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おしぐれさんの ロード歳時記「核燃サイクルロード」 episode 4
2014/03/10

熊笹の尾根には石山に向かって細い踏み跡が続いていた。
笹葉のエッジにむき出しの脛を切られながらその道を辿って、40分ほどで石山の下に着いた頃には浅い切り傷が脛に何本も付いてひりひりしたが山ヒルの咬痕よりは余程よい。

こう書くと簡単に行けたように思えるが、脊柱管狭窄症という業病もちのおしぐれさんにとっては修験場のような辛い山道であった。
何度も立ち止まっては前かがみにしゃがんで休み、詰まった背骨の間隔を引き伸ばしてやりながらヤットコ到着出来たのだった。

背骨の下端付近を内側に湾曲させて乗車する自転車のスタイルならば、骨間にスキ間が出来て何ともない。
ところが自転車を降りて歩くときには背骨が立つのでスキ間が詰まり、狭くなった脊柱管内を通る神経系が圧迫されて歩くたびに擦れる。

そのような状況が10分も続くと神経制御系が攪乱されて血行も阻害され、無茶苦茶クラスに相当するレベル4の痺痛が腰と脚に起こって歩けなくなってしまう。
痛みが走るのは止まれの合図を感じることだからまだ良いのだ、脳との伝達経路は保たれている証し。
合図さえも届かなくなったら前ぶれ無しに筋力制御が途切れて、いきなり昏倒して尾根から落ちる。

落ちれば谷底には吸血虻(あぶ)の棲む沼地が口を開けて待っている。

それは来年あたりかも知れないし今日かも知れない。
それでも歯をくいしばって木の根に掴りながら歩いたのは、命がけでも回春イワタケキノコを得んとする 「色即得欲 イズ マイ ライフ」 のおしぐれ流モチベーションのタマモノ。

おしぐれさんは般若心経を色事師のオマジナイだと思っているフシがあって、そーんなのをおしぐれ根性のタマモノと誉めていいものか、作者は大いに迷うところでございます。
でございますが、このご仁の色即ライフとゆーものは 定説の枠を越えた無茶苦茶ワークのタマモノなのでございますから こりゃーもう しゃーあんめえ 放っておくに限る、でございますよ。

地上を二本足で直立して歩くのは霊長類の悲願であった。得られる食糧の限られた樹上から万物豊穣の地上に降りた類人猿が最初に渇望したことは二足歩行に他ならない。
最初に足だけで立ったのは地殻変動で出来た岩山地帯を暮らしのベースに選んだ祖人類といわれる。
牙タイガーなどの捕食動物から逃れて岩山に身を隠しながらゴツゴツした岩の隘路をよじ登って食糧や外敵情報を得ているうちに、立ち姿勢を手に入れたという。

遠くの敵を見張るために立ち上がり、空いた両手で食物を摘んで運び、石斧の武器を構えたまま前進したりすることの出来る腰の能力をいつの間にか手に入れた人類は同時にコミニュケーション能力も発達させ、やがて地上の王者として君臨を許される唯一の霊長類となった。

人類と猿人類を区分ける最初の項目は直立して連続的に二足歩行が出来、かつ道具を使って仲間とコミニュケーションが交わせるかどうかだ。というハナシはうなずける。

脳と脊髄と脚とを垂直な関係位置に保てる極めて特殊な構造の骨盤と股関節は今も人類だけの特徴であり、類人猿が短時間なら二足で立っても前かがみなのは骨構造上当然そうなる。
彼らに無理やり 「きおつけ」 をさせると股関節は簡単に脱臼してしまう。
それが普通であり、人類の骨盤構造のほうが自然界では稀なつくりなのだ。
お猿や犬に二足歩行をさせるのは、曲芸というより餌で釣った拷問虐待に等しいのだから止めるべきだ。

余談だが皇帝ペンギンが氷山に直立で立っているように見えるのは、分厚い皮下脂肪で太っている体型と体毛の流れ上そう見えるだけである。
横方向からX線で見ると膝を曲げた相当なへっぴり腰で大きな水かき足の間にタマゴやヒナを乗せて立っているのが解かる。

寒さから守るべきタマゴやヒナがいなければ、あんな不自然な立ち方などしたくはないのがペンギンの本音。
だから歩くと超スローなヨチヨチ歩きだが、ひとたび水に入れば前肢のヒレと後肢のドルフィンキックでイルカほど速く泳ぐ。

直立進化した人類は、それ以来何百万年ものあいだ猿どもの羨望の的となる二足歩行を誇っているのだが、たかだか数百万年の歴史だからまだまだ脆弱性があって、猿に近い遺伝子のお父さんほど腰痛に悩むご仁は多い。
それと痔と便秘も人類だけの疾患である。四足歩行種にシモの病はない、この辺りを考えただけでも人類の二足歩行の進化はまだ未成熟なのだ。

ブッダを見てみなはれ、横に寝転んでひじ枕のスタイルでニッコリしている。あれが人類の理想形ではないのか。
旧来の人類のなかで、あのスタイルが違和感なく似合うご仁を作家は一人だけ知っている。天才バカボンのパパだ。

お父さんの腰痛の原因の多くは体重増加と逆比例に腰部筋力の低下によって起こる加齢性腰ヘルニアであろう。元々腰痛の無いお猿だって60年も生きないのだからしかたがない。
ぎっくり腰が完治しないまま癖になっている人の多くはお猿型骨盤を生まれながらに引き継いでいるのだ。
いずれの場合も運動不足が原因の筋力低下が引き金なのだから自己責任なのだが、中途半端な脚の長さがわざわいしてお猿のような四つん這いでは歩きにくいのが難点である。

おしぐれさんの脊柱管狭窄というのはお猿型と違って、発症には思い当たるふしがある。
40歳台の終わり頃、釣竿を持って鬼怒川の川岸のテトラポッドの上を移動中、テトラの穴と呼んでいるテトラとテトラのすき間に落下したことがある。
上空のトンビの舞い姿をめでながら歩いていて、ふいに落ちたのだった。

まったくふいを突かれて垂直に5メートルほど落ち、下層のテトラの底に 「ドンッ」 と足から着地した。
ナイキの靴を履いていたので踵を痛めることも外傷もなかったが、着地の衝撃は無防備な胃袋に凄い重力停止のGの衝撃となった。しばらく悪感と吐き気が続いたことを覚えている。

この着地のとき背骨を構成する骨間の隙間の軟骨がギュッと潰れていたのだが、当時は腸腰筋や後背筋など体幹の力がまだ強かったので骨の故障を筋力でカバー出来ていたらしい。
穴の底で落下のショックが薄くなったあとには自力で這い登ることができた。
還暦を過ぎてから穴に落ちたなら、テトラの底にうずくまったまま行旅不明者リストに載っていたことだろう。

釣りに行ったまま帰らないお父さんがいたら流れの中を捜索するよりも、テトラの穴を覗くか家に帰りたくないお父さんを置いてくれる親切な女性のいるお店を探すのがよろしい。
でもすでに遺言状を書き替えていて遺産の50パーセントはその女性に行くように仕組まれているから、むしろ探さないで法定失踪期間の過ぎるのを待って、急いで相続の手続き開始を実行したほうが良いのではなかろうか。

その辺りの事情は団塊屋のなーさんが専門家でおます。
あのお方も家に帰りたくない派のおひとりですからなあ、そりゃあー アドバイスはリアルでっせ。

テトラ穴事件から10年近く経過しておしぐれさんに間歇性跛行の症状が現われた。
縮んで変則配列となった背骨が悪さを始め、神経の通り道を圧迫刺激して痺れる痛みのため続けて歩けなくなった。腰かけて休むと元に戻って歩き出せるがすぐに痛みが出て歩けなくなる。
またこの神経圧迫は男性機能の低下をも引き起こしていた。当時第四次最終モテ期にあったはずのおしぐれさんだったが、随所の大事な局面で面目を失う。

跛行の歩行障害では病院に行かなかったおしぐれさんだったが、ED障害とあっては生涯の一大事である。
某有名赤ひげ病院の門をたたいたところ医師の見立ては非情にも根治不可。

身長で3cmも縮んでしまった背骨の潰れは脊柱全体で起きていて、手術で骨の一個二個を切開してもきりがない。
手術のリスクは電動車椅子との天秤(てんびん)だと脅された。

「それよりも自転車を漕いで、今の背筋力を維持する運動を可能な限り続けるべし。股間のポテンシャルはイメージで何とかなるべさー アレはそーゆーもんでねーけ。
性障害が理由の身障者登録申請書は若い人なら書いたことがあるけんど、オメさんなんぼになっただやー?
いずれ自転車に乗れなくなったときが寝たきり要介護レベル5になるとき、それまでは 知恵を絞って精々楽しんでおきなされ エロ爺さん」

医師は極めて職務的に言い放ったあとでニッと笑った。
「このやろー 涅槃の悟りをオラに説くかやーっ!」

今まで書いたことはなかったが、これが自転車出家の根本のこと。 涅槃への旅路の始まりだった。
以来釣竿には風を当てたことがない。

万象万物これ無なり なのでござる。 太陽も風もまた しかり。
そーいえば股間の竿にも久しく風を当てたことがないような … 。 

石山の麓で腰と脚に痺れが走ってヘたれ込むおしぐれさん、ここ10数年の思いが一気によみがえって嘆息を漏らす。
出家にしては般若心経を妙な理解のしかたしておりますですなあ。

北限のニホンザルの一団が石山を降りて来て、整然と樹々を渡って行くのが見えた。
しんがりのボスザルが無言のまま鋭い視線をおしぐれさんに投げている。

「あー 猿だったらどんなに良かったことか。
やい ボス猿ルノー! オメ 例のキノコを食っているだっぺ? 艶福そうな顔の赤みや膨れたふぐりから察するに、適正摂取量を超えて食っているなあ。
そーゆーのを寡占と言ってなあ、自然界の第一法則 すなわち平等の法則に背くことなんだどー おらにも ちっくら分けてけろー 今度大間で出会ったならまぐろ食わせてやっからよー」

猿だったなら二足歩行者のように 「オオウラヒダイワタケ」 の回春効果など元々要らないだろう。ボス猿ルノーがボスの間はいつだって通年モテ期なのだ。
お猿だって犬だって、オスもメスも、繁殖行動が終了した翌シーズンには死んでいるから残雪をかき分けて会いに行っても会えたことがない。
色即是空 空即是色、それでも大地には四季がめぐって花が咲く。

おしぐれさん、岩登りのことか精力のことか意味不明なため息を漏らしながら目の前の巨大な石山を見上げる。
この石山の頂上付近、海からの霧が吹きかかる面にくだんの霊茸が岩のくぼみに張りつようにしてひっそりと何千年も生えているというのだ。

「ふえーっ でかっ! さーてと いっちょう いくかあ。待ってろよー カヨちゃん」
腰を擦りながら立ち上ったおしぐれさん、石山への取っ掛かりとなるテーブル状の岩の上に黒褐色のキクラゲみたいなビロビロの地衣類が何個も転がっているのが目に入った。

「びえーっ! こっ これは お宝じゃあないか?」
それは大間崎の漁師酒場で知り合った薬学志望のオートバイ青年からこっそり見せてもらったご禁制のキノコと姿かたちが同じだった。

ボス猿ルノーからのプレゼントなのか天然記念物の盗採発覚を恐れた前登者が捨てて行ったものか、下北の誇る回春サイクルの秘茸 「オオウラヒダイワタケ」 がそこに無造作に置いてあった。
「びえーっ どーするよ カヨちゃん、岩登りする前にお宝が手に入っちまった」

おしぐれさんは紳士だから盗採などしない、ここでたまたま拾っただけだ。
「すでに乾燥が進んでおる、今さら岩場に戻しても蘇生は望めんな。ならば出家のワシが 今ここで全部飲み下してやろう。それが供養だ 色即是空だ。あとには何も残らない 無量の空だけじゃあー」

尿のドーピング検査で陽性になったときの言い訳は用意してある。
「いやあー 登山前にチキータバナナの完熟を皮ごと食って、そのあとレッドブルを2本飲みましてなあ あっはっはあー」



episode 5 につづく


ご注意 : セサミン5錠とレッドブル2本の飲み合わせは体質に合わないお方もございます。
      薬剤師にご相談ください。

おしぐれさんの ロード歳時記 「核燃サイクルロード」 episode3
2014/03/02

ぬいどう石山登山道 福浦林道。 

分岐の十字路を海峡ドライブインとは逆方向に、山に向かって入るとすぐに休館中の 「ぬいどう歌舞伎館」 が現われた。
ここから先が林道になる。

自転車を止めて中を覗うが思った通り誰もいなくて静まり返っている。
それにしては中々の立派な建物なのだ、銀座の松竹歌舞伎座ほどの賑々しいところがないことが周りの風景に馴染んで実によい。公立の演舞場らしい。
入り口の案内板には上方歌舞伎を始祖とする漁師芸能の伝承館と説明され、いかにもそれらしく素人臭さを強調した舞台のポスターが飾られていたが、次回開催は未定とある。

役者は何処から来るのだろうか、十字路の10キロ四方には3人しか住んでいないとカヨちゃんは言っていた。
ぬいどう食堂の夫婦とドライブインのカヨちゃんの他に、浜の漁師の爺さんを加えたってポスターの様な歌舞伎役者にはならんだろうや。
だいいち観客がいねーだっぺや。

もしかしたら近江や山陰の国の方から海岸沿いに木造船を仕立てて、はるばるとツアーを組んでやって来たのだろうか。
そうだとしたら無茶苦茶ステキなハナシだが、何だってまたこれほど辺ぴな処で 「義経千本桜」 や 「白波五人男」 などを上演するのだろう。

その理由は明白である。
歌舞伎ツアーはダミーなのだ。江戸時代より連綿とつづく下北遠征公演の主眼の実は、ぬいどう石山に生える秘宝の回春イワタケキノコにあり。
おしぐれさん、こーゆーことには鋭い嗅覚が働くのである。
回春起爆剤というものは、核燃サイクルよりも庶民には重要なアイテムでありますからなあ。

案内板には石山の写真も紹介されていた。福浦崎からは東方に位置する下北の霊山 恐山 に向かって林道を行き、7キロほど先の駐車場から徒歩で登る登山道が始まるとある。
熊笹の生い茂る細い尾根道と石山の写真が紹介されていた。
その方向を仰いでみるが、ここからでは深緑の山に隠れて石山は見えない。

舗装された林道をインナーギヤで登り始め、しばらく行く間に追い越して行くクリマも下りてくるクルマにも出会わない。
誰もいなくて何もないのが下北の売りだからそれで不満はないが、3けた国道から入ったローカル林道ともなれば本当に何もない。

「おめさんかね 登山口の駐車場に自販機を置かせてくれっていうブルドッグソースの営業マンは。
おめ 馬鹿こくでねえど、 電気が行ってねえのに どーやって自販機さ冷やすだね。 それになー 山でバーベキュー禁止は常識だっぺや。田舎者だな おめ。

あにー? 焼肉のソースではねえ、アスリートを応援するエナジードリンクだあ? 
このやろ ハイカラ英語使いやがってー おらを騙そうったってそーはいがねえぞ! おーい カヨちゃん ホーキと塩さ持ってこー。
そーだ 隣りの犬も連れて来い。ブルドッグだんべえ、このやろに食いつかせてやれ。山火事野郎を追い出してやるんだあー」

もしもおしぐれさんが4人目の村民になっていたら、迷い込んできたレッドブルの営業マンから 販促の帽子とTシャツだけぶんどって追い返すことだろう。

唯一の人工物であることを示す標識通りに、林道は上に向かって続いている。ありがたいかぎりだ。
さらにありがたいことに空気は海峡を越えても繋がっていて、しかもヒバ林の中だから清浄そのもの。
今風にハイカラに言うたらここは ヒバリーヒルズ である。

酸素を大量消費する持久系アスリートにとって、自吸する空気の湿度と温度は低ければ低いほどありがたい、内包する酸素密度が高くなるからだ。
山中なのに湿度が低いのは海に近いからだろうか。
汗は流れるがべたつかないのでマインドが助かっている。湿度の低さと昨日まで大間崎で大量摂取したまぐろDHAの効果なのだろう。

今回の下北行は時期の選択がドンピシャリだった。関東は梅雨に入ったようだが下北は毎日晴天である。

道は落石 落木もなく斜度もまずまず、最大ギヤからひとつふたつ手前で踏み込めている。
鼻が詰まり気味で呼吸は楽ではないが心拍は140凸凹、まだ大丈夫だ。カヨちゃんの店で補充したボトルの水も十分残っている。
下北に来てからはボトルにポカリなど入れたことがない、売っていないのも理由だが井戸の水で十分なミネラルをもらっている。
吸収速度の遅早などこの大自然のなかでは大した問題ではない。

林道の舗装がどこまで続いているかは分らない。途中からラフロードになればスリック タイヤとロード仕様のギヤでは進めなくなる。
そのときはバイクを道端の立ち木にワイヤーロックを回して放置し、徒歩で石山に接近するつもりだがその石山の規模とそこまでの距離が分らない。
ずいぶん登って来たのに石山の姿がまだ見えないから残り距離が読めないのだ。

分らないことだらけのときは無理をせず、回転を下げて体力を温存したい。でもそうすると車速が保てなくなって立ちごけてしまう。それを避けようと蛇行を取ったり立ち漕ぎしたりすると、余計な筋部位に力が入って結局はエネルギーを浪費する。
いっそ降りて押そうか。
いやいや それではワシのプライドが、たったひとつのワシだけのアイデンティティーのモチベーションがポッキリ折れるではないか。

おしぐれさん 葛藤が始まった。
マラソンランナーもトライアスリートも孤独の走りのなかで必ず経験する葛藤だが、この葛藤が現われないようではまたアスリートとは言えないのだ。

そーゆーときには止まって休め、誰もいなくて誰も見ていないのだ、だからプライドは忘れて座って休め。
なんだったら泣いたっていい、もしもひとに見られても汗を拭いているとしか見えねーべさ。泣くのも重要な脳のリフレッシュ行動なのさや。

さいわいなことに、この山に吸血虻(あぶ)はいないようだ。そういえば蝉も鳴いていない、静かなのはそのせいだと初めて気がついた。北海道と同様下北にも蝉は棲息していないらしい。
平らな場所を選んで休むことにした。
周囲はヒノキチオール含有率世界一位の青森ヒバ林、贅沢なフィトンチッドの森林浴である。

これまでもこうした場面の度に、フロント3速の山バイクで来ていたらどんなに楽だろうかと何度も思った。でもやっぱり遠征となればカッコつけて流麗・華麗なヨーロピアン ロードを選んでしまう。
それもこれも 「カッコマン」 のせいだ。
それでどれほど失敗したことか。 カヨちゃんのことだってそうだ、十何年か前のクラス会で酔ってカッコつけて、そして 「あの約束」 をしたらしい。

したらしい、と逃げているところがいかにも軽薄なカッコマンだ。軽蔑ものだ。 おまえには自己啓発という言葉はないのか。

どーするつもりだ おしぐれさん、仏ヶ浦のお師匠様たちの姿に目が覚めて一度は心を決めたのだろう、だから自転車の向きを変えたのではなかったか。
それなのにカヨちゃんの店が見えてきた十字路で急にハンドルを切ったのは何故だ。
もう一度坂を登って決心を堅固なものにするためか。それとも林道伝いに人切り峠を迂回してむつ市方面に逃げるつもりか。

路上に座って休んでも、なおおしぐれさんの葛藤は続く。こーゆーことにフィトンチッドは効かんのか。そんなことはあるまい世界一の青森ヒバやど。それを10キロ四方ひとり占めやど。
ひとり占めといえばカヨちゃんだってそうだ、十何年プラス三十数年で何年になると思う。 この果報者 いーや 啓発レスの薄情者めー。
うわあー また葛藤を蒸し返してしまった。

作家としては彼の脆弱な心象風景の不毛なうつろいを如何に客観的に忠実に、かつ文学的に美しく哀しく描きあげるか葛藤するところである。 ところが … 。

おしぐれさん リュックを開けてなにかゴソゴソ探している。
「コンビニの袋ないかなあ、イワタケキノコを入れるビニール袋っと」

このやろーっ 山にはキノコを採りに入ったのかあーっ! 軽薄プラス軟弱の、そのうえ 好色プラス宿無し男めー 虻に食われてしまえーっ!

おしぐれさん 立ち上って靴のバックルを締め直す。中腰になって股間割りでストレッチをする。水を飲んで気合いを入れる。
「さあーて、 一丁行くかあ。 石山めえ 待ってろよー」

石山がオーストラリアのエアーズロックほどの宇宙ものだったらおしぐれさんに勝ち目はないが、ほとんど知る者のない下北の石の山なら大したことはあるまい。
問題は靴だ。踏面中央にペダルと結合するための金具の出っ張りがある、石の上でここに体重がかかれば滑ってしまう。

石山に足掛かりとなる凸凹がなければ諦めるとして、行けるところまでは行ってみよう。もしかしたら手の届く場所に目ざすモノがひょいと出現していたりするかもしれない。
どこまでも脳天気なおしぐれさんなのである。作家は書きやすくなってほっとするのであった。


道は沢沿いに続いている。水源となる流域は広大な面積を持つようだ。恐山のある朝比奈岳の裾野の一部なのだろうか。
豊かな水量の沢は透き通っていて大岩の陰に山女魚の泳いでいる影が見える、岩魚は見えない。
岩魚は大岩の陰でなくとも見えない、見えないようなテクを使って水中に潜んでいる。

山女魚は岩魚より泳ぐのが巧い。スピードも上回って餌取りも巧いからやたらと泳ぎ回る、そのたびに木漏れ日を体側の銀が反射して水面の裏側にパーマークを映す。
水面の裏側は自転車用のイーグルアイ サングラスで見ると、驚くほどよく彼らが映って見えるのだ。

そのようなスーパーな自転車グラスをもってしても、女の内面の裏側と明日の競馬新聞の払い戻し一覧だけは見えない。
たとえ見えても見てはならない。だいたいに於いて内面の裏側というのはいったい、表の面になるのかはたまた後背面か?

山女魚はその運動性能の高さを武器に、流れのテリトリーから岩魚を沢の上流に追いやって君臨し、パーマークのある魚体の美しさもあって渓流の女王といわれている。だが本当は違うのだ。
川の上中流域の餌の豊富な辺りというのは確かに山女魚が多いが、真の渓流の王者 岩魚がいないことはない。
なのにそう言われるのには、ある馬鹿馬鹿しい理由がある。

クルマで釣りポイント近くまで容易に行ける中流域に入った釣り人は、勇躍釣り始めるがそこで釣れるのは山女魚ばかりで岩魚は釣れない。
そこで釣り人は、岩魚は山女魚に追われてもっと山奥の水の少ない過酷な水域へ逃れ、そこで細々と生き延びている。だからここにはいない。
そーゆー言い訳を作って山女魚だけ釣って帰ってゆく。

これは釣り人が へたくそ なだけなのだ。
岩魚は中流域にもいるのだ、釣れないだけなのだ。
同じ川に棲んで同じように川虫や木の枝から落ちてくる毛虫や蜘蛛を食べている彼らだが、サケ科の山女魚と岩魚は別属別種だ。

そう書くと、
「おいおいそれは治安を乱すハナシやなあ Wikipedia には岩魚もサケ科と出とるでや。今さら戦後歴史観を覆すようなこと言わんといて」
と言われるだろう。
Wiki 百科事典がいつでも正しいと信じ、それしかないと思っているおひとが何を言おうと脅威ではない。アレは読者が自論を書き込んだものだ。おしぐれさんはいたって平気に持論を続ける。

山女魚の産卵にウグイのオスが割り込んで交雑種が生まれることは知られている。山女魚のオスもまたサケやオショロコマと交雑する。
降海型の魚はだいたいそうなのだ。驚くことではない。
鮎だけは秋に河口近くまで下がって産卵するので、秋に遡上を開始するサケや山女魚の海戻りであるサクラマスとはすれ違ってしまうから交雑のチャンスがない。

ただそれら交雑卵から孵化した稚魚は群れのなかで異形なので、成長の過程で大抵の場合同族に食われて生き残れない。生き残っても交雑種は一代限り、F1同士の世代交代はないから現有種だけが保たれている。

そこで岩魚をみると、降海しない岩魚は年中同じエリアに暮らしているが、産卵に割り込む他の魚は皆無なのだ。
産卵地が上流部の限られた水域だからだとする説は当たらない。確かに岩魚の産卵は上流域ではあるが、山女魚もサクラマスもいる水域で彼らの目の前で産卵行動が起こっても、山女魚はもとよりウグイもカジカも知らんぷりだ。
近くにいる理由は産卵した卵を食おうとしているだけ。

これは岩魚が山女魚・ウグイと交雑しない、つまり別種の魚類だという証左である。もっとはっきり言うと、岩魚は渓流魚ではあるけれど、じつは蛇なのだ。

あのふてぶてしい顔つき・魚体のざらつきと色模様・水から上げても濡れて湿った枯れ葉さえあれば一週間でも生きている。濡れた落ち葉の上をカラダをくねらせて進み山を越え、反対側の谷に向かって逃走を図る。清水の池に飼っておいても必ず逃げられる。
こんなのは蛇でしょう。

ひと昔前に騒ぎになった ツチノコ は、分家して他の水系へ旅の途中の成魚岩魚を見誤ったものだ。
作家は当時まだ日本になかった Wiki 百科に手書きの紹介文を書いていてウィキメディア財団に投稿したのだが、手紙はボツにされた。理由は英語が下手なだけだった。
内容的にはネス湖のネッシーより余程まともなのに … 。

決定的なのは顎、サケ科の成長したオスの特徴である顎先のしゃくれが岩魚には無い、かわりに135°までガッと開く大きな顎を持っている。
また、釣り上げた魚を小砂利の上に置くと、山女魚はペタンと横になってしまうが、岩魚は腹と胸ビレで縦のままカラダを支え、前に進んで逃げようとする。その背中を上から見るとまるでマムシだ。

食性の獰猛さもまた蛇である。
おしぐれさんの知り合いがかつて足尾の渡良瀬川上流 松木川で釣り上げた50センチ超の大岩魚 (ニッコウイワナ) は、腹が異様に膨らんでいるので割いてみたところ飲まれたばかりの白テンの成獣が入っていた。
水を飲みに沢に近づいて、首を伸ばしたところを頭からひと飲みにされたのだろう。大岩魚は満腹のはずなのに、さらに釣り人の鉤のついたミミズにも喰いついてきたのだ。
その白テンは高級毛皮として高値がつき、釣り人はホンダN360の新車が買えたという。

当時のN360が新車価格どれ程だったかというと、団塊屋のなーさんが1年間飲まず食わずで給料を貯めてやっと買えた程と説明しておいて間違いではなかろう。

なぜへたくそ釣り師に岩魚が釣れないのか?
川に入った釣り師は、ともかく釣ろうと川虫の餌や毛鉤を白泡の立つ瀬や岩裏の表層に投げては、せわしくラインを引く。
このとき泳ぎの速い山女魚はジャンプ一番毛鉤に喰いつき、そして釣られてしまう。

一尾釣ると釣り人は、
「これが今日のヒット毛鉤や、決まったなあ バシバシ釣るでえ」

先ほどヒットした瀬筋に同じように投げて同じように引く。
山女魚は釣れるかも知れないが岩魚は死んだように釣れない、そこで 「この辺りには岩魚はいない」 と、こうなる。

こーゆー釣り師を おしぐれさん は構わないでおくが、その川に岩魚は間違いなくいるのである。 

釣りをなさらぬ読者に断っておく、釣って偉いのは岩魚である。山女魚は、あーんなのは 「雑魚」 なのだ。
釣りをなさらぬ読者にも面白いように書くから黙って読んでいただきたい。 今回はなんだか居丈高だなあ、作家さん 大丈夫ですかいな?

用心深い岩魚は、釣り師の靴が川底の石を踏む音で岩陰に身をひそめ、軽薄な山女魚が簡単に釣られて行くのをじっと見ている。
そして毛鉤が水面に落ちる頻度とラインが流れて行く速度からラインの長さを計算し、落下点・ ヒット点・ライン長を元にその繰り出し元の人間の位置を計算する。そしてその人間のアホ面を記憶する。
だから一度でも山女魚を釣った同じ毛鉤やラインでは岩魚の鼻先をかすめて流してもけっして岩魚は食いついてこない。

利口な岩魚はアホ面釣り師があきらめて行ってしまうまで出て来ないのだ。
1週間やそこら何も食わなくたって平気な岩魚は、釣り人が連日押しかける5月連休を大岩の陰に隠れてじっとしていることなんか年中行事に過ぎんのです。

数行前に書いたでしょう 岩魚は蛇だって。
ペットの蛇だって人前ではけっして餌を食べんです。箱をかぶせて静かにしておくといつの間にかウズラの卵は無くなって、ヘビ子は丸まって寝ている。

ヘビ子をペットにする名人おしぐれさんはどうやって岩魚を釣るか?
かんたんなのである。山女魚を釣らないこと だけなのである。
山女魚を釣らないように工夫すると岩魚が釣れる。

以下を読めば目からウロコ。 ウロコ取りなら河童橋道具街の木屋金物店、目によく効くのは小林製薬のブルーベリーなのだ。

山女魚は岩魚ほど大きい魚体ではないが泳ぐスピードは倍ほども速い。しかしゆっくり泳ぐのは下手で、最低速度は川の流れと同程度。つまり泳ぐのを止めて流れに任せて下がるだけ。
一方岩魚は川底の小石を前ビレで挟んで ”おもり” のように使うことが出来るので、流れる川で常時泳いでいなくとも同じエリア内に留まっていられる。

俗説で岩魚は出水して沢が激流になったとき、小石を腹に呑んで川底に沈み、流れの収まるのを待つというが、それは嘘である。ほんとに石を呑んだら蛇だって死んでしまう。
正しくは小石を腹に ”抱く” のである。
岩魚はヒレのある蛇だから出来るのだ。もしかしたら氷河期に生き別れたシーラカンスの陸封型なのかも知れない。
無駄に泳がないことはエネルギーの節約になる、山女魚のようにセカセカ泳ぎ回ってあせって餌を捕らなくてもいいのだ。

そこで、食性は極めて貪欲でありながら、なかなか毛鉤を食わない岩魚を釣るには、山女魚の最低速度を下回る速度で毛鉤を深く自然に流す。ここに行き着く。
山女魚は毛鉤を見つけると岩魚より先に食おうと突進してくるが、流速より遅い毛鉤の動きに目測計算を誤って行き過ぎてしまう。中国の無人攻撃機みたいに沙漠に突っ込んでしまうのだ。
さりとて流速の中に止まって流れてくる毛鉤を待つ技術は彼らにはない。MV‐22オスプレイみたいなことは出来ないのだ。

よって毛鉤をやや深めに沈め、川の流速より遅めに保って岩裏に吸い込ませ、岩魚の鼻先を巻くように流して2秒待つ。
3秒経って食ってこなかったら、毛鉤を替えて流れの芯を5センチ手前にしてまた流す、岩魚とて二度目には堪らなくなって抱えていた小石をパッと放し、鉤に食いついてくる。

釣ったら計量して放流するが、すぐにリリースすると同じ場所に戻って仲間に釣り師情報が拡散する。しばらくは網に入れておいて次を釣ったら放してやるか釣り人が移動するかだ。

具体例

1) 川には誰よりも先に単行で入る、女連れなどもっての外。
2) 石を踏んで河原を歩かない、フェルト底の靴で山側から岩伝いに近づく。
3) やたらに竿を振らない。魚に竿を見せてはならない、フライロッドやルアーロッドなど洋物はカッコだけである
4) 日本古来の伝統釣法 テンカラ釣りで攻める。けっして水面にこちらの影を映さない。
5) 毛鉤はみずから巻く、売っているものにロクなものはない。
6) 毛鉤は水より重い比重で作り、大小50種程度は持参する。
7) その川の川虫の擬態をことさらに忠実に真似る必要はない、要はセンスであり意外性もまたよし。
9) くわえタバコ禁止、飲酒禁止、立ちションは川に向けてするべからず。音の鳴るものは熊よけの笛だけにする。

氷河時代を貪欲さで生き残った岩魚でさえも恐れ、地上で最も貪欲となった人間の毛鉤を食わせるには、最後はセンスなのだ。
居酒屋で山女魚を何匹釣ったと自慢している釣り人は、楽しかったのならまあいいでしょうが、それよりも、隅の席でウトウトしている老人は往復10キロ歩いてニッコウイワナの尺上が1尾出た。
それで満足して帰って来たが、もう眠いとおっしゃる。センスの光るご仁だ。 


どうして釣りの話しになったのか分らない。文章にすればかなりの量になるのだろうが走行夢をみていたようだ。おしぐれさんは調子がよいとしばしばそーゆーことがある。
夢をみながら走って落車もせずに不思議だ。ミスコースくらいはしょうがない。
青森ヒバのフィトンチッドを吸って走行夢をみている間にずいぶんと標高を稼いでいた。

道の奥のほうは相当深い山のようだ、その山々の上に目ざす石山が見えてきた。
リオ デ ジャネイロ の観光名所にこんな石山があったはずだ。名前は覚えていないが海に臨む岬の上に巨大なパンを突き立てたような石山。
ぬいどう石山はそれの下北バージョンだ。

「こりゃー すげーや」
ほかに言いようがない。ことばの達人でさえ石山の光景には無言が似合う。

気分がハイになってペダルがよく回る。
ほどなく車止めの駐車場に着いた。

先着車が二台停めてあってボンネットに触れてみると冷めている、早朝から入山して行ったようだ。
車内を覗くとザイルやカラビナ、岩靴など高級品と思える岩山用の山用品が残されている。ならばおしぐれさんのような軽装でも登れそうだ。

駐車場の端に案内看板があった。
「ぬいどう石山」 の ぬいどう とは古い下北の方言でナメコのことと書いてある。フーム あの怪しい回春キノコ 「オオウラヒダイワタケ」 を隠すたためにナメコだとしたに違いない。

ぬいどうを縫道と書くようになったのは昭和になってからで、登山道が尾根を縫うようにクネクネしているので語呂合わせなんだそうだ。
これもやはり、オオウラヒダイワタケ = ナメコ = ぬいどう を隠そうとしている。

さらに案内には、 ぬいどう = 入道  にゅうどう の下北訛りだとも書いてある。
古くから福浦の漁民は海上からも石山の頂上部分が見えるところから漁や帰港する際の目印とし、入道石山と呼んでいた。草木のない石の頭が入道様に見えるというのだ。
フーム これも土着信仰の男根崇拝に根差したものだ。回春効果を暗示していること間違いなし。

そして案内板には貸し出し用の熊よけ笛の入ったポストが併設されていた。
現在地標高334m 石の山頂部626m。案内の最後にそう書いてあった。

下の国道の十字路で初めて縫道石山の標識に出会ったとき、予感した銀鉱石の廃坑説は作家の空想に過ぎなかった。
ぬいどう石山とはヒバ林の緑の山々のてっぺんに、ニョッキリと生えた極めて猥雑なお姿の入道石山だった。

「待ってろよー カヨちゃん、回春の入道イワタケ 採って帰るでよー」
おしぐれさん、自転車を案内板の柱にワイヤーロックで固定してから熊よけ笛のひもを首に掛け、山行きとはおよそかけ離れた自転車ウエアのまま熊笹の道に歩き出した。


episode 4 につづく

syn

おしぐれさんの ロード歳時記 「核燃サイクルロード」 中 episode2
2014/02/04

「まあ まて カヨちゃん、ひとが見ているぞ」

泣いている女をなだめるときの一番効果的なセリフを言ったのだが、下北では通用しない。

「うそだあ おしぐれさん、見ているひとなんかいねーだよ。 ここいら辺は10キロ四方に3人の人口だあ、隣りの食堂夫婦とおらの3人だ。隣りはまだ起きねーだよ。
おしぐれさん、あんたが4人目の人口になってくれるだかや? そのために来たんだっぺ? なあ」

カヨちゃん 涙で濡らしたおしぐれさんのジャージの胸元をしっかり掴んで、すがりつくような目で顔をのぞき込む。
近所の異変に気がついた 「ぬいどう食堂」 の犬がワンワン吠えて、店の奥にオレンジ色の明かりが点くのが見えた。

「おしぐれさん こっちさ入って、さあさあ早く。自転車はこっちさに置くだ」

引っぱられ 押し込まれるように 「海峡ドライブイン」 の店内に入ると、いきなり座敷に四角いテーブルが二つ、あとはカウンター席に小さな椅子が四つあるだけの、場末のスナックみたいな店だった。
これで店名は ドライブイン なのだから、カヨちゃん 英語の時間は居眠りしていたに違いない。
そういえば中学時代のカヨちゃんに勉強のイメージはなかったなあ。胸だけでかいアホ娘だったような気がする。

カヨちゃん 一度ピシャリと閉めた戸をもう一度開けて前の駐車場に走って行くと、吠え続ける隣りの犬を一喝して黙らせ、放棄してあったホーキを取って来て 「あははー」 と笑う。
50年の時の流れが一気に逆転して、14のアホ娘がホーキを胸の前に立てて戸口の逆光のなかに立っていた。


のっけから歳時記らしからぬ書き出しだが、連続ネット小説というものは最新のページが上から前出のページを圧縮して行くので ”ここ” から読み始めた読者には何のことか分らない。
そこで、前編との繋がりの説明が必要になるが説明のし過ぎはまた、書き手の力量不足を自認するようなものであるから両刃のヤイバでヤバイ。
ことばの達人たる文章作家のおしぐれさんは忸怩たる思いのまま本文を進めるのであった。

「おしぐれさん ビール飲む? あたしも飲みたい」

あれー おら が あたし に変わったぞ。こーゆーひとが標準語をかたるときはヤバイのだ。
ことばの達人たるおしぐれさんはさすがに着眼が違う。 で、 どー ヤバイのやろなあ。おしぐれさんが関西弁のときは嘘っぱちだと経験上分っているが … 。

「おいおい まだ朝の9時半だぞ、商売の仕込みはいいのかい」

「もうじきウニが届くのよ、福浦のウニ丼は下北一よ。ホタテもイカもイクラも、そうそう今日はホヤが入るからお刺身を作ってあげるね。
ご飯をこれから炊くからビール飲んで待ってて。それより着替えたら、先にお風呂?」

「あのなあ ワシは仏ヶ浦から脇野沢を目ざしていたんじゃ、そこまで来たら 「ぬいどう石山入り口」 って書いてあったんで食堂のおばちゃんに道を聞こうとしたんだ。そしたらカヨちゃん おめさんだったというワケだ。たまげたなあ。
いいか ワシはさすらいの僧侶だぞ、風呂入ってビール飲んで、 そーゆー環境下ではないのだ。旅を続けて仏さまに手を合わせねばならん」

にわかにカヨちゃんの笑顔が曇った。中学のころのヤンキー娘とおんなじだ。

「あんた、そーはいかないよっ! あんとき約束したっぺさ。 定年になったら必ずオメんとごさ行くから 一緒に静かに暮らすべえって。
あたしゃねえ ずーうっと待っていたんだよ。うちはお酒も飲ませる商売だから言い寄ってくる男もいたけんど、後家のみさおを守ってずーうっとあんたを待っていたんだよ。あの約束は嘘だったのけ?」

えらいことになった。「あの約束」 がどんな約束だったものか思いだす時間かせぎをしなければならん。
ここでまた泣かれては隣の犬がまた吠えて、いつまでもワンワン吠えたら10キロ四方から村人がワンさと集まって、騒ぎがさらに大きくなってワシは4人目の村人にされてしまうかもしれん。

さすらいの僧侶とは、とっさとはいえうまいことを言ったものだ。さすがは ことばの達人たる文章作家である。
僧侶は女を近づけぬ戒律、とかなんとか脱出の機会もあろう。

それにしてもカヨちゃん 後家のみさお なーんてもの凄いことを言い出すのだから相当すごい約束のようだ、こんなことなら大間であの秘薬の 「なんとかイワタケ」 貰っておくんだった。

「まあ まて カヨちゃん、ひとが見ているぞ」
店の入り口にトロ箱を持った爺いさんが立って、声をかけたものか迷っているふうな素振りである。今のふたりの現況はそーゆーふうに見えるかい。まいったなあ。

「まあ いいウニだこと、ホヤもホタテも元気だねえ」
カヨちゃん 漁師の爺いさんが届けて来たトロ箱を台所に運んでニコニコしている。機嫌のいいうちに何とかせねばならない。

「なあ カヨちゃん、先ほど申した通りワシは僧侶じゃ、じゃから仏ヶ浦の本尊様をお参りして、おめさんとのことをお許し願わなければならん。
じゃからして ちっくら行って来るけんど いいか?」

「あんた ほんとに坊さんなの? お数珠なんて持っていないじゃないの、それに なによ? そのナリは まるで宇都宮ブリッツェンの広瀬選手みたいじゃないの。
坊さんならせめて四国の自転車遍路さんのスタイルで、菅笠かぶってほしいわ」

「カ カヨちゃん おめ、ひ 広瀬を知っているのか?」

「あだりめだあ、あだしだってネットで栃木のニュース見てるだっぺや、故郷のことは知っていたいものなあ。 それでーえ いつから坊さんになったのけ?
そったらごど、ネットニュースに載っていねがったなあ」

「ああ あー 定年してからな、一念発起して出家したんじゃよ。近所にある高名な勝手寺のな 門の前で勝手にな。
しからば 行って参る。 止めてはならんぞ、これも修行である」

「あんた お昼には帰って来るんだよ、ウニ丼と海鮮丼とホヤの刺身作って、お風呂沸かして待っているかんね。
ちょっと あんた、 逃げようとしてないっ! はい携帯出しなさい」

「ほやー」

「これでよしっと、いま掛けたのが店の電話、あんたの番号がこっちのディスプレイに移ったかんね。
逃げたってダメよ、道は一本道だし人切り峠はアブがいっぱいいて越えられないんだから、困ったら電話してね、あだし仕入れ用に四駆の軽トラ持ってっから迎えにいくよ」

自転車をスタートさせたが仏ヶ浦までの登りは大変な登りになった。
坂道の斜度もさることながら、坂のふもとの怪しいドライブインから凄い引力が背中を引っ張るので、ちっとも前に進まない。こりゃー逃げたってダメというのは本当だなあ。

坂道の途中に見晴し台があった。東屋のベンチに腰かけて遠くの方を見ると、海のなかに何体もの巨石の仏が立って手を合わせている。
「うひゃあー 恐れ入りましたでございますー」
えせ坊主とはいえ坊主である、お師匠様たちの気高い立ち姿に思わず跳び上がり、両手を合わせこうべを垂れる。

忘れていた記憶が少しづつよみがえって、気恥ずかしい思い出の回顧ほど本人の心臓に悪いものはない。もはやヒルクライムを楽しむなんて、そーんなマインド余裕ではなくなって胸に装着していた心拍計のセンサーを引きちぎるように取り外した。

心拍数は危険ゾーンを示していた。

彼女とは数年前、いや十年以上前、鬼怒川温泉のホテルで行われた中学時代のクラス会で、三十数年ぶりに再会したのだった。
宴会で酔って意気投合してさらに飲んで、朝になって目が覚めたら何故か女子部屋に寝ていた。絡み合った手足をやっと解いて、枕元に捻じれたメガネを探しだしてよく見たら、
絡んだ手足の持ち主はカヨちゃんだった。

着衣に乱れは酔っ払いだから当然あるが、それは酔っ払いとして当然な乱れ方であって それ以上の乱れ方ではない、自分に言い聞かせてそーっと女子部屋をほふく前進で抜け出したのだった。
自分の部屋を探して廊下をさ迷ううち、朝の露天風呂帰りと思われるやはり元同級生の女子数名と鉢合わせし、「おしぐれさん おめでとう」
と言われたのが何のことか分らなかったが、「ありがとう」 と儀礼上答えたらしい。

朝食に誘われ席には付いたが二日酔いでぼーっとしているおしぐれさんの隣りに、後から入って来た女子のなかからカヨちゃんがつっつっつと歩んで来てすっと座り、ふたり分の熱いお茶を注いでいる。
初めどうなることかと固唾を呑んでいた連中も、ごく自然な成り行きに見えたのか安心したのか、クルマで帰る者以外の希望者でまた飲もうということになり、朝宴会となった。

二日酔いに迎え酒となって夜の宴会場よりさらに盛り上がり、ホテルの係が 「そろそろ送迎バスを出したいが」 と言ってくるまで騒いだ。
飲まない組みはあきれて先に帰ったので宇都宮駅まで送ってくれる送迎バスではまたカヨちゃんと隣同士で座った。
幹事が 「おめらはここだ」 と指定するからそのまま座ったのだが悪い気はしなかった。ひどい酔っ払いでもカヨちゃんは臭いとかウザイとか言わないでミカンの皮をむいてくれた。

迎え酒が醒めてゆくときというものは、どうしようもないもので、カヨちゃんの話す身の上話はよく覚えていないのだが、前夜からの話を総合すると、
二十代の初めに、ひょんなことで青森の漁師の嫁になった。
とはいっても足入れ婚のまま半年が過ぎ、祝言の二日前に漁師の乗った船が沖合で大しけに合った。難破船は港に流れついたが若い漁師はとうとう帰ってこなかった。
漁師には老いた母親がいた、他には頼れる親戚もなくカヨちゃんはそのまま母親とふたりで港町の食堂をやっていると。そんなようなことだった。

宇都宮駅で青森に帰るカヨちゃんをホームまで見送った記憶はいくら探しても出て来ない。あの約束というのも、どの約束なのか定かでない。
しかし男女の約束となれば大方の想像がつくのがふつうであろう。ことばの達人たる文章作家ならなおさらのこと、罪な約束をしたと思うのがふつうではないか。
それともこやつ、この期に及んでまだ言い逃れをしようとするのか。

じつは本編作家のワシさえも、この後の展開をどうしたらいいものか考えあぐねておる。
だが考えても仕方のないことなのだ、これは今から三年前の出来事だから一通りの結末をすでに迎えている。
今でもおしぐれさんは元気だし、脳天気な独身爺いを謳歌している。

よっし かくなるうえは成るべくしてなるまでじゃ 「海峡ドライブイン」 へ戻ってウニ丼でもホヤ丼でも食ってやろうではないか。
三年前、東屋のベンチから立ち上ったおしぐれさんは遠くに見える仏ヶ浜のお師匠様たちに向かってもう一度手を合わせ、深々と拝礼ののち自転車の向きを変えて坂道を矢のように下っていった。


ここで episode 2 をおわりにしたいところではある、そうすれば大団円なのだ … が、

坂道を矢のように下ったおしぐれさんは例の十字路まで戻ると向きを変え、「ぬいどう石山」 の登山道に入ってフロント変速をローギヤにシフトした。
先ほどまでと違って大した登坂能力で進んでいく。石山に登ってあの回春秘薬キノコを採ってこようという腹に違いない。

なんという爺いであろうか、作家はもう知らないっ!


episode 3 につづく … かどうか。

syn

おしぐれさんの 「ロード歳時記」 核燃サイクルロード 中
2014/02/03

地図で下北半島をみるとき、薪を割るときに使う鉞 (マサカリ) の形によく例えられる。
左側がマサカリの本刃に、右側から下に向かっての細く長いクビレが握りの柄のカタチに似ているからだ。
本編 上 にて走破を報告した核燃サイクル施設の六ヶ所村や原発の東通村は柄に、半島北東端の尻屋崎から左に延びる県道 野牛浜線は本刃の上辺に相当する。

既報 上 でのルート後半は、尻屋から津軽海峡に面した野牛浜の原野を突っ切って原子力船 「むつ」 の関根浜に出、下風呂温泉の風間浦村を経てまぐろの町大間で終わっている。
大間の漁師酒場で束の間の休養とエネルギーの補充をして、さてリスタートというところから続編 中 を始めよう。


マサカリ刃の上(北)が大間崎 下(南)は脇野沢の北海岬、この間の海岸線はほぼ一直線に約45km。
往復して大間に戻るプランも考えられる距離だが、

「同じ港に二度戻らないのは海の男の定めだぜ」

などと呟きつつ、海霧の流れ始めた岬公園でジャージの襟を立て、まぐろモニュメント像に片足を乗せてポーズを決め、渋く 「北帰行」 を歌っていたら頭上のスピーカーから無粋な声が響いた。
「そこの小林さん、 小林 旭さん、 アンタだよ!  酔ってまぐろを蹴らないでください」

「蹴ってんじゃあねーよ、足が届かないだけだ。 ばあろー!」

スピーカーに向かって怒鳴ってガッと睨むと、ややあってアンプの電源を切る 「プチッ」 という音が聞こえた。

崎と岬の違いは文法的な区切りがはっきりとはなく、岬は崎の美称であると Wikipedia に書いてある。崎を丁寧に御崎 (みさき) と呼んだことから みさき ‐ 岬 となった。
漁師は灯台の設置されている陸地の ”鼻” を岬というらしい。また観光客誘致の観点からも、崎より岬のほうが訴求効果は大きいんだそうな。
ことばの達人たる文章作家のおしぐれさんは、いたく感心したものである。

下北左側の海岸線はマサカリの刃らしくほぼ一直線である。それはまことによろしいが岩山の多い地域なので道路はくねくねしている。太平洋岸の茨城・千葉に見られるシューッとした沿岸線とはおもむきを大いに異にする。
漁師酒場の観光ポスターには直線の中央付近に鎮座する奇岩・奇石の仏ヶ浦が写っている、マサカリの刃もさすがに刃こぼれする壮絶な凸凹だ。夕陽の名所でもある。

異文化 異風景大好きのおしぐれさんにとっては大いに興味をそそられる地形・地域だ。
前編で紹介した核燃料サイクル施設の点在していたマサカリの持ち手部分、六ヶ所村近傍もアトミックな異文化 異風景という点では十分におしぐれさんを楽しませてくれた。
下北の左側、鋭い刃の地域にはどんな ファンタスチック な エンターテイメント が待っているのだろうか。 今回はマサカリロードの紹介である。


大間崎のまぐろ料理店で知り合ったオートバイ青年は川崎市から来たという。
昨夜は下北に入って最初の道の駅 よこはま の無人の無料休憩所で寝た。半島を右周りに、むつ市を経て脇野沢から北上し大間まで一日で来たそうだ。

この後ワシが予定しているコースを逆方向から走って来ているので、道路情報を得るにはよい相手である。
こいつがまた面白い男なのだ。

「仏ヶ浦から先、延々登りが続きます。終盤の人切り峠を越えればあとは脇野沢まで下りです。それまでは、どんなに登りがきつくても絶対止まってはダメですよ」
「なんでだい、人食い熊でも出るのかね。あの辺りは北限猿のテリトリーだろや、大分の高崎山からボス猿ベンツが遠征して来ているのかい?」

「熊でも猿でもありません、虻(アブ)です、吸血の悪魔です。複眼のおぞましきゾンビ軍団です、熊ん蜂よりも マムシよりも まぐろ漁師よりも 怖い。止まったら瞬時に刺されます。
何か所もやられたら痛いのと痒いのとで牛でも狂い死にします」

「牛でも狂い死ぬって … そりゃ モーレツ やなあ。キミはビッグなオートバイだから振り切れたがワシはプアな自転車じゃぞ、人力バイクの速度で逃げ切れるものかね」

「ですから刺されないように必死に走ってください、ともかく踏み続けることです。動いてさえいれば奴らは刺せないみたいです、その間に魔界を脱出するのです」

「ほえーっ! つなーっ!」

「それって、クジラとマグロの洒落ですか? 
一度刺されると血の匂いに誘われて谷間の泥地の棲みかから次々飛び出して、強烈な顎で別種の虻と共食いまでする。それが奴らの狂気をますます増強させます、集団ドーピング効果ですね」

「そーか 足は回っているからいいとして、上衣のジャージは長袖のほうがいいな」

「自転車ジャージの厚みでは針を防げません。雨ガッパ持っているでしょう、ボクは途中の峠から遠くに見える石山の写真を撮るとき雨ガッパを着てフードもかぶって奴らの攻撃をしのぎましたが、手袋を脱いでいたため手の甲を刺されました。まだ腫れています」

青年は甲の赤く腫れあがった左手で生ビールのジョッキを豪快に傾け、右手の箸をおしぐれさんの前の皿に伸ばして分厚いまぐろを口に運ぶ。
えらい奴と知り合ったものだが、これも旅の楽しみである。
40年前はおしぐれさんだって天衣無縫プラス宿無しの腹ペコ青年だった。今だってさほど変わらないが … 。

「奴らは汗の匂いと動物の呼気に含まれる炭酸ガス、それと体表から発するわずかな赤外熱線の位置変化を3Dに測って正確に針を突き立ててきます。まるでターミネーターの虻マシーンです」

「ターミネーターでシュワちゃんは全身に泥を塗って敵のレーダーを逃れたんだったね、その虻マシーンはタバコの煙りと匂いで追い払えんかね」

「タバコ吸うんですか? そんなアスリート見たことない。でもガラガラ蛇は退散するっていう事実はあるみたいです。
ネイティブ・アメリカンのインディアンが沙漠でいつも噛みタバコを噛んでいたのは、不意にガラガラ蛇と出っくわしたときに 「ペッ」 と蛇に向かって吐きかけると蛇は嫌がって行ってしまう。
噛みタバコはそのような用心からであって、決して嗜好品だった訳ではないのです」

「あー いやー オホン ワシもな、タバコは蚊取り線香代わりに過ぎん。 キミはずいぶん危険生物の生態に詳しいなあ」

「はい 北里大学 農獣医学部の十和田キャンパスで生物毒素を研究しています。
ボクが子供のころ祖父はフグの毒に当って死にました。ボクは仇を討ちたくて北里に入ったんです。フグ毒を中和する成分を探して旅をしています。

「ぐふーっ!」
おしぐれさんはビールを吹き出してしまった。この青年は崇高な目的をもって旅をしている。対して我は、さしたる目的もなく怠惰に日本を漂流している、この差はいったい。

「川崎は実家です。先週帰省して祖父の墓に研究の近況報告を済ませ、昨日青森に戻ってそのまま足を延ばしここまで来てしまいました。明日は 「尻屋崎の崖」 と東通村 猿ヶ森の 「埋没ヒバ林」 を見るつもりです」

「ほほーっ それは殊勝な心掛けである。しからばワシが仇討免許状をそなたに授けようぞ。 生ビールもう一杯いくか?」
「ははあー ありがたき幸せ」

「して おぬし、そーゆーアカデミックな研究者が何だって山中をオートバイでさ迷うかね?」
「はい 今日は 縫道石山の 「オオウラヒダイワタケ」 を採取して来ました」

「ぬいどうのイワタケ? なんじゃそれは」

「はい 漢字では 大浦襞岩筍 と書きます。日本では仏が浦の縫道石山にのみ自生が確認されている地衣類で、氷河時代の生き残りといわれます。
姿はナメコに似ていますが乾いた冷たい岩に直接生えるので成長には何百年もかかり、天然記念物指定の薬用キノコです。ここ以外にはアリューシャン列島の岩山にまれに見られるそうです。アリューシャンはアメリカ領ですが、簡単に行けるところではありません。

もう少し続けてもいいですか。

尻屋の崖は寒立馬しか登れません、もしかしたら オオウラヒダイワタケ が生き残って群生しているかも知れない。埋没ヒバ林では千年砂の中に立ち枯れたまま、なお呼吸を続けるという青森ヒバの根の生命の秘密を知りたいと思っているのです」

「凄い話しやなあ。それでキミはその天然記念物の 「ぬいどうなんとかキノコ」 を採って来た、ちゅうワケかいな? そら密採やないか」
「はい 短絡的見地からはそうでしょうが、フグ毒のテトロドトキシンを中和する唯一の特効薬を抽出できる可能性があるのです。大局的に見て人類のためですからボクの犯罪は大法廷で無罪です」

「はあー そーかいな。 よーわからんが まあ もう一杯 いこか」

「はいーっ ありがたきぃー しあわせなりー。 先輩ぃー オオウラヒダイワタケ 焼いて食べますかぁー、下北では昔から秘かに男性の強壮効果が伝えられています。
それで密採されて絶滅が危ぶまれ、有志が県に働きかけて国の天然記念物に指定されたという訳です。 効きまっせー 旦那ぁー ひっひっひ」

「いらん いらん ワシはそーんな怪しい回春キノコなど食わんでもな、いつでもスーパー パフォーマンスなんじゃあー」
「せんぱいー 先輩は欲のないお人ですねえー。 見るだけでも見る? ホラ これっ!」

青年 酔ったかリュックを引き寄せ、小さなビニール袋に入ったひと塊を取り出してテーブルの上に置いた。
なるほど乾燥して萎びたキクラゲのようにも見えるが、もっと黒くて艶がなく、昔見た蠅取りキノコという毒キノコそっくりのシロモノだ。
子供のころ田舎の農家の土間で、小皿に水を張ってその中に沈めてあったのを見た記憶がある。周りには蠅がぼとぼと落ちて死んでいた。その家の猫は絶対に近寄らなかった。

「グエー これが天然記念物かね、湿った公園便所の裏に生えた苔みたいだなあ」

一度はいらんと断ったのだが、そこは酔った勢いである。いつもそれで失敗していることなどポイと忘れ、
匂いぐらいなら嗅いでみてもいいかという気になって袋の口に鼻を近づけひと吸いすると、ヒバ林のような森林の匂いがした。もっとオドロオドロしたものを想像していたので意外だった。
そして何だか急に冷静になった。

「おい 早く仕舞え、人に見られたらイカンものなんじゃろ」
「せんぱい 見ただけでほんとにいいの?」

「ああ もう女には用がないんじゃ。 ところでキミは半島を時計まわりに周っているが、お師匠さんの教えかい?」
「はいー レッドバロンの教本にそう書いてありました」

島や半島を走るとき右周りに走るのはセオリーである。道路左側の海のほうから人や軽トラが飛び出してくる確率が極めて低く、気に入った場所を見つけて急停車するときにも安全である。
今回ワシは左周りのルートを取ってセオリーに背いているが、理由はやはり安全である。風対策なのだ。
知らない土地で風を読むのは難しい。一般的に日中は海から吹いて来るといわれるが、半島では一方向に向かって走り続けることはなく、あっち向いたりこっち向いたりしながら周回して行くのだから海風説は捨ててよい。

ワシの風対策とは海岸地域での季節風・突風のこと、道路の左側が海の場合ワシらの軽量バイクは突風に出会えば海に落ちる。下が崖なら命はない。
ましてや過疎地では誰も見ていないから、運よく海面上すれすれの松の木に引っかかって助かっても誰も来ない。そのうち浮上してきたダイオウイカに食われてしまう。
そこでワシは反時計周りに走る。道路の山側だ。ここで突風に吹かれると落ちるのはコンクリの側溝だから、やはりタダでは済まないのだがイカに食われるよりはイーカ。

下北では 「誰もいなくて 何もない」 から左周りでもよいが他の半島・島ではセオリー通りに右に周わる。
逆に湖では左だ、琵琶湖や十和田湖一周コースを右周りする奴はレッドバロンの教えを知らん田舎者と蔑まれる。

「ときにおめさん、今夜の宿はどーするだい? 野宿するったってーなあ この辺りは夜霧が濃くってな、朝表に出てみると まぐろの像 なんかびっしょりに濡れているぞ」
「えっ! そうなんですか、こまったな。これから頼める民宿なんてありますかねえ、屋根があれば車庫でもいい」

彼は予約なしのキャンプ旅だった。エンジン付きバイクの彼らはある程度の荷物を積み込んで、あてなしの風来旅が出来るから羨ましい点ではある。

「ああ 今はオフシーズンだから民宿はガラガラだが、それゆえに夕方には閉めて寝ちゃうよ、なにしろ本業は漁師だからなあ。
どーだ ワシん処に来るか?」

「えっ?」 

「ワシの宿は民宿の素泊まり宿だが他に客はいない、玄関も客室のドアも開けっ放しだ。留守番のばあさんがひとりいるが風呂の支度以外は何時もテレビを見てるからそーっと帰れば気づかれない。
明日も早く出発するんだろう、たまには畳の上で寝ないと先がもたんぞ。
風呂場に洗濯機と乾燥機がある。今から行って風呂に入って洗濯もしろ。その後またここに来て飲み直そうや」

「せんぱーい ありがとうございます。ぜひぜひお願いします。ここの払いはボクが … 」
「馬鹿を申すな、酒代はワシが持つと言うたではないか。こーゆーときにはな、年長者に花を持たすものじゃ」

ワシらが立ち上ろうとしたとき、それまで隣の席で静かに酒を飲んでいた品のよい老夫婦が声をかけてきた。

「失礼だが おふた方、先ほどからのご貴殿らの話を近くで聞かせて頂いた。まことに失礼とは存じながらも楽しい話しについ全部聞いてしまった。そして私ら夫婦も楽しくなった。
知らぬ者同士が助け合って旅を続けるご貴殿らには、私らも同じ旅人として深い感銘をうけた。
もう少し若かったら私らも、もっとアドベンティブに生きられたかもしれない。もしかしたらまだ間に合うかも知れない」

そう言うと奥方もうなずいて、

「そうよねえ、山小屋で知り合ったばかりの登山者が食べ物や寝床を分け合うみたいで、素敵なお話しだわあ。 密猟とか密入国なんてドキドキしちゃう。 見つからないように祈っていますわ。
そのキノコねえ おとうさんに分けて頂きたいけれど、本人はもうタイムアウトみたいですのよ。 ほほほ」

にっこりする奥方はワシと同じくらいの年齢だろうが、口に手をあてて女学生のように笑う。
旦那が続ける。

「そこでどうだろう、ここの支払いを私にさせて頂きたい。そのかわりと言ってはなんだが、もう少し一緒に話を聞かせて貰えないだろうか?
いやいやご心配なさるな私らはホテルを取ってあり、先ほどチェックインも済ませてある。だが大間では外で食事をするのがお勧めとガイドブックに書いてあった」

「そうなんですのよ、でもガイドブックは本当だったのね。大間は人情の港町 ステキだわあ」

この夫婦はクルマで北海道を周り、フェリーで大間港に着いた。この後は恐山に参ってから震災の被災地域を南下しながら東京へ帰るのだそうだ。
被災地域に入ったら大笑いなど出来るはずがない。その前夜にこうして楽しく過ごせることが、嬉しくありがたいという。

ワシが自転車だということに余程感激したのか女学生に戻った奥方は 「素敵だ ステキだ」 と連呼し、連呼されたワシはすっかりいい気持ちになって、旅人四人組みの大宴会は深夜まで続いた。

こーゆーいい話しの後にはたいていオチがあって、
このふたりは夫婦詐欺師だった、大宴会の支払いと夫婦の宿泊したホテル代、さらに満タンにして行ったガソリン代までワシとオートバイ青年が負担させられて、ワシらは旅を打ち切ってしょんぼり家に帰った。

そーゆー展開を読者諸氏は期待しているのであろう。
期待を裏切って悪いが、下北を旅する者に悪人などおろうか。そーんな小悪党は被災地で支援物資の持ち逃げなんてセコイことしとるだろうから下北最北端の大間まで来んわい。
ワシらは大間まぐろのDHA 、オートバイ青年流にいうならドコサヘキサエン酸のおかげで二日酔いにもならず、青年は翌朝何度も礼をいって元気に出発して行った。

ワシは大間の素泊まり民宿に前払いで三泊したが、その間に一泊分の室料を無料で青年に提供して感謝され、一晩分の酒代を知らぬ旅人夫婦のご馳走となり、よその民宿をわが家のように使用して四日目の早朝、明るくなると同時に出発した。
朝飯は前夜に行った居酒屋で作ってもらった握り飯で済ませた。水は街中のコンビニで買った。しばらくは まぐろDHA が効いているからパワフルこのうえなしが期待できる。

この先はワシも予約なしの風来旅である。
下北の旅の秘訣は、素泊まり民宿の客について行って空き室に黙って宿泊し、翌朝早く出発する。決して部屋を汚さないこと。他の客には民宿の者だと思わせる行動をするが自分からそうだとは言わないこと。
すごいテクを発見したのである。


大間崎から佐井漁港までの国道338号線はまずまずだった。朝の出勤時間になってもクルマは極めて少なく、大型車がまったく走っていないのでストレスがない。
道は多少のアップダウンはあったがおおむね海水面近くの高さを行く道で快適に進んだ。

漁港では潮の香りというのか干した漁網から立ち昇る魚の匂いというのか人の暮らしの雑多な匂いと、たった四日の下北暮らしなのに懐かしく感じた猥雑な都会の喧騒があって、核燃サイクルタウンが同じ半島に所在しながらまるで異質なゾーンであったと思い返された。

佐井から福浦崎にかけてはいよいよ登りが始まった。岩場の崖を削って338号線が続いていて、ここで突風に突かれたら山側を走っていても崖下に飛ばされる。下の海までは150mもあろう。
登りきっては下るをくり返しながら仏ヶ浦を目ざして行くと、福浦漁港の手前の信号のない十字路で 「縫道石山登山道入り口」 と 「ぬいどう歌舞伎の館」 の標識を見た。 

「縫道石山、ここかあ この山に 「なんとかイワタケ」 ちゅう回春の秘薬が密やかに生えておるのか。石山いうんだから銀の鉱山跡かなんかかなあ。
ぬいどう歌舞伎とは何のことか分らんわ、ゾンビの虻もおるっちゅうし、下北は役者に困らんとこやなあ」

自転車を降りて押しながら歩くと十字路の傍に 「ぬいどう食堂」 という一膳飯屋みたいな店があった。
名物ウニ丼 海鮮丼 と染められた大漁旗のような派手なのぼり旗が、店の周りに何本も立って風にはためいている。お店はまだ9時を過ぎたばかりだから開いてはいない、誰もいない。

誰もいなくて何もない には慣れているが、お店はあったが誰もいない。

見回すと、十字路の反対側に似たような小さな店があって、「海峡ドライブイン」 と店名は見栄を張っているが、今にも潰れそうな屋根の青いトタン板に看板の白文字がかろうじて読めた。
振り返って確かめると 「ぬいどう食堂」 の屋根も青いトタン板に白文字の店名。 このあたりはそーゆー市街地美化統一規制がかかっているのだろうか。
食堂が二軒も連なっているのだから信号はないが市街地に違いない。

ならば誰かいるだろう、「海峡ドライブイン」 のほうに歩いて行くと人がいた。おばちゃんが店の前の駐車場を掃き掃除している。

「すみません お訊ねします。ぬいどう石山というのは此処からどれ程かかります? 自転車で行けますか」
「そうねえ、自転車でも車止めの駐車場までなら、行けることは行けるけど、… 若い人なら行けるけど、… あれ おめさま! もしかして おしぐれさんでねーけ?」

「ん? んー! あいやー カヨちゃんでねーかあ、 なあーして こーんなとこさで ホーキ持ってんだあ」
「やんだー、 ホーキは ソージだっぺー。 逢いだがったなやあー おしぐれさん、 おらに逢いに来でくれたのけ。 うれしなあー おら待ってだ甲斐があったっつうもんだあ」

おばちゃん ホーキを地べたに放棄して、おしぐれさんに駆け寄るなり抱きついた。アヤー? なんだか声をあげて泣いているべよ。
いったい どーゆーこと? 
おしぐれさん 匂いを嗅いだだけで、早くも なんとかイワタケ の回春効果ありけ?


つづきは次回のこころだあー。

syn

おしぐれさんの ロード歳時記 「核燃サイクルロード」 上
2014/01/28

前作 「エドガー ウガン」 のなかに下北半島の野牛浜のことを一二行書いている。
唐突に書いているがその意図は以下のようなことだった。

江戸川いうたら都会地を流れとる川やないけ、なのにいま立っている土手の上からはコンビニはおろか屋外の自販機すら見つからん。
遠くに自動車の光りが見えるけんど、土手の下から続く畑のずーっと向こうでゆっくり動いているだけや。音が聞こえる距離やないー。
このまま土手の道を行っても食糧の手に入るお店などあるものやろか。

これはまるで野牛浜の原野の細道と同じじゃあないか。残りの距離はまだまだあるし、暗くなって寒さが沁みてきた。そろそろエネルギーが尽きる。これは困ったぞ、どうしたものか。

前作では寒さを避けて南へ行った。とはいっても沖縄は遠いから隣りの茨城経由で埼玉・千葉県境の江戸川を東京の入り口まで。
午前中の暖かさと追い風に背中を押されて快調に走るうち、普段はあまり行かない江戸川沿いの右岸ロードがギヤ比に合って嬉しくなり、つい調子込んで走り過ぎてしまった。帰り道用の体力を使いきってしまったのだ。
そのときの失敗の顛末を 「エドガー‥」 に書いている。 (アクセス中のページを最後まで進むと掲載されています)

矢切の渡しで休憩したとき柴又の寅さん会館の看板を見て走り過ぎに気づき、自転車の向きを変えて関宿城の近くまで戻ったころには向かいの北風が強く吹いて、進みが遅れるなかでとうとう暗くなってしまった。
知らぬ土地での困惑した状況を、かつて走ったことのある下北半島の原野にたとえたのである。

下北は青森県の地図を広げると半島というにはそぐわないほど大きな面積をもち、左を向いたマサカリ型をしている。
半島の入り口、つまりマサカリの持ち手に当る六ヶ所村の辺りがキュッと細く狭くなって、その細さを保ったまま北の東通村までスゥーッと伸びている。それゆえ半島といわれるのだろう。

東通村を過ぎると半島は左に向いて徐々に広くなり、マサカリの本刃に相当する下北本島が形成される。
原野の残る野牛浜というのはマサカリ刃の力点、中央のくびれたところの上辺一帯をさす。
もともと住人の少ない寒冷な土地のうえ、漁港に適した地形も少ない。加えてこれといった観光資源もないので海に面した平野部でありながら下北最後の原野が残っている。

原野の中にうがたれた細い道が一本あって、かつて筆者はそこを走ったことがある。
その折りの体験を書いた愚作 「海峡」 に次のような一文がある。  (小説 「海峡」 はお近くの書店 または団塊屋にてお求めください ‥ 営業担当)

『 野牛浜という辺りから道幅が狭くなり、県道ナンバーがいつの間にか消えてしまった。ルートを違えてはいないはずなのにどうしたことだろう。
ひと気のない真っ暗な防風林が延々と続き、その北側は海のはずだが何も見えず、波の音も聞こえないので距離を測れない。そのなかを行く細くてラフな道はソロライダーのタフであるべきマインドまでも心細くさせてしまう。
道端に足を突いてUターンを考えていた彼を一台の軽トラが追い越して行った。遠ざかる白い荷台のうえに赤い色の農機が見えた。
よっし このまま進もう、どこかには通じているに違いない 』

あとで分ったことだが林は人工の防風林ではなく、その役目も果たしている手つかずの自然原野だった。
『 その仄暗さのなかで灰色の道にたたずむソロライダーを追い越して行った白い軽トラと荷台の赤い農機 』

上の行にちりばめられた色彩の文学性についてはこの際さて置くとしても、
『 一台だけだが地元の軽トラと出会った。道はどこかに通じているに違いない 』
こーゆーシチュエーションに出くわすと、冒険者は胸がじわーっと熱くなって体幹にパワーがよみがえってくる。そのときのじわー感がなんともよくて、ロンリーハートなソロライダーをやめられないでいる。

なお、愚作 「海峡」 とはもちろん津軽海峡のことでありますが、井上 靖の名作 「海峡」 とは題名を同じくしながらもアイデンティテイのうえでまったく異なり、また文脈の高貴さにおいてまるで太刀打ち出来るものではありません。
ですから堂々と 「海峡」 です。

話しを戻して 「エドガー ウガン」 では、
「誰もいなくて何もない。道が果てなく続くだけ」

と強調したくて野牛浜を引き合いに使ったのだが、一行二行では書ききれなかった茫漠の情感を伝え残したままエンドマークを打ってしまった。
簡潔なのは悪いことではないとしても、いまひとつ言葉足らずの思いを引きずっていて、それは机の上に載っている飲み残しのワインボトルの底の澱のようにいつまでも消えなかった。

そこでボトルを割って澱を取りだし、お盆の上に展開してさらに押し広げるとどうなるか実験してみたくなった。
江戸川のあと遠出を自粛しているものだから、ことばの達人たる でほらく作家は溜まったフラストレーションのはけ口を読者の閉口に求めることにした。

ワインの澱は押し潰してみても所詮は葡萄の滓だった。飛び散った汁が古いメモ帳の表紙に染みて、セピア色の上にいい具合のドット模様になっただけだった。
あきらめ切れない作家は残りの澱を指先で転がして丸く小さく固めてみたが、やはり真珠にはならなかった。

そこででほらく作家は考えた。
「ならばホタテの貝殻に閉じ込めて、深い海に沈めたら真珠になるべさ」
ホタテといえば下北むつ湾。 筆者は真珠のようにピュアな下北のことをもう一度書きたいとかねがね思っていた。それを実現するには先に江戸川を片付けねば、机の上が混乱してならん。


行き暮れて道なお遠し。寒さと空腹に困惑しながら江戸川土手をのろのろと走っていた筆者だったが、幸運にも偶然大橋の下に見つけた流木ハウスの住人 「江戸川 右岸」 と名乗る奇特のご仁にめぐり合うことができた。
酒食のもてなしのみならず、高潔なるご高話と暖かいダンボールハウスの供与など、へたれなこの身には余りあるご厚情をたまわったのだった。
このご仁こそ、ホームレスなどと呼ぶカテゴリーを大きく飛び越え、世界を自由に行き来する博愛の伝道者、エドガー ウガン だった。

無償の隣人愛に出会い無上の厚遇に接して筆者は涙を流し、ちゃんと鶏肉の入ったちゃんこ鍋と清酒男山で盛り上がった橋下の大宴会の翌日には、元気にペダルを漕いで風のおさまった土手道を機嫌よく家に帰ることができたのだった。

あの鶏肉は江戸川を泳いでいたカモだったかも知れないが、力士もアスリートも ”負けた日には ささ身を食え” といわれる通り、へたれた筋肉が翌朝には再生していたのだから大したものだ。
無事に生還できたからこそ、いまだでほらく書きを続けていられるが、のど元過ぎれば何とやら。 どうも自転車乗りというものは困ったものだ。
ウガン氏の高潔な生き方に涙したことなどコロリと忘れ、

「誰もいなくて何もないほうがよいのよ、道が果てなく続いて適度な坂があればそれだけでよいのさー」
とする超個人主義者に舞い戻っている。

だがそれは、水 食糧が足り、背中のリュックには着替えも有効なクレジットカードも入っていて、天気がよくて体力も温存されていて、日暮れまでにはまだ4時間もある。予約の取れている民宿まではあと少しだからここは一丁回り道して、もっと遠くまで走ろう。
という、すべてうまくいっている状況下でのみ超個人主義は完遂するのであって、そんなことは滅多に実現しないのが現実だ。

回り道した直後に激坂が現われ強く踏んだらチェーンが切れた。パンクの備えはしていたがまさかチェーンが! おーい そこのひと 近くにショップはないか? などという苛酷な展開が筆者においては茶飯事なのであるから、ひとさまのお世話になることは多い。

そこで今回は下北の 「誰もいなくて何もない」 さいはてロードをもう一度書いてみようと、ひとさまがいないのだからお世話になることもあるまいと、 そーゆー魂胆なのである。

表題を 「核燃サイクルロード」 としたのは、下北半島に点在する ”使用済み核燃料再処理施設(核燃サイクル機構の施設群)と電力会社の原発及び関連施設” とを結ぶルートのことで、自転車用語のサイクルロードとは字も発音も同じだが洒落たつもりなどはまったくない。
まったくない、と最上級の否定形をもってしても読者諸氏は、「ふん 駄洒落おやじめ」 と冷たく舌打ちされるであろう。

お察しの通り本欄はそーゆーおひとを対象に書いている。


いちど使われ古くなったり壊れたりして廃棄された物資を回収・分別・処理して、資源として再利用することをふつうリサイクルというが、日本の原子核燃料に関してはこれをサイクルといっている。
なぜリサイクルでなくサイクルなのか?
廃品をいったん原料に戻して別のカタチでつくり直し、再生利用でこしらえたリサイクル製品は原料の純度に疑問がのこりませんか?

多くの場合は問題の生じにくい要求純度の低い製品につくり変えて再利用されますよね。安全を保障するためです。
このため高純度を要求される製品をつくりたい場合にはピュアな原料を投入する必要がありますよね。つまり原料コストが高くなり製品価格も高くなる。

対して核燃料の場合は、一般の燃焼に相当する核反応の後に残る微量の汚染物質を含んだ燃え残りを専用処理施設内で除去再生し、再度燃料として原子炉に戻すと所定の核反応がふたたび生じて高エネルギーが得られる。
これは燃料の再利用というより高循環(サイクル)に近い。新たな燃料を追加せずとも獲得するエネルギーが目減りしないからからです。
”目減りしない” こんなことは核燃料の世界以外にはありません。 あるとすれば団塊屋の社会的資産価値だけでしょう。 ( この部分 希望により削除に応じます )

なぜでしょう? それは当施設をご覧になっていただくなかで少しづつご理解いただけるものと存じます。館内アテンダントがご案内いたします。
さらに核燃サイクルにあっては回収・分別など他産業の手を煩わせることなく同一核燃施設内で処理が一巡完結することもサイクルと呼ぶゆえんであります。
日本語では ”再来る” というそうですが、当館といたしましてはコメントいたしかねます。

上は現地施設PRセンター入り口の英文の掲示板にそうあったのを筆者が訳したものだ。
掲示板の前に自転車を止めたとき筆者はセピア色になったメモ帳を背中のリュックから取り出すのが面倒で、一通り読んで記憶した。
「後に残る微量の汚染物質を除去」 のあとの記憶が曖昧なので、それをどーするのか、どーしたのかについては書いてあったかどうか定かでない。

ともあれ、ことばの達人たる文章作家はリサイクルとサイクルの違い部分さえ読めばもう用はない、隣りの日本語掲示板には目もくれずさっさとその場を離れた。
この手の掲示は外国語表記のほうに思わぬ本音が書いてあることが多いからだ。
そして走りながら考えた。
あの掲示板は英語圏の小学生には難しすぎる、駄洒落をそのまま英語にすることの危険性を筆者はかねがね指摘している。書いたのは霞が関の自転車好き官僚であろう。
こーゆーことはワシに相談せんかい。

外国のウラニウム鉱山から届いた粗鉱のウランを精錬して、国内の原子力発電所で核燃料とした際に残った燃えカスを、再処理施設内の ”ある技術” で処理するとプルトニウムが採れる。
プルトニウムはウラン粗鉱より高出力で燃えるので、それを原子炉の燃料にすると発電所効率は最初より上がる。
その燃えカスを再処理すると高純度プルトニウムが採れて発電所効率はさらに上がり、そのまた燃えカスを再々処理すると超高純度プルトニウムが採れて … それをまた …

これとそれ、を延々繰り返すからリサイクルではない、サイクルだというのだ。こーゆー理屈をニッコリしながら小学生の列の前で述べるPRセンターのアテンダントお姉さんを筆者は好きだが、
「一緒にちゃんこ鍋どうですか?」 と誘おうとは思わない。
”ある技術” については軍事利用に転用可能な国家機密。「小学生には教えられないのよーん」 湯気の立つ鍋を前にしても平然というのだろう。

もちろん大人にだって教えてくれるはずがない。だから筆者はさっさと立ち去った。だいいちこの日は気温30度を越えた真夏日だったんぞ。どこの店で鍋やっとりますかいな?
一般にはプルサーマル方式と呼ばれ、日本独自の高度技術なのだそうだ。 掲示板の最後に書いてあった。
ちなみに放射能管理区域を表すあの黄色に黒のマークだが、昔懐かしい石炭ダルマストーブにあった鋳物製の丸い空気取り入れ口のデザインがモチーフだそうな。

うーむ これは自転車と同じだ。踏めば踏むほど筋力と操縦スキル、さらにはモチベーションも高まって、より遠くて高い峠を制覇できる。そうでない場合でも妄想は高まり続ける。
したがってプルサーマルをサイクルと呼ぶのはいたって正しい。 正しいぞ、お姉さん。

ところで自転車は踏めば踏むほど出力は高まってゆくが、同時にへたれ級ほど筋繊維には自浄能力を越えた分の乳酸が徐々に蓄積して筋出力を引き下げようと作用する。限界を過ぎるとケイレンを起こしてレッドゾーンに達したことを教えてくれる。
これは功名にはやって踏み過ぎ、一気にデスゾーンにまで突き進んでしまうことを戒める神の啓示なのだ。

そこで峠の茶屋まで登ったら休んで水を飲み、靴を脱いで縁台にのせて足を高くし、体内ナトリウムの浸透圧が血液とバランスするのを待ってから糖質の甘酒を飲み、植物たんぱく質のみたらし団子を食い、即効高カロリーのウィダーゼリーを補給しながら筋肉をマッサージして、エネルギーサイクルを回復させるのが正しいへたれサイクラーの茶屋での休み方なのである。

また家に帰ってから入浴後に塩マッサージするのも皮膚からのナトリウム・カリウム補給に効果的である。
これは同時に塩のざらざらがすね毛の伸びをこそぎ落とすので、ツールの選手のようなキレイな足を保つことができる。

近年では、峠の茶屋=足湯 のイメージが定着したが、このブームに火をつけたのはワシら自転車アスリートだったことはあまり知られていない。
これら公共の足湯に塩は置いてないから自分で用意すること。筆者はお葬式でもらった清めの塩を二袋持って行く、ほどよい量が紙の袋に入っていて携帯しやすいことともさることながら、
これ (足のマッサージに清めの塩を使うこと) を見咎めるおばちゃんは絶対いない。

ワシらがスタートしてゆく後ろ姿を死出の旅立ちと思うのか両手を合わせて見送っている。日本の峠の茶屋のおばちゃんは、こーでなければならん。
足湯とおばちゃんの写真に注釈をつけたメールを核燃のアテンダントお姉さんに送ってやったが、どーゆー扱いとなったかは知らん。

一方プルサーマルの場合、乳酸に相当するのが処理残りの核廃棄物とウラン粗鉱精錬時の核スラッジ。これはサイクルの輪に入れず回収して捨てる。だがポイと捨てていいモノではない。
むっちゃ高い有償廃棄であり、地球にも大きな負荷となる。
また再処理と廃棄物の取り出しにはべらぼうな電力と技術を要する。つまり金がかかる。高価なウィダーゼリーといっしょだ。

それでも、足もとを見て売り惜しみする外国からウラン粗鉱を新たに買うよりはマシやと、政府は原子燃料サイクル機構という独立法人をつくって日本原電(株)という会社が出来た。
その原電施設でべらぼうな電力と技術を投入しても、乳酸に相当する再利用不可とされ有償廃棄対象の核廃棄物は残念ながら少量残る。ここが自転車と違う。

自転車の乳酸は汗といっしょに皮膚を潤し冷却するから一方的に悪玉ともいえないのに対して、核の乳酸は鉛の容器に閉じ込めてその周りを厚さ7mのコンクリで塗り固めたうえで、地中深くに終生幽閉するしか養生の方法がない超悪玉なのだ。

自転車の汗や尿に含まれて体外に出たワシらの乳酸は、フレームの金属部分に付着したままにしておくと酸素と反応して表面を冒すことがあるが、早いうちなら濡れタオルのひと拭きで霧散する。
走行中はタオルが間に合わないので重力に従って地面に滴り、1時間でバクテリアにより分解される。
ところが核の乳酸は少量でも人類を根絶やしに出来るエネルギーを200年放出し続けるという。濡れタオルだって蒸しタオルだってバクテリアだって歯がたたない。

それを半減期というのだそうだ、400年後にはチャラになるかというとそうではない。半分が半分になっただけでまだ四分の一残っている。
四分の一になったのは強さか量か到達距離か、それともひとの記憶か、じつはよく解かっていない。
最初の一発目からまだ69年しか経っていないからだ。ヒロシマ・ナガサキのことだ。

どこの都道府県だってそんな超悪玉の置き場になるのは嫌だ。だが最終的には沖縄と青森がいつもそーゆーモノを押し付けられる。
日本最初で最後となった唯一の原子力船 「むつ」 という実験船のときもそうだった。

母港となる引き受け港が決まらないうちから政府が建造を急がせ、すったもんだの末に青森 陸奥湾の中心美港 大湊に母港が決まった。それで船名を 「むつ」 という。
「むつ」 には不可解な点、説明し尽くされていないことがらが山ほどあるといわれているが、陸奥湾の 「むつ」 なら小学生にもわかる。

「むつ」 は艦名というべきかもしれないが、筆者はあえて船とした。
佐世保の造船所からの初航海はジーゼル機関を動かして来た。ところが原子炉を始動させて臨界に達した最初の海上公開実験中、尻屋崎沖の洋上で放射能漏れを起し、大湊への帰港を県知事より拒否されている。

「むつ」 という船名だが、じつは母港が決定する以前から 「むつ」 と決めていたという話しは早い段階から囁かれていたという。
最初から放射能の漏れや流失などのリスクに備えて、日本一辺ぴな青森下北を実験母港地に想定していたのではないか。

辺ぴといったってひとはいる。たったひとりにでも害毒を与えたら政府は ”未必の故意による傷害罪” に問われることを承知の上で、それを漁業補償という名目にすり替えて漁民感情を収めようとしていたのではないか。
「へんぴな青森でなら何をしてもいいのか!」 「青森を第二の沖縄にするつもりか!」 「おめらは 東京のぬっくい料亭で 陸奥湾のホタテやウニを食いながら そーんな相談をぶっこいていたのか!」
反対の声はすぐに上がったが、一方で賛成の県民も数多くいた。

造船開始と同時に政府と青森との間には莫大な漁業補償と陸奥湾改修の密約があって、むつが母港となれば港湾改修のための国家予算がついて地元建設業界も港の飲み屋街も大いに潤う。
反対派市長の看板を賛成業界が引き降ろすのは訳がない、クレーン業者も鳶も電気工事業者もそろっているのだから ‥  いろいろあったのだろう。

だが 「むつ」 は青森に来た。
いったんは受け入れた大湊港だったが、放射能漏れという致命的事故を起こすとは約束が違う、もはや大湊に置いておく訳にはいかん。県を挙げて いや国を挙げての ”帰れコール” が沸き起こった。
帰れ! といわれても 「むつ」 は大湊以外には いや日本以外にはもともと帰るところがない。
なのに 帰れ という非条理さがことの重大さ深刻さを一番よくあらわしている。

結局 「むつ」 は将来廃船を条件に引き船に曳かれて陸奥湾を離れ、同じむつ市ながら半島の先を左から上にぐるっと300キロも回って北海道に面した関根港に曳航され、何年もただ係留された。
この辺りを野牛浜という。

大湊がダメで関根港ならいいという根拠はどこにもない。
どちらの港もむつ市に属しているから 「むつ」 の看板を書き替えなくともいい、そんなのはただの駄洒落だっぺよ。
当時都会ではときならぬ漫才ブームであった。下卑たギャグもずいぶん横行したが、この ”むつネタ” だけは絶対に誰も使わなかった。日本に良心は残っていた。

行き場のない 「むつ」 をどこかの港が引き受けなければ、「むつ」 は穴のあいた原子炉を腹に積んだまま幽霊船のようになって大洋をさ迷うことになる。
原子炉をそのままにしては、沈めてしまうことさえ出来ない。

”普通の幽霊船” と大きく違うことは、船体に 「むつ JAPAN ATOMIC」 と大書されていることだ。
そんな ”アトミックなゴースト” を太平洋の向こうに押しやるようなことを、海洋国日本の漁民としてはたして出来るものか? 日本はATOMIC BOMBの炸裂を経験した唯一の国だ。

むつ市関根浜が泣く泣くうなずくまでの攻防を新聞やテレビで見知っている者も今は少なくなった。

当時の開発費で1,300億円の無駄使いといわれ、建造にはどれ程かかったか明らかにされていない 「むつ」 は、関根港に係留されているあいだでも船は船、しかも国所有の大型船だから40名の乗組員は毎日20名が交代で乗船して保安や訓練に当っていた。
原子力研究要員の40名はすでに船を降りていたが、人口50人の関根浜にとっては経済効果大だったことは確かだろう。

そこへ即時離港派だの原子力絶対反対派だの、ひと昔前の安保反対の残党だのが海路も使って大挙押しかけ、反対派漁民だの農民だの学生だのも加わって東京から派遣された機動隊との押し合いへし合いが週明けのニュース紙面を騒がせたのが1973年ごろ。
なぜ週明けのニュースか? 当時のデモ隊は律義だった。土曜の午後に終結してデモるが月曜朝にはそれぞれの職場に戻っている。残留できるプロのデモラーは数えるほどしかいなかった。

そのころの日本は第一次高度成長期といわれた時代の終期と重なる。日本中の幹線道路は整備し直され、高速道路は北に向かっても延び始めマイカーはラジアルタイヤの普及で東京から青森まで一日あれば来られるようになった。
だが下北まで足を延ばすほどの冒険者はデモ隊と機動隊以外にはなかったと見え、野牛浜のあたりは高度成長からはまるで捨て置かれた感がある。

尻屋崎と大間崎の双方向から国道工事は始まっていたが、野牛浜の関根港でデモ隊や対国権闘争に巻き込まれるのを嫌った大手の建設業者はその区間から手を引いた。
さらに第四次中東戦争の勃発から石油高騰・インフレ・経済成長の陰りをいちはやく予感したゼネラル大手は、オイルショックと同時に現地契約の協力業者との約束を反故にして東京に帰っていった。

その結果国道276号線は、大間から東に延びて尻屋に向かっていた計画を断念して地元業者でも施工可能なルートに引き直し、野牛原野の手前から南に下ろしてむつ市に繋いでしまった。
現在も尻屋崎に国道は通じていない。
むつ市から尻屋崎へは県道6号線が通じている。だが関根浜を大きく迂回して野牛原野はそのまま残された。
また東通村からも尻屋崎へ県道248号線が通っているが、こちらは3ケタの番号である。どれ程の厳しさかは地方の山越え路を走ったことのある読者ならお解りいただけよう、しかもこの辺りは名うての豪雪地帯なのだ。

それが幸いしてか白亜の尻屋崎灯台が立っている高台の草地には半野生の寒立馬 (かんだちめ) がのびのびと草を食んでいたし、崖部にはもっと南の脇野沢が棲み家のはずの 「北限の日本猿」 が北限を40kmも越えて、脇野沢からは直線距離でも70kmを越境してきて平然とブルーベリーの実を食っていた。
なお、本物の野牛は1万数千年前にカラフトからアラスカを越えて北米に行ってしまった、今いるのは黒毛和牛と白黒のホルスタインだけだ。

国道造成が頓挫して困ったのは尻屋崎側からの工事を下請けした地場の土建業者だった。野牛原野をブルドーザで切り開いて小型ダンプ一台がやっと通れるルートを確保したところで事態が一変した。元請けの大手建設企業がこの事業から撤退してしまったからだ。
重機の償還と職人の給料未払いに頭を抱える地場社長の許を訪れた当時の県知事が言った。

「いづも泣がされんのは おらだぢ青森のもんだあ。 ばがやろー なめるんでねーどー。 えーが おらは怒ったどー。 怒った青森もんが どーすっか 見どれーっ!」

床に転がったヘルメットを拾い上げた知事は、その泥汚れをワイシャツの袖でぬぐって社長に手渡しながらさらに言う。

「社長 泣ぐな! おらはやるど。 おめが開いたルートをたった今 ここで、県道に昇格させることを県知事たるおらが宣言する! これっくれーは 知事の専権事項だあ 文句があっかー!
ご近所のみなさん 聞いたっぺー おめだぢが証人だあ。
社長ぉー 工事ば続けろ。 県議会はおらが何とかすっから頑張っぺー。 青森のー 尻屋の意地ばあ 見せるっちゃー。 
道っこが通れば おらが東京さ行って、でっけープラント企業を尻屋に誘致してみせるだい。 道っこはー 風力発電の工事路にもなるだっぺー。 社長ぉー 県道ばあ 造れえー!」

その後もオイルショックといわれた低成長時代は続き、資金の尽きたデモ隊はあっさり引き上げ関根港には静寂が戻った。

尻屋崎から関根浜を経由して国道279号線に繋ぐ県道6号は、意地の県知事が議会を説き伏せ、涙を拭いて気合いを入れ直した地場社長はせがれの専務に一大決心を伝えると、あのヘルメットを手渡し、「今日からはおめえが社長だ」 と言った。
新社長はすぐに二人の弟たちを都会から呼び戻して三人で重機を操作し、元社長は県道工事の共同企業体をつくるために呼応する土建仲間を説いて回った。
そして数年後に野牛浜を貫く舗装道が完成した。

関根浜の山側あたりだけは地形と原野に阻まれ小型ダンプの幅いっぱいにしか造れなかったので大型車は通れず、ここは県道ナンバーも外される。
しかし地元では ”県道 野牛線” と誇りを込めて呼び、今も語り草となっている尻屋の意地の道だ。

筆者はここを全行程走ったが、その話しを聞いたのは走り終えたあとの大間崎のまぐろ料理店でのことだった。

「なんだってえー! そーんなドラマのロードだったのかー」
思わず立ち上り、走ってきた方向に向かい飲みかけの生ビールのジョッキを捧げてから一気に飲み干し、それをテーブルにドンと置いて両手を合わせたのは言うまでもない。
両手を合わせる前に 「おかわり!」 と怒鳴ったかどうかは覚えていないが、目を開けたらおばちゃんが生ビールを運んできた。

国は 「むつ」 の船内で停止していた原子炉の冷却を待って取り出し、関根港の陸地に運んで 「むつ科学技術館」 という ”保管庫” を造って閉じ込めてしまった。
見学はシールドガラス越しに出来るようになっていて一般開放されているが、これほど人気のない公立の科学館は他にあるまい。
その理由は、大型バスが国道から科学館まで行けるように取りつけ道路はあるものの、見学を終えた子供たちがそのあと尻屋崎灯台に行って太平洋と津軽海峡を一望しながら楽しくお弁当を食べるためには、再度むつ市まで戻って県道6号線に入り直さねばならない。

筆者が自転車で走った ”県道 野牛線” はバスが通れる巾はなんとかあるものの、すれ違いが出来ない。よって安全第一のバス会社はここを通らない。
そんな道ではあるが知事は大手が投げ出したこの区間の難工事を約束通り地場社長に完遂させ、尻屋崎には三菱マテリアルの巨大なプラント誘致を成功させて地元雇用の促進に結び付けた。

この小文が中央誌に掲載されて青森の民意が高まれば、県議会を動かして予算がつき ”県道 野牛線” は名実ともに県道に拡幅される日もあるだろう。
開通記念式典に筆者が呼ばれたならば出席してもよい。野牛ステーキは美味しかったからねえ。 出来れば筆者には柔らかい部位をお願いしたい。

筆者がこれらのいい話を得られたのも、10日間滞在した下北で毎晩居酒屋で酒を飲み、地元のひとたちの話しに耳を傾けたからである。
民宿には素泊まりでお願いをしていた、その民宿も漁師酒場をやっていたからだ。
居酒屋でメモは取れなかったから記憶をたぐり寄せて書いている。少々のでほらくは許容の範囲と思っているが、ここまでの処はだいたい真実の話しである。

築地市場で史上最高値をつけたあの ”大間まぐろ” を釣った漁師の店にも行った。店名は 「大まんぞく」 という、大満足 と 大間ん族 の洒落を店主が考えたのだ、筆者ではない。
刺身の厚さは2.5センチもあって、これはもう ”まぐろの切り身の生食い” である。

早い時間に行ったらかあちゃんしかいなかったが、座敷の壁に大きな写真が誇らしげに掲げられていた。
その前のテーブルに陣取って おまかせ を頼み、かあちゃんが料理している間じゅう写真を見ていた。そのおまかせというのが2.5センチの怪物とは知るよしもなかった。

クレーンに吊るし上げられた巨大魚の大きな尻尾をしっかり握るかあちゃんと、大漁旗はためく船の上からにっこりVサインするとうちゃんの写真は、何の説明も要らない津軽海峡に生きる漁師夫婦の一大スペクタクル物語であった。
よいものを見た。そして思う、「ワシの文章は説明が多すぎて損をしているなあ」

やがて帰ってきたとうちゃん漁師は、オレンジ色の巨人軍タオルの鉢巻に寅壱印の鳶ズボン、さらには地下足袋まで穿いてなんと手にはチェーンソーと草刈りガマを持っている。
「?」
聞くと 「山の手入れに行っていた」 という意外な返事。なお分からなくなってさらに聞くと、

「8月からがまぐろの漁期だあ、それまではよー 大間沖に流れ込む川と沢を手入れして 栄養豊富な山の水を海さに流すんだあ。そーすっと いいプランクトンがいっぺー湧いで、北太平洋から尻屋沖をクイッと曲がった大型まぐろが大間にドアーっと入って来るんだあ。
これをやんねーと、 まぐろは津軽海峡の真ん中さー通って、竜飛岬をスゥーっとかすめて秋田の方さに 出て行ってしまうんだあ。 そーなったれば、ワシらには獲れねーべし。
今おめさんが食っているまぐろは冷凍もんだが、9月にもういっぺん来なんし。 生の本まぐろを食わしてやっからよー」

ぜひそうしたい。また来たときには ”普通サイズ” にまぐろを切っていただけますかいな。
「津軽」 を書いた太宰 治の写真を見てもわかりますやろ、昔から文学者は おちょぼ口 と決まってますのや。


「むつ」 船体は解体をまぬがれ、現在は海上保安庁所轄の海洋地球調査船に任じられ、換装されたジーゼルエンジンで運用されている。もちろん船名は改称され ”むつ” は永久欠番になった。

先にも書いているが、筆者は下北遠征の折り、大間崎〜尻矢崎間約60kmを国道279号線と県道6号線のブラック区間を ”県道 野牛線” でつないで走って8時間で往復している。
大間発 尻屋崎灯台 折り返し、野牛浜経由 大間まぐろの像ゴールという寒立馬もおもわず感立つ感動的なルートだった。
これを下北の真珠といわずしてアコヤ貝いやホタテ貝が食えまっか?

このルートには完成稼働した原発施設はまだなくて、大間原発予定地は造成更地のまま工事がストップしていた。
一方風力発電の基地は地震の後も健在で、元気に風車が回っているのをそちこちで見た。

このコースで朝と午後とに一回づつ関根浜の県道 野牛線上から 「むつ科学技術館」 を遠望している。船のカタチをした建物だったがもはや原子炉としての機能はない。
大型バスでも来ていたなら自分も行ってみようと二度のぞいたが、だあーれもいないから行くのを止めた。
この辺りの県道は狭い処では幅3mを切る道が20kmも続いていたが、野牛線だからそれでいいのだ。

海側は高い防風自然林が続いてなあーんにも見えず、陸側はだあーれもいない自衛隊の砲撃演習林だった。草の上に戦車のキャタピラ痕が残っていたが実車は見ていない。
往復とも一時間に一台の軽トラとすれ違っただけで、そういう意味では走りやすいコースだったが、誰も見ている者のいない貸し切り路で美しいペダリングを維持して走るというものは、超個人主義者であっても疲れるものだ。
そのときの経験が 「エドガー ウガン」 の文中 「ここは下北の野牛浜かあー! コンビニはどこだあー ゴールはまだかー」 の発言の基になった。


ここまでが おしぐれ流 ワインボトルの底に溜まった澱の ”展開 押し広げ法” による野牛浜の説明である。
こ〜んな長い説明はあっちには書けなかった。これでよ〜く分っていただけよう。


さて、本題の 核燃サイクルロード である。
六ヶ所村に集中している日本原電の施設が、現在六ヶ所あるからそれで六ヶ所村という。 というのはPRセンターのアテンダントお姉さんの冗談である。
プルトニウムが燃えるずうーっと前からここは六ヶ所村だった。大小の湖が六つあったことが由来らしい。

原電の巨大な施設を中心にした広大な敷地内には、従業員とその家族が住む高層アパート群も幼稚園も診療所もショッピングセンターもあって、高いフェンスに囲まれたひとつの街のようになっている。
中世期に大陸の内陸部にこうした街ができたのは、戦乱やら砂嵐を避けるためやらの諸事情があったわけだが、近代以降のわが国では極めて見る機会が少ない。
企業城下町というのとは意味が違うと思う。冬の下北ではフェンスの外に出たら地吹雪にさらわれて海にまで吹き飛ばされ、太平洋へ流されてしまうのだ。

異様な街といっては失礼だが、山と山の間を行く快適な道を走っていると唐突に ”街” が出現して驚かされる。
それは国家石油備蓄基地を見たときも同じ思いだった。

特別な用事がなければフェンスの外に出る必要がないことと、特別な用事などそうそうあるわけではないからフェンスの外側にある広くて直線的な道路を走っているクルマなど滅多にいない。
ここには県外から来たひとたちも多く住み、冬は豪雪の地帯だから外からの通勤なんて土台無理なのだろう。

当然ながらここ生まれの子供たちは、フェンスの外の無用に広い、まるで某K国に実在するという緊急時には軍用滑走路に早変わりするような道路を、矢のように走って来るロードバイクなど見たこともないだろう。
筆者はここの緩やかな下りの直線路で自転車のギヤを実走では初めてトップまで入れて10分以上走ることができた。そんな走りは初めてだった。
矢のようにと書いたのは、あながち間違いではなかろう。10分で10kmも進んでいるのだ、筆者にはすでに介護保険の被保険者証が送られて来ているのだぞ。自転車はなんぼでももつが被保険者の原子炉がもたんべよ。

なのに10分も臨界を続けられたなんて人生初めてのことだった。
まぐろとホタテと美味しい酒で早寝を続けると、こんなにパフォーマンスが上がるのか。やはり下北は真珠のような島に間違いない。

そーゆーおじさんの矢のような自転車を見たら、ここ生まれの子供たちの文化は変わるに違いない。
ほんらい人間はフェンスなどにとらわれず自転車に乗って自由に旅するものだ。という真実を幼いうちに彼らに見せてやりたかった。しかし平日の昼下がりでは誰も道になど出ていないのだから仕方がない。

筆者が下北を訪ねた2011年の6月中頃は、梅雨前線は関東で足踏みしていて東北地方は好天の湿度の低い日が続いていた。
あの東日本大震災からやっと3か月を経過というときだったからから観光客を乗せたバスなどはどこでも見かけなかった。この時期に震災をまぬがれて動けるバスのほとんどは、志願の復旧ボランティアを乗せると凸凹に歪んでうねる高速道路を不眠不休で必死に走り、東京と被災地間を往復していた。

青森下北半島では地震と津波による直接被害は他の地域に比べ少なかったようには見えた。現地のひとたちは岩手以南を気遣って自分らの愚痴など何も言わなかったが、太平洋に面した地域には津波が到達しているから少なからずあったはず。
六ヶ所村や東通村では原発に関係するものの稼働を一斉にいち早く止めたことで、国や原電の計画にもその関係者にも影響は大きくあったはずだが、行きずりの旅行者にはよくわからない。
筆者が下北への出発を前年からの予定通りに進めたのは、東電の計画停電が予想より早く終了したからだった。

旅行者と書いてあわてて弁解するが、筆者とて物見遊山の地震見物ではない。人生の旅を行くものとしての旅行者であり被災地を素通りして下北まで来たことには胸痛を感じていた。

フェンスが途切れて日本原電町のゲート部分に差しかかったとき、筆者は自転車をガードマン詰所より少し行き過ぎた処で止めてしばらく眺めていた。
それを咎める者もいないし咎められる理由もない。
ここでは自転車に乗った旅行者のヘルメットから立ち昇る汗の蒸気など、地上を飛んでいるアブの発するエネルギー程度にしかカウントされないのでセキュリティは動作しない。

日中の時間帯に出入りしていたのは原電の社用車とショッピングセンターへ納品に行く大型トラックだけだった。
大勢のひとの仕事場と生活の場所となっている建物群で出来ているはずの街だが、外から見るかぎり妙に静まり返っている。

誰もいないことはないのだ、建物内にひとの気配があるし、アパートのベランダには洗濯物が風に揺れている。なのにひとの暮らしの常である喧噪というものがない。
そしてフェンスの外には只々真っ直ぐな道路が、海に吸い込まれて見えなくなる地点まで続いている。
ビジネスで来た者が用事を済ませたらタクシーか社用車で送られて帰って行くだけの長い道路は、ここでは生活道ではないらしい。

ならば歩道など要らないかろうに、ご丁寧な歩道が道の両脇にしつらえてあった。ただ横断歩道の白い縞模様ペイントはついぞ見かけなかった。
これなら夜はゲートを閉めてしまっても誰も困らないだろう。いや誰も出入りしないならゲートを閉める理由もないか。

そのような施設島が半島の何か所かに点在して、それらの間を立派に造られた道路が結んでいる。ただしそれぞれの町は別会社なのだ。
半島の付け根にあたる小川原湖から六ヶ所村にかけては再処理施設が、さらに北上した東通村には東北電力と東京電力の原発がある。さらに先の大間原発は現在建造が止められている。
場所によっては山を崩して平地に造成した段階で工事が中断したらしく、大きな台形の無人島を思わせる計画地もそちこちで見た。

そのような場所でもフェンスは高く立っていて扉は長く施錠されたままのように見えたが、台形の土の斜面には雑草が伸びている様子もなく、工事が止まってからの期間はそう長くはないとも見えた。
あるいはカキ殻を粉砕したカルシウム粉を土壌に混入すると、シェールバクテリアの活動が活発になって雑草が伸びないという話は本当なのかも知れない。

フェンスの手前からニュートラルゾーンの空地を隔てたこちら側に少なくとも今は用途のない、たぶん将来的にも用途のなくなってしまった直線路が延びて、そこを筆者の自転車が一台だけ走っている。
山側に目をやると風力発電の巨大な風車塔が一直線に並んでいて、近づけば 「グイーン」 と腹に響く風切音を立てていた。

下北はフクシマ事故のあと急に薄情になった日本と決別して独立し、電力輸出と再生プルトニウム供給専門の共和国になったら成功するのにと本気で思うほどだ。
プルトニウムや原発に将来性はないのかも知れないが、パキスタンと北朝鮮が開発と保有を止めない限りは技術を最新にし続けていかなければならない。
もしかしたらプルトニウム乾電池などという安全なものができて、ふつうにコンビニでも売れるような日がくるかも知れない。

かつてイタイイタイ病や水俣病を引き起こしたカドミニウムや水銀も電池の材料になっている。町内のゴミステーションで廃棄・回収のルールさえ守られればプルトニウム電池だって民生用になる可能性はある。
独立して日本とのしがらみが切れれば下北の漁業と酪農業は就業時間を週40時間にしても生きられる。日本の食管法が色々言うならつき合わないだけだ。下北国は大金持ちなのだから。
冬場は全休して国技のカーリングにうつつを抜かすことを国是とするのだ。
カーリングは相手とからだを接触させない格闘技だ。 「金持ちケンカせず」 のことわざは、サザンオールスターズが歌って日本の流行語大賞を獲得するだろう。

国の鳥獣魚はウミネコ・寒立馬・まぐろ。 国旗は風車。 国歌は鉄腕アトム。 そして国花はトビシマうす桜。ほかには えーっと ‥ 何でも来いだ。
大統領には前出の知事さんが今もお元気なら、ぜひ就任していただきたい。


えー それでは 建国より一日が経過いたしました下北国大統領の記者会見をはじめます。
まず、大統領から発言がございます。そのあと順次ご質問をどうぞ。

さっきのことだがや 大阪のおー 橋下さんから電話があったんだあ。
「道州制をさらに進めると独立国に行き着きますが、どーやって下北国をつくったんですか?」 ってなあ。

おらはこー答えたんだあ。

「手続きのことかね、それとも建国の歴史かね。
後者のほうなら簡単に電話でってーわげにはいかねーかも知んねーなあ。 おめ こっちさ来っか? 温泉にでも入えーりながら話すべえよー」

あに? 手続きのほうだけで結構ですだあ。 大阪でまぐろ食ったら高かんべによう。

「手続きなら簡単だあ。 『 独立しました。 以後よろしくね 下北国 』 って書いた紙を二枚用意してな、国連と日本に配達証明郵便で送りつけたら、野辺地町からまあーっ直ぐ東の太平洋を結ぶ県道5号線の北側にホタテの貝殻を砕いたカルシウム粉で白線を一本引いてよー、そんで終わりだあ」

あのやろ しつこくてなあー 国民生活と国の財政 なーんてえ つまんねーこと聞くからよー。 

「前となーんもかわんねーがよ。 青森と日本から届いていたわが国民への県税・国税の徴収票を陸奥湾に流しただけだあ。
おらほの国はな、独立の瞬間から めっちゃ金持ちになった。モナコ公国とは収入の方法がちっと異なるが金持ちの点ではおんなじだかんな。 国民が負担すべき税は、日本から流入する物資が外税だったときの消費税だけだ。

おらほの国は核燃サイクルの上がりを施設レンタル料として、ちーっとばかし日本政府に支払ってやるんだが、プルトニウムの現物払いでよかんべーと、そーゆーことになってんだあ。
だが有償売却分はどこの国にも現金円で支払ってもらう、電力の直接売りなら県にもなあ。 国と国との仁義は即決・即金・後だしジャンケンなしが決まりだっぺよ」

はい そこの手を上げている記者さん。
あにー? 日本政府の出方をどーみているか? だとー。
おめさん どこの社か知んねーが、あっちでそー聞いてこいと言われたんかいな。 んなら答えてやっぺー。 大事なことだかんなあ。

「さっきも言ったが、なーんもかわんねーよ。国境はあるが行き来往来は自由だ。通貨もレートもかわんねえ。ただし核燃サイクルと原発・風力発電をわが国が接収して国有化した。
これのメンテナンスはおらほの国でやる。さいわい電力は売るほどあるし技術者もいっぺーいる。彼らは日本に帰る選択を拒否して、こっちの国民になる道さ選んだんだ、かしこいべえ。
彼らなしで日本政府は、ここの巨大かつ高度施設を運用できない。したがって日本政府とわが国とは平和的共存が可能だ。

わしらは核燃サイクルを人質に取ったとは考えていない。時代が、歴史が、下北人の気骨と気運が、わが下北に独立の機運と人と勇気を与えてくれたのだ。
日本政府もなあ 内心ではむしろその方がよかったと思ってんでねーの。 「むつ」 が追い返された日、あべさんも谷がきさんもまだ学生だった。下北新報の古い紙面になあ 角材を振るって機動隊に立ち向かう勇敢な学生の写真が残っているだよ」

 
今後の核燃と原発、内政・対外政策についてかや。ええごど聞くなあ。

「核燃・原発の新増設はしない、今止まっている原発の再稼働は、安全審査をした日本の連絡待ちだが、時期の判断は下北国がする。したがって日本より早まる可能性は否定しない。
工事差し止めの大間か、再開の考えはない。大間はまぐろだけで十分だ。ただし現行施設の耐用のことを考えて備えは必要。資材人員等には当然下北国の国費をあて万全を期す。

わが国が保有する現在資産が国民ひとりあたり世界一位なのは知ってっぺ。計算上のことではあるがな、しかし事実だ。ほんだがら おめさまだぢもカメラとマイク持ってこんな遠ぐまで来たんだべ。
この豊かな資産と資源をどう生かすか、大統領と国議会とで決めてゆく。
議会といっても先日まで町村議会だった。これからは国会だあ。みーんなガキんときから下北を駆け回った仲間だあ、うまくいくさや。与党しかねーんだがら。
おらはな 野党の台頭を心待ちにしてんだあ。 色々な考え方、やり方。間違えねーでやって行くには適度な負荷も抵抗も挫折も必要だっぺー、自転車がそーだがんない。

そーだ 首相だがな、おめら知ってっかあー 尻屋の土建屋なあ、あの男がな おらどいっしょなら ぜひやりでえと言ってくれたんだあ。
どごの婆あちゃんの認知症が進んだかまでわがってんだから、対応は早えーどおー。 それにな 人望の点ではおら以上だあ。 あっはっはあー。

人口の伸びは微増にとどまるだろう。今のうちに教育に力を注ぐ。核燃サイクルを維持しつつ民生に活かせる新技術を育成する体系をつくる。
つまりなあ 国民全員が6ケタ暗算をすーらすら出来る。そーゆー教育だ。ギガでもナノでもわかっちゃう義理と人情の下北人を維持発展させるんじゃ。
漁業・農業はやりたい者にやりたいだけやってもらうが、安全をまっとうするにはやはり教育は大きな柱となっぺ。

また日本への輸出輸入に関税などはあり得ないことだ。おらほは税収を国の柱とは考えていないのさ。国が核燃サイクルと売電で商売するんだからなあ。
さらに余剰金で日本の国債を買う。
金持ちになり過ぎるとアメリカがちょっかいを出してくるのは歴史に学んだ。若者を大いに米国留学させ、海外と(日本を含む)下北の文化と国是を英語で対論できる人材を多く持った国が勝利するのは自明である。これを今すぐ始めたい。

最終的には核燃サイクルの買い取りを完了させ、名実ともに借金なしの下北国を見るまでわしは死なんつもりじゃ。もちろん どごさともケンカせずになあ」

すこしまってけろ、あべさんからおらのスマホに電話だあ。 記者のみなさん、すまんなあ ホットラインなんじゃ。どこぞの国で政変でも起きたんかいな、日本じゃーあんめえな。

「もしもし ‥ あんだってー? 建国のお祝いにニットヨの電気自動車を贈りてーが、色はどんなんがええがってかや。 もしもし ‥ あんべちゃん、おめ プルトニウムの色って見たことあっか。
溶けた鉛みてえにぴかぴかして そらー もう めっちゃん 綺麗やぞおー。しかも比重は鉛の1,800倍や。重厚とはこーゆーこっちゃな。

そーゆー塗料は日本にはねーべし。重くてクルマが走らんからなあ。
おらほで開発中の軽くて電気抵抗ゼロの、リニア新幹線にも使える金属塗料がもうじき発売になっからよー 電気自動車は待ってけれ、おら運転免許もねえしなあ。

できればなあ あんべちゃん、おらは電気自動車でねぐ、通勤用のロードサイクルバイクが欲しいなー あっはっはあー」

ほーい こごらで記者会見 しめえーにしてもえーだがや。 おら 筋トレせねばなんねーでよ。 


 おわり


次回は半島南西部の山岳ロードを紹介してみたい。

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