンの離陸直前まで明かされていない。その朝の天候や風向で決められるから離陸した仲間のバルーンを追って地上サポーターの乗った四駆のバンが国道に向かって走り出す。
ナビゲータが近道・抜け道をドライバーに指示し、後席の女子が立ってサンルーフから顔を出しチームのバルーンから目を離さない。
手にはしっかり無線機を握りしめている。
さらに勇敢なモトクロスライダーが2サイクルの音を響かせて草原を一直線に追いかけて行く。
土山を跳び泥地を跳ね除けて進むがやがて川に阻まれてエンジン音は低くなり、ゆっくりワシのいるサイクルロードに上がってくると申し訳なさそうに舗装の上に泥のタイヤ痕を曳いて橋を渡って消えて行った。
リヤフェンダーから伸びた細いポールにオレンジ色の三角フラッグが揺れていた。
「許してやるから頑張れ、見失うなよー」
言うまでもなく遊水地内では草原もサイクルロードも湖水面でもエンジン付き車両・舟艇は禁止。
草刈りなど管理用車両が通行できるクルマみちには出入りに鍵が必要。
唯一オールマイティの国交省のマーシャルカー、黄色のランドクルーザーだけがサイクルロードに上がってこられる。
だがこのどデカいランクルは遠くに自転車を見るとハザードを点滅させ左端いっぱいに寄せて止まる、自転車が行ってしまうまで息を止めて待つ。
いーですなあ。Marshall マーシャルとは 息を止めてもこの世界はおらが絶対に守る、という決意のことだ。
そうこうするうち遊水地の南端、メインゲートの近くまで来た。
歩いている人がいっぱいいて、空を見上げながら歩いている。
この辺の人は歩きのマナーを分っていて、自転車の行く手をふさいだりしない。さすがである。
だが今日は危ない、みなさん空を見上げながら歩いていると進行方向が少しづつ右にそれる。右利きの人に多い傾向だからしかたがない。
よって自転車の通行帯に(白線で示されているわけではないが)はみ出て来るからワシが気をつけるしかない。
ゆっくり進んでベルは鳴らさない。
最近ベルを買って取りつけた、公道イベントの際の車検でライト・ベルが無いと失格になるからだ。
一番小さくて軽くて目立たないのを買った。音質なんてどうでもいいんです、付いていて「チン」と鳴れば合格ですから。
以前は熊よけの笛(オレンジ色のレスキューホイッスル)をジャージの襟近くにクリップしていて、
「これを警笛と呼ぶのは日本語の王道じゃ、文句などあろうべくもなし」
と車検を通っていたのだが、近年の加齢と共に 「クリップを取って口に運んで吹く」 までのアクション動作に時間的な遅延傾向を自覚してベルにした。
ベルは付けたが人には鳴らさない、自転車マンの哲学やないけ。
身障者用の広々としたトイレから出ると頭上を後発のバルーンが追い越して行く。バーナーを焚く音が「ゴーッ ゴーッ」と断続的に聞こえる。
どうやらバルーンのマーカーは遊水地内にあるのではなく、さらに南下した利根川河原に設定されたらしい。
ゲートを出てバルーンを追って一般道を進むと、この辺りはすでに埼玉県。信号でやたら止められる。
ワシは栃木県内なら治外法権を持っているが、埼玉・茨城・群馬となると少々勝手が悪い。
「昨年度Jプロツアー国内王者・宇都宮ブリッツェンのチームステッカーを貼ったシニアフェローのおしぐれ俊ちゃんを知らんのかー」 と言ったって、誰も知らんわなあ。
「三国橋」(みくにばし)というところで国道をそれ渡良瀬川の右岸堤防上を走って行くと、いつの間にか利根川との合流地点を過ぎ大利根本流を走っていた。
広場に石のベンチとテーブルがあって、ここで休むことにした。
不思議なことに、ここは誰もいなくてバルーン見物の人は何処に行ったのだろう。
ここまで45km、もっと近いはずだが一度トランポに戻っているので距離がかさんだのだろう。
北風に押され続けて来たから疲れはない、昼前には南風に変わるのがここら辺の決まりだから帰りも楽々の算段なのである。
ワシほどのベテランともなると常に風を味方につける戦略を考えている。戦う前にすでに勝つ、 これ孫子の兵法なり。
ソフトバンクの社長は孫子の末裔だって知ってた?
自転車を立てかけた石に歌が刻まれ、
「利根の堤に咲きにほふ すみれたんぽぽれんげ草 花いろいろの春の朝 吹く朝風もそよそよと」
田山花袋の小説田舎教師のモデルとされる小林秀三の歌が立派な揮毫で彫られていた。
とういうことは、ここは羽生(はにゅう)か?
どうやら大利根を上流に、北西に向かっているようだ、バルーンを見失ったのはなんとワシのほうだった。
川の流れは緩やかでどちらに流れているのか気が付かなかった。孫子よ許し給え。
風はすでに南風に変わっていたのだ。このまま押されて行ったなら群馬まで行ってしまう。
「すみれたんぽぽれんげ草」
声に出して歌ってみると、なんだか力が抜けていい気持ちになってきた。
バルーンを追っかけて夢中で走っていたら迷子になった。ここいらでやめてもいいかなと思うようになった。
なにしろ肝心のバルーンがグルッと首を回しても一機も浮かんでいないのだから始末が悪い。
いつの間にか時空を間違えたルートを走ってしまったのだ。
風の吹き方が強くなってきた。明らかに南風だ。
眼下遥かの対岸の河原というより草原だが、そこを先ほどのとは異なる四駆のバンとモトクロッサーが川下に向けて駆け抜けて行く、すでに着地した仲間機の撤収に向かうらしい。
今日は金曜日で決勝は日曜日、予選なのか練習飛行なのか大勢が係わって大層なことですなあ。
その点自転車はひとりでも完結できるからワシには合っているよね。
仲間と走っても楽しいが、ひとりでもけっこう楽しい。勝手にルートを変えても(知らぬ間に変わってしまっても)怒られないし、いつでも勝手にやめられる。
たとえ時空を超え過ぎて、ご先祖様の野山に不意に不時着しても、
「おー しゅん公 おめえも来たか、でえりゃー派手な乗り物で来たもんだなあー 普通はよー 木の箱に入って来るもんだでやー」
「よっこらしょ」
サングラスの汗を拭き、立ち上って自転車を起こした。
「さーて どっちへ行こうか」
水と食糧と時間はまだたっぷりと残っている。体力ならまだ45%残っている、たぶん。
あとで分ったことだが、土曜日・日曜日は強い台風並みの低気圧の影響で南風が吹き荒れたため、飛行は危険と判断されてキャンセルとなり、金曜日に飛んだ機だけで渡良瀬大会は決勝としたそうだ。
ツアー戦だからそのようなことはままあるんだとか。
バルーンのチームも経費と労務費がかかって大変だ、金曜に休暇ってそうしょっちゅうは取れんでしょうに。
ワシ自転車にしておいて良かったが、向かい風の強い日には四駆のバンで探しに来てくれるフェロー(できれば女性の)が欲しいなあ。
GPSの迷子用子機をフレームに埋め込んだりしてね。
syn
渡良瀬遊水地でヨシ焼きが実施されてから2週間近く経過した。
ヨシ焼きというのは野焼きのこと。目的は枯れ残った古いヨシを焼き払って新しい強い発芽をうながすことと、草原に棲息する有害虫(代表的にはツツガムシ)の駆除。
毎年春先の3月半ば、枯れ野に火を放ち一斉に焼き尽くす。
野焼きの規模では阿蘇の野焼きと双璧。
阿蘇のが場所を区切って数日かけてチョロチョロと燃やすのに対し、渡良瀬では市街地隣接の遊水地だから一日しか許可が下りない。
そこで県内中の消防車を土手の周りに配置して火を外に漏らさない鉄壁の布陣のもと、山の手線内側分の二分の一と言われる広大な面積を一気に焼き尽くす。
この日は県内で普通の住宅火災などあっても、近くに消防車はいないのだから県民こぞって火の用心に心がける。
そのせいか統計上ヨシ焼きの日の栃木県内火災発生は年間最少日なんだそうだ。
隣接県の茨城・群馬・埼玉での統計は知らないが、炎と煙りが見える隣県の各消防署でも当然気合が入っているに違いない。
火祭りというものは男のココロを揺さぶるのものだ。火事が大好きで志願した消防団員は自宅が燃えていたって消防車の向きを変えたりしない。
その炎は天地を焦がす勢いで、地球から遠く離れた宇宙ステーションの軌道上からでも日本上空に近付くと燃え盛るアースのレッドが肉眼で見えるという。
アース製薬のダニ退治燻蒸剤にこの名前が用いられているが壮大な商品名ではある。
ワシの遠縁にあたる宇宙飛行士の向井千秋(旧姓:内藤千秋)が帰省の折に言っていた。
「あの炎は? 群馬のあたり! 実家のある高崎市が燃えている。日本では内乱が起きたに違いない。ああ私にはもう日本に帰る家がない。
父は母は無事であろうか? 子供のころ自転車を教えてくれたおしぐれ俊ちゃんも今頃は銃を取って戦っているのであろうか? 逃げて あなただけでも逃げて。
逃げれー! まくれー! 踏めー 踏むんじゃー」
彼女は算数は得意だったが渡良瀬のヨシ焼きや利根川の鮎の簗漁など、日本古来の風物詩にかかわるような和風の勉強はとんと嫌いな娘だった。
それが災いしてロケット女になってしまったのだがそれにしても、飛び去る宇宙船の窓から母星の日本エリアに向かって 「逃げれー まくれー」 と競輪用語を叫んでいたとは…。
ヨシ焼きが終わって二週間近く経過した。
この間に二度雨が降り、燃えカスの黒い葉っぱは土に帰って白くなった。
土手に降り積もった灰も強い南風で荒野に吹き戻され草原の源になる。
前回ヨシ焼きの直後に訪れたとき土手上のサイクルロードは火事場の跡のようになっていて、デリケートなスリックタイヤで踏み込むことはできなかった。
その経験から雨の降ったあと数日して晴天の日に行ってみた。
想像通りロード上は綺麗に洗い流されていて、昨秋見かけた捨てられたアルミ缶などは強い熱で溶けて蒸発したのか人工物はキレイさっぱり無くなっていた。
焼けてはまずいロードの小施設や治水管理用の通信函などは、事前に周りの下草を刈って野火が回らないように準備してあったから大過なく草原の一大イベントは終了したようである。
地元紙によると人間の遺体が一体発見されたとのことである、それはヨシ焼きをする以前からそこにあったもので死因や身元はわからないとし落着している。
ヨシ焼きの通知や告知を解せない動物たちの運命については気がかりだが、春になっていよいよ草木が勢いづくと羽のある者たちから戻ってくる。
夏にはイタチやタヌキなど四足哺乳類が駆け回るのだから爬虫類両生類同様に彼らも炎から逃れるすべを心得ているらしい。
この日、ロードで一番見かけたのはカラス。
なにを食べているのか土手の斜面に降りたり飛んだりをくり返し、自転車に並走しては横目でこちらをチラリと見て目が合うと翼を反転させて土手下に逃げて行く。
懐かしがっているのだろうか、人間と付かず離れずしていれば食べ物に困らないカラスはヨシ焼きをどう考えているのだろう。
地面の虫を見つけ易くなって喜んでいる? それとも虫の総量が一時的に減ったことを恨んでいる?
ヒバリやヨシキリなど小型の鳥類はまったく見かけなかった、鳴き声も耳にしなかった。
鳥類で見かけたのはカラスの他には少数のトビとカモの類だけ、湖と水路の魚は無事だったから大型鳥類はすでに戻って来ていた。
白鳥は北に帰ったのだろう、もういなかった。
もうじきミミズが出てカエルが出てくる、そうすればヘビの類も出てくるから地上の食物連鎖が回り始めるだろう。
土手の菜の花は背丈は短いがすでに咲いていた。
塊り合うように咲いている傍を通過するとき、良い香りが漂ってタイヤ接地部が花粉で黄色くなるのが認められた。
こういう場所では小さな虫も飛んでいて、腿に当たって潰れた虫を払いのけたらサイクルパンツに黄色い粉が残った。
タンポポの花粉なのかも知れない。
初夏には前傾姿勢のロードバイクを隠すほどの高さまで伸びる菜の花も今はまるで菜っ葉、柔らかそうで美味そうだ。それでももう花を咲かせている。
春に咲く花は黄色から始まり夏に向かってピンク、赤と変遷するのは文献上ではファーブル先生が発見したことになっている。
春一番に飛ぶハルキ蝶はじつは酷い色弱で、黄色しか識別できないと実験で証明したからだ。
後を追って出てくるモンキ蝶は、強さを増す太陽光線に順応を高めて黄色よりピンクを識別するようになっている。
そしてモンシロ蝶は猛牛のごとく赤に突進する。
だから子孫を残したい植物どもは夏には競って赤い花を咲かせる。
だがそんなことは書物を読まんでもワシらはガキの頃から草原を自転車でカッ飛んでそれを知っていた。
年頃の女子がそうだよね、赤でよい。秋を迎えた女子は白い菊の花にしておきなさいってば。
ヨシの新芽は成長が早い、一面焼け野原と思っていても湿原近くでは2センチほど伸びていた。
このあとは雨が降るたびに30センチづつ伸びて、小型鳥類の隠れ処になるからたちまちヨシ原は賑やかさを取り戻し、美しい草原になるだろう。
ヨシ焼きはどうしても3月半ばまでに済ませなければならない理由が説明できるのである。
ところがあの大震災とフフシマ事故のあと2年間ヨシ焼きは中止された。
初年は大震災、津波被災への配慮から大掛かりな火祭りを遠慮した。フクシマの件は誰も口にしなかったが誰もがそれぞれに危惧していた。
草原にある湖、谷中湖で初夏に釣れるワカサギは検査の結果例年と変わらない放射線量だったが上流山地の榛名湖で途方もない検査値が測定されると、猫にやると言って持ち帰ってはこっそり晩酌のつまみに食べていた釣り人が全数再放流して帰るようになり、そのうちに釣りをするひとがいなくなった。
ちなみに谷中湖は利根水系だが榛名山には直接つながってはいない、栃木の渡良瀬川の水が谷中湖を満たしたのち1キロ下流で利根川に注ぐのだ。
だから水に入っても安全だとかそうでないとか、そんなことを言うつもりはない。
だが近県のトライアスロン競技団体がスイムを中止してラン・バイク・ランのデアスロンでお茶を濁したのは、子供たちに責任を持たねばならない父母の意図を汲んでのことなのだと思うようにした。
ワシも父母の列の背後から子供たちの力走を応援した、パンクした子がいたら手伝ってやろうと工具一式を背中のポケットに入れてあった。
「ねえ、あれ見て! 足に指のない鳩がいる。放射能のせいかしら?」
母親たちが指さす橋を見ると、欄干に止まれない鳩がコース脇をヒョコヒョコ歩いている。
それも一羽だけではない。指がなかったり曲がったり、欄干の鉄パイプに掴まれない鳩が路上に何羽もいる。
よく見ると鳩に混じってスズメにも足のないものがいる。
「うわー! ここってそんなに酷いところなの? 子供たちを連れて帰りましょうよー」
若い母親が路上をヨチヨチ歩く幼児を急いで抱きあげ、脱がせた靴を投げ捨てた。
見かねてワシは母親たちに近づき、靴を拾ってこう言った。
「フクシマとは無関係です。渡良瀬の上流、足尾の鉱毒事件とも無関係です。
あれは釣り人の無神経さのせいです。
マナー違反と言うべきでしょう、捨てられた釣り糸が長い間足に絡まって切断されたのです。かわいそうに。
鳩もスズメも人間のそばでしか生きられない、散歩ついでに餌を撒くひとがいるからねえ。
餌を撒かなくても人間の残した弁当や釣りの餌のそばにしか生活圏を持たない彼らは、足を失くしてもここから離れられないのです。
いや、足を失くしたからここに居るしかないのです」
「じゃあ 白鳥やカモも足に糸が絡まっているの?」
「可能性はあるけれど、鳩ほど顕著ではない。水かきのある足には絡まりにくいのと、彼らは鳩より力が強いからブチ切ってしまう。
それよりもっとアタマがいいから釣り糸を足に絡めたりそんなドジはしない。カラスなどはまったく無被害ですよ」
若い母親は幼児を地面に降ろし、ワシの差し出した靴を礼を言って受け取ってわが子に履かせた。
カモよりカラダの小さなムグッチョなどでは小さな水かきに釣り針などを刺しているのかも知れない。こころが痛む。
* ムグッチョ : 夏に湖沼や中小河川で見かける小型の水鳥、長時間潜水して鮎を捕る名人。水から顔を出してムチュッ ムチュッ と鳴く。
正式名は知らない。土手から見ているとカワウのように群れで小魚を浅瀬に追い詰める頭脳テクを披露してくれる、しぐさのかわいい鳥。
飛翔力はないようで、上空を川下から飛んでくるカワウの大群が来ると潜って草の繁った処に隠れる。
カワウが行ってしまうと出てきて潜水するが、あらかた獲られた後では収穫少なし。
ワシらは少年の頃からそんなムグッチョに肩入れして、カワウには石を投げる。
カワウは鋭いクチバシを持った大型の鳥で、カラスの倍ほどの大きさ。首が長く顔も怖い、しかも真っ黒で無愛想。
長良川の鵜飼いに使うウはウミウを幼鳥のとき捕獲して飼い馴らしたもの、カワウは人に馴れない。
ムグッチョはその辺を知ってか知らずか人を恐れないが、近付き過ぎれば潜ったまま何処かに行ってしまう。
野生は放っておくのが一番なのだ。
震災から二年目はヨシの持つ水質浄化能力の高さが逆に災いして、吸着した大量のフクシマ由来のアレが燃やすことで再び大気に放散されるのではとの懸念からヨシ焼きは連続中止された。
これは根拠のない懸念なのだが、県内ではシイタケの栽培が事実上の禁止となっていたりしてフクシマから近い県としてはヨシ焼き断行に踏み切れなかった。
この間にもヨシ原の荒廃は進み、倒れて越年した葦草同士が絡まり合ってジャングル化していった。
名前も知らないような虫が棲みつきヨシの根を噛んで妙な形状の卵を産み付けるが、密林化した根元まで小鳥たちは入って行けなくなってそれを食べられないから虫が異常に増えた。
不心得者が捨てた電気ナマズが繁殖して、これまた外来の噛みつき亀の一派と争ううちに放電したスパークが魚の死骸から発生した硫化水素ガスに引火して小規模水雷のような火災まで起きる。
ヨシの根は弱り湿原地帯で魚類の腐敗臭が強まり、水質浄化機能が危ぶまれた。
この機に乗じて進出してきたセイタカアワダチソウの不気味に黄色い花が咲くと、それまでなかったブタクサ花粉症に釣り人やサイクリストは悩まされた。
春のスギ花粉症と違って秋のブタクサ花粉症は風情に欠ける。
残暑の汗にまとわりつく外来種花粉は単一民族国家を形成する日本人種には耐性がなく、ゲンナリするようなアレルゲンになったのだ。
そして今年、放射性物質に対する国民の考え方に落ち着きがみられるようになって、それまで黙って休業状態に耐えていた小山市と茨城の古河市周辺に点在する葦簀(よしず)生産者が県議を動かしてヨシ焼き再開を働きかけた。
素性のよいヨシが採れなくては、生業を廃するしかないギリギリまで生産を止めて耐えていた伝統工芸品の葦簀である。
単に斜陽業者の救済だけではない。日本の伝統技術産業の荒廃の危機である。
夏の日本家屋の縁側には葦簀が一番似合う。
花火・あさがお・葦簀は日本人のこころであろう。
花火・あさがおはビール・スイカでも可とするが、日除けは渡良瀬のヨシで作った葦簀でなければならん。
これは日本国民の合意である、総意をもって一歩も引けん。
安い大陸産のヨシズはヨシの種が異なるのかひと夏でグズグズになる。たまに硬い茎のものもあるが特殊な薬剤で硬化させた材ヨシでは放射性物質より身近な危険を含む。
ヨシが葦(あし)では悪しかろう。
粗いしゅろの糸で編んだ結び目は、もやい結びの出来ない不器用人種の作品か傾けただけで解けてしまう。
やっとローンの目途がついた愛しきわが家に、かようなる贋物ヨシズを掛けさせてそれで治法国家と言えるのか。
総理! あなたのご実家を思い出してごらんなれ。家宝のひと張りがござろう。
「友あり遠方より碁敵となって現る、葦簀に流る(ながる)涼風を受けつつ一勝一敗、いざもう一局参らせん、じゃがその前に土佐のカツオで会津誉れなど」
ご貴殿の曽祖父君が著された 「日本のよしず文化」 に登場する御家の家宝葦簀は渡良瀬の産でござるぞ。
これら殺し文句ともいうべき正論を投げるにタイミングどんぴしゃりで政権交代があった。
そしてついに本年3月17日、渡良瀬の空が紅蓮に燃え盛ったのであった。
じつは今日は3月末だから書けるのだが、今回の燃焼面積は提出計画をはるかに上回る広範囲なものであった。
計画書では例年の四分の三程度とする遠慮気味のものであったのだ。
実際に火を放つと味方風が三方から吹いて、あっという間に全土に燃え広がった。
官と名のつく関係者は慌てたことだろうが、現地の要所を固める消防団員は火を消すどころか煙りに乗じて身を隠し土手に火を点けて回った。
団員たちはわかっていたのだ。
三年分みっちり燃やしてやらないと渡良瀬の息が戻らないことを。
この粋な団員たちの意気は30分後には官たちにも伝わり、官も感涙したという。
煙りで涙が出て、何も見えなかったということになっている。
地元紙もわかっているから何も書かない。
書いたのはワシだけだが、「あいつはでほらく語りのおしぐれ野郎だからなあ」 で済むはずである。
最後にワシは確信をもって書くぞ、
あの日、渡良瀬にいたのは全員が田中正造だったのだ。
かくして渡良瀬はキレイさっぱりの原野に戻り、4月にはヨシの新芽で一面の緑色になるのである。
その中を縦横に走る水路の渠(みぞ)は真っ黒の線、サイクルロードの舗装の灰色を両脇の菜の花とタンポポの真っ黄色の縁取りがきりりと締める。
カラスが上空から
「あの自転車速いなあ」
「知らないのか、おしぐれなんとかいう火の玉野郎よ。だがな、あの先の田中正造翁の石碑のところまでなんだ」
「なんで?」
「手を合わせているような振りをしているが、へたれて座り込んでいるのさ」
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追伸 4月5〜7日 全日本バルーンフェステバル 渡良瀬大会、 熱気球が千機も飛びます。エジプトと違い新機です。
観戦ツアー有料ガイド承り中 最少催行人員2名様 安全性★★★★星四つ(傷害保険加入します)
お問い合わせ お申込みは団塊屋事務局まで。
「アンタなあ、100キロを4時間で走るって威張っていなさるがそら平地でのことでっしゃろ。
ライダーちゅうのんは峠を越えて行くひとのことや、平場の遊水地周りでママチャリ追い越して鼻の穴ふくらませて満足しとんのはノリダーちゅうのや。
車椅子レーサーにチョッカイ出して抜き返されたばかりか見えなくなるほど置いて行かれ、泣いて帰ったっちゅーのんはアンタのことやないのんけー。
あたりまえだがや、あのひとはパラリンピックの世界二位やで。性根が違うんやアンタとはなー」
おじさんのピーキーな心拍数を考慮に入れない手厳しい批判に、
「ばかやろー ワシだって山ぐらい登れるワ、見とれー 頂上から位置情報付きメールを送ってやる。
雷鳥と一緒に写った写メールを送ってやる、ゆえに雷ダーと言うのだ。秀逸なる洒落にチビるなよー」
発奮したワシは今季初の峠へ向かった。
県南西部の山地には標高330m程度の峠が鎖状に連なった格好の林道がある。
20分から30分の登りで頂上まで行けるので、心拍が170を超えたらアウトなおじさんでも150手前ぐらいで登り切れる。
なんだ! その懐疑的な眼差しは? ふん 百歩譲って 登り切れるはずだ。 と訂正しておいてやる。
少し休んで心拍が110になったら再スタートし、次の峠にかかるまでの20分を軽いギヤでクルクル回して足に栄養と酸素を行きわたらせてまた登るのだ。
ただしそれは調子の良いときであって、ダメなときは一番目の峠にかかる前から心臓は波を打って150を示している。
そういうときは登らない、自転車をUターンさせて麓に向かう。
峠の反対側から登り切って、そうして降りてきたような顔をして麓の駐車場に戻るのだ。
対向して登ってくる若くて元気なライダーが尻を上げて踏み込みながらペコリとヘルメットを下げて挨拶してくるのに対して、ここで卑屈になってはいけない。
「オー! がんばれよー」
なんとも鷹揚な返事を返す、おじさんの威厳を保つ秘策なのである。
麓の駐車場に止めたトランスポーター車内に気つけ薬がある。
心拍が乱れたときのタバコがいけないことなど死ぬほど解かっているが、どういうものか一服点けると心臓が落ち着く。
ここ数年はこの方法が奏功している、医者に話したら呆れていた。
毒をもって毒を制するこの手法がいつまでも通用するとは思っていないがまあいいでしょう。
こういう日は自転車をやめ街道沿いのザゼンソウ群生地などで時間をつぶし、昼近く名物そば屋で一杯すすって家に帰る。
結果的にはそばを食いに行っただけだがまあいいでしょう。オリンピックに出るわけじゃないんだから。
朝のうち地元の通勤車が抜け道として通る以外は通行のクルマはなくなるので日中の林道は走りやすい。
この辺りは地そばの名所だから休日になるとジジイやババアの乗った県外車がカタクリの自生する山を目ざして押しかけて来るが、多くはナビに導かれてそば街道と呼ばれる大きい道を行くから林道には入って来ない。旧道の峠道は自転車天国になる。
土日には自称クライマーが大勢走っている。ほとんどが単独走だ。
登りでは能力差がはっきり出るから連れ立っての走行には向かないのを知っているからだ。
平日、ワシは大越路峠を目ざした。
名前もロマンチックなら山容と道のくねり具合がまたよい、美しい峠だ。
帰りに立ち寄るそば屋の頑固蕎麦がまた一際の絶品。
休日にしか山に来られない若いひとに峠道をシェアするために、ワシは平日にしか自転車をやらないようにしている。
登りで次々に追い越されるのが面白くないという理由も少しはあるが、シェア ザ ロード は有閑おじさんの務めであろう。
登り口の分岐点で車載の標高計をチェックすると167m、トランスポーターから自転車を降ろした星野自然公園の駐車場は136mだったからここまでは大した登りではなかった。
だがここからは休みなしに332mの頂上に向かって平均斜度9%の坂を一気に登る。
場所により11パーセント超の急勾配もあり、道幅いっぱいを使って左右に蛇行しながら少しでも実勾配を減らして登る。
標高計は3秒毎に気圧の変化を基に補正される、したがってより強い勾配に差しかかっていても3秒前の計測値が表示されていることがあって、この点はリアル表示のGPS機に劣るが機器の重量と外形の小さいこと、値段の安さでこちらを選んだ。
勾配(斜度)の演算は3秒毎の高度変化に対する進んだ距離から導き出される仕掛けだそうだ。
一日の累積獲得高度も記憶されるとのことだが、家に帰ってから「標高のわかる検索無料地図 マピオン」でなぞってみるとけっこう誤差が大きい。
車載機のしくみが気圧依存だから天候気温によっては30m程度の誤差は当たり前なのだろう。
ワシが現地で今すぐ知りたいのは勾配(斜度)だ。
45度を100%として今の自転車の斜度が知りたいのだが、ブレーキを握ったまま上に向けて坂道に止めた自転車の斜度を即時表示する機器は今のところない。
ガラス管に気泡を閉じ込めた建築用のアレがシンプルで良いが、走行中にリアル数値をデジタルで表示してくれる小型の単能機は見つからない。
現在勾配が分ったところで何のアシストにもならないのはまさしく事実。むなしくレバーを操作するも既にギヤはローまで落ちている、これ以上のギヤはもうない。
あとは死にもの狂いで踏むしかないのだ。
踏み切れなくなって失速すれば倒れる。足を着くくらいなら倒れた方が何百倍もかっこいい。
倒れたまま坂の下まで滑り落ちて行ったほうが何千倍もかっこいい。
「オラは今11パーセントを登っている、足を着かずに登っている。 オラはえらい がんばれオレ! 踏め、踏むんだ!」
勾配のきつさはモチベーションを鼓舞する一助にはなっている。
きつさ辛さを勾配という数値でモチベーションに変える。この手の脳のドーピングはワシ得意なんじゃ。
ジャージの襟に超小型のボイスレコーダをクリップして勾配と心拍数と辛さの実況を声で記録している。
家に帰ってから 「つんのめりライド記」 を書くためだが、再生してみると悲鳴と罵声と呼吸音ばかりである。
喉が枯れて声にならないのだ。
水のボトルを取るために片手をハンドルから離すなんて、とても出来ないのだ。
へたれなヒルクライマーほど単独行を好む理由がお解りいただけよう。
石臼挽きのそば屋の前を蛇行で過ぎて、100mほど行ったら頑健なバリケードが現われて通行止めになっていた。
2年前の大地震でこの先に地崩れが起き通行止めの措置が取られていたのは前年来たときに知っていたが、いまだに復旧しないとはこのまま廃道になってしまうのだろうか。
この美麗かつ冷酷このうえなしの峠道がふさがれてしまうのは惜しい。
登った者だけが見ることのできる頂上からの景観は北関東一と謳われていたが、行政は数年前に麓からトンネルを通して山の向こうまで新道を造ってしまった。
地元民念願の新道であった。
この開通により高速東北道の栃木インターチェンジから蕎麦の産地まで45分短縮され、都会から昼飯のそばだけの目的で来る酔狂者が増えた。
おかげで旧道は自転車マンの好適地になり、関東のヒルクライマーにとって聖地となっていたのだ。
石臼そば屋の手前が最大勾配の11パーセント。
車載器をチラリ見て確認できた。
ここを今年も足を着かずに登れたことが嬉しかった。
同じ自転車で同じギヤ比で同じ坂を登りきれたことは、体力低下に怯えるおじさんライダーにとって自信の維持効果大きい。
頂上までは行かれなかったが、一番つらい石臼そば屋の前を昨年同様にクリアできて大いに安堵したのである。
もしも道が続いていて頂上の観望台までクリアで登ることが出来たなら、5年前と同じ体力と確信できたのになあ。
鉄のバリケードにもたれかかって大きく息を継いでいると、下からヒュンと登って来たオートバイが急停車し残念そうにUターンして坂を降って行った。
ワシも続いて坂を降ったが、新道との合流地点で先ほどのオートバイに追いついた。
コーナーの続く降りなら自転車のほうが速いのだ、腕と度胸が違うのじゃよ お若いの。
嬉しさが自転車を前に押し出す。
こういうときはグングン踏めるのだ。
永野川に沿って静かな山あいの村を行くと左手の川の向こうに寺坂峠の登り口が見えてきた。
こちらの峠は通行止めの箇所はなく、山を越えると古刹 出流山満願寺(こさつ いずるさんまんがんじ)の門前に抜けられる。
昨年登ったのは夏だったが杉木立の中の林道はひんやりして薄暗く、頂上から満願寺に向かって降るあいだに半袖ジャージではカラダが冷えてしまった。
今年はまだ早いから熊の残留者がいるかもしれないのでそのまま村の道を上流に向かう。
渓流釣りは解禁前なので沢の魚影が濃い、竿の影が映れば用心深い岩魚が橋の上の丸いタイヤの影には警戒をゆるめ流れの中で餌を追っている。
「鹿の飛び出しに注意」の看板のあたりで路上のひき蛙を見て止まった。
この先の話が先週の
立ち止まる 二匹の蟇(ひき)が 動くまで 自転車とめる 春の山道
というヒューマン短歌に続くのでございます。
来週はいよいよ寺坂峠かなあ。
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立ち止まる
二匹の蟇が動くまで
自転車停める
春の山道
蟇はひき蛙のこと、山側の土の中から出て来て道の下の農用池へ行くらしい。
作者はなんと優しいひとでありましょう。
後続の車両を自転車とわが身を楯にして止め、カエルの水帰行を見守っているのですねえ。
「がんばれカエル」
と応援したくなると同時に、
「無茶しないでよ おじさん」
作者本人の安全が気がかりでございますなあ。
今年の春は例年より早いとはいえ山はまだコブシの花、桜はまだまだです。
三月の末でもう出てくるとは思わなかった、しかも二匹連れ立って。
冬眠も一緒だったと考えるのが自然でしょう。そのような生態を知っていましたか?
止まったらなかなか動き出さないのが蟇の特徴、このあとどうなったものやら。
つんのめり短歌を送ってきたところから察するに、カエルもおじさんも無事帰還されたようですな。
よかった よかった。
作者おじさんに写真も付けて欲しかったと伝えたところ、
「ワシはピュアでリアルなヒルクライマーやで、デジカメだのケータイだのそったら重たいモンは持たん」
素っ気ないお返事でありました。
二題目
やっと来た
市税の過納還付書で
迷い始めた
決戦タイヤ
これは意味が解りませんでしたので作者のおしぐれさんにお訊ねしました。
「あんなー ワシなー、12月末に退職したやろ。そんで1月に最後の給料が振り込まれたんじゃが、市県民税ちゅうのが控除されとったんじゃ。
そんなもんじゃろと思うておったが2月になってな、市から24年度の残り分の市県民税をまとめて払えと言って来た。ワシの給与が止まったから天引きでけんちゅうての。
そやから払ったさ、ワシ優良納税者じゃけんのう。
じゃがな、明細をよく見たら1月分を二重に支払っているのに気が付いたんじゃ。天引き分と市の納付書でコンビニで払った分となあ。
そこで元の勤め先と市役所の両方に掛け合ったんじゃ。このころは寒くて練習に出られんかったから閑だったんでなあ。
おんしらー 年金生活者の生活困窮ながら優良納税者のワシから二重課税しておいて、当人から指摘されるまで知らん振りとはなにごとじゃー。
ことの瑕疵はどっちにあるのかは知らんが即刻還付せい。
いーか金利を付けて戻せよ。利率か? 納税遅延の際に重課する利率でよしとしてやる、もちろん日歩じゃー。
調査費用と電話賃についても請求権あるが勘弁してやる、ありがたく思えー。
そしたらな 昨日になってやっと市から通知が来ての、3月29日に還付の振込みをすると書いてある。 金利? 付かんわなあ。
ワシ思うんよ、金利は取って取れんことないやろけどその手続きで何万円もかかっては原資をオーバーするから諦めるひと多い、集団訴訟なら団塊屋のなーさんが専門やから任せようてな。
長い付き合いやワシの手数料はタダやろ」
は〜 それで、決戦タイヤとは何です?
「それや、先週のつんのめり俳句でお知らせしたろ。サイクルエイドジャパン用の本番タイヤじゃ。
いま付いているタイヤは本番出走前に替えとかなならん、練習走で来月末にはツルツルになってまうでなあ。
大会会場で周りの選手共をビビらせるビビットかつ超スペックのタイヤを履いて行かなならん。優勝本命やからのう。
じゃがなあ、そーゆータイヤは高いんじゃ。
勤めておったころはポイポイ替えとったタイヤを取っておけばまだ使えたのになあ、年金生活者はトイレだってなるべく公園でするようにしとるんやで」
は〜 それじゃ犬ですなあ。風呂は公園の噴水池ですか?
「そんでな、Amazonと楽天をよーく見比べて、安くて長持ちして見た目もマアマアで送料の掛からんのを選んで発注したんや、おとといのことや。
そこへ昨日の還付通知やないか、間ぁーが悪いのう。
業者の動きを見たらもう発送しとる、これをキャンセルしてビビットで超スペックのおフランス製のヤツと交換して貰うにはどうすれば良いのかお悩み中なんよ」
は〜 おフランス製ですか。ミシュランですな、それともピレリ?
「うん 生産国はタイランドか台湾なんじゃが伝票は本国経由なんじゃ。日本のP社だってB社だってそーやで。
製品のバラつき度では日本のを選んだほうが良いのじゃが、周りをビビらせるのも作戦のうちやからのう」
は〜 それより水道料金を払ったほうが良いと思いますがねえ。
一緒にサイクルエイドを走る勇者募集中
老若男女問わず 自転車とヘルメットやウエア等一台分用意あり(無償) 懇切指導 エントリー費用は本人負担 滞在費は野宿につき安廉。
出走により得られるメリット : 特になし 南東北の明るい田園風景と限りなき自己満足だけ。幸運なら福島テレビ経由全国放映かも。
最終ゴール後、打ち上げパーティあり(落伍者でもバスで回収参加できます)
大会詳細 : サイクルエイドジャパン2013で確認されたし。
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添付の写真、 埴輪に見えるのはアナタの仏心不足なり。
これは 仏さまですがな、 断じて仏さまです。作者がそーいうのだ それでいいのだ。
ワシが彫った 一日がかりで。
自転車小屋が削りかすで粉っぽくなった。切り出しのマメが右手の親指にできた。
素材は建築現場でひろった樹種不詳の木っ端、文句あっかー!
170×80×60mm 小品ながら100年後には国宝であろう。少なくとも家宝としては取り扱って貰いたいと遺言状に加筆。
さて本日は春の彼岸、お墓参りには何時に来るのかとおふくろから電話。
「ごめんね 東日本復興支援サイクル エイド ジャパン2013という超国際級のイベントに出るので、その練習で暫くは行けないんだ。
おやじのこと? 忘れちゃぁいないよ、練習ロードの渡良瀬遊水地近くの赤麻寺にある六地蔵さまに手を合わせているよ。本当さ 夜には木像だって彫っている。
レース? うん 福島テレビに映るから放映日を連絡するよ。大丈夫だよ、ちゃんと飯は食っている。健康診断も受けているって」
ワシ、おふくろに嘘をつくわけにはいかんから今日は練習をやめて木像作りをした。
ワシのお師匠はあの円空師だからこれを埴輪と言われてはお師匠さまに顔向けができん、諸事情お察しくだされたく。
*サイクル エイドが終わったらこの仏さまを届けにおふくろに会いに行く。
完走証を持って行くのはもちろんである。 あるとも … ありたい。
ここで一句
「お彼岸に 行けぬ理由に ほとけ彫る」
俳句の背景説明はすでに済んでいる。
題名の 「おしぐれ」 を説明する、
おしぐれ=お時雨 しぐれ雨のようにせわしく落着きのない様子、またそのような人物をさす。さすらしい。
ワシ、子供のころから おしぐれ俊ちゃん といわれて来た。
「あのねー ワシは忙しいのよ、天才がアレしろコレしろって脳内で走り回るのよ。時間が足らん、ワシを止めたらアカンでー 腹にダイナマイトくくっとるんやからなあー」
*について
cycle aid Japan 2013で検索可能(カタカナでもOK)
6月8日の白石市と9日の福島ゴールのコースにエントリー済み、2000人が150km走れば300万円が被災の自治体に寄付される。
ワシ、もう一台もっている。出たい人あったら使っていいよ。あのカド号です。
ダイナマイトについて=検査結果は来週になると。
「何とも思っちゃあいないよ、ワシいそがしいんじゃー」