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「和尚、町のライダーどもの間で流行っている いん行 ってなに? オラだぢも参加できるっぺーか」
「おぬし何処でそーゆー享楽的 刹那的、かつ魅力的なネタを仕込んでくるのだ。
オラだぢと言ったな。 ワシのことではあるまいと確信はしておるが、他に誰だ?」
「オメさんだがや。 行きたくねーのけ」
「あのね、拙僧の立場というものを考えろ。 ワシも連れて行けなどと正面から答えられようか。 ばかたれ。
そーゆーときはな。 行く先 目的を言わず、ワシに目隠しをして手を引いて行くものじゃよ。
乞われれば何処にでも行って説法するのは仏僧の勤めじゃからなあ。 はっはっはー」
「 和尚ぉ〜、 オメさんもホントは参加してーだか? 直接的に言え。
そらー心強いなあ。 オラは未経験者だでなあ、よろしく頼むでや、いん行のベテラン」
「これ、大きい声で言うな。 ご本尊さまに聞こえるではないか。
会場は何処だ? 塞爺いのところか」
「いやー もうちっと遠くだんべえ。 電車で行くだもの」
「電車? ほー 都会か?
どーも怪しいな。 都会碕玉には陰謀の匂いがする。
こっちは村役の選挙だがアッチは知事選じゃ。 銭形のヤツが目を光らせておろう。 ワシは行かんことにする、おぬしも止めておけ」
「なんでよー? 乗り気だったじゃないか」
「お前さん毎晩のように塞爺の選挙事務所で酒食のもてなしを受けておるというではないか。
県外なら足はつかんと碕玉のほうまで出掛けて行ってお色気接待を受けようというのだな。 この果報者め、いやいや軟弱者め」
「 ・・・ ?」
「お前さん、酒食のほかに色も食ろうたら公職選挙法に3倍も抵触してしまうぞ。
半漁人とはいえ意図的 組織的だから逮捕は時間の問題だな、公選法の3倍罰はよくて死刑だ」
「悪ければ?」
「野ざらし じゃ」
「なんでよー? いん行するだけじゃないかあー」
「それがいかん!
いいか。 逮捕拘留されれば飯くらいは食わせてもらえるからお前さんはそれでもよかろう。
お前さんが紅ショウガを省略した並み盛りのカツ丼に目がくらんで、接待の実情をべらべらしゃべれば公選法違反の嫌疑は容疑に固まる。
候補者本人の塞爺いは連座より罪の重い主犯として投票終了と同時に検挙され、当選は無効となる」
「げげげ!」
「それでは何のための選挙だったのか意味がなくなろう、塞爺いもそれくらいは解かっていると思ったがなあ」
「 ・・・ 」
「しかも選挙事務所でいん行とは前代未聞の破廉恥事件だ。 次の選挙にも出られんわなあ」
「違うよ和尚、いん行の話しは出入りする支援の若い衆が昼飯のときに仲間内で話しているのを聞いただけだ。
そんで和尚にいん行ってなんだ? って聞いたんでねーが」
「このやろ、公選法違反をとぼけるつもりか?」
「何のハナシだね。 オラは選挙事務所の臨時職員だからその日の解散時に夜食を支給されている。
寝る前に塞爺いと飲む酒は近所の自販機から塞爺いがポケットマネーを出して買ったものだ。 この時点でオラと塞爺いとは友人関係だ。
これは選挙運動とは一線を画した完璧にプライベートな飲食だから法や官憲の介入する処ではない。
公職選挙とは確かにデリケートなものだ。
そのなかでわれわれは公正に戦って堂々と勝利する。 後世に1点たりとも汚点を残すことがあってはならない。
たとえ出先の者が犯した間違いであっても当主が腹を切れ。
これが明治以来脈々と受け継がれた塞家の選挙訓である」
「ほう ほう お前さま、マニュアル通りの返答だなあ。 で、何の職員なワケ?」
「事務所の宿直係りだ、みんなが帰ったら鍵掛けて朝までは寝てもいい。
選挙カーの中の候補者が乗る馬に悪さする対立候補の破壊工作員がこっそりやって来て、厩舎の前で月夜茸の混じった人参をポケットから出して馬に見せたなら動かぬ証拠。
間髪を入れずに犬のゴン太が自動撮影カメラの照明スイッチひもをくわえて引く。
オラは急いで起きてパンツを穿いたら雀追いの爆竹を四方八方に投げ付ける、パンツを穿かないと火傷するでなあ。 逃げる工作員をゴン太が追撃して撃退する。
そーゆー係りだ。 オラとゴン太とセットで時給千円だ」
「ほう、すると臨時の宿直員はゴン太。
おぬしは爆竹を闇雲に投げるだけの投てきマシーンという訳か、酒飲んで裸で寝ていてもいいワケじゃなあ。 せめてパンツは穿いていろ」
「だんべえー、 だから選挙法違反の恐れも可能性もない。
なぜなれば、オラとゴン太は厩舎の宿直員でもあるワケだから当然そこに居合わせたことになる。 選挙事務所は厩舎の一部を期間中だけ借りているだけだからよ。
オラとゴン太に課せられているのは馬と建物施設を身を挺して警護する重要なミッションなのである」
「ほう ほう ほう、よく訓練された宿直員である」
「だんべえー。 1票の重みってーやつよ。 オラは選挙権あるかんなあ。 オメさまと違ってよーお。
気がかりは夜中に人に向けて爆竹を鳴らす火薬取締法違反だけだそうだが、オラが投げる爆竹は人に向かってではねえだよ。
厩舎に備蓄のかいば飼料を狙って山の猪が出たんで、雀追いを鳴らして追い払ったと言い張ればお咎めなしだと塞爺いが保証している。 さすがは塞翁が馬だなや」
「おぬし、どーゆー意味で言っているの?」
「ん、塞翁が馬かい? 塞爺いの馬は馬場馴れしてっからファンファーレだの雀追いの爆竹くれーではビックリしねーって意味だんべー。
それより いん行 って何だ?」
「あのね、それは地球で人間だけがまだ未熟だという証拠なんだが、欲望渦巻く人間界特有の煩悩なワケよ。
お前さまたち半魚族はとうに高潔の高みに到達されていらっしゃるから、そーゆースケベ煩悩はないの。 徳川埋蔵金探しに専念しなさい」
「スケベなハナシなのけ? なんでも自転車を電車にinする袋がどうとかこうとか言っていたが、スケベな袋って玉ブクロのことだったのかあ。
そうかあー。 オラは半魚だから玉は1個しかねえなあ。 爆竹で火傷しねーでよかっただよー」
「なに? 自転車をinする袋? そりゃー お前さま、輪行でないの」
「りん行 ・・・ け?」
「輪行袋という布ケースに自転車を入れてな、車輪やペダルなどを完全にカバーすれば肩にさげて電車内に持ち込みinしてもよいJRのシステムじゃ。
ただし混雑の時間帯は避けねばならん。 一般客に配慮して車両の一番前か後ろの端の座席を取ることもエチケットじゃ。
それとな、あの股間もっこりの自転車パンツは公序良俗という点で電車内では問題があろうから薄手のオーバーパンツを着用して行け」
「もっこり 公序良俗 いん行ではないワケね?」
「輪行を利用して知らない土地を自転車で走るのはいいもんじゃなあ。
旅情じゃ。 おぬしの好きなキャサリーン・ヘップバーンじゃ」
「それだあ 和尚、ヘップバーンの旅情だ。 早く言え。
オラはよ、選挙が終わって給金もらったればゴン太を連れて北陸新幹線で輪行ってのに行ってよ、輪行島あたりを走ってみてえだよ。
塩田のしぶきを浴びたってよ、オラの自転車はカーボンだで錆びねーだんべ。 ゴン太にはノドグロの干物を食わせてやりてえ。
犬に塩気はいけねえから目の前で塩なし干物を作ってもらうだ。 輪行島でよ」
「輪行島? ノドグロの干物? ははぁーん 石川の輪島のことか。
おぬし憶えておるか、昔ふうてんの寅さんと茶色い犬が沖の方を向いたまま黙って突堤に座っているいい写真があった。 あれは間違いなく日本海であろう。
ふたりの後ろ姿と脇に置いた古びた皮かばんだけ、旅情だなあ。 泣かせる風情だったがあれは鞄屋のコマーシャルだったかも知れん」
「輪島ぁー りん行ぉー かぁばんー 旅情ぉー いい日ー 旅立ちー 百恵ちゃーん」
「旅情は良いがの半魚の鬼どの、はたして実現はどうかのう。
しっかりパックすれば自転車は問題なかろう、水かきをグローブで隠せばおぬしもOKじゃ。 じゃがゴン太がなあ。 旅客の手回り品の一部と認めてもらえるかどうか。
それにおぬしだって酒に酔って油断の寝姿は半魚半鬼の魔人ぶりじゃでなあ。 目が覚めたら鉄道警察隊が捕鯨銃を構えてまわりを取り囲んでいたりなあ」
「なにいうだあ、犬は電車にだってレストランにだって入れっぺ。
ゴン太は賢い犬だあ、知らない人には目を合わせずに間合いを取ってじっとしていることが出来る。 仕事以外には吠えたりしない。 水洗トイレの使い方も知っている。 オラも知ってるよ。
他人に迷惑は掛けねえ」
「電車やタクシーに乗れるのはペットの小さい犬だ。 目安として耳が垂れていることだ。
ゴン太はデカ過ぎる、出会ったひとに畏怖を感じさせてはペットの枠をはみ出てしまう。 あれはシンガポールのマーライオンの子ではないのか?
レストランや遊園地にそのまま入れるのは盲導犬や介助犬として登録され、そのむねのスタッフ胴衣を着用した見た目のやさしい犬だけだ」
「塞爺いは馬に乗って県庁にだって行くが誰もなんにも言わねーぞ。 それどころか街道の商店の親爺が代わり番こに出て来て交通整理までしている、動物差別だんべ」
「ひとの乗った乗馬と馬の曳く馬車は車両なんだ。 それに塞爺いはかつてこの地を治めた藩侯の曾孫だから今でも街道筋で人気がある。
明治新政府が定めた太政官布告により訓練された馬だけは別格とされた。 陛下の召馬は平安時代からの公式御乗り物だからだ。 牛車もそれに倣ってクルマということになっている。
よって平民でも車道の左端を信号に従って進んでよい。 ただし乗馬が条件、曳いて歩く場合は右側を行く。
それから100年以上経っているが、近年は馬車も牛車も極めて少なくなったから布告の見直しは検討されていない。 馬が車両なのは今も法律だ」
「法律かあ。 塞翁が馬ってゆうコトワザはそーゆー意味だったのかあ。
んじゃーよ、ゴン太のタテガミを競馬の馬風に編んでポックリ下駄履かせてリヤカー引かせればよ、オート三輪の70ナンバープレートを貰えるっちゅーワケやな」
「お前さま、とっとと選挙事務所へ帰れ」
数日後、懲りない鬼が中古の車を運転してやってきた。 ナンバープレートが付いているのでおしぐれ住職は安心した。
この鬼、ときとして変な乗り物で公道を行動してくるから目が離せないのだが、今回はまともなバン型車である。
「和尚、電車がダメならコレで行くでよ。 自転車が積めるようにしてくれ」
「どうしたのこの車?」
「選挙が終わったでよ、役目を終えた選挙カーをもらったんだ。 馬をもらうよりはこっちのほうがいいべ。 ガソリンで動くでなあ。
うまい具合に屋根の上に演説ステージが乗っかっている。 あそこに自転車を積めるようにしてくれ」
「してくれって、あんた。 車載用具は準備したの?」
「ない。 和尚なら何とかしてくれるっぺーよ、屋根に自転車を積んでゴン太とオラが車内で寝られるようにしてくれ。
オメさん、得意だっぺよこーゆーの。 お経よりよっぽどなあ。
旅情に行くんだ。 塩田ロードとノドグロの干物だ。 待ってろよー 輪行島ぁー」
「あのな、鬼どの。 折角の屋根上ステージだがのう、そこに自転車を載せて低いガードをくぐり切れずに落としているチームサポートカーを何度も見ている。
おぬしは都会に行くことはなかろうが立体駐車場にも入れん。 それに、旅の伴侶ともいうべき自転車機材を雨に濡らすのは忍びなかろう。
盗難防止の意味合いからも自転車は車内に入れるのがベストなんじゃ」
「うん、でもオラとゴン太の居住スペースは確保できるのけ?」
「そこじゃ、下の写真を見ろ。 室内幅の3分の1だけ自転車に当て、残り3分の2があれば夜露をしのぐには十分。
室内はゴン太に譲ってお前さまは屋根に上がって星を見ながら酒を飲み、そのままゴロンと板の間に裸で寝るというのが一番ええ旅情やないのけ?」
「OK それでこそ旅情だがや。 オラは工作苦手というか水かきの手だからオメさま作ってけろ」
「おしっ、作ってやるから材料費を出せ。 最初に5万、即金だ。 完成引き渡し時に10万」
「オメさん、僧侶のくせにひとの弱みにつけこんで金を取るのけ? 友情ではないの」
「ないのよ。 お前さま選挙事務所のアルバイトでしっかり稼いだじゃないか。 ゴン太の働きだがなあ」
というようなやり取りの末、中古の選挙カーを改造して鬼さんの旅情カーを造ることになりました。
やり取りが長かったので第1景はここまでです。
塞爺いが当選したかどうかは全然問題にならないワケで、どうしてこんなに長びいたのかわかりません。 つづきは第2景のこころだあ。
おわり。
写真
左 : 参考に見せた室内積載カーの様子、室内には十分な空間が残ります。
車両は2人乗りに変更申請必要。 商用車ベースなら不要。
自転車重量はサドル前部を引っかけた天井のパイプが担保し、揺れを抑える前後の装置を加えた3点支持。 これは自転車サイズが変わっても左右前後に固定位置を変えられます。
ゆっくりやっても積載2分、荷下ろし1分半。 その後、前輪を取り付けエアを充填して準備体操をしたら即出発可能。 後輪を外さない当方式のメリットです。
後輪の右奥に写っているのが前輪、いずれもクイックリリース採用にて工具不要で着脱。
車両運転中にときおりミラーで揺れ傾きをチェックしていますが、動き出したり異音がしたりということが驚異的に皆無。
天井パイプに付けた印は500Kmの移動にも変化なしでした。 おしぐれ工房、最高傑作のひとつに数えられる車載装置。
中 : 自転車を積んでいないときの室内。
なにやら小物入れが見えますが日焼け止めやらお数珠やらが入っています、底部をマジックテープで固定。
前方のシートとの境目に衣裳ケースの木箱と簡易冷蔵庫の上面が見える。 床面と面一なので全長1950mm全巾800mmの自吸式エアマットが敷けます。
窓に吸着式ブラインドが全面取り付けられ、サービスエリアの眩しい照明下でも安眠。
鬼さんに提示した15万円はそれら室内機材を含む価格であり、おしぐれ工房には酒代ほどしか残らないのでございますよ。
右 : リヤタイヤ部を固定する器具。 おしぐれ工房オリジナルなので名前はないが涙ものの逸品。
中央の凹をタイヤに押し当てて固定すると、ブラブラしていた自転車がピタリと動かなくなる。
自転車の自重を利用して固定する理論は目からウロコ。 出せば日本発明協会の名誉会長賞間違いなし。
写真では薄汚れたイメージに写っているが廃品を利用して思考しては試行、思索しては試作を重ねて完成させた証し。 鬼さん車には新たに作るから美品が取り付けられる予定。
これは1万円いや5千円欲しいなあ。
断言します、どこのショップにもこのアイデアの車載装置はありません。 一品ものの受注工事にのみ対応。 商社による商品化の問い合わせには応じかねます。
皆さまにご来場いただいております 「潤沢ヘルスセンター劇場」 でございます。
只今の時間、舞台は暫時の休憩をいただいております。
開演時刻まで木戸の出入りは何度でも自由でございますが、この近隣に蕎麦屋 喫茶店 ブティックなどはございません。
飲食のご用命はヘルスセンター厨房よりお運びいたしますのでご用命くださりませ。
また、当会館内の温泉施設 「だんかい湯」 に入浴されますと、運がよければ湯上りに 「下野名物 レモン牛乳」 を腰に手を当てて飲める特典がございます。
1日10本限定入荷の売り切れ御免でございますので入湯前に番台に予約をしておくとよろしいかと存じます。
脱衣場裏の番台に座っておりますのは裏磐梯から来た出稼ぎ山姥、アダチ婆ぁでございます。
山姥とはいえ元は女でございますから若い女性客のど派手な下着は嫉妬の元、籠の下側にしっかり押し込んでくださりませ。
申し遅れました。 わたくしセンター劇場の店長黒子でございます。 開演までの寸時をいただきまして皆さまにご案内をさせていただいております。
黒子でございますから名前はありません、お料理 お酒などご用の際には 「黒子ぉーっ」 とお声をかけてくださりませ。
さて出演中のでほらく二人組でございます、出番までの時間を利用してこの先の峠へリフレッシュライドに行きました。 元気ですねえ。
元気ならリフレッシュなどいらないじゃあーありませんか。 なのにお客様をほったらかして出かけて行ったのです。 それも まぁー あの山姥コーナーを攻めてくるなどと一丁前なことを言って。
前幕にて相方の鬼村半魚が落車したという例の魔のコーナーを検証しに行ったに違いありません。
あれはバーテープが弛んで不覚を取ったということでしたがそーじゃーありません。 あそこは必ず落ちるんです、あのふたりの技量ではねえ。
外足加重がうまく出来ないくせに進入速度が高すぎる。 ブレーキのタイミングが合っていないうえに思い切りが良くない。
ブレーキはね、だらだら掛けてはタイムロス。 シュパッと掛けてタイヤのラインを読み切る。 それを技量と言うんです。
落車しても背中で滑って行けば崖の途中のモミの木が抱きとめて呉れるなどととタカをくくっているところがあの二人にはあるのですよ。 そーゆーのを他仏頼願といいます。
そーゆー態度では技能の向上など望めません。
はっ? わたくしですか、はい 自転車競技の名門、作新学院自転車部で3年間補欠でありました。
アニメ 「弱虫ペダル」 のモデルはわたくしではありませんが、あの峠ではさんざん泣きました。
でも正選手はもっと泣いて、泣きながら泪でチェーンを潤滑しいしい走っているのを見ています。
わたくしのようなへたれでも膝と肘に転びダコが今でも残っています。 だからお遊びライダーは許せないのです。 ないのですが仕事ですからふたりには帰って来てほしいのです。
この矛盾の模索を戦後レジュームからの脱却と言うのでしょうか。
それにしてもあのふたり、開演中のこの時期に危険な山に行ったりして、演芸のプロがそーゆーことをするかあー。
もしもふたりとも帰って来なかったら、お客様に木戸賃を返さねばならんでしょうや。 お車代だって付けねばならん。 劇場の経営というものを何と心得ておるのか。
わたくしは黒子ですから出演者のプライベートな休み時間にまで関与したくはありませんよ。
ありませんがあのふたりには滅私奉公 七生奉国という日本古来の美風が感じられない。 あるのは七転八倒だけです。
「そうだあ〜 黒子ぉー いいぞぉ〜 そのままお前がトリをとれー」
「黒子ちゃーん、おひねりを投げるから黒子頭巾を取ってお顔を見せてえ〜っ」
今小屋に掛っているでほらく二人組の出し物は、梅雨の時季に自転車ライドを自粛していたおしぐれ住職と濡れるの平っちゃらの半魚人、鬼村の掛け合いです。
おかげさまで4幕まで上演が進み、来場客数も尻上がりに増えてきた処でございます。
この瞬間はわたくしがあのふたりをコキおろすことでお客様のお怒りが暴動に発展しないように努力している裏で、スタッフが急ぎ又吉さんにオファーを続けております。
このままでほらくライダーが帰って来なくても、又吉さんならスーパーエンターテイメントですから木戸賃返せ騒ぎにはならないでしょう。 ギリシャだって取り付け騒ぎには至っていない。
「なに! ピースの又吉直樹が来るってかい?
聞いたか皆の衆、芥川賞の又吉が出演するんだってよ。 てーしたもんじゃのう 場末のおしぐれ劇場」
あのー お客様、わたくしが又吉と申しましたのは芥川賞受賞の又吉直樹さんでねぐ、下の潤沢の住人で山女魚名人のカワウソ又吉さんのことでございます。
越後は燕三条で鍛造された業物爪でさばく山女魚・岩魚のお造りは絶品。 必ずやお客様の舌を満足させてくれるでしょう。
「このやろーっ! ピース又吉が一躍脚光を浴びることになったのでカワウソの又吉を当ててきたな。 ペテン師黒子めーっ。
虎の威を借るペテンのテクはオメもでほらくライダーと同じ穴のムジナでねーがあー!」
いえ あの ムジナでねぐ、カワウソ ・・・ 。
あの お客さま、芥川賞の発表は安保法案衆院通過日と同じ7月16日でございました。
しかるにカワウソ又吉のおしぐれ劇場デビューは過日の第2幕ですでに果たしており、さらに川魚お造りの技の話題を盛り込んだ第4幕のロードアップは7月13日でございます。
ですから又吉の話題は当然当方が先で、その人気に目をつけた芥川の選考委員が ・・・ むにゃむにゃ。
当劇場ではピース又吉氏の類い稀なる才能を以前より高く評価いたしておる処でございます。 出来ることなら舞台に呼びたいほどでございます。
ですがお客様、そのことでカワウソ又吉に又吉の名前を使ったということはございません。 カワウソ又吉は 「マタキチ」 でございます。
おお ちょうどでほらくライダーふたりが帰って参りました。 えがった えがった。
案の定ズタボロになっての生還ではございますが、舞台には上がれそうでございます。
なあーに、おしぐれ寺山門の名水蹲踞(つくばい)の水で顔を洗ってモミの木の葉っぱと額に吸い付いたヒルを落とし、破れたジャージを着替えれば大丈夫。
ほれ、衣裳さん お化粧さん いそいで 急いで。
そうそう、帰ってきたといえばお客様、遠地に流されていた 「北のやまから」 さんが帰ってきているのを知っていました?
昔は流刑といえば大宰府でした。 最近はもっと遠いフェニックス宮崎の延岡なんですね、何れにせよ防人の地です。
航空機の利用で1日で帰れる距離になってはいますが、延岡なら朝いちで出発しても本社に辿り着くのは午後5時の退社時刻をやや過ぎるころ。
その間にタイムカードを隠して門扉も閉めて帰宅してしまおう、 「ご苦労さん」 なんて言うものか。
左遷の断を下したかつての上司がお礼参りから身を守る手段を行使するにギリギリの距離が延岡なんです。
次は沖の鳥島の駐在員を命じる辞令をもらったそうです。 船は月に1度だけなので独身寮で待機中です。
彼はいったい何をしでかしたんでしょうねえ。
さあ 間もなく5幕の開演でございます。 今しばらくお待ちくださいませ。
お客様、又吉直樹氏が 「火花」 で芥川賞に決定したこと、終演までおしぐれさんには内緒にしておきましょうねえ。
あのひと自分も候補のひとりだと勝手に思い込んで知らせを待っているのです。
この村に住所登録がないから郵便が遅れているだけだと、そう思っているのです。 不憫でなりません。
黒子のご案内おわり。 5幕は次回に。
写真
左 : コルナ号のフレームがカーボン仕様に変貌しました。 正しくはカーボン調仕様というべきですね。
魔の山姥コーナーで落車したとき、モミの木に引っ掛かって止まったのですが車体にダメージを受けました。 (写真 中 に破れたコルナゴのメーカーロゴシール)
峠山から帰ったときの 「落ち武者のような惨めな写真」 は公開できません。
そんな恥ずかしいことをしてご覧なさいましな、世界中のコルナゴファンから火炎瓶を自己融着テープで固定したボウガンの矢を射込まれて完全落城するでしょう。
修理は破れたロゴのデカールを全部剥がし、フレーム全体を磨き直してロゴのあった部分にはカーボンシートを加工して貼り付けました。
なにも貼らないことも検討しましたが、デカール位置は塗装面より0.2mmほどの段差で低くなっていることが分かったのです。
つまり塗装面は0.2mmの厚みがあって、デカールを貼った状態で面一(つらいち)になる計算になっていました。
純正ロゴのデカールはイタリアに発注してもいつ届くか判らない。 純正デカールはフレーム#と状況写真を送ってやっと1台分送ってもらえるほど管理がやかましい。
ネットで見るコピー品は安いけれどそれを使ったら世界中のコルナゴファンから非難の嵐が ・・・ 。
そこで自分で作ることにしました。
自動車のボンネットなどに貼る0.2mm厚の生成りのカーボンシートをAmazonで入手、純正デカールと同じサイズに切り出して接着しました。
団塊屋トップページの店主独白にあるように、ボクらはかつてホンダN360とかトヨタレビンにテープのカセットステレオ世代ですからカーボンよりアルミのほうが馴染みがある。
でも現代を生きる爺さまは進化してカーボンでしょう。
内緒にしていますが実はボクらはカーボン大好き爺さまだったのです。
でもでもでも、フレームだけはクロモリを譲れない。 この説明不能で理不尽な葛藤との闘いに敢えて挑むことこそ、いずれ迫りくる老いに立ち向かうエナジードリンク Red Bull の精神なのでございます。
アメリカのドリンク剤 Red Bull がなぜあれほどデインジャラスでチャレンジングなスポーツシーンをスポンサードするのか?
会ったことはないけれど社長さん自身がカーボン大好きなんじゃーないでしょうか。
フェラーリレッドのフレームにカーボンの規則的な織り目がキラキラしている黒の胴抜きは、少し品位を落としたかなあと思うものではございますが出陣前の鎧武者を彷彿させると思いませんか?
写真には前輪がありません。 曲がったので外したのではなく、スタンドなしではこうしないと自立しないからで、普段からこうしています。
久しぶりの全体写真です。
数年前のもの(バックナンバーの何処かには載っているはず)と比較するとハンドルの上下向きに 「つんのめり」 がなくなって、サドルが前上がりになってきています。
さらに数年後には自走式車椅子の写真を掲載することになるのでしょうか。 Red Bull のステッカーを賑やかに貼ってねえ。
中 : 破れた純正デカールの一部、惜しいことをしました。 これを神棚に置くか仏壇に納めるか考え中。
C の前のオリンピックカラーは5大陸チャンピオンを獲得したモデルにだけ許される。 このモデルがそうだが、ボクは剥がしたあと敢えて真っ黒なカーボンシート地のままとした。
左 : とはいうものの、小さな 「左」 マークを遊び心でココに1個だけ貼ってみました。
左の字をつくる エ が ヒ になっていることに注目、PCでは出せない文字でした。
これは名人 左甚五郎の屋号のコピー、意味は 「ブレーキが左前配置ですよ、あなたはこの自転車を盗っても乗れませんよ」 と悪戯者に警告しているのです。
上の方にエルネスト・コルナゴのサインが見える。
ブレーキ取り付けのブリッジに社章の三つ葉の刻印も。 カーボンシートの貼り付けでメーカーロゴが無くなりましたがこーゆーところがコルナゴなんですねえ。
あまり関係ないけれどブレーキワイヤの曲がり具合がセクシーです。
↑ この上あたり
矢印の先にある4ケタ数字の処にカーソルを当てるとここ数日間の当欄への訪問数が示されるようになっておると大家さまより教えていただきました。 どれ程の確度なのかは判りませんがこのところ低迷の一途であります。
冷徹の大家さまから 「稼ぎのないものは出て行け」 と無言の圧力を与えられておるようで、冷たい汗が首筋を伝います。
この時期、汗が流れるのは代謝が健康な証拠とはいえ、冷たい汗はいけません。 飲み物は熱いお茶、サプリは亜鉛、来たるべき夏に備えましょう。
この FC2 モニター、なんだか作為の匂いがしなくもない。 言ってはならんことだが大家さま同様に胡散臭い。
それでも数値で示されると反論に窮するデジタル不得手のおじさん作家は読者の皆さまに救いの手を求めるしかありません。 「いいね」 をクリックすると自動的に難民支援団体の口座に募金されるようなシステムはございませんので (そんなテクはもとよりございません、「いいね」 のボタンがないんだもの) 安心してお寛ぎくださいませ。
その前にいったんシャットダウンしてトイレ退席をお薦めします。 その後再入場していただくと2票獲得出来るんと違います?
おーい 帰って来てくれるんだろうなあ、ログアウトのまんまじゃいかんよー。
4幕より標題を少し変えてみました。
目先を変えて訪問者数を増やそうと、作家だってこれでなかなか涙ぐましい工夫をしているのでございますよ、大家さま。
それでは4幕の開幕です。 ごゆるりとお寛ぎくださいませ。
黒子 敬白
こらーっ! 黒子が表に出てはなんねーべえーっ。
4幕 自己融着テープ考
「なあご坊、なんとかなんねーかや。 べたべたしてしゃーねーだよ」
梅雨の合間のわずかな晴れ間。
おしぐれ住職めずらしくご本尊さまをぬか袋で磨き掃除などしていると、勝手に入ってきた峠の鬼が大声をかける。
しぐれ僧とはいえ仏僧がご本尊さまに奉仕している後ろ姿はそれはそれは神々しい。 ここは神社でなく寺だからもしかしたら仏々しいと書くのであろうか?
玄関から本堂の間まではチョイの間でありながら大声でないとたすき姿でブツブツ言っている住職には聞こえない、そう思わせる端正なるたたずまいなのでございます。
「おお これは、誰かと思ったら峠の鬼こと半魚人の鬼村どのではござらぬか。 それとも鬼村こと半魚人の鬼どのか。
どちらにしても半魚人に変わりはないがそんなに大声で怒鳴らんでもワシはまだ呆けておらんぞ。
はて、その薄汚れた格好から察するに、本日の峠攻めは一敗谷に落ちての敗走の途中でござるか。
ちょうど良い、本尊磨きに飽きておったところじゃ。 敗走の将をかくまうのも寺のつとめ、背中に刺さった矢を折ったなら血糊のわらじを脱いで早よう入りなされ。
心配はいらん、うちのご本尊は超絶クロモリ鋼にフェラーリと同じ工房の13コート塗装じゃ。 血糊の匂いごときではカビたりいたさん。
なに? 13回も塗るのかって? あたり前じゃ。 コルナ仏もフェラーリ神もミシュランの13聖人に列しておられる」
「 ・・・ 」
「如何された? せっかくのご来訪じゃ、わらじと矢羽を隠したら外の蹲踞(つくばい)にて薄汚れの俗界塵を清めなされ。 そののちに臓腑内の俗界垢も清めましょうぞ。
本日は檀家さまより戴いた柳陰がござる。 まもなく下の沢から山女魚も届こう。
(作家注)
柳陰 : (やなぎかげ) みりんと焼酎を混ぜた大衆酒のことだが禅寺では高級清酒をあえて柳陰と呼ぶ。 般若湯というのは燗にていただく際の符牒。
先ほど沢に柳陰を冷やそうと降りたらカワウソの又吉がいての、翡翠の石でよく砥いだ爪で山女魚を三枚におろしてくれるというんだ。
帰りに採ったワサビもあるぞ。
それにしても鬼どの、ご来臨は妙にピッタリのタイミングでござるな。 刀折れ矢尽きても嗅覚だけは達者なら、なーに かすり傷じゃ。 まだまだ死なん。
お前さまのペテン傷に本生ワサビは沁みようて、蠅もコロリの天狗月夜茸のすり下ろしがよろしいか? 鮫皮おろしはあるんじゃが鬼おろしは何処に置いたかなあ」
「ご坊、その回りくどい言い方はやめれ! オラは峠の鬼と呼ばれてはいるが、あんたの言うようなおどろ魔界のホントの鬼ではねえだよ。
ひとを打ち負かされた追いはぎみたいに言いやがって。 ぷんぷん」
「そんなことは言わんよ、追いはぎはそれなりの恰好をしているものだ。 熊皮の山羽織に火縄銃だ。 ハンドルの曲がった自転車など携えてはおらん」
「薄汚れた格好で悪かったね、オラの勝負服だ。 落ち武者をイメージしたパールイズミのオーダー品だぞ。
谷に落ちてハンドルが曲がりジャージも少し破れたが、落ち武者の風格が増したとこれでけっこう気に入っているんだ。
それによ、誰かと思ったってよー、こーんなボロ寺にご来訪するのはオラ意外にあっかやー」
「おや、 ご機嫌がいささかな風でござるな。 人間これ万事塞翁が馬という、平常心であられよ。 いやいや これは失礼した、おぬしは鬼であったな」
「 ・・・ あに? 檀家の塞爺が馬に乗って柳陰を届けて来たってかいね。
そりゃー住職、気をつけねばなんねーぞ。 村役の選挙に巻き込まれてはなんねー。 政教分離は民主国家の基本だ。 ローマ法王の右も左もないあの姿勢を見習え」
「鬼どの、ご高説はありがたいがの、吠えていないで顔を洗ったらどうじゃ。
山ヒルが2匹額に吸い付いておるぞ。 膨れあがって真っ赤なヒルはまるで鬼の角のようだが、もしかしてそれは自前の鬼角か?」
「びえー ヒル〜っ! 早く言ってよー」
一刻後、でほらく庵に梅雨の合間の西日が差し込むころ、僧坊の万能作業台には早々と柳陰の土瓶と山女魚の刺身を盛った熊笹の皿が並び、清新の合掌修行が始まった。
街中ならこれから店を開けるため盛り塩をしてのれんを出すころであろうが山内は夕刻の訪れが早い。
なによりこれは禅修行の一環だから早く始めてすみやかに禅宴に移行するのだ。 合掌は一回。
梅雨明けを待ちきれない夕蝉が盛んに鳴いて、蝉しぐれの中の冷えた柳影は絶品であった。 酒も臓腑に落ち着けば色がないから政教分離などこの寺には関係ない。
だいいちおしぐれ住職は住民登録が済んでいないので村の役場に選挙権がない。 前住地を 「月」 と書いたら転出証明が取れないとの理由で保留になっている。
こーゆー行政の遅滞はいかんと檀家の塞爺も言っていた。
「又吉どの、おぬしが造る刺身の技は見事じゃのう、小さな身を綺麗に開いて小骨を残さぬ。 爪だけでこれほどの凄味を出せるとは身震いする思いじゃ。 おぬしの爪は関の孫六か?
なに、越後は燕三条の普及品とな? さすれはこの見事な太刀筋はご貴殿の技量の冴え。 あっぱれ又吉どの。
ささ ササを召されよ。 山女魚のワタしか摘まんが遠慮はいらんよ、そもそもご貴殿が獲った魚だ。
ほう、魚はここが一番旨い。 水棲昆虫や川のミネラルが詰まっておるとな。
聞いたか鬼どの、又吉どのは美食の通じゃのう。 カワウソになる前世は 「美味しんぼ」 のプロデューサーだったのかも知れんぞ」
又吉どの、ワサビはおぬしにはキツかろう。 ネコ科なら狂喜乱舞するマタタビの実を干したものがある、鬼どのに鬼おろしでおろしてもらおう。 虎をも黙らせる樹上最強のサプリじゃが又吉どのはラッコ科か?」
「ねえ ご坊、あんたはなんで動物語が話せるの? ラッコ語もそうだが犬猿キジのほか寒風山の熊とだって話せたみてーだなあ。
足柄山の金太郎熊ならわかるような気もするが、もしかしたら安達太良山の山姥とも話せるけ?」
「安達太良山に山姥はおらん、それをいうなら奥州街道 安達ヶ原の鬼婆だ。 お前さまの叔母さんではないのか。
まだわからんか拙僧は心語というマルチリンガルじゃ、異界のおぬしとも普通に会話しておるではないか、鬼の半魚人どの」
「 ・・・ ああ 人間になりたい」
「おぬしはベムか。 先ほどは 「なんとかならんか」 とか 「べたべたする」 とか言っておったようじゃが、なんのことじゃ? 温帯アジアの梅雨ならなんともならんぞ」
「おお それよ。 梅雨空続きで湿気のせいかハンドルに巻いたバーテープが弛んで困るんだわ。
巻き終わりを締めているはずのビニールテープが伸びて糊がはみ出し、ずるずる べたべたなんだ。
今日はよ、剥がれかけて指に絡むテープを手の腹で押さえながらコーナーに入って落車した。
いつも落車するコーナーだから谷から這い上がる大岩には足掛かりが出来ていてすぐにコースに復帰できたが、そもそも落車してはいけねーだんべよ、オラだぢ峠ローディーはよー」
鬼め、ずいぶんと苛立っている。 そうかも知れんがハンドルのテープすら征克できぬおのれの未熟を棚にあげ、主因を外に求めるそーゆー心理を未練という。
未練とはすなわち修練の至らず、落車はおのれの未練未熟が陰礎因基。 そう自覚するまでは半信半疑だから半魚半鬼なのじゃ。
「ほうほう ジャージの破れは引っかかったモミの木の痕か」
「ああ あのモミの木にはいつも助けられている。
オラは名前をつけて感謝してるんだあ、クリスマスにはお星さまのチョコレートを、母の日には赤いカーネーションを根方に供えているよ。
「モミちゃーん落ちるよー」 って叫びながらガードレールを突き破って滑って行くと、モミの枝がまるでおふくろが腕を差し伸べるように揺れているのが見えるんだ。
でもあの枝がいつまでももつとは思えねえ。
モミちゃんだって年をとるべや。 枝が細ってオラを抱きとめる微妙な角度が変わったらよ、オラは枝をすり抜けて谷底まで落ちてしまうかも知んねえ」
「おぬし、そんなに何度も落車しておるのか。 あきれた鬼め。 じゃがおぬしは半魚人、谷底まで落ちたとて是非もなかろう」
ベネズエラ ギアナ高地にかかる大瀑布、エンジェルフォールのてっぺんから飛び下りる者がいる。
チャーターしたヘリコプターでダイバーを追って急降下してきたセレブ観光客から小銭を稼いでいるというのはおぬしの従兄弟ではないのか」
「和尚ぉ〜 なにを言うだね、オラはそんなに親戚多くねーだよー。
従兄弟は超人ハルクとスパイダーマンだけだって前回号で言ったべー。 安達ヶ原の鬼婆だってオラとは別系統だあ、アレは仙台のアダチの叔母さんだっぺ」
「仙台のアダチ? 配役表にない名前を急に出すな。 フォローに困る。 大家さまに叱られる。
それよりおぬし、除雪車をも跳ね返す堅固なガードレールを突き破るってどーゆーことかね? あの峠でガードレールの修理などしているのは見たことがないぞ」
「ああ それね、おらだぢは落車すると背中で滑って行って止るまで運を天に任すしかねえべよ。 路面を滑って行くとガードレールの下をくぐり抜けて路外に飛び出してしまうんだ。
だからガードレールを壊すことはないんだが、それってガードになんねーべよ。 旧建設省時代に作られた 「国道ガードレール設置基準」 が自転車を解かっていない」
「なるほど、半魚人の背びれが小賀坂スキーのようにエッジを効かせて際限なく滑るんだな。 しかしそれが幸いしてガードレールに激突することなくモミちゃんの枝にダイビングできるワケね」
「うん、だけんどオラだって転びたくはないんだよ、ジャージも破れるしなあ。
だから巻いてあるバーテープが弛んでべたべた ぬるぬるするのは大いにイカンと、こー言っておるワケさね」
「なるほど、理路整然としてよーくわかった。
巻物なら拙僧にまかせよ。 当院の宝箱に 「でほらく禅寺 おしぐれ奇譚」 という超ど級の絵巻物がある。
べたべたぬるぬるの色絵巻じゃから永井荷風先生のものではなかろう。 永井作品なら奇譚の奇という字が綺でなければならん。 見るか? 長いぞ」
「うん 見る 見る。 ダイジェスト版はないの?」
この二人、どこが理路整然なのか分らなくなったカワウソが 「沢のパトロールの時間だから」 と帰ったあとも離路酔膳の修行禅が続く。
翌朝、鬼さんが曲がったハンドルを膝万力で直しているところへ住職が何やら差し出す。
「ほれ、これじゃ。 このテープで仕上げればよいのじゃ」
「和尚、昨日も言ったべ。 ビニールテープでは駄目だって。
ビニテは上から握っていると体温で伸びたり縮んだりするうち粘着剤が脇に出てべたべたする。 そしていちど剥がれたら糊が汗でヌルヌルしてヒラヒラしてライダーの精神を逆撫でする。
伸びた部分を千切ろうとしても走りながらだと上手に切れない。 気になってイライラするうちにハンドル操作を誤まって落車する元凶だってよー」
「よく見ろ、これは自己融着テープ。 ビニールテープではない」
「自己融着? べたべたしない?」
「しない。 そもそも粘着剤がない」
「なんでくっつくの? カチカチに硬くならない?」
「いちどくっついたらカミナリが鳴っても離れない、濡れてもチェーン油が付いてもビクともしない。
通常のビニテのように巻いて使えるが加工後は弾性のあるゴムの輪になり、ほつれず動かないから握ったときに気持ちがよい。 分離はカッターナイフで切断する」
「ほえー ゴムの輪になるのけ? ほつれない。 いいねえ。 詳しく教えてよ師匠」
「よかろう、そこへ座れ。 おぬし1982年に起きたスペースシャトル・チャレンジャー号の不孝な事故を憶えておるか」
「来たな禅坊主。 そこまでがずいぶん長かったがよ。
チャレンジャーのことは忘れてなるものか。 あの2号機にはエリソン・オニヅカが乗り組んでいた。 オラの親戚ってーワケじゃねーが、日系の鬼塚姓はブラジルに多い。
彼らの無念を思うとなあー 泣けるんだ。
オラは機会があったれば仇を討ちてーと、それには自前のロケットをNASAの目の前で打ち上げてやっぺーと、V2ロケットの父といわれるウェルナー・フォン・ブラウン博士の墓前に誓ったんだ」
「 ・・・ 」
「V2ロケットはナチが最終的には核弾頭の搭載を目論んだものだ。 ブラウン博士は自分のロケット技術が軍事利用にエスカレートして行くナチの妄想の現実化を嫌って米国に逃れ、戦後は月探査のアポロ計画を推し進めたお人だ。
ナチに強制されていた時代のロケット燃料はブラジル産のイモを醗酵させて得たバイオアルコールと液体酸素だった。
アマゾンのイモ畑でオラはブラウン博士にサインを貰った。 ほれココだ、背中のひれに付けた国際海洋調査タグにフォン・ブラウンと書いてあっぺさ」
「 ・・・ おまんもでほらく鬼になったのう。 くり返す落車でタグは千切れ、背びれそのものが小さくなっておるわ。
おぬし、背びれを捨てて人間的体形を手に入れようとしておらんか? そのための捨て身の落車ならスゴイと褒めよう」
「 ・・・ ハナシを進めようじゃないの。 ロケット打ち上げには膨大な資金と純度の高い金属が必要だ、つまり金だべ。 そこでオラは日本で徳川の埋蔵金探しを始めたっちゅーワケさね」
「あのねー そーゆー おぬしの金塊探しのナレソメ話しは聞いてもあまり信用性がないのよね。 日本でなくともアマゾンのエルドラ川上流域なら金粒が採れるであろう」
「あそこはダメだ、ピューマの毛皮のブラジャーにアナコンダの腰巻を着けた妖艶のアマゾネスがいる。 精気を吸い尽くされるくれーなら日本の山ヒルに血を吸われるほうがマシだ」
「おぬし、真面目にハナシを聞かんと破門するぞ」
「 ・・・ 」
「チャレンジャーの事故は、速度ゼロの全G状態から重力脱出に向けて全力上昇する最初の120秒間を強引にアシストするためのブーストエンジンに、フューエルを供給するため外付けされた燃料タンクからの漏れが原因とされている。
外付けする理由についても色々言われるが、ぎりぎり最低限の水を持って出発したライダーが飲み終えたそのボトルを捨てる決死の自転車と同じだ。 泣かずに聞けーっ!
VTRにもタンク継ぎ目から霧状に燃料が吹き出ているのが映っている。
発射から73秒後の最大ブースト時に炎上爆発したことから、この漏れは発射前から判っていたのではないか? との疑惑が持たれた。
MASAはもとより FBI も CIA も 米大法院 も調査に乗り出し、シャトル運航は3年間凍結された。 その間宇宙開発競争では当時のソ連に遅れを取ることになる。
それでもアメリカとアメリカ大統領は原因究明とその後の対策に最大の重きをおいてこの辛い時期を乗り越えた。 正しい判断だ」
「そうだよね、国民に対する安全保障は国家の証しだ、大統領の第一責務だ。 タカタのエアバッグもそーゆー観点から調査されている」
「お前さん、いちいちウルサイねえ。 少し黙っておれ」
「 ・・・ 」
「燃料漏れはタンク体の継ぎ目をシールするゴム製のOリングが、シャトルゆえのくり返し使用ストレスと低温の環境下で劣化し、柔軟性が損なわれて破断したと結論された。
この事件で設計製造の関係会社と個人に対して起訴は行われなかったが、多くの部門トップは図面の隠蔽破棄をすることなく若き後継者に後を委ねて自らは身を引いて去って行った。
そのなかの何名かは僧侶となって禅門に入ったと聞く」
「ひえー オメさま ・・・ 」
「黙って聞けと言ったではないか。
Oリングとは生ゴムにカーボンを添加して改質した人造ゴムの輪っかじゃ、宇宙機材が高高度で受ける振動と温度変化の激しさは想像を絶する。 溶接やリベット止めでは駄目なんじゃ。
筒状タンクの接合部はOリングを2本間に挟み、テンションスプリングで最適な負荷をかけて気密する方法が単純ながら一番良い。
おぬし若い頃は水上オートバイに乗っておったな、エンジン排気ポートとマフラーパイプの接合部はボルトを使わず精密に嵌合(かんごう)させてバネで引っ張ってあったろう。 あれじゃよ」
「あのぉー そろそろ自己融着のおハナシなど伺いたく ・・・ 」
「Oリングのゴムを研究するうちにな、平べったいゴムを引っ張り伸ばして2枚重ね合わせると手を離してもピッタリくっ付いて離れない、時間が経過すると融着して一塊のゴムになることが分かった。
じつはこの現象はNASAが発見したものではなく、旧陸軍野中学校では1930年代にすでに緊急補修包帯として使われていた」
「えーっ! スパイの包帯?」
「包帯というのはな、敵性言語である 「テープ」 が使えないので包帯と呼んだ。 包む帯だから国語的にまったく適正である。
パイプからの水漏れ油漏れをあっという間に補修できることから野中学校ではベストセラー備品だった。
当時、半国営の帝国人絹という会社があった。 人造絹布つまりナイロン布に黒鉛を添加したゴム(ブチルゴム)を塗り込めて加圧釜で加硫加熱し、シート状の防弾繊維を開発していた。
この布繊維でゼロ戦ハヤブサの燃料タンクを包み、操縦席の周りにも防御壁を構築しようとしたんだ。
なにしろ鋼板の20分の1の重量だ、短い離陸距離は艦載からの発艦に適し航続距離、旋回戦闘力が敵機ムスタングの4倍になる」
「ひょえー ゼロ戦ハヤブサにまで歴史はさかのぼるのけ、紫電改のタカも出るけ?」
「黙っとらんかい! 戦後生まれめ。
この会社は戦後解体され、今のテイジンや東レになって行ったのかと思うが、その辺りは知らん。 ワシは給料の代りに貰った軍票をまだ持っているが日本銀行なら換金できるだろうか」
「 ・・・ 給料の軍票ってあんた ・・・ 」
「防弾性の研究をしているときに失敗作のゴムシートをいじくっていて偶然発見したのが 「自己融着テープ」 だった。
金属の溶接でも言えることだが、溶けて分子間の距離が広がったもの同士を近づけると、それだけで一体になってしまうだろう。
だから溶着というんだ。
溶かさなくても金属表面を極限まで磨き込んだ2面は、合わせるとくっ付いて離れなくなる。 これを分子結合=融着という。
冷蔵庫の製氷皿に触れた指がくっ付いて離れなくのも同じ原理だ、触れた指の温度でわずかに溶けた水が指紋の凸凹に入り込んでまっ平らになると製氷皿と融着するのだ。
炭素黒鉛、つまりおぬしの好きなカーボンだな、この粉末を添加した薄いブチルゴムを引き延ばすと分子間がぎゅーんと展ばされて、顕微鏡的にはあたかも金属の溶けた溶池(ようち)のようになる。
溶池と溶池を合わせたらどうなる? 疑う余地はなかろう」
「オメさん こーゆーときに洒落いうかあ」
「水中でも使えることから爆破装置を殊潜航艇のスクリューシャフトに巻きつけることができる、ボルトもナットも無しに硬く固定でき、硬化後は刃物で切断することもできる。
音をたてないうえに磁力に反応しない、ゴムだから電気絶縁性が高い、ポケットに入れて成田空港の保安検査を通過できる。 見た目はただのビニールテープだ。
しかもビニテと違って表裏がない。 これは暗闇のなかでの工作にアドバンテージである。
「びえー オメさんは陸軍野中学校が消滅したあとは国境なきランボー団の破壊工作員になっていたのかぁー。 破戒僧めー。
インターポールの銭形と知り合いなのはそーゆー因縁なんだな」
「馬鹿を申せ、拙僧は太平洋戦争やその後のGHQ諜報、ましてやベトナム戦や米ソ冷戦などに加担したことはないぞ。
東ドイツの壁の向こうに向けて何本か投げ込んだ水戸弁の男がいたとは聞くが、それがベルリンの壁に穴を開けるきっかけになったなんて知らん。
壊した壁を朝までにカモフラージュするにはよいテープだったようだがねえ。 ワシはそーゆーテープの開発に関与したことがあるというだけだ。 テープとして完成したことすら知らん」
あれから何年も経過したが先日町のホームセンターを覗いたら何と、自己融着テープが水道管の補修用として2メートル巻きパック入りで売っていた。
ワシが弄っておった頃と同じでなあ、やや艶消しの風合いがビニールテープより旅情をそそる」
「旅情ですかい。 キャサリーン・ヘップバーンでなにか気の利いたことを言いたいが、気がビッグバーンしてなにも言えず」
「言わんでいい、ヘップバーンならオードリーじゃろ。 キャサリーンは渡良瀬を飲み込んだ台風だがオードリーは大通りに通じる。
宇都宮の大通りを閉鎖して行う自転車クリテリウムはええのう。 お前さま出んのけ?」
「いやー あははー オラは山派だでよー、街中には出たくねーなあ」
「そうじゃないよ、選手でなく客寄せのカミナリ鬼のキャラクターのことだ。
虎のシマシマパンツを穿いてさ、宇都宮はカミナリの雷都じゃからのう。 ブリッツエンとは稲妻のことだ」
「 ・・・ テープ、どーやって使うの?」
「ほんに不器用な水かきの手じゃのう、やってやるから自転車をもってこい」
「よっ 出ました、007のゴールドフィンガー。 合掌姿も美しいがテープ巻きはもっと美しいねえ。
おお おお 慣れてるねえ、熟練の寿司職人のように巻くねえ。 今夜はカッパ巻きで一杯やりますかい?」
4幕おわり 5幕は 「車載装置について考える」 を予定。
写真
左 : ホームセンターで見つけたニトムズの自己融着テープ。 懐かしくて思わず買った。
厚み = 0.5mm 幅 = 19mm 長さ= 2m 素材色 = 黒 実勢価格 = 375円
いつから手軽に買えるようになっていたのか知らなかった。 ビニールテープよりじつは歴史が古い。
売り場のフックには2だけ下がっていた。 需要は少ないのか、知らないひとが多いのか。 ともかく2個買い占めた。
使用前のパッケージ内では剥離紙など無しで巻いてあるがくっついていない。
引っぱるとなぜくっつくのか理解できるひと専用というべきマニアックな商品。¥375でたっぷり遊べます。
中 : 2cmの長さに切ったテープを軽く引っ張って11cmまで伸ばしてみました。 中央部での幅が9mmほどに狭まっている。 この辺りから自己融着の世界が始まる。
伸ばす前に半分の幅にカットして使うことも出来る。 写真 右 がその使用例。 3回巻きなのに重厚な厚み感が際立ちますなあ。
使用には必ず引き伸ばしてゴムの分子間を拡げることが肝要、知らないひとは無駄に失敗する例を聞く。 いちど練習してから本番に挑むこと。
巻き直しは効きません。 くどいようですがビニテの貼り直しの感覚は通用しません、剥がす前に融着が始まっています。
巻き終わりは強く引いて引き千切るように切って合わせ、1秒間押さえる。 合体面がきれいに仕上って凸凹にならない。
完全融着まで7時間、その後はゴムの塊りになって巻いたものとは思えない一体感が生まれる。 弾性感あり。
右 : 赤いステッチのがバーテープ、合皮製。 そのエンド部を自己融着テープで固めてみました。
バーテープセットを買ったときに同梱されているフィニッシュテープは電工用ビニテより伸びにくい素材ですが所詮はビニテです。 粘着剤がはみ出てベタベタするし、1回分しか付いてこない。
ブレーキワイヤとシフトのワイヤが此処から出てきます、ゴム化したテープはこれらをがっちり押さえこんで動かさないのでレバー操作の節度感がアップ。
自己融着テープの内側に見えるシリコンゴムのチューブは、リラックス走行時にここを握ってもアルミバーの冷感をなくし握りのソフト感を高めるおしぐれ工房オリジナル。
取り付ける際には、いちどバーを単体にまで裸にしないと不可能なため模倣するひとは少ないようです。
見たひとからはいつも 「いいね」 と言われますが、このセット 「売ってください」 と言われないのはなぜだろう。
シリコンチューブも1個 150円 程度、常に手に触れ目に見えるものゆえに総額 675円 の贅沢は数十万円分のアドバンテージだというのに。
「和尚は4時間でどれ程飲んでいるかね?」
「平地の4時間か、100km到達時点で1本の4分の1程度が残っている。 というのが好調のときのペースかな。
一方で休めない上りが延々続く山では2本必要になる。 4時間通して登りっ放しなんていう業の山は日本では白馬か下北の恐山しか知らんが ・・・ 」
「げっ! ほしたらオメさんあれけ、昔オラが故郷でガキだったころ富山毎朝新聞の白馬版に載った 『夏の大雪渓に自転車で挑む阿闍梨ライダー』 って和尚のことだったのけ。
アジャー たまげたなあ」
「 ・・・ 」
「あの特集は白馬五龍の民宿をスタートする前夜の壮行会から始まって登頂・帰還までの魂の記録を続き物形式で掲載するちゅーんで、中学生も読むようにと富山五龍村の教育長から校長にお達しが回った。
今ならそーゆー 「特定の記事を読め」 なーんて発言は問題になってしまうが、昔の教育長はエラかったでなや。 オラの伯父さんだあ。
毎朝新聞で人気の美人記者が同行して署名記事にするちゅー触れ込みでよ、オラは毎朝早起きして特集囲み記事のところを隅々まで探しただよ。
「 ・・・ 」
「二回目以降の消息が途絶えてそのまま終わってしまったようにオラは記憶しているだが、どーなんだね?
何が? じゃねーよ。 帰還して祝賀会のあと清算する約束の民宿の宿泊料と出発前の盛大な飲み食い代は誰が払ったと思うがや、オラの伯父さんだあ。
それより同行した美人記者はどーなったのかいね。 まさか 「月に帰った」 などとお得意のでほらくを言うつもりではあるまいね」
「 ・・・ おぬし、フィフスドラゴンの生まれと聞いていたからマヌアス五龍滝の半魚人と思っていたが、富山五龍だったのか。
さすれば翡翠峡の大岩に産み付けられた鰍(かじか)の卵が翡翠石の溶けた Ag3C2H2SO4‐pH5 の水で磨かれて立派な半魚人の鬼村どのになられたのじゃな。
五龍半魚人の肺活量をもってすれば乗鞍ヒルクライムであろうと富士スバルラインであろうとヒョイヒョイと登ってしまうんだろうねえ。 羨望でござるよ。
母者は大アマゾンの主流、エルドラ川のプリンセスと尊敬を集めた黄金の電気カジカ王女でござろう?
どーやって日本海の富山湾から翡翠川の河口を見つけて遡ったの? ブラジルから見たら日本海の富山は裏側じゃろ。 ご厳父 山椒大夫さまが放ったGPSけ?」
「オメさん、意図的に話題を変えようとしてオラの出自にまつわるでほらく話しでおべんちゃら言っていない?
そんなに白馬の話しはしたくないのね。 んじゃー恐山は?」
「昔な。 宇曽利山湖の三途川に架かる太鼓橋は硫黄臭と靈氣がきつくてな、クロモリのフレームもアルミのリムもあっという間に紫色に変色してきたから急いで降りた。
でも下りはカラダが冷えて楽しくなかったな。
ブレーキのゴムが燃え尽きそうなので上体を起して空気ブレーキを使った。
ワシの股間の前面投影面積は狸に次いで大きいほうだからよく効いたぞ。 そのかわり冷えた下腹がゴロゴロ鳴っていた。 かみなり雲と同じ高度だったから目の高さに雹(ひょう)が漂っていた」
「 ・・・ 」
「路端のスリップ止め砂袋を見つけたのでポリ袋に穴をあけ、それを頭からかぶってウインドブレーカーにしたんだ」
「オメさん、下りの話しは聞いてねーよ。 本編は登りの話しだっぺーな。 しゃーねーなあ。 なん月のことかいね?」
「8月の初旬さ、下北は夏しか攻められまいよ。 ポリ袋で寒さは防げたが風でゴーゴー不快な音を立ててな、とてもダウンヒルの気分ではなかった。
そこでまた止まって裸になって、ジャージの内側に直接ポリ袋を着たんだ」
「いいアイデアだねえ。 捨てた砂中の高濃度砂金には申し訳ねえがよ」
「うむ、砂金にはすまなかった。 じゃがワシが死んだらこの話しは永遠に語られないことになる。
砂金はな、雨に流れて川から海に出て、比重のうねりによって千年後にはまた浜に還れるのじゃ。
ワシが月に帰ったらどうなる、おぬしの半魚性は単なる怪奇話しで喧伝され日本には居場所がなくなるであろう。 母の故郷のアマゾンに帰ろうにもおぬしはポルトガル語が出来んからサドル難民となってカリブ海をあてもなく漂うことになる。
よいか、ワシの庇護を失くしたらおぬしの悲願、徳川埋蔵金探しの旅は終わってしまうのだぞ。
そうだろう、ワシは死んではならんのじゃ。 砂金のポリ袋はおぬしの命を守ったことになる。 違うか」
「ひえーっ 大阿闍梨さまあ その通りでございますう〜」
「ところがな、そのポリ袋に山ヒルが取りついておってなあ」
「ひえーっ ヒルーっ!」
「おどろくな半魚人、ヒルは釣りの餌じゃろ。 おぬし半魚人のくせにヒルが怖いのか。
アマゾンにはピューマを丸呑みにしたアナコンダを倒すほどのヒルもおるというが、森の女族アマゾネスはそれらをも捕えて喰らうというぞ。
そのアマゾネスが唯一恐れる半魚族のDNAがおぬしにも連鎖しているのだ。 しっかりいたせ」
「 ・・・ 」
「へっぽこ半魚人よ安心しろ、日本のヒルはワシに吸い付く前に風圧で飛んで行ったさ、ダウンヒルーってな」
「オメさん、あんたホントに説法問答において生涯不破といわれる伝説の禅師さまかいな? 前回号の凛々しさは ありゃー演技かね」
「おほん、おぬしが何本飲むかと聞くから答えたまでよ。 恐山から駆け降って陸奥大湊の旧斗南藩鎮守杜でヘルメットを脱いだら真夏日だった。 ボトルの水の最後の一滴を飲んだ」
「500ミリが2本、いいペースだと思うよ。 ベースは何ですかい?」
「グリコのCCDだ、きっちり計量カップで濃度を守って作っている。 体質にもよろうが、汗が目に沁みるときの痛さはポカリ スエットより弱いみたいだ。
その点、半魚人のお前さまは眼に半透膜があるからええなあ。
目に落ちる汗を長ぁーいベロでペロリと舐めて、そのなかから貴重な水分だけを再吸収している。 ボトルは要るまい」
「 ・・・ ご坊 ひとを少雨沙漠のカメレオンみたいに言うな!」
「違うのけ?」
「カメレオンはヤモリの仲間だっぺー。 オラは由緒あるアースマンの系譜だ、コパ アマゾンの血統ぞ。 超人ハルクとスパイダーマンは従兄弟だ。
オラだぢは地球由来なんだ。 オメさまのように外惑星から来た外様のアストロ系じゃあーねえ」
「ふおっ ふおーっ。 ついに正体を認めたな半魚人。 米MARVEL社のコミック本キャラクターめ。
日本で正統の半魚人はカッパだけじゃ。 平安時代にはすでに史実に登場しておる。 おぬしらMARVEL社コミックやハリウッドの千年も前からのう。
ワシはそんなおぬしたちでもこの日本で認知され、定住できるようこころを砕いてきたのだ」
「ひえ〜 お上人さまぁ〜」
「話しを戻そうじゃないか。
当時すでにイオンサプライとかハイポトニック飲料とか胃壁での吸収速度の早い飲料水が簡単に買える時代ではあった。 しかしワシは山中で水中毒を起したことがある。
このときは秋田の寒風山だった。
背の低い灌木と熊笹で覆われた山なので麓から全容が見える。 海岸のコイン式展望鏡から山の頂上にレストハウスが建っているのが見えた。
「名物 さくらソフト」 と染め抜いた桜色の幟が風にはためいているのまで見えた。
それを見て低い山だと小馬鹿にしたことは、拙僧終生の不覚だった。 頂上まで行って 「さくらソフト」 を食べればいいや、とエネルギー補食をせずに海岸のトイレで水道水だけボトルに詰めて出発したが、行っても行っても頂上が近づいてこない。
カンカン照りの熊笹の丘がどこまでも続いている。 あれは魔の山だ。
恐山なら名の示す通りの異界だからそれなりの準備をしようが、なだらかなおっぱい型の寒風山はナメた者を憑り殺す垂れパイ山姥の山だ。
くり返すが山容は若い婦人のおっぱい型だ、そこが危急の盲点なのだ。 おぬしもおっぱいにはいっぱい失敗したことであろう、こころされよ」
「 ・・・ 」
「汗がすごくてボトルの水を飲み続けて走っているうち、いつの間にか目の中がホワイトアウトしていったんだよ。
ペダリングのたび胃袋が水でチャッポンチャッポンしてなあ。 立ち漕ぎが出来ない。 脳まで水ぶくれしているみたいだった。 それでも水が飲みたい」
水中毒というのは医学用語かどうか定かではないが、創刊当初からの 「Tarzan」 誌が注意喚起している。
スポーツトレーニングにおける水分補給は大切な要素であるが、少しづつ何度にも分けて飲めと言っている。
水を飲んだ当初の胃と腸からの吸収率はじつは遅い。
浸透圧による吸収遅れなのだがこの間にも体液の濃縮状況は続いているのでカラダは水を欲しており、脳は水を飲んだ満足感をまだ得ていない。
そこであせってガブガブ飲むことになるが、胃腸からの吸収が始まって体液の水分量が満たされ始めた後に胃のなかには余分な水量が取り残されてチャプチャプしている。
これではパフォーマンス出来ない。
胃液は薄められてバランスを崩し、胆汁やら胃酸やらが吐き出された胃は過活動から機能を一時停止してしまう。 つまり胃もたれじゃな。
水もたれの胃は膨満感から気分が悪く、その後の糖質分解まで拒否して脳のエネルギー不足に陥り、気分どころか命の危機に瀕する状況を 「水中毒」 と Tarzan は言っている。
かつて少年野球やサッカーの監督が 「試合中は水を飲むな」 と子供たちからヤカンを取り上げて鬼の監督といわれたものだが、一応の一理はあるのである。
そこで、かつて少年選手だった最近の監督はこうである。
打ち込まれて肩を落として引き上げてきたエースにヤカンの水を渡し、
「ひと口づつゆっくり3回飲め、そしたら新しい水が吸い込まれて新鮮な汗が額から出てくるまで日陰に入っていろ」 という。
「新しい汗は匂いがなくてサラサラ流れるからすぐわかる、目に入ったときに沁みない。 キャッチャーミットがよく見える。 そうしたらグラウンドへ戻って思いっきり暴れて来い」 と送りだす。
応援席のママさん連から割れんばかりの拍手が起こる。
「オメさんの不破伝説はもしかしたら本当かもしんねーなあ。
一度交代した選手は同一試合で再びグラウンドに出てはならないルールを審判に気取らせないテクはママさん席の拍手かあー。 バレなければペテンは正義だ。 実力だ」
「やっと褒めたか」
「ほんで寒風山の水中毒はどーしたかいね」
「そうこうするうちブラインドコーナーで熊と出くわした」
「びえーっ!」
「でも危機感など感じなくなっていて、このまま倒れたほうが気持ちいーのかなあーと思えてな、フワーっと熊公の鼻先をコースアウトして行った。 気がついたら熊笹の中に寝ていたんだ。
チリン チリンいう登山者の熊除けの鈴が起してくれなかったら、そのままになっていたかも知れない。
熊か? 熊はワシが死んでいると思って通り過ぎて行ったみたいだなあ」
これ、居酒屋のカウンターでよく聞かれる酒飲み同士によるハイキング中に飲んだ缶ビールの話しではない。
ピュアな自転車乗りが命の水をどう飲むかの話しである。
命の水とは大げさな、アスリートなら誰だって腰に水ボトルを持って走っているやないかい。 自転車乗りだけが特別なステータスの処にいる訳ではあるまい。
と叱られそうである。
確かに公園のロードで可愛いボトルケースを腰に巻いて走っている綺麗なおねえさんの、キュッとした腰にカラフルなボトルはええですなあ。 近所の公園にはおらんけど。
あれは飲料メーカーもしくはスポーツアパレルメーカーによる宣伝用映像のイメージが残像となっているからで、走っているご本人たちに責任はない。
ところで自転車では腰や腹にボトルケースを巻きつけることは出来ない。 高速回転体である腰に絞った濡れ雑巾のように重く押さえつけるものがあってはならないからである。
そこで自転車乗りは腰をフリーにするためフレームにボトルを収めるケージ装置を発案した。 自転車創世記からボトルケージのネジ穴はあったのだから初号機自転車はすでにレーサーだったのだ。
フレーム前三角内に2個のボトルを持つことができる。 最低でも4時間まで命を保障する量である。
それ以上の時間と距離を行く場合には補給処かサポーターによる手渡しがルールとして確立し、実際には45分以内にエイドステーションを設定している。
45分といえばサッカーの1エンドである。 その間止まらず走り続けるライダーがサッカー選手より高人気 高収入なのは当然なのだ。
おしぐれさんたちプライベートライダーのソロ行ではサポーターの配置がないので、4時間を超えないうちに補給処を見つけなければならないセルフデスカバリー。
日本のシステムはよくできていて、自転車の通れる道なら4時間内に必ず自販機がある。
分岐道ではどうかすると100mおきに自販機が立っていて、左横腹に必ず貼ってある赤いステッカー 「がんばれ 宇都宮ブリッツェン」 や黄色いステッカーの 「行け行け 那須ブラーゼン」 を追って走って行けばけっしてミスコースすることがない。
しかも飲料の単価は頑固に100円のまま。
こーゆーシステムを完築させた栃木は、商店主もエライが市長も知事もエライ。 これだけ褒めておけば自転車乗りには個人住民税が免租となる日も近い。
よって栃木の自転車乗りはボトルを持たず、持っても1本あればどこまで行っても大丈夫。 不安があるとすれば遠くまで行き過ぎて、帰りの足が家まで回るかどうかだけなのだ。
残った2本目用ボトルケージにはスペアチューブやポンプ、それにエナジーフーズと携帯電話を入れたツール缶を収めることが可能となった。
隣県の茨城や群馬のライダーが2本ボトルで背中にリュックを背負った暑苦しいスタイルなのに対し、栃木ライダーが身軽な丸腰スタイルでとてもカッコ良いのはツール缶を使用しているからである。
近年中には栃木スタイルが全国を席巻することは間違いなく、今のうちに独自デザインのツール缶とケージ生産販売の業界への参入をお奨めする。
内容物による最適サイズと国際的寸法の取り決めなどは前回号同様に鬼村商会へご相談ください。
4幕 「自己融着テープ考」 につづく
写真
左 : グリコのCCDドリンク、500ccの水に1袋溶かす、170Kcal。
10袋入りを2箱買うと700ccのデカボトルがオマケに付いてくる。 口元までたっぷり入れないのが重量バランスのコツ。
紫外線の環境下で使うので20回使ったら交換する。
去年からのを使っている鬼村さんのボトルの底には苔が生えている。 あの人は半魚人だから毒苔など平気だが、一般人は熱湯消毒して使いましょう。
中 : 汎用品のSKS(独)のキャップ部に手を加えたツール缶と内容品。
底部に押し込めたチューブ2本の上に16cmのミニポンプを入れても余裕の有効全長23cmは業界にない長さ。 かさ上げにはOGK(日)のボトルに犠牲になってもらった。 合掌。
中味紹介 : ボンベは高圧CO2、粉末消火器の加圧ボンベである。 交換チューブの初期シワをミニポンプでとったらボンベ圧で一気に膨らます。 8barまで確認済。
青はタイヤレバー、こう見えて2本が1枚に合体しているシュワルベ(独)のすぐれもの。
おしぐれさんの握力はレバーを必要せずにタイヤをひっぺがすことが出来る。 コレはロード脇で困っいるひとがいたら黙って差し出すために持っているのだ。
薬用鎮痛消炎剤(つまりバンテリン)も使ったことはない。
その下、プラ箱内にチェーン結索ツールと6角ミニレンチセットを忍ばせるが一度も使ったことがない、普段のメンテが光っている。
携帯電話とチューブの間のてんとう虫みたいなのは、トランポのリモコン。 転倒なしのシャレなんですけど。
写真にはないが自転車保険証書・クレジットカード・コンビニのプリペイドカードも入る。 緊急連絡の迷子札は誕生月に書き替えています。
右 : 長いツール缶をシートチューブにセットするとペダリング時に膝の内側がフタと干渉する。 パフォーマンス重視のおしぐれさんはアダプタを作ってこの位置まで下げた。
缶を下げるとダウンチューブのドリンクボトルを上げねばならず、重心位置の変化を何度も確かめながら最終的にこのような配置となった。
位置によるその変化は、シートチューブ側よりダウンチューブ側で回頭性に顕著に影響することが解かった。 満タン500gでは切れ込みが強くなるので走り始めは要注意。
ならばボトルはシートチューブに付ければ? との声もあろうが、ペダリングしながら股下のボトルを取る恰好は美しくない。 ビジュアルも重視するならこーゆー落着きになろう。
写真は作業場内なので背景がごちゃごちゃしていてお恥ずかしい。 晴天なら屋外で撮影したのだが雨つづきで ・・・ 。
「和尚いるかい、サドル難民って知ってるかー?」
来るなり 「知ってるかー?」 はないだろう。 無礼者め。
問答をしに来たのなら 「そ申う参ん」 と山門にて音声し、寺男に案内を乞うのが手続きである。
その間に庵主が身なりを整え、返答を考える時間を稼ぐのが寺男の役目、できるだけゆっくり動作して門札破りの牢人を苛立たせるのである。
たいていは五作とかいう名前のとぼけたジジイなのだが、そーゆー高級テクニシャンは元インターポーラーの銭形親分がぴったりなのだ。
いまの処は嘱託の碕玉県警特殊サギ対策本部に勤務して、毎日でほらくこいているらしい。 契約切れにはまだ間があるからしばらくは来ない。
しかたがない、庵主みずから玄関先に出る。
「なんだい、いるなら返事しろよ。 もったいぶったってひと間しかねーんだから居るのは見えてるがよ」
およそこの世の森羅万象において、知らぬコト意外は何でも知っている博識の僧。 このおしぐれ禅師に問答を挑む了見の来訪とはこしゃくなヤツめ。 完膚なきまでに説破してくれるわ。
じゃがその前に、牢人の背中の包みが目に入った。 気になる形状である。
「おお これは峠の鬼の鬼村どの、よー参られた。 ささ 荷物を下ろしてずずっと奥に入られよ。
背中に斜め背負いの風呂敷包みは箱入りの上物と見た。
大吟醸など久しく飲んだことがない。 今宵は月も出よう、梅雨空にまほろな満月とは問答対決にあつらえ向きの晩である。
おしぐれご坊、来客をひと間しかない庵内にうやうやしく案内して、杉の切り株の椅子に座布団を当てるようすすめる。
庵の下を流れる潤沢(うるさわ)の水車で回す新明和の発電機から潤沢な電気が供給されている僧坊の冷蔵庫から、前回作 「ブレーキ考」 の残りの 「うつぼの酢漬け」 とよく冷えた欠け茶碗をふたつ持ってくる。
いちど座って思いだし、コンビニで余分にもらった割り箸も持って来て作業台に置く。
僧坊とはいえ自転車小屋だからお膳などはない、万能作業台は最高のおもてなしステージである。
「ところで、先ほどはなんと申されたかな? 「知ってるかー」 と申されたか。
ご貴殿、ご認識ではござろうが拙僧は俗界で不破禅師と呼ばれる問答不敗の男ぞ。 その箱入り、ワシひとりで飲ませてもらうよってに覚悟をいたせ。 がっはっはー。
「あちゃー 和尚 すまねーなあ。 これは酒の箱じゃあ ねーんだ」
鬼が無骨の指で風呂敷をほどくと長方形の黒い紙箱が出てきた。
720mlの瓶が二本入るサイズの箱だが fi’zi:k と書いてある。 摩訶不思議なスペリングは何語だ?
確かに酒が入っている雰囲気ではない。 日本のモノではない禍々しい雰囲気の箱である。
軽々と背負ってきたのは中に何も入っていないのだろうか。
「おぬし、アルジェ海の難民救済を騙る詐欺の募金箱を作ったのか! なさけないヤツめ。
なんと読むのか解からん摩訶不思議な文字でアフリカ難民支援の雰囲気を醸そうといたす気だな」
「 ・・・ ?」
「よいか 鬼というのはな、劣邪を挫く神気のことだ。 声なき庶民を守り、正義を行う気合いの発露を鬼というのだ。
おぬし 峠の鬼などと言われて慢心し、ペテンの本性を現わしたか。 喝ぁーっ!」
「違うよ〜 和尚、サドルだよー。 おっかねーなあ〜」
「じゃからアルジェリアの難民船サドル号のことじゃろ。
いま地中海を漕ぎ渡ってスペインからフランス沿岸まで近づいている。 じゃが元の宗主国フランスはイタリアへ行けと言って上陸を認めん。
粗末な木造船に大勢の女子供や年寄りも乗って今にも沈没しそうだ。 水、食料が尽きて病人もいる。
果たしてイタリアまで行きつけるかどうか。 フランスはなぜ手を差し伸べんのじゃ」
「 ・・・ 」
「ワシがヴァチカンを主席で卒業して日本に帰るためノルマンディー海岸あたりを放浪しておった1940年代のフランスは、ナチスに蹂躙されておって大変な時代だったが民衆は神の正義を信じていた。
70年前、英米蘭連合軍の舟艇が初めてフランスに上陸したあのノルマンディだ。
その前年、海岸沿いのロマンチック街道を自転車で通りかかったワシを追いかけて来て、ワインとパンを手渡してくれた婦人は、
『あんたの胸にかけてあるのは何か?』 と聞いた。
ワシは生母が持たせてくれた月のお数珠を見せて 『日本のママンだ』 と言った。
婦人は 『あんたはきっと日本に帰ってママンに会えるよ』 そっとお数珠に手を触れ、道中の安寧を祈ってくれた。
『ぼくのママンはかぐやという名前です、フランス語では月のマリアのことです』
『まあ ステキだこと、あんたはイエスね』
婦人はにっこりしてワシが再び走り出すサドルを押し出してくれた。 ふくよかな体形のフランス婦人はびっくりするほどの力でワシの自転車を日本に向けて押し出してくれた。
ツールの坂道で失速した選手の尻を押して走っているオバチャンがいるだろう。 フランス婦人は力持ちなんだ。
あのころのフランスの正義はどこへ行った」
「和尚ぉー ええ話しやなあ。
オメさまはヴァチカンの出身だったんかい。 おまけにご母堂さまは月のマリアさまけ? んじゃー 和洋折衷でも神仏混交でも、地中海うつぼの酢漬けでも、なんでもイエスだなあ」
「ええ話しじゃろ。 感心したらサドル難民詐欺は止めたか?」
「あのね、そーゆーサドルでねぐ。 こーゆーサドルなんですけど」
鬼が箱を開けた、開け口のない募金箱と思ったのは欧州式に中箱をスライドする箱だったからだ。
中から出てきたのは羽のように軽い自転車サドルだった。 座面にも fi’zi:k の文字がデザインされている。
「何と読むだねコレ、こんなのイタリアにもフランスにもないぞ。 ロシアか?
それに中央の溝が深くて長いねえ。 単なるキワモノなんじゃないのか」
「まあ乗ってみろや、多くのサドル難民が助けられている。
オラもなや、長い距離を乗ったときのケツの痛みが緩和された実感がある。
ランス・アームストロングのツール10連覇時代にコレがあったれば、彼はドーピングに頼ることはなかったかも知れない」
「もらっていいのけ?」
「2個いっぺんに買えば10パーセント安くするというのでなあ、15,999円だあ」
「2個でかね?」
「いんや、1個の値段だ。 おそらく汎用品としては世界一高価なサドルだろう。 色々な製品をさすらった末に辿り着く最後のサドルといわれている。
濡れた冷たい石畳路で恐れられているツール・ド・フィヨルドを制したチームスカイの公式サドルだ。 fi’zi:k はフィジークと読む。 オメさんの好きなイタリア製だ」
「だから呉れるのかと聞いておる。
拙僧もな、サドルには悩んでおるがモノがモノだけにお試し期間が過ぎたら返品するという訳には参らんで、なかなか買い替えることが出来ん。
呉れるというなら貰ってもいいぞ」
「いんや、敵に塩は送らねーのが山の掟だ」
「なんだよー、ブレーキの次はサドルかね。 おぬし自転車用品のペテン商会でも興したか、拙僧相手に商売いたすな」
「はははー 金は出来たときでえーだよ。 ただし一筆書いてもらう」
「 ・・・ 」
「来るとき渡った沢でカワウソに会ったでよ、山女魚を頼んでおいた。 前回号の残りの酒っこがあっぺー 早ぐ月見を始めっぺーよ、ご母堂さまにもご挨拶したい。
ところでご坊、どうしても解かんねーことがあるだ。 聞いてもえーだか?」
「ん なにかね? そーゆー態度で聞くなれば答えてやるぞ」
「オメさんがさすらったという解放前のヨーロッパってよ、フランダースの犬とかアルプスのハイジ娘の時代だっぺや。
その頃でもツール・ド・フランスはあったが、当時10代としてもノルマンディから70年以上経ってあんた、今いくつけ?」
「40歳じゃよ。 孔子いわく 四十にして惑わず」
「 ・・・ と惑う計算やなー」
「鬼どの、おぬしも不死身のアマゾン半魚人のながれであること、拙僧は看破しておるぞ。
されば解かるであろう、拙僧の生母は月に帰ったかぐやよ。 よってせがれのワシも地球環境から受けるエイジングの影響は二分の一以下なんじゃ」
「あのー 父方はどちらのお方さまで ‥ 」
「うむ よくは知らんが源氏の光宮と幼時に乳母の式部から聞いたことがある。
母はみやこに単身赴任の父のことを 「薫ちゃん」 と呼んでいた記憶があるなあ」
「ひえーっ! お公家さまでございますかあー それもあの 光源氏 薫の宮さま ‥ 」
昔な、一休禅師からみやこに出して公家デビューさせないかという話しが母にあったそうじゃが、当時のワシはダライ・ラマ師に師事するためチベット渡航の準備中でな、大陸に渡る泳力を琵琶湖で鍛錬しておったんじゃ。
母は大津から若狭の日本海まで送ってくれた。 鰐鮫の曳くお椀の船に乗る別れぎわ、キビ団子を腰に結び、首に掛けてくれたお数珠がコレじゃ」
「びえーっ! ご坊は一寸法師と桃太郎のモデルでございましたかあーっ。
道理で犬猿キジの他にカワウソにも知り合いが多いのは泳力鍛錬パートナーでございますな」
「このころ鍛えたトライアスロンの体力は、その後チベットからゴビの月砂漠を歩き、カルピス色の塩湖、カスピ海を泳いでローマを経、ヴァチカンまで行くのに役に立った」
「びえーっ! それではまるで玄奘三蔵法師さまの延西スペシャル版ではございませぬか。
サドルは献上いたしまする。 よしなにお使いくださりませーっ。
世界ウルトラ・ライドでサドルのことを聞かれたら 「日本の潤沢(うるさわ)の鬼村商会で各種潤沢に取り扱っておる」 とお話しいただきたく」
結局その晩の月見の宴は僧坊の隅にあった安酒で更けていったが沢のカワウソがご注文の山女魚を届けに来たころには、1名は一升瓶を枕に、もう1名はサドルを枕に眠りこけていた。
カワウソは仕方なく山女魚を笹の葉に包んで冷蔵庫に納め、ついでに皿に残っていたうつぼの骨を食べて綺麗に片付け、欠け茶碗の底の酒を舐めて帰って行った。
満月が明るくて山女魚の出が悪かったのが漁の遅れた理由だそうだが、カワウソさんも大変な鬼どもに見込まれたものである。
カワウソが今回ご登場願った哺乳類中一番の律義者であったワケは、前回号でおしぐれさんから貰うキノコの石突きを食べて亜鉛を補充しているから。
義理を果たすには亜鉛と摩訶。 2号続けて恐縮だが亜鉛とマカはええよー。 ご注文は潤沢のうるせー鬼村商会へ。
3幕 「ボトル考」 につづく
写真
右: フィジーク サドル、座面にある fi’zi:k の文字はどういう処理なのかレーパンのお尻で擦れても消えない。 休憩スポットで目立つこと。
このモデルには体重 年齢 男女 使用フィールド 嗜好などで様々なヴァージョンがある。
写真のアンタレス VS 仕様はおしぐれさんのような骨盤の柔軟性が低下してきたおじさんライダー向きにパッドを増量して後方の張り出しを大きくしているそうだ。
実測重量 : 216.9g 公称重量は 209g 7.9gの誤差は許そう。 中央の大きな溝が会陰部の血流を確保して快適性を生むという。
中 : これまで試行錯誤してきたサドルたち。 ひとにあげた物も含めるとずいぶん買った。
サドルは自分に合わなくてもそれはサドルのせいでなく、自分のお尻のせいだとオーナーに思わせる自転車唯一の特殊な性格をもつ部品。
それゆえサドルメーカーの思う壺 ‥ 。 サドル難民の流浪はフィジークで終わるだろうか。
右からコルナゴ純正サドル、使い込んだ跡が白いラインの擦れに見える。 もう使うことはないだろうが捨てられない。
中 勢いで買った有名なサンマルコ(伊)のレースサドル、後部が左右別々に撓むという触れこみながら超硬い。 穴あきサドルに分類される。
左 最近まで使っていたタイオガ、コルナゴに似た形状なので買ってみた。 安価な割によかった印象。 サドルは値段じゃない、お尻との相性 ‥ なのだが。
タイオガ社は米国企業の商社、自家工場は持たず台湾をはじめアジア諸国に図面を送って生産させ、そこから世界に輸出している。 日本は近いから欧米より安い。
米国内で作ったらこんなにいいものは出来ない、台湾の生産管理能力は高い。
左: 鬼さんが背負ってきたフィジークの箱、とくにコメントはない。
箱の一部が崩れているのは、背負ったまま落車して付いた傷に違いない。 中味が酒でなくてよかったが、酒なら落車しねーよってかい。