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「俊水」の掲示板
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美ら島 オキナワ century run 2014
2013/09/09

いやー 涼しくなって参りましたなあー。
晩夏の暑さに練習をサボって <不沈ナイフ> など削っている間に季節はめぐり、早朝の外気温は22℃を下回っています。
となれば、自転車ライドを再開せねばなりません。 ワタクシのサダメですから。

ところが先日の関東の大竜巻のあと、空の具合がねじ曲げられたのか毎日雨が降ったり止んだり。
今朝も表に出てみると今にも雨粒が降り落ちて来そうな空模様。沈思黙考を1分、アッサリと出かけるのをやめました。

2か月近くも走っていないと出走の決断というものは、めちゃ好天気で低湿度・プラス気分ハイでないと中々決心がつかないものですなあ。
すでにケツの筋肉が劣化して、フニフニになってしまっています。
6月のサイクルエイドの後、モチベーションがどうもフニフニのままのようで、サダメは何処へ行ったやら。

することが無いので仕方なく、また今日もナイフを1本削って、塗料を掛けて乾燥の時間待ち。
乾燥中は匂いにつられて飛んで来る小虫や浮遊性微細塵がひっ着かないように工房を閉めておかなければなりません。当然ながら房主も退室。
これで完全にすることが無くなった。

わが家にあった刃物という刃物は、引出しの奥で忘れられていた家宝の 「新潟燕三条 別製 特打ち出しの切り出し小刀」 まで総べて <俊水スペシャル> に改造し尽くされました。
残るは台所の包丁だけ。
以前居た家人が置いて行った包丁に対しては、旺盛な創作意欲を誇るワタクシでもさすがにフニフニで、俊水工房ははやくも材料不足の手詰まり状態。

暇つぶしにと開いたメールにJTBスポーツエントリーからお誘いの新着があった。
サイクルエイド参加をきっかけに時々メールが届くが、今回は凄いのが来た。

「美ら島 オキナワ CENTURY RUN 2014」 という超ビッグなタイトルである。 ご参考 http://www.cocr.jp/

センチュリーといえば100マイルすなわち160km、へたれライダーの自転車ライフの集大成にふさわしいメジャーなイベントやないけ!
自転車乗りとして輝かしい歴史を経た大方のご仁の集大成はハワイ ホノルル センチュリー ライド なのだろう。だがワタクシは海外渡航禁止処遇の身。
オキナワなら祖国の一部やないけ、パスポート発禁者でも行けるんやないの?

詳しいことは書きたくないので簡単に説明しておく。
9.11事件の前年だった、南半球の山と湖の美しい某酪農国に入国する時、持ち込んだへら鮒釣り用の餌(ホワイト グルテンと麩系の粉)に麻薬・覚醒剤の嫌疑がかけられた。
この国には淡水湖や川での釣りといったらルアーとフライ以外には釣りとしての文化認識がまったく無い。しかも国民は南十字星がどこに見えるかを指差せるものが皆無という変な国だった。

入管の大男は餌を使う釣りは海の企業漁だから、漁を行うには法人として申請せよと抜かしやがる。
釣り餌と称したオリエントの麻薬を持ったままではここを通さぬ、と時々解からん中国語を交えながらねめつけるのだ。

すでに機内で日付け変更線を2度も越えるうち、 Budweier beer をしたたか飲んでご機嫌だったワシは、持って来た羽二重の竿袋から竹の竿を抜いて正眼に構え、断固屈せぬ抵抗の意思を示した。
「ワシとワシの釣り道具に手を触れる前に領事館員を呼べ、国際法を遵守せよ! I fromm kamikaze country」

独立民主国 日本男児として真っ当なことである。
「誰だってそうだろう。 違っててたまるか べらぼーめー。 My name as Rimbaud」

だが 「カミカゼの国から来た男 ランボー」 がいけなかった、<カミカゼ> も <Rimbaud> も空港ポリスの隠語ではテロリストを指すのだと後で知った。

たちまち武装したSWAT部隊に取り囲まれ、公務執行妨害罪と危険外来植物種由来の餌による水質汚染防止法違反準備罪で拘束された。
その後のことは書きたくないが、成田行きの飛行機のドアが閉まるまでワシの前後には大型拳銃を下げた制服警官が付いていたから手続きカウンターで並ぶこともなく、極めてスムーズなVIP待遇ではあった。

そんなこんなでワシは国外犯罪者だからホノルルには行けんのよ。
テロと麻薬嫌疑に係わった者の入国拒否には時効がないんだそうです。

しからば My country オキナワがある。美ら島がある。
目標が定まればモチベーションも上がる。
少々の雨だって練習に行ける。 長く続いた「燃え尽き症候群」から脱却できそうだ。

だがあの頃と違って、今は年金の身の上だからオキナワ渡航の費用ねん出が大問題である。
企業スポンサーは付かないし、<俊水スペシャル> の売れ行きもイマイチなので再度全ラインナップの写真を掲載いたします。

これで作り止めですけん、レアレア の アレアレー Array Nippon でっせ。
オキナワに行きたいんよー。
魔除けに一本買っておきなわんしー。

syn

写真左: 在庫が10本にもなった <俊水スペシャル> ナイフ群の雄姿。
   中: 見るだけでモチベ全開の木目が美しい逸品 割り箸の木の軽さとは違った趣。
   右: これらは水に浮きませんでした。
      燕三条の打ちものは多田羅(たたら)製鉄由来の本鋼(はがね)、ビゴ砂漠から千年かかって流れ着いた日本海の砂鉄が元です。
      上から 孟宗竹 栢(かや) 橡(とち)で作ってみました。

木工屋 俊水工房発(3)
2013/09/06

昨日、県内に大竜巻が起きて、県の中西部から北部の数市町で大暴れをしたようです。
家を飛ばされたり倒れた電柱にクルマを潰されたりの被害があって、怪我を負った人もあったという。
突然のことで手伝ってやれることもなく、気の毒に思うばかりである。

竜巻の素になった積乱雲は当工房の西北を通過して行ったようですが、そのころはまだタツノコ程度のものだったのか頭上は雷と雨だけだったから作業に没頭していて気付かなかった。
夕方になってテレビニュースで件の天変地異を知り、驚いて知人の安否を尋ねると 「無事」 とのこと。

没頭していた作業とは写真のナイフ作り。
おかげさまで 「水に浮くサバイバル ツール」 として <俊水スペシャル> シリーズが、極一部の極めて少数の好奇心の方々にのみ好評で(エーン)、
「どーやって作るの?」

問い合わせはあっても肝心の受注には至りません。
「刃物は自分で打つの? 木材はなに? 鞘の内部は何で削るの? 塗料は?」

つまり、作り方だけ聞いて自分で作ろうという魂胆 … バカヤロー 。

ふん、どーせキミらには作れんよ。
これはなあ、人格なんじゃ。

ひとには人格を構成する様々なエレメントがあるが、 その中の <偏執さ> これが人一倍でないと出来んのじゃ。
わかりやすく言うと、<変なひと> でないと作り上げるまでモチベーションがもたんのや。

接着剤が乾くまでの24時間を固定したバイスの前でじっと待てるか?
写真の丸太を割って製材して、削り出しのグリップを成形して鞘との芯を出せるか?

日本刀の鞘のように一直線にスッと収まらなならん、緩ければアホみたいに抜け落ちてしまう。しかも木目を合わさにゃ二束三文だ。
たかが木工だが、神経をすり減らし胃の痛くなる作業にキミらは耐えられるか? 

それより、節のまったくない原木の白木が入手出来るか?

この原木はなあ、もはや日本では手に入らん。
出来上がって袋に入って、タイやカンボジアから届いたのがスーパーの割り箸売り場にあるが、あの細さではグリップや鞘にならんだろーや。

写真はかれこれ20年前、アジア産に押されて廃業を決断した割り箸製造業者から貰った丸太材の切れっ端。
現在の日本国内にはこの切れっ端が一点のみ残っている。

これが水に浮く。

バルサの次に水に浮くのがこの木なのだ。
樹種名は言えん、当工房の最高機密じゃ。

スギやホウの木でも作れるだろうが、水に浮かせるには木材量を多くしなければならんから刃長とつり合いの悪い不格好な仕上りとなってしまう。
ナイフは男のロマンやから不格好なモノは持ちたくないよね。

よって 「float & return」 のナイフは当工房でなければ作れない、ゆえに <俊水スペシャル> なのじゃ。
少々高価な訳が分かったら当工房に発注の図面を送りなんし。
ちなみに写真のナイフの完成予価は ¥10,800

syn

木工屋 俊水工房発(2)
2013/09/04

水に浮くサバイバルツール第二弾はノコギリです。

山中で仲間が怪我をして急いで杖や担架が必要になったとき、、木や竹を切り出すにはナイフよりノコギリのほうが早いですよね。
切り口が平らで面取りが容易なことも二次災害予防上のメリットです。

遭難を待ち望んでいるアドベンチャーはいませんが、困難は向こうからやって来ます。大方は無予告ですから対策のツールで自衛することは反則に当たりません。
そこで、リュックの横ポケットに忍ばせておける軽量な味方ツールのご紹介。

直線挽きはもちろん、狭いブレード巾は合板やトタンに丸い穴を開けるのも得意。
潰れた山小屋から脱出するとき使えそうです。(使ったことはありませんが)

写真のブレード部をよく見てください。もしも悪意の野獣と闘ったら (ねずみ・野うさぎ・コウモリ・ムカデが対象です、熊は無理)、この鋭さと横への一振りは武器として一級です。
必ずシース(鞘)を装着して帯行してください。

シースの美しい木目模様は荒野であなたの心を和らげることでしょう。
また、どうしても点火の手段がない場合にはシースをグリップで強くこすると火が熾せ、よく燃えます。(塗料が燃えるときのガスを避け、屋外で作業してください)

新銃刀法規制の対象外、工具の扱いです。
軍用のようなゴツイのはどーもという方にお薦め、水に浮くお守りノコです。

仕様 全長 250mm
    全巾  23    
    全高  21
    刃長 125
 ノコピッチ   2 (1mm毎に左右跳ね) 工房内の細工用ノコとの比較では中荒、したがって怪我に注意。シートベルトはひと曳きで切れました。
総重量 45g

素材 ブレード: 工具鋼 (耐錆超鋼炭素鋼)
      厚み  1.0mm
      元巾  7.0
      先巾  0 (鋭角 つまり とんがり形状です、最大注意)

意匠 グリップ&シース: 白木 (バルザ材に似て非なる軽木、目が混んだ美麗種ながら樹名不詳 割り箸用の木かも知れない)
      塗装: 下地 木彫オイル 上塗 耐水ウレタン系硬化型

その他 シースの抜け止め: シース内部のテーパーがノコピッチに接触制動方式。

販売価格 ¥4,320 (スミマセン ノコ部の仕入れ価格が高いものですから)

木工屋 俊水工房発
2013/09/04

漂流の冒険者が最後に命を託すのは、一箱のマッチとその中に忍ばせた釣り針と糸。
そして手に馴染んだ一丁のナイフ。

後年、孤高のアドベンチャーと呼ばれた男が書いた回顧録に 「このナイフが生還への望みを繋いでくれた」 と懐述する高名なナイフがある。
「スイス アーミー」

赤い柄に白い十字の紋章。
モチベーションを掻き立てるその佇まいに触れると、どんな男でも血が騒ぐ。

国は違えど主義は違えど男が家のドアを出て (プロペラ機のドアを出てのほうが数倍絵にはなるのだが) 階段を降り、地上に立ったときの最初の所作は決まっている。
空を見上げて雲の流れを見渡しながら手を胸に当て、衣服のうえから赤いナイフの存在を確かめることだ。

このナイフで命を救われた者は世界に何千万人もいようが、もしもそのナイフが水に浮いたなら、その数は数百万プラスされただろう。

そこで、俊水工房が作りました。
小さくて軽くてしかも水に浮く。だから失くさない。

泳ぎ着いた無人島の砂浜でポケットに残っていたマッチ箱とナイフを乾かしながら、彼は海の彼方を見つめて呟く。

「まったくひどい航海だったぜ、大王イカの好物がカーボン製のヨットだったなんてGoogle+には書いてなかったが、切り取ってやった奴の足を一本持って来たから当分食糧には困らない。
なあーに来年のクリスマスまでには家に帰ってチキンが食えるさ。
おれのナイフは俊水スペシャル、バオバブの木だってくり抜いて海洋カヤックを作ってやる。塗装なしの木製なら奴の吸盤も吸いつけまいよ、へっ ざまーみやがれ」


life save knife 俊水スペシャル 「float and return」 をご紹介します。

販売価格・納期はお問い合わせください。ブレードサイズと必要浮力をご相談のうえ見積りいたします。
ご参考: 写真(3)の既製品仕様は¥2160、即納可。写真(1)の中央にあるものです。
      写真(2)は最小タイプ、鮎や秋刀魚は捌けますが太刀魚ではどうでしょうか。

収納ケース・首掛けストラップ等は設定がございません、自作をお奨めいたします。
その理由は: アドベンチャーは自分に合わせて作り替えるのが常、セットにしても無意味と当工房では考えます。
その分お安くしています、価格は消費税8%を見込んでの算出。

素材 ブレード … OLFA JAPAN stainless
    柄  鞘 … 白木
    目釘   … 竹 
    接着剤 …  no answer
    塗料   …  no answer
仕様 寸法  …  175x22x8mm
    重量  …  22g
    浮力  …  19g  海水に投じて下側2mmが沈みます。

北限のふぐ(その2)
2013/08/20

前回(その1)で今やテレビで超人気 「北限の海女」 のことを書いた。いや 書いていない、後にあまちゃん候補となったであろう二少女のことを少し書いただけだった。
どういうことかというと、
二年前の初夏、ワシは青森の下北でエネルギーを使い果たし家に帰る途中だった。
六ヶ所村や小川原湖のあたりは無言で下りてきて、八戸を通ってヨロヨロとたどり着いた岩手の 久慈市でウニ丼を食って甦ったところまで書いた。

そのころの東北地方は3月に起きた東日本大震災の余韻が色濃く残っていて、久慈の浜でも 「北の海女の素潜り実演」 どころではなかった。
二少女には、汚れ物を洗っていたコインランドリーでへたれかけていた正にそのとき復旧支援のボランティアに間違えられてお礼を言われ、戸惑ったと同時に勇気をもらったものだった。
その娘たちが今夏は元気な高校生海女になって、ウニを掲げてニコニコとテレビに映っている。

二年前、ワシが微財を落としてきた久慈のスナック街は震災の影響が少なかったようで営業していたが、もっと震源に近い街や大津波にのまれた地域まで南下して、太平楽に開けているスナックなど探していたら殴られても当然だった。

さがすものが違うべえ。
初夏になっていたから凍えることはなくなったが、気温が上がれば蠅と腐敗臭のなかで瓦礫をどけながら、手懸りのない家族や知人を捜していたのだ。
この二年で復旧は復興と文字を変えたのだから感慨深い。

気になるのは復旧の進み具合と、なにをもって復興というのかだ。
本年6月に微力ながら復興応援のイベントに参加させてもらって、宮城県の海側の町、亘理漁港に立ち寄ったことがある。
船の着く岸壁は捻じれたまま手つかずで、海底が浅くなってしまったのか無人の船が沖の方に係留されていた。

ワシらを迎えてくれた漁港のおかみさんたちは朝から大漁旗をおっ立てて、ドラム缶に炭を熾してホタテを焼き、大鍋に磯汁も作って、仮設のトイレを掃除して、選手スタッフ100名ほどを温かくもてなしてくれた。
元は何が建っていた土地なのか更地の上に設置したテントでそれを頂いたのだが、潮水に洗われてしまった地面に山砂を敷いただけだから変に茶色くて妙にふかふかしていて、二年経ってやっとペンペン草がひょろりと生えていた。

そんな状況なのにワシらが再スタートするときは法被に白足袋、花笠を背に負って、名物磯踊りを賑やかに披露して見送ってくれた。
応援に来たはずのワシらが応援されてどーすんだ。
なんだか怒りがこみ上げ、力まかせにペダルを踏んだらしくトップに躍り出て独走してしまったが、旧市街の残されていた舗装の割れ目に浸み込んだ二年前の塩が初夏の日差しに滲み出してタイヤがベトベト音を立てるころ、集団に吸収されて後ろに退がった。

そこまでは後方の港でどんどんと打ち鳴らされていた太鼓の音が心拍数によく合っていて、きれいな高回転が出来ていたような気がする。
あのビートを憶えておけば、次のイベントでもトップ独走じゃい。

亘理漁港の復興はまだまだだが、おばちゃんたちの笑顔が先に復興していたことを見られた。
作り笑いだっていいやね、法被 白足袋 花笠 太鼓に大漁旗、流失した祭り用品を真っ先に新調した心意気にワシは車上で泣いたよ。
泣いていなければあのままトップだったんじゃい。

あまちゃん仕掛け人の宮藤官九郎氏も震災直後から宮城でボランティアとして汗を流して働いていた。あまちゃんの脚本はこの時点では氏のアタマの中にしか無かった。
それが今年になって、満を持したものか偶然なのか突然クドカン マジックがさく裂して袖が浜の、いや久慈のウニ丼が大ブレークした。

またたく間に久慈のウニ丼は宇都宮の餃子丼や厚木のシロコロ丼、横手のやきそば丼を大きく引き離して全国一のヒット丼にのし上がってしまった。
なのでワシが食った二年前のウニ丼はメジャーになる前の普通のウニ丼、それもたぶん下北のほうから運んで来たのであろうウニのウニ丼を食って帰ってきただけということになり、今はなんだか少しくやしい。

あんな修羅場のなかで食い物にめぐり会えたのに、くやしいと言うのは不謹慎な話しではある。
だが被災地が落着きを取り戻してきた今年になって、そのくやしさに拍車がかかったのがお盆休暇中の昨日、知り合いから届いた一通のメールである。

「やい よっくと読め! おらもよー 北限の浜でお夏ばっぱのウニ丼と あんべちゃんのまめぶ汁を毎食三回食ってきたどー。 じぇじぇうめがったがや。
どーだ これでアンタの大間まぐろ丼を一車身半もブチ抜いてゴール前にかかっておるどー、くやしかってら抜き返してみれー」

こーゆーおひとは北三陸みやげなど届けて来ない。
「じぇじぇ うめがった」 というウニ丼とまめぶ汁の写真だけなのだから何とも無礼なご仁である。
ワシは「大間 まぐろ魂」と染め抜かれたTシャツを買ってきてやったのに…。
遠路だから生ものは無理としても、小田勉爺さんの掘り当てた「毛虫の卵が封じ込められた琥珀のタイピン」など賞味期限無限の乾物が駅の売店に並んでいたっぺに。

「ばかやろー  オメらは北限の海女が獲ったウニを食ったと威張っているが、オメらが食ったウニは北限ではねーぞ。
もっともっと北の下北の、まぐろ漁師の店の窓越しになあ、下の岩場で真っ黒いウニがいっぱいウニウニ動いていたのをワシは見たぞ。大間まぐろを手づかみで食いながらなあ。

それに それに何だぞォー、そもそもオメらは 「北限のふぐ」 を知るまい。
知っててたまるか べらぼーめー。
あれは超マイナーな北限だからなあー。

ワシはなあー 「あまちゃん」 ブレークの一年前に久慈と同じ北緯度を西にずーっと行った日本海側の男鹿で、北の限界といわれる「北限のフグ」を食った。
じゃがオメらのように自慢たらたらなどしなかったぞー。 たらの塩漬けを干して裂いたのが ぽんたら じゃー あほんだらー。
男鹿と言ったら秋田音頭の おがブリコ に決まっとるだーが、奇匠クドカンが次にブレークさせるんのんは男鹿のふぐだあー。ざまあーみれー 二車身リードじゃー」

このご仁を知り合いリストのホルダーから迷惑カテゴリーに移行してやる前に 「日本海北限のふぐ刺し」 の写真を送りつけてやった。
それが前回(その1)の写真である。

本欄をご覧の団塊屋ファミリー諸氏に対し、マイナーな北限ふぐを自慢するつもりなどはさらさら毛頭ないのです。
これを機会に北限という言葉を考察してみたいと… この何ともロマンな響きのルーツを真摯に考えてみたいと… そのような観点から真面目に… お盆で閑ですから…。

南限のリンゴだの南限の山女魚だのも当然存在するにはするのだが、北限の猿ほどのロマンを誘起しないのは何故だろうか。
北半球における南限という言葉には、北上に伴う寒さの境界を破ってさらに北進するパイオニアニズムみたいなロマンを誘う何かこう、悲情なというか悲壮感がありませんよね。
南には何でもあって当たり前みたいな雰囲気で、けな気さを感じない。
庭に勝手に繁っているバナナを食ってポーっとしている酋長おじさんのイメージは質実剛健を宗とする日本人にはいかにも合わん。

Wikipedia百科事典によると青森リンゴの南限は南信州飯田市辺りだそうです、富士山を越えた南では結実しないらしいが、はっきりとはしない。
はっきりしなくとも特に構わん、実害などありゃせんよ。みたいなところが諸氏にもありませんか? ありますよね。

山女魚は山梨 静岡の富士川水系あたりで関西のアマゴと交雑し、天然痘のような赤い斑点が体側に出て気品を落とすから話しにならない。
どうも富士山より以南以西の水は関東の渓魚には合わないようで、岩魚にいたっては箱根の関を越えて釣れたという記録はない。
しかし亜種なら屋久島にもいるよ、というのだから何処で線を引いたらいいのかわからない。

日本の淡水魚は分類の仕方、名前の仕分けが南へ行くほど誤っていると申し上げるしかない。
つまり南へ行くほどグズグズなのだ。
これは年間平均水温と大いに関係しているに違いない、富士山より南に居住する諸氏は (当欄読者にはいないと思うから断言するのだが) 冬に川が凍結することなど知らないから、氷の下の魚のことはどーだっていい感がきっと強いのだ。
つまり南へ行くほどグズグズなのだ。

一方熊本みかんの北限ははっきりしていて、栃木県那須烏山市の観光梨園の片隅にあったみかんゾーンだ。
ここに 「北限のみかん園」 と書かれた幟バタが立っていたのをワシがこの目で確認している。
いつのことかというと、当時育メンパパだったワシが3歳くらいになった娘を連れて梨狩りに行ったときだから、すでに30年は経過している。

この30年に地上の平均気温は1℃上昇したとされ、みかんは北進が進んで北限は福島県白河市辺りまで行ったかも知れない。だがフクシマといえば桃だから紀州和歌山に対抗してまでみかんを作る農家はない。
別情報で新潟県佐渡で収穫されたというみかんは、庭木の観賞用夏蜜柑のことだったので正確にはみかんではないことがわかっている。
室内の鉢植えなどを除く営農としてのみかん北限は現在も那須烏山市と結論しておきたい。

また那須烏山市周辺では梨の栽培も盛んにおこなわれていたが、前出の百科事典で梨の北限は秋田の男鹿半島であると断じている。
ここでも男鹿が出てくるのは偶然であろうが、男鹿と久慈を結んだ緯度線は糸魚川静岡構造線のように何やら大きなオーラを含んでおると、おーらは睨んでおるだ。

かようなる程に南限の境はあやふやながら北限についての確認は地上の動植物1億種についてチッチリ決まりがついている。

ただし人類についてはこの50年で北限南限はおろか宇宙も深海もなくなってしまったのだからこれは誠におかしい。
生きもの1億分の1種は、ありゃーとんでもない異端種だったのだ。
米政府の極秘匿文書 エリア51に所蔵されているアノ写真は元ソーリのハトヤマ某氏に似ていると思いませんか。

人類はかつて南方で生まれ、少しづつ時間をかけてカラダの進化と文明の進化を手に入れながら北を目ざして地上を前進して行ったのだろう。
持ってきた植物の種子を蒔いて育て、それを食べた子が種子を携えてさらに北進を続けた。
うーむ ロマンだなあ。

北進による気温の低下に適合して育った種が世代交代をくり返しながら北海道まで渡って行って、しまいには唐黍(とうきび)薩摩芋はおろかベトナムの米まで育てた。
その遠い祖先のパイオニアの記憶が今も我々の体内に残留しているので、南より北に憧憬を抱く。
北進できる種を改良することに情熱を燃やしているうち、人類はいつの間にか自分のカラダも北方型に変えていった。

植物は基本的には土に寄生する生き物だから根っこ部分の自発的移動は無い。
地下茎を伸ばしつつ前進する手もないではないが、そーゆーまどろっこしいことは日本人の質実剛健にそぐわない気がするので当欄では無視する。
次代の種子を風に飛ばして移動するか人間に連れられたり動物の毛に引っ付いて行く、というのが当欄らしくて好きだ。
好き嫌いで進化論を展開したって、ひとつの論だからいいのだ。 どーせ専門家は読んでいまい。

南方由来の植物は一気に北の遠くまで行ってしまうと、低温環境と日照不足に適合出来ずに死ぬ。
万一生き残っても単個体だけでは繁殖できず、やがて滅亡する。
単個体で繁殖した原始植物は三代目でDNAが先祖帰りして低温に耐えられなくなり、やはり滅亡する。
その境界緯度を植物限界の北限という。

人間や動物は行った先が過酷な環境だと判断するといったん逃げ帰って捲土重来を期すことが出来るのだが、このとき置き捨てられた植物の種子は凍死するか運よくそれを免れた者は土に潜って百年先の気温上昇、つまり春を待つのである。
古来種の大和タンポポは緯度線一本超えるのに実に千年の歳月を要した。
ところが外来種の西洋タンポポは千年分の距離を僅か50年で越えて来て、いまや津軽海峡に迫っている。
フェリー船に向かう自動車のタイヤを洗浄液で洗う措置を求められるゆえんである。

動物の場合は、自力移動の手段であった手足を道具を持つまでに進化させたときからその多様性は速度を得た。
伊勢志摩など南海が本場であるべき海女さんが、北の岩手の海岸で流木を燃やして暖を取りながらも冷たい海で素潜りウニ漁を可能にしたのは、ウエットスーツや水中眼鏡やシュノーケルの開発だという説もあるが、単にそれだけではねえだ。

彼女たちのモチベーションがカラダを北の海用に進化させたのだ。
「あまちゃん」に出てくる陽気なおなご衆もそうだが、その一世代前のオールド海女衆あたりからモチベーションが変化した。
遠洋漁業の大型船が出港して、半年は帰って来ないとーちゃんを見送ったかーちゃん連は暇とエネルギーを持て余し、町のスナックに集まってはカラオケで橋幸夫の「いつでも夢を」なんかを歌っていたのだが、
そのうち加山雄三の「海の歌」が流行って変化が起きた。

加山らしく自主独立の気運が高まって、網元に搾取されていた海女漁の収穫の対価に疑問を投げかけたのだ。
それまでの丁稚奉公的お抱え海女制度を打破して、それぞれが起業家として独立の ひとり親方制 を取り入れた。

「おーし おらだぢはおらだぢで海さ入ってウニを獲って現金収入にすっぺー、ほんでもって焼酎のグレードをいちランク上げべえー」
「とーちゃんが帰って来たらN360を買ってやっぺー、ほんでもって おらは半年間の休業だあ」
「おらはとーちゃんの立派な仏壇を買ったどー」
「そらー えがったなあ、おらだぢで やもめスナックも開くべー」
「DMM ドット コム対応のカラオケ機を置くべー、リースだねーどおー 買い取りだあ」

とーちゃんを戦争で失くしたかーちゃんと、遠洋で遭難したしたまま帰って来ないとーちゃんを待っているかーちゃん連が、社団法人の海女組合を立ち上げて給与体系を明朗化するまでさして時間は掛からなかった。

ダメ押しはサザンオールスターズの登場だった。
「チャッコイ海岸物語」 は大声で歌うと絶大なドーピング効果が発揮されます。

これをお陽気に歌いながら潜ると体温が上昇して肺活量も増し、潜水時間・深度が20%延びたのでチャッコイ海でも収穫の量と質が40%も向上した。
ひいては勤務時間の大幅短縮となって町のスナックは午後2時から開店。
久慈市のスナック店舗数が市の面積当たり全国平均を大きく上回って日本一の理由です。

そのかーちゃん連の産み育てた次の世代が、今放映されている「あまちゃん」に賑やかに登場している北の海女衆なのです。
彼女らは稼ぎがよいからとーちゃんを遠洋漁船に乗せずとも養っていけるのです。うらやましい。

だがとーちゃんとて海女の母親から生まれた海の男。
「一日中パチンコなんかしていられっかー」
と遠洋船に乗りたがるんだそうです。
「港港に女あり」 は海の男の聖域というか、冒しがたい永遠のロマンですものねえ。うらやましい。

母から受け継いだモチベーションというドーピング効果は非合法でないことが確認されていますが、海女の皆さんが渡辺えりさんや美保 純さんのようにふっくら体形なのは後遺症なんですかねえ。
ともかく、体温を上げてふっくら体形にして酸素をたっぷり担保してチャッコイ海でも平気で潜る。ラッコのように久慈の海女さんのカラダが変わったのです。
カラオケ効果なのは瞭然ですが、これ進化とちゃいまっか。

海女の北限が少しづつ北上してきた進化の原点は、
遠洋船に乗って海に出て行きたがる男と、帰りたくない男を待ちながらスナックで「チャッコイ海岸物語」をお陽気に歌うドーピング女たちにあったのです。

今年、サザンオールスターズが長い休眠から覚めて活動を復活させました。
復帰ファーストツアーは久慈海岸の烏帽子岩にきまりですな。

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「あまちゃん」テレビ効果により初代ドーパーから第三世の高校生海女が急増して後継者もできた。震災後の久慈の海女漁は完全復活しました。
これには宮藤官九郎氏も予想外のあまちゃん効果に驚いたことだろう。
ワシも思わぬことで「海女の北限進化論」が展開できてよかった、一歩ノーベル賞に近づいた。

ワシの知り合いホルダーから削除された迷惑爺さんが、北限海女に会いに行ってウニ丼を食って感激していることも、進化論を踏まえて考えるとあながち「ミーハーの単純爺め」とは非難出来まい。
北限にはそれほど深い男と女の文化的意味があったのですからなあ…。
したがってワシが「北限ふぐ」を当欄に書いても批判はない。ないはず、 こーゆー論調になりますな。

北限のうんぬんは 海女だけやないでー、さらに北の下北半島には 「北限の猿」 や北限の日本古来野生種 「寒立馬」が立派に暮らしておった。
しかも彼らは9割5分人間の手を煩わせずに自立しておる。立派やないけー。

北海道輓馬レースの巨体の道産子馬は寒立馬とは違います。
道産子馬は、いわば耐寒性の駱駝(らくだ)です。アラブから連れてきて耐寒に改良した馬ですから進化とは言いません。
人から餌をもらって、お返しにカラダを変えただけでは昆虫における変態の領域を出ませんから進化や北限の論壇には上がれないのです。

その証拠に、
「後から勝手にやって来た人間どもが地代の代わりのつもりか置いて行く餌箱を無下に無視しては友好的でないから、たまに食べてやっているんだあ。
だが思い上がるなよ人間ども、おらだぢのメイン食は山の木の実と崖にへばり付いた棘のある草だ。冬に飢えたってこっちからアタマを下げて出て行くことなど、けっしてねえだ」
猿も馬もそーゆー顔をしておった。

奇才 宮藤官九郎氏の奇策に軽々に乗って、大吉駅長の北三鉄道リアス線に喜々としてガタゴト乗って行くのはもちろんよい。
だがそこまで行ったのなら、もすこし足を延ばして欲しかった。

陸奥湾の向こう側まで行って脇野沢漁港の北端、九艘溜(くそうだまり)の岩山をよじ登って北限猿の 「干し芋」 を横取りして食い、
カモシカの糞を乾かした炭で燻製した北限カジカを囲炉裏でコンガリ焼いた骨酒を飲んで、北風の吹き抜けるボロ民宿で眠って元気になったら、
さらに恐山山地の緑の地獄を縦断して北の岬の尻屋崎に立って、太平洋の風に吹かれながら寒立馬の餌箱から失敬した 「干し大根」 をバリバリと音立てて食ってこそ、
本州北限三大奇グルメツアーが完結するからでっす。

しかしそれは自転車で行かなければ実現できない道のりなんじゃ。
バスやタクシーなんか走っていないし徒歩では踏破不可能だからだ。
ざまーみやがれ ワシはのう、北の三大奇グルメを下北で、翌年には男鹿の 「北限のふぐ」 も堪能した北限マイスターじゃぞ。

あとは北海道だけじゃが、オホーツクのひ熊は本州の月の輪熊と違うてロシア語が話せんと友好できん、クロ尾白鷲もそうや、あの地はかつてシベリアと地続きやったでのう。
そんな訳でワシは北海道には手を出さんのや。あそこは松山千春に任せておきたい。

ワシが北限のふぐを食った2012年は、まだ久慈の北限海女やウニ丼はメジャーになっておらんかった。
今年急に有名になり過ぎたからワシは行かん、ブームが過ぎたら行ってやるわい べらぼーめー。

さて写真の説明、
この年の夏は二度秋田へ行った。
一度目は山形の酒田をスタートして鳥海山を越えて秋田に入り、今は仙北市と名を変えた大曲の花火大会を見る計画だった。
ワシが早目に行って会場となる雄物川の土手に陣地を構え、あとからホラキちゃんがオートバイに食糧と酒を積んでやって来る手はずだった。
なにしろ人口2千人の町に50万人の見物客が押し寄せてくるから一週間前から陣地を確保しておかないと、当日では大曲市内にさえ入れない混雑なんだと。

「花火会場では自転車の盗難が予想されるからコルナゴで行ってはならん」
と進言してくれる者がいて、急いで「サイクルベースあさひ」へ行って店頭にあったのを買ってきたのが写真の自転車。

万一盗まれてもショックの少ないこのオチャラケた自転車に、盗難保険と傷害保険も付けてスナック一回分のお値段。
コルナゴはスパルタン過ぎて保険に入れないから喜んだものの、このファニーな自転車で峻峰 鳥海山を越えて行こうというのだから秋田をナメたスペックである。

鳥海ブルーラインに入って激坂の連続となって、ローギヤまでシフトしたらチェーンが外れた。
止まって手で復旧して走り出すと、次の激坂でまた外れた。
ローギヤのままにしておけば登って行けるが、山というものは登れば下り、また登るのくり返しだ。
他のギヤだって使わなければならないから下りではトップまで変速される。激坂以外はローにシフトしないようにして登って行くが苦しくなればついついローにしてしまい、また外れる。

これを3回も繰り返せばグローブは油でドロドロだ、ライダーのモチベーションもドロドロだ。
そのうち太陽が照りつけて汗で前が見えなくなる。
自転車は走っていれば風に当たって真夏でも平気だが、坂の途中で止まってチェーンを直したりしていると転がり下るからイライラが積もり、体温も籠ってサングラスが曇る。
手持ちの簡易工具では如何ともし難く、道端の石を拾ってシフターを叩く始末。

ドロドロのイライラでは体力をいたずらに消耗するばかりとなって、ヘロヘロと道端にヘたれ込んだ。
そこへ沢のほうから大群の虻(あぶ)がやって来て、払っても払っても付きまとって刺す。

虻は自転車の速度より速く飛ぶことも出来るが、追かけて飛びながら刺すことはない。
奴らは動きの遅い動物の体毛やライダーのウエアに足を絡めて体勢を整えておいて、口角の牙を思い切り突き刺す。
だから止まったら駄目なのだ、満腹になるまでウエアの上から何度も牙を突き通して血を吸われ、最後は痒くて狂い死ぬ。
奴らはその瞬間を待っているのだ。

虻の牙と唾液には血液の凝固を遅らせる作用があり、それはとても痛くてしかも痒い。
チェーンを直している数分間に何か所も同時に襲撃されるから、手足をばたばたさせて逃げ廻るのに忙しくて修理にならない。
しかもこの日この山に獲物はワシひとり、血の匂いが山内じゅうの虻を呼んでしまった。

「最早これまで」というのはこういうことだ。
鳥海山頂をはるか遠くに見ながらワシは自転車の向きを変えた。

山を下りることにしたその地点ではまだ山形の山中だった、写真の道標にある国民宿舎大平山荘を越えなければ秋田ではない。
完璧に打ちのめされていたが、ホラキちゃんが別ルートから出発してしまってからでは遅いから腫れてこわばった震える指で携帯のメールを恐る恐る送った。

ホラキちゃんの怒ること怒ること、書くに堪えない悪態の限りだったから書かないが、彼の人間性というものが見えたね。
「そりゃー大変だったねえ、勇気の撤退ということで了解です。休みながら安全に帰ってよ。なあーに 花火は来年もあるさ」
この程度のことは言えー!

虻に刺された痕は腫れ上がって痛た痒く、家に帰っても二三日寝込んだ程だった。
ありゃー蜂より怖いね。
森の吸血鬼といわれる陸蛭(おかひる)も恐ろしいが、大群で襲来する虻はもっとタチが悪い。

寝込んでいるあいだ悪夢にうなされた、虻の顔がホラキちゃんの怒り顔だった。
それでも四日目に気丈に立ち上るとオチャラケ自転車のチェーンラインに手を加えて旅支度を整え直し、傷の癒えた三週間後には秋田リベンジに再出発したのだから大したガッツだ。

ホラキちゃんには黙って出発した。
前回の山形道より北側の秋田道を行く、すでに秋風が立ち始め見渡す秋田平野にはススキの穂が揺れていた。

大曲花火大会は先月終了している。二度目の秋田遠征はトランポでこの辺りの内陸部をスルーし、男鹿半島の付け根の潟上市にベースキャンプを置いた。
海の方なら虻は出ないだろう、それに自転車のチェーンラインはアップグレードのシマノの機材で完璧に組み直してきた。
何としてもこのヤワなオチャラケ自転車で秋田を攻略し、リベンジを果たさなければ男のメンツが立たん。
ドイツ語で男の名詞をMenschというが、日本語の面子が語源だ。

男鹿半島の付け根には有名な八郎潟干拓地が広がっている。
六七年前に、干拓地内の平坦なソーラーカー試験場を会場にして行われた真夏の自転車耐久レースに出たことがあって若干の土地勘があった。
その時に西の遠くに見た男鹿の麗山、寒風山を登ってリベンジにしようとやって来たのだ。

潟上市の道の駅「てんのう」には温泉施設が併設されていて、長期滞在なのかキャンパー仕様のバンや洒落たトレーラーを引いたクルマが広い駐車場の木立を陰にして数台停まっていた。
こういうシチュエーションは治安の良さを表している、ワシも躊躇なくここをベースキャンプに決めたのだ。

翌朝早く目覚めて自転車を降ろし車内で着替えて準備をしていると、一台のパトカーがスーッと寄ってきてスーッと行ってしまった。
思った通り治安はよい、トランポを留め置いても大丈夫だ。

5時にスタートして男鹿半島本体に掛かるまでの国道は早朝なので通行量少なく快適だった。
国家石油備蓄基地といういかめしい施設の有人ゲート前を過ぎると、いよいよ半島めぐりのスタートだ。
道は狭いがクルマは少なく信号もない。そんなもの要らないのだ、ワシしか走っていないのだから。

ほどほどのアップダウンをくり返しながら半島を右回りに海沿いの道を進んで、10時ごろGAOの愛称で有名な男鹿水族館に着いた。
ここで生まれたホッキョクグマの赤ん坊「ミルク」人気で観光バスが何台も来ていたが、トイレだけ借用してすぐにリスタート。
こんな大型バスは何処を通ってきたものか、朝から抜かれたクルマなどないのだが。

島や半島は右回り、内陸と湖は左回りにコース設定するのが自転車のセオリーなのだ。
その理由や意義を解説しても読者には煩わしいだけだから止めておく、昼前に最遠地の入道崎に着いた。

やっと観光地らしい雰囲気になって食堂や土産店が一列にならんでいる。
朝から見かけなかった自転車ライダーが数人いて、手を上げてスタートして行くのを見送ってワシも昼飯にする。
女連れなら店を選ぶところだが一番手前に建っていた魚料理の店に入った。自転車を停めやすかったことが理由なだけだ。

海鮮丼を頼んでからウニ丼のウニだけ別に頼んだら快くOKだった。
ここが終点ならビールも頼みたい対応だったがまだ半分の道のりだから食事に専念する。
時系列を整理しておくと、この年は「あまちゃんのウニ丼」はまだブレークの一年前だった。カロリー重視のサイクリストは感慨もなくガツガツと食って立ち上り、
入道崎灯台の下のトイレに寄ってリスタート。

ここまでのサイクリングシーンを面白くも何ともない書き方をしているのは、自転車に興味のない読者に道の斜度がどうのペダル回転数がどうのと書いてみても詮無きことと最近気が付いたからだ。
思い切って書こう、
いやー 素晴らしい景観に心躍る男鹿のサイクルロードであります。
魚は美味いしおばちゃんは親切だ、ぜひ皆さんも来なんしー。

半島をほぼ周り終えて間口浜というところから寒風山に向かって右折した、ここからは登り。
寒風山はこじんまりとした低木の山で、風が強いためか上に行くほど熊笹の繁っただけの見通しのよい山、登り口から山頂が見えている。
これから行くべき登山道が全部見えているというのは、じつは恐怖だ。

山だから、登っても登っても登りが続くのは当たり前なのだが道は森の陰になって見えないほうがよろしい。
前回の鳥海山ではチェーンが外れ虻にやられて断念するまでは、あの先を曲がれば下りもあるだろう、あそこを越えれば楽になって頂上に近づく。
そーゆー期待感がモチベの原点になって頑張れた。

ところがどーだい、この寒風山はよー、どこにも足を休めさせる緩い傾斜がなくて、ずーっと続く登りの道がくねくねしながら見えている。
しかも山頂の観望台の大きな望遠鏡がこっちを向いているのまで見える。
いや、正確にはそこまで見えないが、道端に立っている寒風山観光レストハウスの大きな宣伝看板に観望台と望遠鏡の絵が描いてある。

「あのへたれが登って来れるか見てみようぜ、小銭を用意しておけ」
「おら、登れないほうに千円賭けるでや」
なーんて、残酷なことを言いながら望遠鏡にコインを追加しているに違いない。それも名物の「さくらソフト」をペロペロ舐めながらだ。 ばかやろー。

それにしても、降りてくる自転車がいないとはどーゆーことだ。
入道崎ですれ違った連中は向こう側からこの山を越えて来たのではないのか。
追い越して行く自転車もいないとは、この山は自転車では不可能なのか。

ならば登ってみんべえ。
もしも向こう側へ越えられないとなれば、潟上に置いてきたトランポに戻るには相当な距離を回り道しなければならないが、やってみなければ分らない。
この日本にオラの登れない坂なんかあってたまるか べらぼうめー、 あるのは世界にひとつ チベットのチョモランマだけだー。

登りの描写は省略する、ぜいぜい はあーはあー を書いたって、どーせ読者には理解できないのだ。
山頂の駐車場を兼ねた観光レストハウスのベンチに座って膝に両肘を突いて上体を支え、うつむいたまま鼻のアタマからぽたぽた滴る汗が落ちて行く地面を見つめていた。
不覚にも涙が出て、目から直接落ちて行く。
コンクリートにいったん溜まって、すぐに吸い込まれて乾いていった。

不意に横方向から「さくらソフト」が差し出され、
「やったな、すげーよアンタ。 おら見てた」
顔を上げるとレストハウスの親爺が咥えタバコで立っていた。

数台しか止まっていない駐車場には、大型オートバイはあったが自転車の姿はなかった。
観望台の方から降りてきた若者が三人通り過ぎながら、
「あんなファニーな自転車でも登れんのかあー おれらもよ ママチャリで登れっかな」

親爺、タバコを足で揉み消しながら、小さく呟いた。
「ばかやろー オメらに登れっかー。 こんひとは気合が違うんでえー」

ワシは背中が波打って、声を出したら泣きそうだ。「さくらソフト」を目の高さまで掲げて礼をして、黙ってそれを食った。
冷たさがトロリととろけて美味しかった。
エネルギーがじわーっと効いてくるのがわかる日本のさくらの味だった。

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潟上市の道の駅「てんのう」で温泉に入ってさっぱりした。敷地内の地魚料理の店で鯛の刺身でビールを飲んで、もう一杯頼もうとしたら、
「ここは公設なので、18時でお終いだから街のほうに行ったらどうか」
国道の反対側になる商店街を指差された、あまり歩くのは嫌だからと言うと地図を書いてくれたうえに独りの客でもいいかどうか電話で聞いてくれた。

魚の仕入れを共同しているよく知った店なのだそうだ。
期待の持てそうなよい雰囲気になってきて、疲れてはいたが歩いて行ってみた。
その店が 「北限のふぐ」 にめぐり会った店である。

今回は忘れず店の案内をもらってきた。若い姉妹とその父親が板前でやっている 「笑ごころ」 というこじゃれた店だ。
ふぐコース3500円から 水曜定休、行かれる方は道の駅にクルマを置いて売店で聞くと親切に教えてもらえます。

お品書きに江川漁港とあるのは何処だかわからないが、直ぐ前の海なのだろう。
「北限のふぐ料理」と堂々と書いてある。そう書いてあるのだから北限に間違いなかろう。

(その1)に写真を掲載してしまった「ふぐ刺し」 と 「岩カキ」 、やっと解説ができてよかった。
今回は親切にしてもらった道の駅の地魚屋の 「鯛のお造り」 の写真も乗せましょう、立派な鯛っぷりでございます。600円くらいだった。

ふぐは下関あるいは大阪と思うのは大間違いで、日本では何処でも獲れるのだそうだ。だがさすがに北海道にはない。
そこで北限のふぐと命名した。
当地方では昔から食されていてそう珍しいものではなく、むしろ庶民の食い物だったとか。
ただ、調理法に関西ほどのヴァリエーションはない、刺身か煮つけだと言う。

「関東から来た客がびっくりしながら注文して、有り難がって食べるのでメニューにした」
店主がさらりと言っていたのが印象的だった。
もちろんワシは有り難がって頂いたのだが、大そう美味しゅうございました。
ただし、下関で食したことがないので比較や評価はノーアンサー。

そういえば40年以上前の信州放浪時代に団塊屋のなーさんなどと同道した諏訪湖畔の居酒屋で、安価なので気軽にしょっちゅう食っていた 「蹴飛ばし=馬刺し」 が今では超高級品の位置付けなのも同じような括りなのかなあ。
冷凍などしない時代だったから、山の牧場で処理されて届いた木曜日の夜の馬肉はさくら色だったものが、週末まで残っていると二日目のカツオみたいな色になってさらに安くなった。
ワシらはこれを食って命を繋いでおったのだ。

たまに手に入るキャベツはSSさんが富士見高原のヒッピー村でもらってきたもの、塩をつけて芯まで食べた。
諏訪湖の花火大会の晩は、ワシの安アパートの窓が最高の桟敷席だった。椅子などないから湖畔のベンチをNaさんが調達してくるのだ。
そのベンチでアサヒスタイニーという変なビンのビールを飲んだ。
SSさんの摘みはコンタック600と強力わかもと、手の平一杯分をばりばりと食う。ありゃードーピングのはしりだなあ。

真冬に湖面が全面氷結して軋む音は、ワシのようなよそ者には恐怖だったが、春になって融けてしまうのも寂しかった。
でも春になれば桜が咲いて、なーさんのN360で高遠城まで花見に行った。
今では飽食のメタボ爺さんに成り下がったなーさんも、当時は細くてステキな男子だった(かな?)。
あの狭いN360の運転席に苦もなく滑り込めたのだから細かったのだろう。

諏訪湖畔から 「さくらフィルム」 と書かれたベンチを失敬してアパートに運ぶ途中、なにを思ったか重いベンチを沖遠くまで投げ飛ばし、アベックの乗ったボートをひっくり返して指名手配された怪力自慢のNaさんのエネルギーは「さくら肉」 によるものだったのは明白… かも知れない。
寒風山の 「さくらソフト」 の写真は失念しました。

お盆休みも終わりましたな、
明日からはまた非日常の暮らしに戻りましょうか。

 
  北限のふぐ おわり
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