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「和尚は4時間でどれ程飲んでいるかね?」
「平地の4時間か、100km到達時点で1本の4分の1程度が残っている。 というのが好調のときのペースかな。
一方で休めない上りが延々続く山では2本必要になる。 4時間通して登りっ放しなんていう業の山は日本では白馬か下北の恐山しか知らんが ・・・ 」
「げっ! ほしたらオメさんあれけ、昔オラが故郷でガキだったころ富山毎朝新聞の白馬版に載った 『夏の大雪渓に自転車で挑む阿闍梨ライダー』 って和尚のことだったのけ。
アジャー たまげたなあ」
「 ・・・ 」
「あの特集は白馬五龍の民宿をスタートする前夜の壮行会から始まって登頂・帰還までの魂の記録を続き物形式で掲載するちゅーんで、中学生も読むようにと富山五龍村の教育長から校長にお達しが回った。
今ならそーゆー 「特定の記事を読め」 なーんて発言は問題になってしまうが、昔の教育長はエラかったでなや。 オラの伯父さんだあ。
毎朝新聞で人気の美人記者が同行して署名記事にするちゅー触れ込みでよ、オラは毎朝早起きして特集囲み記事のところを隅々まで探しただよ。
「 ・・・ 」
「二回目以降の消息が途絶えてそのまま終わってしまったようにオラは記憶しているだが、どーなんだね?
何が? じゃねーよ。 帰還して祝賀会のあと清算する約束の民宿の宿泊料と出発前の盛大な飲み食い代は誰が払ったと思うがや、オラの伯父さんだあ。
それより同行した美人記者はどーなったのかいね。 まさか 「月に帰った」 などとお得意のでほらくを言うつもりではあるまいね」
「 ・・・ おぬし、フィフスドラゴンの生まれと聞いていたからマヌアス五龍滝の半魚人と思っていたが、富山五龍だったのか。
さすれば翡翠峡の大岩に産み付けられた鰍(かじか)の卵が翡翠石の溶けた Ag3C2H2SO4‐pH5 の水で磨かれて立派な半魚人の鬼村どのになられたのじゃな。
五龍半魚人の肺活量をもってすれば乗鞍ヒルクライムであろうと富士スバルラインであろうとヒョイヒョイと登ってしまうんだろうねえ。 羨望でござるよ。
母者は大アマゾンの主流、エルドラ川のプリンセスと尊敬を集めた黄金の電気カジカ王女でござろう?
どーやって日本海の富山湾から翡翠川の河口を見つけて遡ったの? ブラジルから見たら日本海の富山は裏側じゃろ。 ご厳父 山椒大夫さまが放ったGPSけ?」
「オメさん、意図的に話題を変えようとしてオラの出自にまつわるでほらく話しでおべんちゃら言っていない?
そんなに白馬の話しはしたくないのね。 んじゃー恐山は?」
「昔な。 宇曽利山湖の三途川に架かる太鼓橋は硫黄臭と靈氣がきつくてな、クロモリのフレームもアルミのリムもあっという間に紫色に変色してきたから急いで降りた。
でも下りはカラダが冷えて楽しくなかったな。
ブレーキのゴムが燃え尽きそうなので上体を起して空気ブレーキを使った。
ワシの股間の前面投影面積は狸に次いで大きいほうだからよく効いたぞ。 そのかわり冷えた下腹がゴロゴロ鳴っていた。 かみなり雲と同じ高度だったから目の高さに雹(ひょう)が漂っていた」
「 ・・・ 」
「路端のスリップ止め砂袋を見つけたのでポリ袋に穴をあけ、それを頭からかぶってウインドブレーカーにしたんだ」
「オメさん、下りの話しは聞いてねーよ。 本編は登りの話しだっぺーな。 しゃーねーなあ。 なん月のことかいね?」
「8月の初旬さ、下北は夏しか攻められまいよ。 ポリ袋で寒さは防げたが風でゴーゴー不快な音を立ててな、とてもダウンヒルの気分ではなかった。
そこでまた止まって裸になって、ジャージの内側に直接ポリ袋を着たんだ」
「いいアイデアだねえ。 捨てた砂中の高濃度砂金には申し訳ねえがよ」
「うむ、砂金にはすまなかった。 じゃがワシが死んだらこの話しは永遠に語られないことになる。
砂金はな、雨に流れて川から海に出て、比重のうねりによって千年後にはまた浜に還れるのじゃ。
ワシが月に帰ったらどうなる、おぬしの半魚性は単なる怪奇話しで喧伝され日本には居場所がなくなるであろう。 母の故郷のアマゾンに帰ろうにもおぬしはポルトガル語が出来んからサドル難民となってカリブ海をあてもなく漂うことになる。
よいか、ワシの庇護を失くしたらおぬしの悲願、徳川埋蔵金探しの旅は終わってしまうのだぞ。
そうだろう、ワシは死んではならんのじゃ。 砂金のポリ袋はおぬしの命を守ったことになる。 違うか」
「ひえーっ 大阿闍梨さまあ その通りでございますう〜」
「ところがな、そのポリ袋に山ヒルが取りついておってなあ」
「ひえーっ ヒルーっ!」
「おどろくな半魚人、ヒルは釣りの餌じゃろ。 おぬし半魚人のくせにヒルが怖いのか。
アマゾンにはピューマを丸呑みにしたアナコンダを倒すほどのヒルもおるというが、森の女族アマゾネスはそれらをも捕えて喰らうというぞ。
そのアマゾネスが唯一恐れる半魚族のDNAがおぬしにも連鎖しているのだ。 しっかりいたせ」
「 ・・・ 」
「へっぽこ半魚人よ安心しろ、日本のヒルはワシに吸い付く前に風圧で飛んで行ったさ、ダウンヒルーってな」
「オメさん、あんたホントに説法問答において生涯不破といわれる伝説の禅師さまかいな? 前回号の凛々しさは ありゃー演技かね」
「おほん、おぬしが何本飲むかと聞くから答えたまでよ。 恐山から駆け降って陸奥大湊の旧斗南藩鎮守杜でヘルメットを脱いだら真夏日だった。 ボトルの水の最後の一滴を飲んだ」
「500ミリが2本、いいペースだと思うよ。 ベースは何ですかい?」
「グリコのCCDだ、きっちり計量カップで濃度を守って作っている。 体質にもよろうが、汗が目に沁みるときの痛さはポカリ スエットより弱いみたいだ。
その点、半魚人のお前さまは眼に半透膜があるからええなあ。
目に落ちる汗を長ぁーいベロでペロリと舐めて、そのなかから貴重な水分だけを再吸収している。 ボトルは要るまい」
「 ・・・ ご坊 ひとを少雨沙漠のカメレオンみたいに言うな!」
「違うのけ?」
「カメレオンはヤモリの仲間だっぺー。 オラは由緒あるアースマンの系譜だ、コパ アマゾンの血統ぞ。 超人ハルクとスパイダーマンは従兄弟だ。
オラだぢは地球由来なんだ。 オメさまのように外惑星から来た外様のアストロ系じゃあーねえ」
「ふおっ ふおーっ。 ついに正体を認めたな半魚人。 米MARVEL社のコミック本キャラクターめ。
日本で正統の半魚人はカッパだけじゃ。 平安時代にはすでに史実に登場しておる。 おぬしらMARVEL社コミックやハリウッドの千年も前からのう。
ワシはそんなおぬしたちでもこの日本で認知され、定住できるようこころを砕いてきたのだ」
「ひえ〜 お上人さまぁ〜」
「話しを戻そうじゃないか。
当時すでにイオンサプライとかハイポトニック飲料とか胃壁での吸収速度の早い飲料水が簡単に買える時代ではあった。 しかしワシは山中で水中毒を起したことがある。
このときは秋田の寒風山だった。
背の低い灌木と熊笹で覆われた山なので麓から全容が見える。 海岸のコイン式展望鏡から山の頂上にレストハウスが建っているのが見えた。
「名物 さくらソフト」 と染め抜いた桜色の幟が風にはためいているのまで見えた。
それを見て低い山だと小馬鹿にしたことは、拙僧終生の不覚だった。 頂上まで行って 「さくらソフト」 を食べればいいや、とエネルギー補食をせずに海岸のトイレで水道水だけボトルに詰めて出発したが、行っても行っても頂上が近づいてこない。
カンカン照りの熊笹の丘がどこまでも続いている。 あれは魔の山だ。
恐山なら名の示す通りの異界だからそれなりの準備をしようが、なだらかなおっぱい型の寒風山はナメた者を憑り殺す垂れパイ山姥の山だ。
くり返すが山容は若い婦人のおっぱい型だ、そこが危急の盲点なのだ。 おぬしもおっぱいにはいっぱい失敗したことであろう、こころされよ」
「 ・・・ 」
「汗がすごくてボトルの水を飲み続けて走っているうち、いつの間にか目の中がホワイトアウトしていったんだよ。
ペダリングのたび胃袋が水でチャッポンチャッポンしてなあ。 立ち漕ぎが出来ない。 脳まで水ぶくれしているみたいだった。 それでも水が飲みたい」
水中毒というのは医学用語かどうか定かではないが、創刊当初からの 「Tarzan」 誌が注意喚起している。
スポーツトレーニングにおける水分補給は大切な要素であるが、少しづつ何度にも分けて飲めと言っている。
水を飲んだ当初の胃と腸からの吸収率はじつは遅い。
浸透圧による吸収遅れなのだがこの間にも体液の濃縮状況は続いているのでカラダは水を欲しており、脳は水を飲んだ満足感をまだ得ていない。
そこであせってガブガブ飲むことになるが、胃腸からの吸収が始まって体液の水分量が満たされ始めた後に胃のなかには余分な水量が取り残されてチャプチャプしている。
これではパフォーマンス出来ない。
胃液は薄められてバランスを崩し、胆汁やら胃酸やらが吐き出された胃は過活動から機能を一時停止してしまう。 つまり胃もたれじゃな。
水もたれの胃は膨満感から気分が悪く、その後の糖質分解まで拒否して脳のエネルギー不足に陥り、気分どころか命の危機に瀕する状況を 「水中毒」 と Tarzan は言っている。
かつて少年野球やサッカーの監督が 「試合中は水を飲むな」 と子供たちからヤカンを取り上げて鬼の監督といわれたものだが、一応の一理はあるのである。
そこで、かつて少年選手だった最近の監督はこうである。
打ち込まれて肩を落として引き上げてきたエースにヤカンの水を渡し、
「ひと口づつゆっくり3回飲め、そしたら新しい水が吸い込まれて新鮮な汗が額から出てくるまで日陰に入っていろ」 という。
「新しい汗は匂いがなくてサラサラ流れるからすぐわかる、目に入ったときに沁みない。 キャッチャーミットがよく見える。 そうしたらグラウンドへ戻って思いっきり暴れて来い」 と送りだす。
応援席のママさん連から割れんばかりの拍手が起こる。
「オメさんの不破伝説はもしかしたら本当かもしんねーなあ。
一度交代した選手は同一試合で再びグラウンドに出てはならないルールを審判に気取らせないテクはママさん席の拍手かあー。 バレなければペテンは正義だ。 実力だ」
「やっと褒めたか」
「ほんで寒風山の水中毒はどーしたかいね」
「そうこうするうちブラインドコーナーで熊と出くわした」
「びえーっ!」
「でも危機感など感じなくなっていて、このまま倒れたほうが気持ちいーのかなあーと思えてな、フワーっと熊公の鼻先をコースアウトして行った。 気がついたら熊笹の中に寝ていたんだ。
チリン チリンいう登山者の熊除けの鈴が起してくれなかったら、そのままになっていたかも知れない。
熊か? 熊はワシが死んでいると思って通り過ぎて行ったみたいだなあ」
これ、居酒屋のカウンターでよく聞かれる酒飲み同士によるハイキング中に飲んだ缶ビールの話しではない。
ピュアな自転車乗りが命の水をどう飲むかの話しである。
命の水とは大げさな、アスリートなら誰だって腰に水ボトルを持って走っているやないかい。 自転車乗りだけが特別なステータスの処にいる訳ではあるまい。
と叱られそうである。
確かに公園のロードで可愛いボトルケースを腰に巻いて走っている綺麗なおねえさんの、キュッとした腰にカラフルなボトルはええですなあ。 近所の公園にはおらんけど。
あれは飲料メーカーもしくはスポーツアパレルメーカーによる宣伝用映像のイメージが残像となっているからで、走っているご本人たちに責任はない。
ところで自転車では腰や腹にボトルケースを巻きつけることは出来ない。 高速回転体である腰に絞った濡れ雑巾のように重く押さえつけるものがあってはならないからである。
そこで自転車乗りは腰をフリーにするためフレームにボトルを収めるケージ装置を発案した。 自転車創世記からボトルケージのネジ穴はあったのだから初号機自転車はすでにレーサーだったのだ。
フレーム前三角内に2個のボトルを持つことができる。 最低でも4時間まで命を保障する量である。
それ以上の時間と距離を行く場合には補給処かサポーターによる手渡しがルールとして確立し、実際には45分以内にエイドステーションを設定している。
45分といえばサッカーの1エンドである。 その間止まらず走り続けるライダーがサッカー選手より高人気 高収入なのは当然なのだ。
おしぐれさんたちプライベートライダーのソロ行ではサポーターの配置がないので、4時間を超えないうちに補給処を見つけなければならないセルフデスカバリー。
日本のシステムはよくできていて、自転車の通れる道なら4時間内に必ず自販機がある。
分岐道ではどうかすると100mおきに自販機が立っていて、左横腹に必ず貼ってある赤いステッカー 「がんばれ 宇都宮ブリッツェン」 や黄色いステッカーの 「行け行け 那須ブラーゼン」 を追って走って行けばけっしてミスコースすることがない。
しかも飲料の単価は頑固に100円のまま。
こーゆーシステムを完築させた栃木は、商店主もエライが市長も知事もエライ。 これだけ褒めておけば自転車乗りには個人住民税が免租となる日も近い。
よって栃木の自転車乗りはボトルを持たず、持っても1本あればどこまで行っても大丈夫。 不安があるとすれば遠くまで行き過ぎて、帰りの足が家まで回るかどうかだけなのだ。
残った2本目用ボトルケージにはスペアチューブやポンプ、それにエナジーフーズと携帯電話を入れたツール缶を収めることが可能となった。
隣県の茨城や群馬のライダーが2本ボトルで背中にリュックを背負った暑苦しいスタイルなのに対し、栃木ライダーが身軽な丸腰スタイルでとてもカッコ良いのはツール缶を使用しているからである。
近年中には栃木スタイルが全国を席巻することは間違いなく、今のうちに独自デザインのツール缶とケージ生産販売の業界への参入をお奨めする。
内容物による最適サイズと国際的寸法の取り決めなどは前回号同様に鬼村商会へご相談ください。
4幕 「自己融着テープ考」 につづく
写真
左 : グリコのCCDドリンク、500ccの水に1袋溶かす、170Kcal。
10袋入りを2箱買うと700ccのデカボトルがオマケに付いてくる。 口元までたっぷり入れないのが重量バランスのコツ。
紫外線の環境下で使うので20回使ったら交換する。
去年からのを使っている鬼村さんのボトルの底には苔が生えている。 あの人は半魚人だから毒苔など平気だが、一般人は熱湯消毒して使いましょう。
中 : 汎用品のSKS(独)のキャップ部に手を加えたツール缶と内容品。
底部に押し込めたチューブ2本の上に16cmのミニポンプを入れても余裕の有効全長23cmは業界にない長さ。 かさ上げにはOGK(日)のボトルに犠牲になってもらった。 合掌。
中味紹介 : ボンベは高圧CO2、粉末消火器の加圧ボンベである。 交換チューブの初期シワをミニポンプでとったらボンベ圧で一気に膨らます。 8barまで確認済。
青はタイヤレバー、こう見えて2本が1枚に合体しているシュワルベ(独)のすぐれもの。
おしぐれさんの握力はレバーを必要せずにタイヤをひっぺがすことが出来る。 コレはロード脇で困っいるひとがいたら黙って差し出すために持っているのだ。
薬用鎮痛消炎剤(つまりバンテリン)も使ったことはない。
その下、プラ箱内にチェーン結索ツールと6角ミニレンチセットを忍ばせるが一度も使ったことがない、普段のメンテが光っている。
携帯電話とチューブの間のてんとう虫みたいなのは、トランポのリモコン。 転倒なしのシャレなんですけど。
写真にはないが自転車保険証書・クレジットカード・コンビニのプリペイドカードも入る。 緊急連絡の迷子札は誕生月に書き替えています。
右 : 長いツール缶をシートチューブにセットするとペダリング時に膝の内側がフタと干渉する。 パフォーマンス重視のおしぐれさんはアダプタを作ってこの位置まで下げた。
缶を下げるとダウンチューブのドリンクボトルを上げねばならず、重心位置の変化を何度も確かめながら最終的にこのような配置となった。
位置によるその変化は、シートチューブ側よりダウンチューブ側で回頭性に顕著に影響することが解かった。 満タン500gでは切れ込みが強くなるので走り始めは要注意。
ならばボトルはシートチューブに付ければ? との声もあろうが、ペダリングしながら股下のボトルを取る恰好は美しくない。 ビジュアルも重視するならこーゆー落着きになろう。
写真は作業場内なので背景がごちゃごちゃしていてお恥ずかしい。 晴天なら屋外で撮影したのだが雨つづきで ・・・ 。
「和尚いるかい、サドル難民って知ってるかー?」
来るなり 「知ってるかー?」 はないだろう。 無礼者め。
問答をしに来たのなら 「そ申う参ん」 と山門にて音声し、寺男に案内を乞うのが手続きである。
その間に庵主が身なりを整え、返答を考える時間を稼ぐのが寺男の役目、できるだけゆっくり動作して門札破りの牢人を苛立たせるのである。
たいていは五作とかいう名前のとぼけたジジイなのだが、そーゆー高級テクニシャンは元インターポーラーの銭形親分がぴったりなのだ。
いまの処は嘱託の碕玉県警特殊サギ対策本部に勤務して、毎日でほらくこいているらしい。 契約切れにはまだ間があるからしばらくは来ない。
しかたがない、庵主みずから玄関先に出る。
「なんだい、いるなら返事しろよ。 もったいぶったってひと間しかねーんだから居るのは見えてるがよ」
およそこの世の森羅万象において、知らぬコト意外は何でも知っている博識の僧。 このおしぐれ禅師に問答を挑む了見の来訪とはこしゃくなヤツめ。 完膚なきまでに説破してくれるわ。
じゃがその前に、牢人の背中の包みが目に入った。 気になる形状である。
「おお これは峠の鬼の鬼村どの、よー参られた。 ささ 荷物を下ろしてずずっと奥に入られよ。
背中に斜め背負いの風呂敷包みは箱入りの上物と見た。
大吟醸など久しく飲んだことがない。 今宵は月も出よう、梅雨空にまほろな満月とは問答対決にあつらえ向きの晩である。
おしぐれご坊、来客をひと間しかない庵内にうやうやしく案内して、杉の切り株の椅子に座布団を当てるようすすめる。
庵の下を流れる潤沢(うるさわ)の水車で回す新明和の発電機から潤沢な電気が供給されている僧坊の冷蔵庫から、前回作 「ブレーキ考」 の残りの 「うつぼの酢漬け」 とよく冷えた欠け茶碗をふたつ持ってくる。
いちど座って思いだし、コンビニで余分にもらった割り箸も持って来て作業台に置く。
僧坊とはいえ自転車小屋だからお膳などはない、万能作業台は最高のおもてなしステージである。
「ところで、先ほどはなんと申されたかな? 「知ってるかー」 と申されたか。
ご貴殿、ご認識ではござろうが拙僧は俗界で不破禅師と呼ばれる問答不敗の男ぞ。 その箱入り、ワシひとりで飲ませてもらうよってに覚悟をいたせ。 がっはっはー。
「あちゃー 和尚 すまねーなあ。 これは酒の箱じゃあ ねーんだ」
鬼が無骨の指で風呂敷をほどくと長方形の黒い紙箱が出てきた。
720mlの瓶が二本入るサイズの箱だが fi’zi:k と書いてある。 摩訶不思議なスペリングは何語だ?
確かに酒が入っている雰囲気ではない。 日本のモノではない禍々しい雰囲気の箱である。
軽々と背負ってきたのは中に何も入っていないのだろうか。
「おぬし、アルジェ海の難民救済を騙る詐欺の募金箱を作ったのか! なさけないヤツめ。
なんと読むのか解からん摩訶不思議な文字でアフリカ難民支援の雰囲気を醸そうといたす気だな」
「 ・・・ ?」
「よいか 鬼というのはな、劣邪を挫く神気のことだ。 声なき庶民を守り、正義を行う気合いの発露を鬼というのだ。
おぬし 峠の鬼などと言われて慢心し、ペテンの本性を現わしたか。 喝ぁーっ!」
「違うよ〜 和尚、サドルだよー。 おっかねーなあ〜」
「じゃからアルジェリアの難民船サドル号のことじゃろ。
いま地中海を漕ぎ渡ってスペインからフランス沿岸まで近づいている。 じゃが元の宗主国フランスはイタリアへ行けと言って上陸を認めん。
粗末な木造船に大勢の女子供や年寄りも乗って今にも沈没しそうだ。 水、食料が尽きて病人もいる。
果たしてイタリアまで行きつけるかどうか。 フランスはなぜ手を差し伸べんのじゃ」
「 ・・・ 」
「ワシがヴァチカンを主席で卒業して日本に帰るためノルマンディー海岸あたりを放浪しておった1940年代のフランスは、ナチスに蹂躙されておって大変な時代だったが民衆は神の正義を信じていた。
70年前、英米蘭連合軍の舟艇が初めてフランスに上陸したあのノルマンディだ。
その前年、海岸沿いのロマンチック街道を自転車で通りかかったワシを追いかけて来て、ワインとパンを手渡してくれた婦人は、
『あんたの胸にかけてあるのは何か?』 と聞いた。
ワシは生母が持たせてくれた月のお数珠を見せて 『日本のママンだ』 と言った。
婦人は 『あんたはきっと日本に帰ってママンに会えるよ』 そっとお数珠に手を触れ、道中の安寧を祈ってくれた。
『ぼくのママンはかぐやという名前です、フランス語では月のマリアのことです』
『まあ ステキだこと、あんたはイエスね』
婦人はにっこりしてワシが再び走り出すサドルを押し出してくれた。 ふくよかな体形のフランス婦人はびっくりするほどの力でワシの自転車を日本に向けて押し出してくれた。
ツールの坂道で失速した選手の尻を押して走っているオバチャンがいるだろう。 フランス婦人は力持ちなんだ。
あのころのフランスの正義はどこへ行った」
「和尚ぉー ええ話しやなあ。
オメさまはヴァチカンの出身だったんかい。 おまけにご母堂さまは月のマリアさまけ? んじゃー 和洋折衷でも神仏混交でも、地中海うつぼの酢漬けでも、なんでもイエスだなあ」
「ええ話しじゃろ。 感心したらサドル難民詐欺は止めたか?」
「あのね、そーゆーサドルでねぐ。 こーゆーサドルなんですけど」
鬼が箱を開けた、開け口のない募金箱と思ったのは欧州式に中箱をスライドする箱だったからだ。
中から出てきたのは羽のように軽い自転車サドルだった。 座面にも fi’zi:k の文字がデザインされている。
「何と読むだねコレ、こんなのイタリアにもフランスにもないぞ。 ロシアか?
それに中央の溝が深くて長いねえ。 単なるキワモノなんじゃないのか」
「まあ乗ってみろや、多くのサドル難民が助けられている。
オラもなや、長い距離を乗ったときのケツの痛みが緩和された実感がある。
ランス・アームストロングのツール10連覇時代にコレがあったれば、彼はドーピングに頼ることはなかったかも知れない」
「もらっていいのけ?」
「2個いっぺんに買えば10パーセント安くするというのでなあ、15,999円だあ」
「2個でかね?」
「いんや、1個の値段だ。 おそらく汎用品としては世界一高価なサドルだろう。 色々な製品をさすらった末に辿り着く最後のサドルといわれている。
濡れた冷たい石畳路で恐れられているツール・ド・フィヨルドを制したチームスカイの公式サドルだ。 fi’zi:k はフィジークと読む。 オメさんの好きなイタリア製だ」
「だから呉れるのかと聞いておる。
拙僧もな、サドルには悩んでおるがモノがモノだけにお試し期間が過ぎたら返品するという訳には参らんで、なかなか買い替えることが出来ん。
呉れるというなら貰ってもいいぞ」
「いんや、敵に塩は送らねーのが山の掟だ」
「なんだよー、ブレーキの次はサドルかね。 おぬし自転車用品のペテン商会でも興したか、拙僧相手に商売いたすな」
「はははー 金は出来たときでえーだよ。 ただし一筆書いてもらう」
「 ・・・ 」
「来るとき渡った沢でカワウソに会ったでよ、山女魚を頼んでおいた。 前回号の残りの酒っこがあっぺー 早ぐ月見を始めっぺーよ、ご母堂さまにもご挨拶したい。
ところでご坊、どうしても解かんねーことがあるだ。 聞いてもえーだか?」
「ん なにかね? そーゆー態度で聞くなれば答えてやるぞ」
「オメさんがさすらったという解放前のヨーロッパってよ、フランダースの犬とかアルプスのハイジ娘の時代だっぺや。
その頃でもツール・ド・フランスはあったが、当時10代としてもノルマンディから70年以上経ってあんた、今いくつけ?」
「40歳じゃよ。 孔子いわく 四十にして惑わず」
「 ・・・ と惑う計算やなー」
「鬼どの、おぬしも不死身のアマゾン半魚人のながれであること、拙僧は看破しておるぞ。
されば解かるであろう、拙僧の生母は月に帰ったかぐやよ。 よってせがれのワシも地球環境から受けるエイジングの影響は二分の一以下なんじゃ」
「あのー 父方はどちらのお方さまで ‥ 」
「うむ よくは知らんが源氏の光宮と幼時に乳母の式部から聞いたことがある。
母はみやこに単身赴任の父のことを 「薫ちゃん」 と呼んでいた記憶があるなあ」
「ひえーっ! お公家さまでございますかあー それもあの 光源氏 薫の宮さま ‥ 」
昔な、一休禅師からみやこに出して公家デビューさせないかという話しが母にあったそうじゃが、当時のワシはダライ・ラマ師に師事するためチベット渡航の準備中でな、大陸に渡る泳力を琵琶湖で鍛錬しておったんじゃ。
母は大津から若狭の日本海まで送ってくれた。 鰐鮫の曳くお椀の船に乗る別れぎわ、キビ団子を腰に結び、首に掛けてくれたお数珠がコレじゃ」
「びえーっ! ご坊は一寸法師と桃太郎のモデルでございましたかあーっ。
道理で犬猿キジの他にカワウソにも知り合いが多いのは泳力鍛錬パートナーでございますな」
「このころ鍛えたトライアスロンの体力は、その後チベットからゴビの月砂漠を歩き、カルピス色の塩湖、カスピ海を泳いでローマを経、ヴァチカンまで行くのに役に立った」
「びえーっ! それではまるで玄奘三蔵法師さまの延西スペシャル版ではございませぬか。
サドルは献上いたしまする。 よしなにお使いくださりませーっ。
世界ウルトラ・ライドでサドルのことを聞かれたら 「日本の潤沢(うるさわ)の鬼村商会で各種潤沢に取り扱っておる」 とお話しいただきたく」
結局その晩の月見の宴は僧坊の隅にあった安酒で更けていったが沢のカワウソがご注文の山女魚を届けに来たころには、1名は一升瓶を枕に、もう1名はサドルを枕に眠りこけていた。
カワウソは仕方なく山女魚を笹の葉に包んで冷蔵庫に納め、ついでに皿に残っていたうつぼの骨を食べて綺麗に片付け、欠け茶碗の底の酒を舐めて帰って行った。
満月が明るくて山女魚の出が悪かったのが漁の遅れた理由だそうだが、カワウソさんも大変な鬼どもに見込まれたものである。
カワウソが今回ご登場願った哺乳類中一番の律義者であったワケは、前回号でおしぐれさんから貰うキノコの石突きを食べて亜鉛を補充しているから。
義理を果たすには亜鉛と摩訶。 2号続けて恐縮だが亜鉛とマカはええよー。 ご注文は潤沢のうるせー鬼村商会へ。
3幕 「ボトル考」 につづく
写真
右: フィジーク サドル、座面にある fi’zi:k の文字はどういう処理なのかレーパンのお尻で擦れても消えない。 休憩スポットで目立つこと。
このモデルには体重 年齢 男女 使用フィールド 嗜好などで様々なヴァージョンがある。
写真のアンタレス VS 仕様はおしぐれさんのような骨盤の柔軟性が低下してきたおじさんライダー向きにパッドを増量して後方の張り出しを大きくしているそうだ。
実測重量 : 216.9g 公称重量は 209g 7.9gの誤差は許そう。 中央の大きな溝が会陰部の血流を確保して快適性を生むという。
中 : これまで試行錯誤してきたサドルたち。 ひとにあげた物も含めるとずいぶん買った。
サドルは自分に合わなくてもそれはサドルのせいでなく、自分のお尻のせいだとオーナーに思わせる自転車唯一の特殊な性格をもつ部品。
それゆえサドルメーカーの思う壺 ‥ 。 サドル難民の流浪はフィジークで終わるだろうか。
右からコルナゴ純正サドル、使い込んだ跡が白いラインの擦れに見える。 もう使うことはないだろうが捨てられない。
中 勢いで買った有名なサンマルコ(伊)のレースサドル、後部が左右別々に撓むという触れこみながら超硬い。 穴あきサドルに分類される。
左 最近まで使っていたタイオガ、コルナゴに似た形状なので買ってみた。 安価な割によかった印象。 サドルは値段じゃない、お尻との相性 ‥ なのだが。
タイオガ社は米国企業の商社、自家工場は持たず台湾をはじめアジア諸国に図面を送って生産させ、そこから世界に輸出している。 日本は近いから欧米より安い。
米国内で作ったらこんなにいいものは出来ない、台湾の生産管理能力は高い。
左: 鬼さんが背負ってきたフィジークの箱、とくにコメントはない。
箱の一部が崩れているのは、背負ったまま落車して付いた傷に違いない。 中味が酒でなくてよかったが、酒なら落車しねーよってかい。
「引きが軽くてよく止まるっちゅう噂のブレーキはどうなんけ鬼さん。 評価は固まったのけ?」
峠から下りて来て蹲踞(つくばい)の水で顔を洗っている峠の鬼に声をかけた。
落ち葉を掃く箒の手を止めての大サービスなのにヤツめ、蹲踞に顔を突っ込んだまま5分も動かない。 オメは谷川のカワウソかあー。
新型ブレーキの自慢をしに来たのはわかっている。
こちらから聞いてやるまで言い出さないひねくれ鬼には手が焼ける。 カワウソなら水中を潜って来て目の前にヒョイと顔を出す愛嬌があるちゅーに。
「濡れたときにはどーかいね? ワシは雨の日は乗らんだが、これから本格的梅雨じゃーいうて只でさえ鬱陶しいに、死びとがぎょーさん出よったらワシ忙しゅーてかなわん。
それによ、村の檀家の若い衆も冷たい雨ん中での谷さらいはえらかろーがよ」
やっと聞こえたか盛大に水を跳ね散らかして峠の鬼がふり向いた。 水を飲みに来た四十雀(シジュウカラ)の小群れがなにかに驚いて一斉に飛び立つときのようだ。
彼は林野測量事務所の所長で鬼村という男だが正体は半魚人、耳の後ろに鰓(えら)がある。
雨でも水でも濡れ気のものに平気なのは呼吸に困らないからだ。
常人から見れば異形の人物に違いないがここは境内だから文字通り結界のなか、半魚人だろうが鬼だろうが四十雀でも来るものは拒まず。 お布施はさらに拒まず。
「おー 和尚か、おめさん 仕事嫌いなくせして檀家受けするようなペテンゼリフは相変わらず上手いなあー。
そろそろボロ小屋の屋根をあか(銅)で葺き替える寄進状を村内に回すかや?
檀寺の本堂がボロな自転車小屋ってーのはよ、オラはかまわねーよ。 オラはかまわねーが かかあがな、このままボロ寺の檀家でいてはせがれの縁談に障りがあるとゆーんだわ」
鬼め、この先の峠と山で鬼しておられるのも当寺のあらたかなる霊験ご加護のおかげだっちゅー、大事なことを忘れて悪態をつく。
だいたいに於いておっかーだのせがれだのと係累を持つ男は煩悩が多くていかん。 潔く出家いたせ。
そもそも彼がここの山に入って風雪害のあった国有林の樹木量と面積を測量する仕事をしている本当の訳というのがいかん。
かつて徳川幕府が隠匿した莫大な埋蔵金が山の地崩れの際にひょっこり露頭するのを秘かに探しているのだ。
その点では麓の廃寺にいつの間にか住み着いた怪しいご坊もご同様。
両者はライバル同志と言うべきペテンのやま師、お互いそーゆーことはおくびにも出さず正業をまっとうしているフリをしている。
どんな生業であろうと師がつくほどの精進を修行という。 おしぐれご坊は過去帳など持たない流れ坊主だが埋蔵金ノートの第1ページにそう書いてある。
このノートを頼りに諸国流浪の旅を続けている。 埋蔵金を掘り当てたことはまだないがノートは脳徒の希望の星、バイブルなのだ。
一方の測量屋、激甚調査困難度加算と称して林野庁に架空の臨時人件費など請求しているらしく、悠々のてい。
最近ではせがれが複数のドローン機を飛ばしてレーザー光の仮三角点を設定しながら測量するので、昔のように半魚人の所長が泥水の沢に突き刺さった樹木の下を潜って前進するような危険な測量はなくなった。
することがなくなったので自転車で山をパトロールしている。 気楽な鬼であるが新しい崖崩れを見る眼つきは鋭い。
ガードレールの裏側に崖の様子がマジックペンで描かれた図形をそちこちのカーブでおしぐれさんは見ている。 徳川埋蔵金に先に辿り着くのはどちらだろうか。
おしぐれさん、村の廃寺で勝手に住職になったが檀家といっても年寄りの農家10家しかなく、若い者は町に住んで山へは休日に自転車でやってくるだけだから赤貧洗うが如し。
谷川のカワウソが獲った岩魚や山女魚を分けてもらって食をつないでいる。 ニッポンカワウソが生息している川の名は明かせないのでどこの地方を流転した話しなのかは曖昧にしておきたい。
町に出た村の若者が山に帰って来るのは山岳コースのヒルクライムを楽しむためだけではない。
都会から来て遭難したヒルクライマーを捜しに行く私設有料捜索隊のアルバイトのためなのだ。 隊長は鬼の鬼村である。
住職は信心など少しもない捜索隊のライダーどもにタイヤの空気入れを有料で貸して酒代にし、カワウソ山女魚と山のキノコで月見の宴をしている。
カワウソにキノコは採れないから和尚が投げる石突き部分を食べて魚食だけでは不足する大地ミネラルのバランスを摂っている。 哺乳類の牡には必須ミネラルの亜鉛だ。
鬼も和尚もそーゆー暮らしで平気なのはペテンの大志があるからであろうか。
「鬼どの ボロ寺との仰せは許そうが、ボロ自転車小屋とはなんという言い草か。
奥ノ院に鎮座ましますコルナ仏をなんと心得る。 1980年代から2000年初頭にかけて20年以上も世界五大陸チャンプだった栄光のクロモリフレームぞ。
英国最古つまり世界最古の株式会社、コロンバス製鋼所謹製の極薄チューブを敬虔なイタリア鍛冶屋のアーネストとパオロ兄弟が渾身のローラー掛けで星型にひねった神憑り伝説のフレームじゃ。
かかる不滅の鍛冶屋マインドは、冷戦時代のチタン製V3ロケットを経て惑星探査機はやぶさの雲母コーティングの時代となっても超えるものはない。 後にも先にも無い。
自転車がカーボンの時代となってからチャンプは1年しかもたずに交代じゃ。 ドーピング剤と同じだ、新作と駆逐機との追っかけ合いなんじゃ。 喝ーっ ! じゃー。
よいか寺院の尊厳というものはの、 ご本尊の仏像が雲慶大師の作だとか、本堂のあか屋根の反り具合が雅だとか、そーゆーNHKのオンデマンドテレビに映るような派手なものではないのんじゃ。
おぬしがかかあに内緒でローンを組んで、3年待たされてやっと手に入れたイタリアの名車 デ・ローザ のヘッドマークは何だ? 赤い真っ赤なハートじゃろ。
乗るたびにおぬしのマインドはふつふつと沸き立つのではないか? んだべ。 信仰とはそーゆーもんでねーか、梵鐘や卒塔婆の数ではなかろ」
「また始まったな。 精神論だけでオメさんも寺も食えたなら皆んーな心配しねーよ。
奥ノ院つったってよ、膠(にかわ)のかわりにアロンアルファで繋いだバイクスタンドでねーか。 ありゃー 元は村の神社の鳥居だったんでねーのか、最近見ねーと思っていた。
和洋折衷・神仏混交もえーがよ、こだわりの統一性こそが寺院の美でねーのか。 オラは測量士の他に設計士でもあるからこーゆーのはなあ」
このやろ、サムライマークの士だとよ。 ペテン士という国家資格はない、ペテンは師だ。
「鬼さん、今日はポンポン言うねえ。 自己新が出たのけ。 あに? 上りで汗が目に沁みて、前がよぐ見えねーがら降りて来ただとーっ。
鬼さん、そりゃー 半魚族の半透膜の内側に侵入した浸透圧の岩塩だ。 ここの峠は昔 深い海の底じゃったのがソルトパワーで隆起した山脈の一部なんじゃよ。
おぬし信心が足らんから塩の靈氣に当ったドライアイの始まりだ。 じゃが安心しろ。 当院のありがたーい蹲踞の水で両眼をよっく清めれば晴眼いたす。 清めたらご喜捨を忘れるんでねーぞ」
「 ・・・ 」
「その蹲踞は立派だべ、ワシが作った。 流浪の修行時代に炭鉱が廃山になる磐城の鎮山祭に行き合わせてな、祈祷のお礼にもらった石炭の塊りから削り出したんじゃ。
使わなくなった切端の空圧振動ドリルでなあ。 あのドリルは重てーがった」
「和尚、オメさん住職やめて石のアーチストになれ。
坊主は似合わねえと前から思っていたんだ。 石ならオラが山からロープウェイで降ろしてやる、モヒカン刈りの尖鋭芸術家になって石の鳥居を神社に返せ」
「おほん 峠の鬼どの、なにを申されるか。 拙僧は得度を迂回省略した勝手僧とはいうものの檀家10余名を預かる名跡、おしぐれ寺の管主ぞ。 僧籍にモヒカン刈りは如何なものか」
「何いってやがるエセ坊主。
あの変な風穴のキャットライク ヘルメットよりモヒカンヘッドのほうがずーっと似合うわい」
なんと無礼な峠の鬼であろう。 鬼のくせにカスクのヘルメットで角を隠している。
このような林野測量事務所の鬼村所長に本堂の図面を描かせたら、ザクラダファミリア寺院のような尖塔だらけの戦闘的屋根になってしまう。
話題を変えて彼の図面癖を抑えねばならん。 図面はガードレールの裏側だけにいたせ。
「それよりブレーキの話しさね。 拙僧の練習用は引きが重くてな、がさがさ動いて途中から突然効く。
強く引くとガックンと前転ロールしそうになって生きた心地がしない。 長い距離では手指の疲れと気疲れで集中が切れる、そらんじていたはずの長い寿限無の戒名が全部思い出せない」
「はいはい、今度のシマノブレーキはええよ。
引きが軽くてよく止る今度のデュアル・ピボット機構は安全上のアドバンテージであるから街中でとてもええ。
オメさん自動車のマルチリンクサスペンションて知ってっか?」
「30年ほど前に出た日産プリメーラのサスだな。 当時BMWを越えたと絶賛されたサスだ。
車体の傾きにかかわらずタイヤは常に地面と直交するちゅーしかけは出来そうで出来んだった。 今では新幹線のパンタグラフだってマルチリンクだ」
「うん、マルチリンクは複数の不等長アームで平行四辺形を作り出すんだが部品点数が増えて自転車には不向きだ。 シンプルで軽量が自転車の命題だからねえ。
シマノのデュアルピボットというのはこれまでのブレーキキャリパにアームと支点を1個ずつ増やしただけだが、リムに対する動作の平行性が格段に増した」
「ふーん でもリムブレーキは自動車のディスクブレーキとは違うだろう」
「あのね、リムブレーキを巨大なディスクブレーキと考えればいいんだ。 半径が3倍もある自転車リムの外周部に左右から小さなゴムを押しつけて得られるストッピングパワーはスポーツカーを凌駕すると思わないかい。 半径が大きいからこそ小指ほどの小さいゴムで止められる
「思う。 しかもタイヤのリムを利用するから重いディスクが要らない」
「そう。 軽いから油圧など要らない、指1本のワイヤーレバーで止まる。
しかしこれまでのキャリパーリンクでは片側のゴムがリムに当ったところから、さらにレバーが引かれて反対側のゴムがリムに接するまで実際のブレーキングは実効されていなかった。
その実効遅れはライダーの操作遅れと言われていた。
だがそうじゃない、あれはメーカーの手抜きなんだ。 これまで真摯にブレーキを作ってこなかった。 マルチリンクの図面は30年も前に世に出ていたんだからなあ」
「おぬし、大変なことを言っているのだぞ。 正気か?」
「ああ、オラは何度も死人を谷から揚げた。
無念の表情に手を合わせた後にホトケの両手も見るが、しっかとレバーを握った形で冷え固まっている。 あと1メートル手前でブレーキングを開始していればなあ。
山の下りカーブはタイムを縮めるチャンスなのは分かるが一生を縮めてしまってはなあ。 南無南無」
「 ・・・ おぬし、拙僧の仕事の領域を冒すでねーよ。
それで、今度のブレーキは山の下りカーブでどーなのよ」
「軽い引きでよく効くよ」
「何だよー それだけかよー」
「それだけならサード物のメーカーからメチャ効きのセットが出ている。 備長炭の粉をチョイ混ぜしたゴムを柔らか目に作ってよ、レバー比をチョイ大き目にイジればいいんだからよ。
じゃけんど引き量が大きくなってネバこっちいだけのブレーキはいかん。
ブレーキってのはよ、効き始めのリニア感を感じたらその後はなんぼ効いても体勢はできているから振られることはない。 そーだっぺー。
ネバこいブレーキで開放から復活までの時間が百分の何秒か余計にかかれば、重力に逆らって殺した速度からの生き返りがその分だけ遅れる。 カーブは終わっているのにまだブレーキが残っているのはジレンマだっぺ」
「 ・・・ 」
「オメさんオラの言っていることがわかるのけ? もっと聞きたい?」
「うん 聞きたい。 いやお師匠、傾聴いたしましょうぞ」
翌日、論客の鬼さんが一升瓶を包んだ風呂敷を背中に斜め背負いして自転車で再訪した。
軒先の客用バイクラックに引っかけたイタリアン、デ・ローザ号にくだんのブレーキが付いている。 アイスグレイとかいう形容し難い金属光を放っている。 これはNATO軍の殺戮機の色だ。
エヴァンゲリオンの発展機か?
いつもコルナ号の上品なブレーキを見なれているおしぐれさんの目に、エヴァンゲリオンは異形に映る。
エヴァンゲリオンというのは某社の商標なので、以下本編では北欧スカンジ半島読みでイアングリフォノフと表現したい。 しかしイアン・・・では迫力に欠けるなあ。
こけ脅しだけではないことを主張するアイスグレイのメカメカしくて攻撃的なキャリパを細身のイタリアンに組み合わせるのはどーなのよ。
似合っているとは思えないのだが減G性能は凄いと評判である。
フルブレーキングのテストで、寝不足気味だったプロライダーは簡単にヘドを吐いたと聞く。
小屋にひとつしかない僧坊に鬼を招じ入れ、秘蔵していたイタリア雲丹の瓶詰めを出した。 マルタ産のオリーブオイルが効いて鬼め、よーけしゃべる。
「せっかく稼いだ高度と速度だ、無駄にブレークしたのでは峠の道祖神さまに申し訳がねえべ。 そーだっぺー。
だからって、やみくもに坂に突っ込んで行ったのでは谷に落ちる。
落ちれば村の衆による自治捜索隊費と自治ロープウェイの使用料がかかる。 頼みもしねーのに麓の寺の道楽坊主がきて、長げえーお経なんか唱えるから高けーお布施がかかる。 そーだっぺー。
「 ・・・ 道祖神でもよいが鬼どの、こーゆー自転車シーンには本場ツールの最大難所、マドン峠の麓にあるマリア・ローザ教会のマリアさまのほうが似合うぞ。
それにな鬼さん、おぬしだって自治ロープウェイ組合の理事じゃないか。 管理費に窮しとると聞いとるでよ」
「あのロープウェイの本来は林産材の搬出だ。 遭難者の移送は警察依頼の緊急サービスだったが今は副業のほうが有名になった。 オラはこれは間違っとると思うだよ。
街の葬儀社がな、御社と手を組みたいと言ってきた。 オラは少し違うと追い返しただが、和尚の紹介だとか抜かす。 そーんなことはねえよなあ 和尚」
「 ・・・ 」
「オラはな、この峠は自転車ブレーキの技術改良とライダーの技能向上で死人を減らせると思っている」
「 ・・・ 寺はどーなるだんべ」
「知るか! 因業坊主。
速度コントロールってーのはよ、次の加速に繋がるものでなければならん。 つまり再生可能でエコノミーなものであるべきだ。
こーゆー経済の真っ当な損得勘定は、長年の道楽坊主が身についた因業者、さらには異教であるべきローザ教会にも内通している破戒の二股坊主にはわからんだろう」
鬼め、どさくさ紛れに麓の寺の住職であるおしぐれさんを道楽の因業坊主と抜かす、そればかりか破戒の二股坊主とは言葉の暴力であろう。 合っているだけに恐ろしい。
「おい 鬼、雲丹は少しずつ食え。 このあとは地中海ウツボの酢漬けしかないぞ」
「ウツボの酢漬け? カワウソが獲ってきたのかい?」
「谷川にウツボがいるか、インターポールの銭形親分が送ってきた。
あのご仁、定年したらここで寺男になりてーとサルコジッチ元大統領の紹介状を添えてなや」
「真面目に聞け!
下りカーブで速度が出すぎているときって誰でもビビるやないかい、それはそれでいい。 恥ずかしいことではない。
命の危機を感覚器がセンシティブに感じ取ると瞬時に脳をアクティブに短絡させてブレーキを握る動作が先だ。 ビビった感じと背中の汗は後から来るもんだ。
あの汗はな、落車して背中で滑ってゆくときに皮膚を守る。
木の根で止まって立ち上がったら手の汗でサドルの土をサッと拭いて跨る、ケツに砂粒付けたままペダルは漕げんでなあ。 がっはっはー」
鬼さん、あんた もしかしてインターポールの知り合いか?
「そこでだ、この新型ブレーキはそーゆービビったときの効かせのコントロールが絶妙でなあー。
チョンと当てると瞬時に左右からゴムが出てジュッと効くからサングラスの横を流れる景色の変化が遅くなるまでが早いんだ」
「遅くなるまでが早いってどーゆーシチュエーションなワケ?」
「路面の模様が見えるまで減速されるとビビったマインドも落ち着くから指はレバーからやや戻し、ハンドルに掛った手の平を強く握ってまた加速する。 ペダルを踏むんだ。
そーだよ、踏むんだ。 そーゆーブレーキがあれば下りだってカーブの途中だって、渾身のペダルを踏めるってーもんだっぺー。
よってブレーキにかかる時間は短ければ短いほど、自己タイムの更新が可能となる。
それをして攻めるというのだ。 正義を行うというのだ。 結果 死人は減る。 そーだっぺー」
峠の鬼 を自称する鬼さんが口角泡するのはシマノのデュアルピボット型リンク採用の新型ブレーキのこと。
シマノブレーキ歴代最強と言われる。
先日、日本の道交法が改正されてピスト車と呼ばれるブレーキとフリーハブのない自転車の公道走行が禁止され、今月からは運転に免許制のない自転車にも追加罰則が強化された。
新型ブレーキはそれらを見越して市場に投入してきた抜け目ない経営的戦略に違いないと見るが、開発が出来た時点で一日でも早く発売すべきでなかったのか。
というのが鬼さんの論旨である。
それ以上のことは巨大企業にケンカを売ることになるから鬼さんにはせっせと酒をすすめて酔いつぶれてもらった。
奥ノ院にコルナ仏と並んでいびきを掻いている鬼は、寺院の結界のなかで本物の赤鬼に見える。
新型ブレーキ、上から二番目のグレードで前後の単体セットがネットショップの実勢価格 11,194円は高いか安いか。
今のところ3グレード発売されているがブレーキの効きにグレード差はない。 違いは単体重量の軽さと見てくれのキラキラ度というかイアングリフォノフ度だけ。
軽い材質で作られ、剛性がさらに高いというプロレース機材の第1グレードは28,481円、公称重量298g。
鬼の紹介でおしぐれさんが買った第2グレードは、タニタの電子天秤による実測重量341.6g。だった。
第1グレードとの差額17,289円は43.6g重いこと、1グラム当たり396.5円の軽量費ということになる。 そーゆー世界なのだ。
第3グレードのことは書かない、第2グレードを買った男のやさしさじゃ。
取り付けるには前後のワイヤー類と場合によってはレバーの交換にも発展するので第2グレードとはいえ11,194円だけでは済まない。 自分で作業できる鬼さんやおしぐれさんはよいが ‥ 。
鬼め、ギラギラ意匠の第1グレードを躊躇なく選んだ。 43.6グラム軽ければ制動距離が15センチ短くなると抜かしやがる。
なるほど、15センチ手前で止まれれば助かる命もあろう。
彼にはあの異形がイアングリフォノフ排邪の剣かアーサー王石割の剣に映るらしい。 Web検索は 「SHIMANO BR−9000」 で。 「15センチ手前」 では検索できませんでした。
この村のひとびとのマインドは形容し難い。
10家の檀家のせがれはすべて峠大好きライダーで、つまり檀家とはライダーの集まりなのだが不信心極まりない。 なのに新型ブレーキへの信仰は厚い。
副業となってしまった 「死人運びロープウェイ運航」 に忸怩たる思いを重ねているのだろう。 合掌。
2幕 「サドル考」 につづく。
写真
左 : 交換前コルナ号のフロントブレーキ、極めてノーブルな装いである。
中 : ネットショップで買ったイアングリフォノフBR‐6800前後セット。 ハイエンドモデルのBR‐9000よりは大人しい外観。
左が前輪用のイアン、右が後輪用のグリフォノフ、 どこで見分けるのか、わかるひとにはわかるのです。
右 : イアン仕様に変容した作業後。 手前アームの奥下に第2のピボットが、アームに隠れて第3ピボットが見える。 交換前のBR‐6600にはそれがないセンターピボットと呼ばれる型式。
ひとだま型の不思議なモノはホイール着脱時にアームを開くためのリリースレバー、ピボットとは別の役目ですが迫力あるひとだまですなあ。
元の上品な雰囲気に戻すべきか迷いながらカメラのシャッターを切る。
団塊仲間ご愛読のみなさまへ。
先に上梓いたしました 『おしぐれ地蔵‥赤麻沼』 の画面異常について、取り急ぎお詫び申し上げます。
投稿作品がネット上に表現されるにあたっては、 「文化的清潔性と思想的中立を保証するものであること」 との確約を大家さまとの間で締結しております。
小品も当然ながらそれに沿った作品でありました。
「ありました で済むか、でれすけめー。 この期に及んで抗弁するとは以ての外である。 以後は出仕に及ばぬ、即刻あたまを丸めて出家となれーっ」
大殿さまより清潔・中立とは思えない罵声を浴びて足取り重くとぼとぼと ”バーバー蟹や” の前まで歩を進めたおしぐれさん。 「あちゃー 休業日だってさ、ああよかった。 おやじのハサミは痛てーでよー」
当作品は当方装置内での吟味フィルターの結果、清潔性・中立性・さらには正義までも確認されておりました。 自信をもって送り出したものでございます。
しかるに、送致途中の何れかの時空において ねじれワープ が介在したものか、団塊仲間に載った時点ではかかかる異常事象となって表示される事態と相成りました。
作者意図によるものではないとは申せ、圧縮表示された大変に醜い書式のままアップされてしまった不始末は、ひとえに作者の不徳の致すところでございます。
忸怩たる思いのまま読んでみましたが、読めませんでした。 自作でありながら読めません、目がパンクいたしました。
ご覧になられた皆さまがたにおかれまして、その苦痛は如何ばかりであったか察するに余りあるものでございます。 深くお詫びを申し上げます。
直後より読者の皆さまから次のようなお叱りのメッセージが寄せられております。
一部を引用させていただく理由は、 「少しは鬱憤が晴れるかなー」 でございます。
「うわーっ 北からの攻撃かー! 読んでみぐまでもなく ミグるしい。 オスプレを放てーっ! 垂直技でミグ39の身ぐるみを剥がし、Escキーの削除砲で撃墜しろーっ」
「おしぐれめ、紅海のほとりに潜むペテン仲間宛ての暗号文書を誤って公開しちまったな。 送ったM資金を$に更改して公海まで降海しろ だとよ。 ふん 後悔するぞ」
「あんた、なんで難解な暗号を解読できたのよ。 あんたも仲間け?」
「あほ抜かせ、ワシはインターポールの星 銭形さまじゃ。 暗号じゃろが信号じゃろが、満月に映るウサギ像のように明快よ。 がっはっはー」
「オメさん、冗談もほどほどにしなせーよ。 句読点を探して読むうちに3行でメガネのレンズが火を噴いたずら。 惨度レベル3をはるかに超えるでや」
「文中で早池峰山のたらちね狸と河童淵のカッパ巻さまを小馬鹿にしたっぺ。 ばちあたりめー、祟りがあらわれたんじゃー。 南無南無」
「ロングライドのあと、ア*ダーアーマー製のコンプレッション長袖Tシャツを着たまま混浴風呂に入ったときみたいです。 いったいどーやって胸と背中の汗を洗ったらいいのか分かりません」
非難轟々 叱責の嵐でございます。
ひえーっ ひたすら お許しくださりませー。 ア*ダーアーマーは脱ぐしかありませんですうー お嬢さまー。
画面いっぱいに広がる 改行・段差段落なし・漢字カナ混じり・駄洒落・伊語混じりの文字羅列、猛モンスター展開となってしまいました原因につきまして、
九電を定年した元原発社員も交えて鋭意解析の結果、おしぐれ小屋の給電装置である風力発電機に問題がございました。
あの 「ドッカーン事件」 のあと、修復されたおしぐれ小屋は危険小屋との風評が立って東電は給電再契約に応じてくれない。 見かねた元九電原発社員の友人が作ってくれた風力発電。
さすがは元原発の作品ですから調子よく風を受ける臨界のときはめっちゃん凄い発電量なんです。 ところがプロペラが回らないと、からきしダメなんです。
どの業界でも逆風のときはねえ。
そこで元九電が何処からか調達してきたのがEPSという定電圧安定供給装置。 つまり給電圧にバラつきなし。 さすが九電です。 十電(東電)より一位うえだ。
しかけは解からないけれど風が停まっても12時間PCに給電するという。 残り2時間になるとブザーが鳴る、そうしたらローラー台に乗せた自転車を漕ぐとEPSが復活するという。
東日本大震災のとき、福島県境の山中に倒れて切れた送電線にローラー台を繋ぎ、サドルの上でウィダーゼリーを飲みながら何日もペダルを踏み続けたおしぐれさんの美談は、
遠く離れた九州電力の彼のもとにも同窓会報で知らされていた。
そのとき彼は災害時にこそ、そこにある自転車で給電できるシステムに大きなヒントを得たという。
「美談の話題にすり替えて、画面乱れの本題を誤魔化そうとするなーっ!」
はい 大家さま、けっしてそのような意図ではございません。 ございませんがもう少しお時間をくだされ、九電さんが申されるには、
「水没して止まった病院の自家発盤に繋いで緊急手術中の1室に電気を送るには、おしぐれ小屋にあるような安価なローラー台でも十分可能。
ただし、漕ぎ始めたからには手術終了の合図まで絶対に脚を止めない覚悟に加え、競輪選手のような漕ぎ出しの瞬発力とロングライダーの耐久力が必要。
したがって一人の力では無理。 自転車を二台並べて市民が交替しながら漕ぎ続ける。
自転車の後ろには次の漕ぎ手が列を作っている。 近くのコンビニから冷えたウィダーゼリーが届く。 そーゆー協力共働の考え方をシステムというのだ」
どーだす、大家さま。 これでひと商売できまへんか? 復興庁の補助金が付くかも知れまへんでえー」
「このヤローっ! どさくさ紛れにペテンすなーっ」
あのときは折りからの夕まずめ、まずめ時は風が凪ぐのでございます。
夕餉の支度時刻と重なって 「缶ビールを生ビールに変えるスーパーなサーバー」 が能力一杯のフル稼働をしておるさ中、同じ電源に繋がる拙PCに苛酷な指令が下されました。
「よーし 飛んでけーっ!」
の ”ぽち” でございます。
九電渾身作の風力発電機はそのとき僅かな風を捕えて懸命の発電をしておりましたが、スーパーサーバーは高負荷でございます。 あっちの機器・こっちの機器でアッチッチーの危機。
こーゆーときにはブザーが鳴って、おしぐれさんが自転車を漕いでローラーを回す約束でした。
ですが、あの超長文を何日もかけて書き終えて ”ぽち” を押したばかりのおしぐれさんにブザーは聞こえません。
缶ビールが生ビールに変容するというサーバーの前に付きっきりでございました。
それでも拙PCは迫るブラックアウトの危機に対し、内部バッテリーまで総動員し鬼気迫るがんばりで 「飛んでけー」 の使命を果たしたのでございます。
その後彼は 「疲れたー」 のメッセージを画面に薄く残してアウトしてゆきました。
薄くなって消えてゆくその表情が使命を果たした満足感に喜々としているように見えたのは 、スーパーなサーバー機器から出てきた生ビールのジョッキをふたつ持って来たおしぐれさんと乾杯する筆者の顔が映っていたからでございます。
さて、本文はお詫びの文書でございます。 乾杯などしていてはいけません。
原因は機器の不具合、電力不足、死にかけPCのプア、と決めつけてそれで責任逃れをしようとしている筆者の心象はすでに見透かされておる通り。 このままでは許していただけない。
この不始末をどう決着させるのか。 その決意を明らかにして、そして実行してこそお詫びというもの。 責任者というもの。 (総理、聞いているかー)
さあ そこで、
筆者は復活したプアPC共々励まし合って、苦難の道のりではございましょうがもう一度、あのクソ長くて忌々しい 『おしぐれ**』 を書き直す決意をいたしました。
それを再上梓いたしますとき、あらためてお詫びを申し上げて本件の終結とするのが男のけじめ。 そのように存じおるところでございます。
以上でございます。
お詫びしたのは、めげないおしぐれさん と 他1名 (このめげなさは一体 どーゆーエネルギーなのだろうと 聞きたい作家) でございました。
<業務連絡>
現在 団塊仲間上に公開のままとなっております失敗作につきまして、以下のように取り扱わせていただきとう存じます。
近々には削除の予定でありますが、元々の文書がすでに失われておることを考慮すると今すぐの削除は見合わせております。、
自戒の意味と書き直しのとき 「何を書いたんだっけ?」 の参考とするため、もう少々載せておいてくださりませ。
<ひとりごと>
あー もう 記憶回路がいっぱいになりそう。 早く保存して電源を落とせー。
ったく J*ネットの格安PCはコレだもんなあー。 ワープロの台を側に置いてのんびりローラーを踏んどった時代が懐かしいわ。
<写真>
ローラー台です。 極めて安価なタイプ。
右側のスーパーカブのエンジンのようなのがマグネット負荷。 左側はトレーニング時の負荷の大小を変えるクラッチ。
高級品はマグネットがトルコンになり静かでスムーズだが発電機への転用は難しい。
写真のマグネット機なら簡単な改造で発電機に変身する。 というより元々の発想は発電機からの転用だった。
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1 話 マッドネス (madness) この日はどこまで行けるかわからなかったが巴波川に沿って走っているうち野州平野の南のはずれ 栃木県藤岡町 まで来た。 南を向いて左岸ロードを行くと土手下に広がる藤岡田んぼの眺めはじつに美しい。 美しい田んぼはタイやベトナムにももちろんあろう。 だが日本の田んぼの俯瞰がことのほか美しいのは、田を区画し水面の存在を管理する畦(あぜ)が描き出す図形美といわれる。 田も畦も、PC画面に表れる文字よく見れば平面を縦横真四角に切って よし(圭)としている。 一方畑は田に火を放つと書いている。 これらの文字を考え付いた人物がどこまで高度を上げて地面を俯瞰したものか。 宇宙船が帰ってしまった今となっては知る由もないが線の交点を1ドットとして見たとすれば、地表の凸凹によって偏る水の存在を利用した絵を描きたかったのではなかろうか。 宇宙から見るこの地上絵は兎を搗く杵(ウサギをつくキネ)に似ている。 満月の夜にだけ月に映るあのおぼろ絵は、母星地球の田の水の反射影が拡大されて写っているのだ。 もう少し詳しく書こう。 海は区画無しに広過ぎて点ドットを反映写できない、できても波にうねった映写光は焦点の合わないぼんやり感がオーロラのような効果光を演出しているに過ぎない。 月のウサギは、明らかに地球地表の田んぼと畑から発せられた水の反射像なのだ。 反射像ゆえにウサギが餅をつく構図に反転しているのが何より証拠。 地球 ‐ 月間の距離が最接近する満月のときだけ映写焦点が合う地球上の唯一奇跡の場所、それが野州平野だとおしぐれさんは仮説する。 ただし計算式が今だ構築できていないので、小保方博士の前例もあり公表には躊躇があった。 この機会に当欄読者にだけ公開し引用を許可する。 拙論を補完・補強する合理的理論の提供を待ちたい。 さて、目を足元に戻そう。 隣接する田と耕作者が異なれば稲の種も作付のタイミングも異なろうからから水の管理は微妙な戦いとなる。 畦から隣田へ漏水すると、土の持つ養分素や耐病の抵抗力など耕作者の思わく通りに行かないことも多いからだ。 近隣者とはよく話し合い、謙虚な姿勢でことに臨むことがなにより大切なこと。 日本の稲作文化がそれを教えている。 それとは文化を指す。 中*国による無法な南沙諸島埋め立てのハナシをしようとしているのか! と身構える読者には肩すかしで申し訳なし。 おしぐれさんの固定資産は郊外の小さな自転車小屋だけなので、そーゆーことにはトンと無頓着。 大きなハナシは団塊屋さんに言ってください。 「オラはオラのやり方で米を作るだ」 こだわりをわがままと言っては失礼かと思うが、わがままを通すのが日本農業の原点であり技術向上の原動力であることは昔も今も変わりがない。 そのうえでの話し合いだと申しておる。 聞いているかー 中*国。 ここでいう昔とは昭和とか大正・明治とかのレベルではなく、米の量産が管理化され租税対象となり始めた室町時代の初めの頃だと気付けば作家はことの重大さに驚くが、読者は今さら驚くまい。 そこで畦の止水のために用いられたのが古来技法 「クロ畦」 。 これが美しいから日本の田んぼは美しく月に映り、奈良の時代にSF 竹取物語 が生まれる基となった。 したがってそれより前の弥生時代の月にはウサギは映っていないことになる。 この時代の月は和歌などに残っていないからワカらない。 美しい田の畦はおしぐれさんの足元の土手の下も例外ではない。 直角平行に植えられた緑の苗が育って田底の泥が見えなくなった若稲色の田を、クロ畦の黒がくっきりと額縁っている。 「クロ畦」 とは泥をしっかり塗り込んで止水した畦のことだが、詳述する前に1行前の 額縁 に触れておきたい。 江戸時代まで歴史は進みます。 天才絵師との聞こえも高き葛飾長屋の住人、東葛南斎 がおのれの描いた錦絵の価値をさらに100倍もの両替レートに押し上げたのは女房お栄の額縁装丁の技だったと、はじめて知ったのは女房が死んで49日の法要の席だった。 呼びもしないのにお経をあげてくれた一休禅師の法衣の袂(たもと)にそっとお布施を入れたとき、それとなく教えてくれたのだがまったく余計なことをするものだ。 お栄はじつは南斎の娘だという説もある。 お栄のあの奔放な才能は南斎を父とするからだという説だが、わかるものか。 一休だって後白河天皇の落胤だということになっている。 この手の血族どろどろハナシは、団塊仲間の 北の山から さんが詳しい。 画面を替えて こんにちわ してみるのも一興かと ‥ 。 ともかくも、以来 南斎は色絵筆を折って出家の旅に出る。 水墨画のみを描いたという。 共も連れずに破衣破帽。 頼るは絵道具を納めた一脚のコルナゴ製手押し車。 このハナシの色絵筆とは無類女好き南斎先生のアレを象徴しているらしい。 ソレを折ったというのだからお栄さん、南斎の出家は嘘ではないでしょう。 もう許してるよね。 出家といえばここにもひとり、自転車を土手に止めた出家志願のでほらくかたりがクロ畦を眺めている。 額縁ひとつで何反(たん)、租税はクロ畝(うね)何歩(ぶ)という数え方は、かの石田三成が考案したと聞く。 もう少し早く生まれていたらこのオラだって ‥ 。 おしぐれさん、なんぼアンタが自転車で時空を行くスパイラルマンだといっても、そらーでほらくが過ぎましょうぞ。 サドルのつっかえ棒になっているアンタの法螺えんぴつ筆もそろそろ折りどきではござらぬか。 なぜなら、織田信長が連発ワルサー鉄砲をイタリア経由でドイツから直輸入できる時代になっても、コルナゴの自転車はまだ日本に入って来ていない。 当時からコルナゴだけはココム規制がかかっていて禁輸だったのだ。 当時欧州で最も信頼できる通貨はクローネだった。 信長がワルサー社に対し 「クロ畝(うね)立て支払」 を保証したことでクローネは確固たる地位を築き、現在もスエーデン国貨である。 よっておしぐれさんがいくらイタリア リラのスパイラルマンだといっても、コルナゴがなければ時代の寵児 三成と並んで高土手に立ち、眼下に広がる豊穣の田畑を俯瞰することはできんでしょうや。 できたのは後の太閤秀吉、当時 徒大将(かちがしら)の藤吉郎だけ。 現代でもライダーはモテ度でマラソンランナーに勝てません。 コルナゴがダメならバルーンでスパイラルという手がある。 熱気球なら秀吉の朝鮮派兵 琉球併合に際し、熊本城主だった加藤清正がズイキ繊維の和紙をコンニャク糊で張り合わせたバルーンに備長炭の燃料で乗って、何度も海峡を行き来したという話しが九州の一部にまことしやかに伝わるが、ひいき話しはアテにならん。 肥後ズイキで何度も往復というところが、色えんぴつ筆さんには気に入らないご様子。 昭和初期まで進めましょう。 田起こしのあと水を張って数日おいた田に牛を入れ、農具をぐいぐいと引かせると土と水がよくなじんで真っ黒な田泥になる。 ぐいぐい引くのは牛でなくとも馬でも耕耘機でもよい。 ここではタイ・ベトナムとの対比だから牛とした。 中東なら駱駝、豪州なら駝鳥ということになるが農具を引かせるには気性が荒くて調教が難しく、よって稲作は定着しなかった。 アンタ、そんなむちゃくちゃ よー言いまんなあ。 農夫はその泥をさらに手でこねて、なにかむにゃむにゃ唱えながら頭上高くに差し上げて力いっぱい畦に打ちつける。 そして間髪を入れず使い込まれてぴかぴか光る手鋤(てすき)の背を当てて、何度もくり返し畦に黒泥を塗り込んで行く。 その行為をクロ張りといい、その結果の黒い畦を 「クロ畦」 という。 余談だがクロ張りに使うこの手鋤、クロ畦専用というわけではない。 毎日普通に使う鋤なのだが名人鍛冶屋が作った 「安岐ハガネの割り付け百錬」 入魂の手打ち鋤。 農家何代にも伝えられる名品マルチ農具なのである。 数時間すると畦に打たれた泥の表面は春の陽光を浴びて乾燥が進み、ひび割れが走る。 名人鍛冶屋の手打ち鋤でクロったクロ畦に無慈悲にもひび割れが走る。 だがそれは計算済みのことなのだ、心配には及ばない。 ひび割れは地表を守る地球の知恵。 干上がった塩湖に塩の結晶の塩田ができると、ひび割れから生じた無数の不規則な六角形の割れ目から深部の水分が蒸発し、さらに真性の高い塩になる。 六角形の塩プレートは持ち運びがよくアンデスの民はこれを各国に輸出して生活の糧とし、この塩湖だけに塩が溜まり過ぎて地球の重量バランスが崩れるのを防止している。 このひび割れ模様の規則性を 「チューリング曲線」 という。 一般的には六角形で説明されることが多いが、キリンの身体にあらわれるあの不規則な五角模様を特に 「チューリングのペンタゴン曲線」 といっている。 直線とはいえない線が交差する点の広角側からさらに1本線が伸びて不思議な五角形が際限なく増殖して行く方程式ということになっている。 なっているのだから仕方がない。 畦の泥のひび割れはキリンの五角模様の他にも、浦島亀の亀甲・ゼブラの縞・乳牛のドット模様・マスクメロンの迷路・てんとう虫の星、等々 根本を同じくするものはナンボでもある。 ペンタゴンにもヘキサゴンにも矛盾なしに適応してしまうチューリング理論は地球の第六法則といわれている。 ちなみに第一法則はご存知 「エネルギー保存(不変)の法則」 であり、これは何億年経過しても不変である。 チューリング博士の方程式の極致が蜜蜂の六角巣であり、スパイダーマンの縦糸のアンカー角である。 自然はなんと素晴らしい造形美を見せるのであろうか。 蜂巣を搾った蝋がおしぐれさんのチェーンオイルの原料となった有名な化学の話しは、米国デュポン社を超える理論として前作おしぐれさんに 「小保方博士の**細胞」 として紹介されている。 あながちでほらくばかりではないことが窺い知れよう。 鬼怒川土手の練習ロードでスパイダーマンのジャージをまとったコルナゴが急接近してきたら、ヤワなロードマンは黙って道をあけるのがキマリであるように、法則というものは尊いものなのだ。 さて、素晴らしい造形の畦のひび割れだがそのすき間から漏水する現実は単純には喜べない。 しかしそこは老練な農夫、ぐるっとクロ張りを終えたら最初の位置に戻ってひび割れの始まった畦に向かい、こねた泥を頭上に差し上げ力いっぱい打ち込む。 そしてなにやらむにゃむにゃ唱えながらぴかぴか光る手鋤を振るってクロ畦を塗り重ねて行く。 これを何度か繰り返すと、チューの真上に新たなリングは形成されない、という地球草創からの原則が適用されて止水が完成する。 農夫のあくなき情熱と絶妙角度の手打ち手鋤が日本の田んぼにクロ畦の額縁を与え、その俯瞰を美しく際立たせている根本である。 ここで断言しておきたい。 たしかに手鋤のクロ畦は強靭だ、栄養素たっぷりの田んぼの泥なのに雑草が生えない。 きっと根の息を止めるところまで固く塗り込めてあるからなのだろう。 もしも自分が死んだ後にミイラになって石棺に納まるときは、この農夫の打つ泥漆喰で蓋を閉めて欲しくはないなあと願うほどである。 我田引水と止水匠技、それほど田起しの春の水は貴重なものだった。 足踏み水車で苦労して川から揚げた水、漏れて川に戻すくらいなら隣りの田に廻してやろう。 美田が何処までも続く日本は水を分ける思想の根本が美しい。 幼少期、左官屋になろうか鍛冶屋がいいか、迷い多きおしぐれさんが見た田んぼの畦は黒くてぴかぴかしていた。 農耕使役の馬も牛もどうして畦の大切さが分かるのか、けっして畦を踏むことはなかった。 動物使いは子供たちのヒーローだった。 ベトナムの水平歪角(わいかく)赤目牛は、元々は河馬と水場を争っていた水牛だから平気で畦を踏み潰して行く。 日本の牛と違って仕事嫌いの怠けもの、チューリング理論どころか鼻に真鍮リングすら通していない。 バナナの葉1枚で巧みに編んだ日除け笠の農婦が田植えする泥田のなかに平気で寝そべって、目と鼻を出している姿はとてもベゴ科の動物ではないね。 タイの象はエレー大きすぎてファントも田んぼには向かん、ありゃ製材所向きやね。 大相撲の土俵にもチューリングひび割れは発現する。 コンクリートほど硬くはないがコンクリートより強いとも言われる。 しかしひと場所で撤去される命じゃないか。 日本の田んぼのクロ畦の精神はなあ、15日を遥かに超えて秋まで続くんじゃー。 知ってたかあー。 2 話 ネバー リバー (never river) 土手の内側を計画水位通りの川がゆったりと流れている。 ときには荒音をたてる川も、ゆったりのときは無音。 今日は機嫌が良いのか、それとも悪いのか。 脇川が注ぎ込むたび橋がかかって、渡るたびに出発点の川の匂いが薄まるような気がしているが、水の行きたい方に行けば登りはあるまい。 「そりゃーたしかにそうだいね。 だけんど戻りは全部登りになるんでねーか? 帰りはどーするだい」 この辺り、群馬弁の影響がやや濃い。 右岸は特にそうだ。 西の先には赤城山。 「なーに 平野の川の勾配は 0.1パーセントだいね。 千メートルで壱メートル登るっくれーの脚力がオラにねーとでも言うだかや! 馬鹿にするんでねーぞ。 それになや、午後になって南風が背中に吹けばよ 0.2パーセントのアドバンテージだっぺ。 あに? 北風のまんまだったれば 0.3パーセントのレジスタンスだっぺ だとおー! そーゆーことを言うもんでねーぞ 上州赤城の忠治やん。 オラには野州赤麻沼の おしぐれ地蔵 がついとるだ。 逆風 難風はぜーんぶ引き受けてくださる身代わり地蔵さまじゃー。 見てみろ、オラの背中に追い刀の傷なんざあっかあー。 あんめーよう。 切られ与三郎、男はなあ 顔は切られても背中は切られたことがねえーってことよ」 右岸土手の下にもさらに田んぼが続く田園地帯。 あと30分ほど行けば渡良瀬の高土手を越えて休憩予定の 地蔵さまエイド に着くだろう。 風は止ったらしい、遠くに上がった熱気球が垂直に昇って風を探そうと炎を吹かしている。 バーナー音が聞こえるまで近づけばその下が渡良瀬遊水地のバルーン広場だ。 遊水地に向かうこの川が上流の栃木市内に伝わる 「黄ぶな伝説」 で名高い巴波川(うずまがわ)。 本流渡良瀬への合流点まで8キロメートルの位置にいる。 バルーン角度から三角測量をしたわけではない、土手サイドに親切な立札があってそう書いてあった。 年間300日 × 100Kmの伝説ライダーをめざすおしぐれさん、軽量細身を宗とするのだから測量機器など持ってますかいな。 川にまつわる伝説といえば河童か大蛇か大鯰(なまず)と相場が決まっている。 その点 野州栃木では江戸のころから育んだ文化がお洒落でスマートだから 「黄ぶな」 。 黄色いふな とは黄金のふなのこと、ゴージャスですなあ。 おしぐれさんが乗ってきた黄金のコルナゴとジャストマッチングですわいねえ。 お地蔵さまのご加護を受けるにはよう、これっくれーのシチュエーションが必須なんじゃー。 大蛇だのナマズだのはもっと田舎のほうの、例えば修善寺の鐘楼に隠れた安珍坊が清姫さんの情念化身の白大蛇に焼き殺されたハナシみたいにオドロしい。 ナマズは大地震を起こすといわれ、 河童はひょうきんな顔つきのくせにもっと悪質だ。 昔 「巨べらのふる里」 というキャッチに誘われて釣りに行った岩手遠野の田瀬湖で河童にやられたことがある。 10月の初め、栃木出発時には半袖Tシャツだったのに夜半遠野に到着したら山は霙(みぞれ)の混じった寒風のなか。 山上湖畔の民宿村は先週末に今シーズンの営業を終えて山を降り、来るときコーヒーを買ったコンビニは40キロも後ろ。 しかも夜間は閉店する省エネ型。 これは困ったぞ、東北のお地蔵さんに知り合いはないでよ。 明かりの点いている建物があったので行ってみると、案の定閉まっていたが入り口の前に古ぼけた自動販売機があった。 明かりはこれだった。 『巨べらの田瀬湖入釣券発行機』 これより先 早池峰の流域に入釣するには当館発行の入釣券が必要です。 購入により大釣りとこの先の安全が保障されるものではありませんが、当自販機での購入をお勧めいたします。 かっぱ淵 民話伝承館 「おお これや、 早よう券を買って早池峰山みぞれ河童の気を鎮めねばならん」 大枚千円を投入してレバーをガチンコと引くと、帽子に結ぶヒモがなんとナメシ皮で出来ている大そう立派なキップが1枚ポロリと出てきた。 領収印のところにタヌキの絵がスタンプしてあって、ペロリと舌を出しているのが何とも愛らしく、霊験ありそうな入釣券であった。 野釣り派は緊急食糧やガス燃料やモチベ維持のための酒類をベースカーに塔載しているのは常識、車中泊と決めて飲んで食って寒さに耐えて寝た。 エンジンかけっ放しで寒さに震えながら朝を迎え、まわりを見たら自販機があったはずの場所に看板が立っていて、 『ご注意』 当館発行の入釣許可証をかたった自販機詐欺が横行しております。 正規品は河童のマークですが、無効品はタヌキの絵柄と報告されております。 購入に際しては当館窓口にて美人係員による対面販売でお求めください。 河童淵 民俗民話伝承館 昨夜買ったキップはサンバイザーに挟んでおいた。 出してみるとタヌキの玉袋を広げてヒモを作ったらしいシワシワ皮のついた柏の葉っぱだった。 中に萎びて小さくなった丸餅が二個包んであった。 これ、柏餅のつもりか それともタヌキの良心の玉々か。 9時になり、ラビットスクーターに乗って出勤してきた美人係員に事情を話したら、 「オメさん やられだなあ あっはっはー。 んだがら書いであっぺーよ。 対面販売ってーよー。 タヌキかどーか よーぐ確かめねばなんねーだよ。 ところでオメさん、腹っこ減ってんでねーが 柏餅買わねが? オラが今朝こしらえたんだあ、美味めーぞー。 キューリの漬物もセットになってんだがよ、オラほの河童淵のカッパは口が肥えてっから このキューリでねーど釣れねーんだわ。 千円だあ」 河童のバッジを胸につけたこの美人係員というのがまた、たらちねの年増たぬきのようなお方でしてな。 とても対面では買いたくないお方なんですわ。 「オメら ぜったいグルだっぺー」 郷に入ったら郷に従え というが、遠野の河童と狸は共闘して遠来の客を馬鹿すところが恐ろしい。 このワンダーランドについて 宮沢賢治 も 柳田国男 も河童のことは書いている。 しかし狸のことに言及していないのはどーしたことか。 グルが疑われる。 その点で 野州黄ぶな の正直さ 気高さは、さすが栃木の心意気。 そう思い知らされた北釣行であった。 黄ぶなのふる里 栃木藤岡、このあたりでは5月の空に泳ぐのも、こけ脅しのヒゲなど生やした 鯉のぼり ではない、可愛らしくてアイドル感たっふりの 黄ぶなのぼり なのである。 黄ぶなのはなしはあえて書かない、みなさんご存知のはずだからだ。 今や千葉代表みたいに威張っているが市予算規模では栃木に負ける船橋のふなっしーは、黄ぶなの無断パクリだと市役所の若い職員は憤慨する。 だがそこは大人の栃木市民、黄ぶな伝説の重厚な質感は新参者ふなっしーのぺらぺらさなど問題にしない。 他にもあります。 黄ぶな饅頭 黄ぶな最中に黄ぶな餅、今風には黄ぶなTシャツを着て黄ぶなソフトを舐めなめ 「蔵の街通り」 を歩いて極めつけ黄ぶなラーメン店へ。 ご覧になりたい方は栃木市役所HPへ、当欄は特定市町村の損益に関わるコトには関与しません 悪しからず。 さて今回は伝説めぐりの話ではない。 この地区の近代史実をもとにした久しぶりの本格ばなしなのである。 よって個人名・個別名・団体名がしばしば登場しますが、類似のものが県内外に実在してしまった場合は例によっての でほらく だと、そーゆーことにしてお許しを願っておきます。 巴波川は国土庁の仕分けに従えば中小河川ということになる。 ところがどうしてどうして、なかなかの川相を見せて堂々の流域。 川の左岸側は小山市、後方は栃木市、右岸が藤岡。 かつては 「蔵の街 栃木」 の米と味噌と絹を水運で江戸まで運んだ川である、なかなかどころか悠々の流れっぷり。 船水運は下流で渡良瀬川に合流し、さらに利根川・江戸川を経て江戸につながっていた。 今ではトラック輸送が主となって運船は衰退した。 わずかに釣り用の笹舟が支流にもやってあるのを見るが持ち主はいなくなったのか舟底に溜まった泥で傾いている。 下流で合流する渡良瀬川は茨城・群馬・埼玉とも境界する大河川。 栃木と別れる境界にある三国橋がその名の通り三国界いなのである。 その栃木側までが渡良瀬遊水地の圏内ということになるが鳥や魚・けものや植物に境界の認識はない、河川敷のヨシの水路に隠れてどこへでも出没する。 まるで土手の迷路を徘徊して行く自転車のようだ。 彼ら自転車乗りは腰のおにぎりを食べ尽くすか水ボトルの残量が少なくなったら帰り道を模索するが、鳥や魚やけものは其処に留まっても特に問題はなく、これはすごいアドバンテージになる。 植物に至っては漂着した場所を足掛かりに根を伸ばし、鳥やけものを巧妙に使って南進したり北進したり何処へでも行ける。 これはすごい羨ましさである。 土手ロードをこのあたりまで来ると、目ざす渡良瀬遊水地まではもう少しの距離だから川の流れは緩やかになり足に水かきのある鳥をそちこちに見る。 この水かきが曲者で、ポケットのようなつくりの中に小さなモノなら何でも入れて飛べる。 先年宇都宮の北端の小沼で小型クラゲが大量に発生して大騒ぎしたのも水鳥の仕業だった。 ポケットといえば自転車ライダーの背中にも伸び縮みする食糧ポケットがある。 この中に洗濯機でも死なない家ダニなど入れたまま、こともあろうに野鳥の自然保護指定区域である遊水地まで走って来るのだからこれはもう痛み分けというものであろう。 子供たちが短い竿を持ってなにか釣ろうとしている。 仲間割れしている様子から察するに何も釣れていないようだ。 ヤマベやフナっこはないか、いても日中は川鵜(カワウ)の集団が怖くて出てこないのだろう。 黄ぶなは伝説の神さまだからミミズなどではとうてい釣れないし、川鵜にも神さまは獲れない。 余談だが、サッカー日本代表チームのエンブレムに描かれる 八咫の烏(ヤタノカラス)は川鵜にとってもご先祖の神さまである。 だからして同じ神さまランクの 黄ぶな を獲って食うなどもっての外。 この習性を知っていれば放流稚アユが川鵜の食害にあっている鬼怒川漁協などでは対策できよう。 黄ぶなのぼり を栃木から取り寄せて川岸におっ立てておけばよいのだ。 鯉のぼりより太くて短いふなっしーによく似た黄色い風洞型は、風をはらんでよく泳いで目立つ。 川鵜はその上空を迂回して行ってしまう。 ちなみに長良川の鵜飼いの鵜は、海鵜を飼いならして家畜化した鳥で川の鵜とはまったく異なる鳥です。 どれ程異なるかといえば、虎とライオンほど違う。 平坦な土手上のサイクルロードは舗装も良くて、やや向かい風でもギヤが1段あがる。 正面遠くに富士山が見える。 気持ちの良い田園地帯のなかを遊水地に向かってサイクルロードと一緒に蛇行する巴波川は、野州の小京都といわれた古都 栃木市内の 「蔵造り旦那通り」 の脇を流れてここまで続いている。 江戸のころから夏の街中の川では旦那衆と芸妓を乗せた屋形船が柳の下を行き交い、提灯の明かりを追って餌をねだる錦鯉が盛んに跳ね、ご祝儀をねだる太鼓持ちや食えない三文作家が嬌声を上げていたろうに、ここまで来たらなんとなくあか抜けないのはどうしたことか。 川床に堆積した栄華の残り滓の土砂に黄色い花の外来アワダチソウなどが繁茂しているからだろうか。 こういう場所に咲いていてもよいのは月見草と決まっていたはずだ。 遠くても富士が見えるのだから。 灰色大サギが小魚を狙って木造橋脚の上にたたずんでいる。 子供たちと同じように簡単には獲れないようだ。 彼らは飛んでいないときは大きなカラダのエネルギー温存のためかピクリとも動かず、長いあいだじっと水面だけを見ている。 自転車の接近など意に介さない。 「ワシだって脚以外は動かしたくないわい、変に動かすから首が痛いんじゃ。 じゃけんど現代社会においては四方八方に目を配らんと生きて行けんのんじゃー。 信州の自称ネット トレーダーを見て見ろ、ちっと目を離した隙に何億も損しとるだねーかや」 そろそろ約束通りに史実に基づいた文芸ばなしをせねばならない。 自称ネット トレーダーのことなら自業自得という宇宙の法則に基づいて放っておくに限る。 3 話 リアル ストーリー (real story) 土手上のロードを走って来たおしぐれさんが自転車を止めた。 仔細ありげに降りてきたのは何のことはない、トイレを見つけたからだっった。 堤防上の広場に 「うずまがわ決壊口祈念公園」 という変わった名前の公園があった。 普通は記念であろう。 決壊口祈念というからには穏やかでない記憶があるに違いない。 寒いときにはヘルメットの下にデストロイヤーのマスクもかぶってしまうおしぐれさんは破壊・決壊と聞くと血が騒ぐ。 IT用語でないほうのドキュメント作家おしぐれさんのハートは、トイレを済ませた開放感と相和してにわかに どきゅめく のであった。 地元の人々が永らく 「口開け場」 と呼んで小さな祠を祀ってきたのは、巴波川(うずまがわ)が本流渡良瀬川に合流する地点から遡ること8キロの大きく湾曲したこの場所。 ここに住民長年の願いが叶って祈念公園が作られたのは近年のことだ。 川は長い期間をかけて土砂の浚渫と護岸整備が進められてきた。 ひとまずの完成をみたとき町長公約通りに小さな公園と祈念碑が建てられた。 祈念か記念か、どちらを揮毫するか町長には葛藤があったろう。 しかし選挙の公約はたがえられない男の約束だ。 堤防と同じ高さまで土を盛った広場の中央に石碑と水飲み場があって、電気は点かないが水洗トイレと休憩用ベンチを囲むあずま屋があるだけの質素な公園。 あずま屋の横の目立たない処に朽ちかけて小さくなった祠がそっと祀ってある。 公園の完成式典の後に誰かが運んで祀ったのだろう。 それは知らぬものが見たらぎょっとするほど粗末な祠だが掃除がなされ、野花が添えられ、訪れるものの存在をあかしている。 質素と貧乏とは明らかに違う。 貧は貪(どん)を誘うといわれるが、対して質素こそは躾(び)の極まりでないのか。 このような公園によく見かける桜の若木などは植えられていない。 春はまだしも夏ともなれば葉っぱの裏側が アメリカシロ毛虫 だらけになる桜などこの公園にはいらない。 県内そちこちに桜の名所を誇る栃木ならではの潔さであろう。 「だが まてよ」 水飲み場で顔を洗いながら正面の石碑に彫られた文字を読んだ作家おしぐれさんは考える。 作家は疑り深い。 なぜなら石碑には公園名と竣工日と当時の町長名しか彫られていない。 水で洗ったサングラスをかけ直し、裏側に回って小さな彫り文字を読んでみても探している碑文といえるものはない。 数名の発起人とおぼしき名前があるだけ。 しかしその名前はやや時代がかった次右衛門とか三之助、あるいは屋号と思われるものが刻まれているのみ。 「これは どういうことなのか?」 あずま屋の柱に自転車を立てかけ、ベンチにヘルメットと手袋を置いたドキュメント作家は どきゅめく。 昔、キャサリーン台風の大出水による濁流が渦を巻いた巴波川下流域のこのあたりでは、上流から押し寄せて来た流木の攻撃で木橋があっという間に流され、迫りくる大水害の予兆を前に危機回避の唯一の手段であろう 「堤防切り開け」 の決断をせまられていた。 ここの湾曲部で堤防を切り、水を赤麻沼に逃がさないと下流は水没する。 しかし堤防土手と赤麻の間には開田して間もない次右衛門と三之助たちの新田があった。 彼らの手持ちの田んぼはここだけなのだ。 苦渋のすえ、涙の ”口開け” を決断したこの場所には開田以前から大きく立派な八重の花を咲かす桜があって、その根は土手の踏ん張りになっていた。 その踏ん張りのおかげで川の湾曲は長いあいだ保たれていたのだった。 豪雨のなか桜の根元の土塁が切られ、怒涛のごとく噴流した濁流は赤麻沼の湿地帯に向って一直線に桜を押し流し、同時に新田をも飲み込んで行ったが口開け場の湾曲より下流側にあった80倍の面積の田畑と民家は水没をまぬがれた。 次右衛門や三之助は下流域の自作農家の二男三男に生まれた。 当時は新たに百姓をするには土地が不足し二男三男の独立は困難な時代だったが、それぞれの家の長男が手伝って山寄りの荒地だったこのあたりに開墾分家させてもらった。 恩義を忘れず百姓に精を出した次右衛門、三之助たち。 やがて米が取れるまでに田んぼを育てた。 田畑は狭くとも小作をせずに妻子を養って米を作れるのは本家のおかげ、恩を返すのは今しかない。 今しかないがそれはそれは大きな決断であったに違いない。 以来この地の人々は春のお花見シーズンになっても決して桜は見ない。 他所の桜の下を通るときには麦わら帽子のひさしを目深に直して行きすぎる。 子供たちにもそうさせてきた。 子供たちは荒れた田んぼに裸足で入り、流されて来た石拾いを手伝ってその石を決壊した口開け場まで運んで積んだ。 それは冬をまたいでも何か月も続いたという。 翌春、田んぼのかたちは復旧したが土が入れ替わってしまったので夏になっても田植えはできなかった。 秋になり他所の田んぼにたわわに実る稲を見て農民たちは肩を落とした。 冬になる前、下流の農家から荷車いっぱいの白米が届けられた。 米は軍に納めると県知事に明約して租税と兵役を免除された大事な米だったが、 「食うもよし 売るもよし」 との手紙が一匹だけで車を曳いてきた赤牛の首に添えられていた。 赤牛は田鋤(すき)農具も荷車に乗せていて、よく働くめんごい牛だった。 間もなく下流の若者が数名兵役に行ったという話しは何年も口開け場には伝わってこなかった。 往時の村おさは次右衛門の長兄だったが、新兵の父親でもあった。 数年後、再築された土手下にいつの間にか自生した ふぢ(藤=ふじ) の花が咲くまで彼らは黙々と農作業を続け、ふぢが咲いたらその元に親戚縁者が集まって花見の宴を開いた。 兵隊に行った若者も戻って宴に加わり、赤牛には仔牛も生まれた。 口開け場下の田んぼで獲った米を自分たちの食べるボタ餅に使ったのはその花見が初めてのことだった。 以来この地区の花見は ふぢ とボタ餅と決まっている。 確かに八重桜が満開となる4月末から5月初めの連休の頃というのは田植えの最盛期、それより遅れて咲くフジの花は田植えが終わって一息ついた農民を祝うタイミングを心得ている。 白いふぢの花房の元での花見は、遠望される富士の霊峰と共に不二(無事)に田植えを終えた開墾農民の誉れなのである。 稲の豊作を願うと同時に流してしまった桜のことを偲ぶ行事でもあったとうかがい知れるが、平成の今になっても桜の花見をしない訳は誰も言わないうちに忘れられてしまった。 口開け場100年の不文律はあの石碑と祠だけになった。 4 話 ハッピー エンド (happy end) 余談になるが藤岡から少し離れた県内の足利市には白フジ花房の下がるトンネルが100メートルも続く世界一の古フジ巨木があって、生育施設は一般に開放されている。 天井から地面に下がる房の長さがまたすごい、20メートルもあるのだ。 人々はその下を上を見上げて香りに酔い、よろけながら歩く。 白のほかにも薄紅・紫・黄ばな の下がりフジもあって、その中を彷徨して行くさまは隅田川の花火大会の夜空いっぱいに打ち上げられた大玉花火の中にいるが如し。 県の指定は甘受したが、条件のうるさい国の天然記念物指定を蹴って維持管理している花園の社長さんの手腕もすごい。 レストランもホテルもあって、ここは浦安にひけをとらない花の一大テーマパークなのだ。 ないのはカジノだけ。 白古フジの枝の総延長は地球を一周するほど。 重量を支える鉄骨総量は東京タワーを作ったときを凌駕するといわれているが、今ならスカイツリーと比較されるのだろう。 しかしこの古フジ、東京タワーのもっと前の昭和の初めにはすでに樹齢100年を越えていたといわれ、赤麻沼の畔に流れついて朽ち果てようとしていた桜の巨木を支えにしてしっかと立っていた。 現在の足利に移植するに際してはいったん地面を深く掘り下げ、赤麻の土2万トンと赤間のヨシを焼いた炭を5千トンも入れた養地を作って迎え入れた。 それが良かったのか今なお枝葉を伸ばし続けて毎年花房をつけている。 このフジはやがて 「縄文藤」 と尊称されるにちがいない。 名称の意匠登録はおしぐれさんがいち早く特許庁に取得申請している。 おしぐれさんの家紋は代々の下り藤である、 一門を破門される覚悟で取った。 ‥ これの使用権で食えるかどうかは作家のこの本が売れるかどうかにかかっている。 フジとバラ、ツツジやシャクナゲなど花木類を包括したフラワーガーデン 足利フラワーパーク はドーム型施設だから隣りの群馬赤城山から吹いてくる上州空っ風の冬でも開館している。 年間150万人ものひとが訪れている。 こんな大型エンターテイメントは関東には浦安にしかない。 入場料 : 大人1000円〜1700円 花の時期やライトアップ実施により変動します。 駐車場 : 大型バス100台可能。 余談が長くなってしまった。 なに? 余談のほうが面白い。 全篇これ 余談やないの?ってかいね ‥ あんたら入場料返すで 帰ってやー。 まったくもう 予断の許さぬお客じゃわいね。 何処から来なすった。 あに? 信州かいね。 トレーダーの研修旅行やて! 帰れえーっ。 冬は寒風にさらされる口開け場の白ふぢは訪れるもの少なし、此処から土手のサイクルロードを辿って渡良瀬川本流を遡って行けば、足利までは50キロメートルほどで行けるはず。 ただし途中の土手の乗り継ぎに不明と不安があって、おしぐれさんは今だチャレンジしたことはない。 したがって見て来たかのように足利の大フジのことを おお不二 に書いているが、あながち でほらく ばかりではないと念を押しておく。 公園の刈り込まれた芝生の境目には赤レンガが埋め込まれていて、その先にはレンガ草いや蓮華草がどこまでも咲き続いている。 こちらはやや伸び過ぎの感もあるが春先の田んぼに栽培されて田起しと同時に土に梳きこまれる運命のレンゲ草と違って、寿命の限り咲き誇ることを許された公園の蓮華草。 しつこいようだがここではレンゲ草ではなく蓮華草と書くのが正しいと作家おしぐれさんは確信するのであった。 大きく咲いて風に揺れる薄紅の花壺を必死に支える細い茎の首がなんとも可憐で可憐で、このところ首を痛めているおしぐれさんは思わず涙するのであった。 うずま川決壊口祈念公園、ひっそりと祀られる口開け場。 祈念碑に多くのことは語られていないが 桜・白ふぢ・蓮華草 なんと泣かせる処であろうか。 5 話 ネバーエンディングストーリー (never ending story) 翌週、日の出から30分待って気温の上昇開始を確認し公園の駐車場からスタートした。 六地蔵さまの立っておられる赤麻寺山門までの最初の8キロ区間、ここはウォームアップと決めてゆっくり走って行く。 自転車のその日の調子も確かめながらゆっくり行くことにしている。 陽が昇ってからの天候に変化があるかどうかをこのあいだに読み取ろうと空を見上げるとき首が痛い。 おしぐれさんの頸椎神経根症という厄介な病は完治することはないらしい、ウォームアップで少しでも和らぐようなら今日は調子がよいと判断して先のコースを取れる。 風はまだないが午後には必ず吹いてくるのが渡良瀬の常だから戻りルートでの強い向かい風は避けたい。 できれば背風になるようなコースを選びたいがまだ時間が早すぎて読み切れない。 これが読めるようになれば、渡良瀬平原 限定ライダーとしてはいっちょ前といえるのだろう。 その日によって調子が安定しないのは自転車よりおしぐれさんの首の調子とモチベのありよう。 平地なのに走行速度を一定に保てないのを向かい風のせいにしているが、本当は脚出力のP−V線図に乱高下が著しいということなのだ。 ところがいつものことだが、ご本人はそうは思いたくない。 自転車のどこかが具合悪いのだと思っている。 しょっちゅうギヤを取り替えたりハンドルを換えたりしてしているのは、ひとのせいにしたがり症候群なのだ。 「そのミナモトは幼少時から続くマザコンに根ざしている。 そーでしょう?、そしてそれは父親になってもいっこうに直らない」 20年前のある日曜日、どこから借りて来たのか軽トラを持って来て、 「お父さん、トラック結びって出来る?」 「あたぼうよー。 オラはどんなノット結びだって出来るでや、釣り名人だでなあ。 もやい結びだってタンカー結びだって出来るでよ」 「んじゃー 軽トラの荷物、落ちないように結んでね。 ついでに向きも変えておいて、あたし バックするの苦手なのよ」 娘ふたりと軽トラに箪笥やら勉強机やら炬燵やらを積んで出かけていった彼女たちはまだ帰らない。 ときどき電話がある。 「お父さん、何処にいるの? えっ 田舎のおかあさんの処? マザコン直らないのねえ。 それよりトイレの水が止まらなくなったのよ。 工具箱持って早く来て!」 「マザコン亭主」 かあ。 最近になって 「なるほどなあ」 と思う。 「今ごろ遅いわ」 ってかいね。 「ふん 悪かったねえ」 それは極めてわがままな自転車乗りの典型的思考と言わざるを得ない。 釣りとパチンコと自転車は、テニスやゴルフやバーベキューと違って一人でもできる自己完結型の典型。 つまり じこまん。 なかでも自転車は、行く手に坂が見えてきたり強そうなグループ走行の一団に出くわしたりするとヒョイとルートを変えてエスケープロードを行ける。 「この協調性クソ喰らえの平地大好き自転車特性が、典型的わがまま者を育てた元凶である。 いい加減にマザコンを捨てて坂を登らんかい! 軟弱者」 久しぶりに会った退職旧日教組系教師の友人爺いはそのように言うが、 「いまさらなんだ。 給食室の大釜の底に残った脱脂粉乳の最後のひと掬いをひとりで飲んだオメに言われたくねーよ」 ん! なんのハナシだ? ひとりで自転車に乗っているといろんなコトを思い出す。 釣りとパチンコと自転車で家庭を失う者はテニス ゴルフ バーベキュー者より圧倒的に多いといわれるのはどーゆー事情なのか? 全国的統計調査とか そーゆーことは国費の無駄。 芒身の釣り とはへら鮒釣りを指す。 遠野の田瀬湖から帰った後はなぜか釣りから自転車に偏向しているおしぐれさんだが、自分の意思とは相違して相変わらずのひとり暮らしの小屋住まいというのがその証左であろう。 パチンコは、アレは飽くなき研究心と旺盛強固な射幸心に燃えていないと、知り合いもない閉ざされた建物のひとつ箇所にあれはど長くは座っていられない。 おしぐれさんがへら鮒の釣り座に何時間も座っていられたのは、アレは屋外のオープンエリアであったことと相手は冷徹な電脳マシーンではなく、気まぐれな魚だったからOKだった。 釣れなくても、 「今朝早く農薬散布のドローン機が飛んでいた。 水に薬剤が降りかかって魚の食い気が消えた魔の日なのだ」 と結論づければまあよかろ。 パチンコにこの手は使えない。 確率タイムの回ってくるまで辛抱できない者は常に敗者となるそうだが、おしぐれさんはそれまで閉所のひとつ箇所で待てないのだ。 マザコンだから。 湖の背後の山からぶっといマムシが水飲みに降りて来たとしても、あの閉所の恐怖よりはマシだ。 開封したサナギ粉は袋のチャックをしっかり締めてバッグに戻し、その辺に放置しておかなければマムシは山のおっかさんの処に帰って行く。 あの硬くて細い自転車のサドルによく座っていられるなって? アレは瞬間ごとに左右に揺れそうになる股関節の支えとして存在しているものであって、座るものではない。 したがって硬くて軽いことが条件。 あればよいのだ。 シロートはママチャリみたいに肛門付近でドッカと座り、お尻を中心にしてペダリングするから10キロで皮が剥ける。 とは言ってもクロートでも気を抜けばお尻の皮が剥けるリスクはある。 おしぐれさんの自転車の朝はトイレでペーパーを使わない。 シャワーで洗ったら乾くまで待って、パッドにクリームを塗り込んでおいたサイクルパンツを穿く。 紙の繊維を皮膚に残さないためだ。 もちろんパンツ内側に洗濯の糸くずなどあってはならない。 もしも、渡良瀬着前にコンビニのトイレに駆け込んでやむなくペーパーを使用した場合には体調不良の信号だから、こ日の走行は中止してトランポのまま草原の中の新ルート開拓に行く。 2012年のラムサール条約湿地登録以来、とりあえず3,000ヘクタール分の整備予算が国から付いた渡良瀬一帯には新しいダンプ道がどんどん増えている。 そこには埃対策の舗装もなされるので自転車なら入れるのだ。 なお此処の地形や詳細な写真は google の誇るストリートビューで検索しても現れない。 一部は国家機密らしい。 脅威を感じた某国エージェントらしい少年が立ち入り可能エリアから4枚プロペラの小型偵察機を飛ばしているのを見かける。 しかし水門の機密ゾーン近くは強力な無線網のバリアがあってドローン機は次々墜落し水没している。 ここはブラックゾーン。 無線バリアがどれほど強いかというと、おしぐれさんの胸に装着した心拍計の2.4GHz帯に侵入して不整脈を起こすほど。 したがって医療系無線機器を埋め込んだひとは近づいてはならないし、ペットの犬に埋め込んだICチップも誤作動するから散歩に来てはならない。 首輪を外してもらった犬ほどライダーに迷惑なものはないのだ。 まったく。 工事が終わったら低地の舗装は剥がされて元の湿原に戻されるというが、おしぐれさんのサイクルライフの間はダンプ道は続くだろう。 工事が終結してしまわないよう湿地の堤工事事業はゆっくりやっているから未来永劫工事は続く。 高土手斜面の草刈り保全作業を請け負っている業者が言う。 「おらほの会社は絶対つぶれねーだよ。 草は年に3回伸びるでなや。 イタチが土手に穴をあけるだけんどトンビが追っ払ってくれるでよ。 社員食堂の婆さんが弁当届けのときに油揚げを持って来てやるんだわ。 大釜でしっかり湯出ししてな、余計な油は落とすんだ。 みりんと醤油で味付けなーんかしねえよ。 あったりめえだんべー、自然鳥獣保護区だぞ 酒で煮込むだけだあー」 「台風 洪水 氾濫 水没をくり返すことでその周りの市街地や河川や耕作地を守っている渡良瀬遊水地は、自壊してナンボの役目だから それでいーのだ。 こういう崇高な自己犠牲精神に基づいた広大な空地の土手を年間を通して草刈りの仕事で一生懸命お守りしているなんて、こーんな安定成長な仕事は他にありませんな」 首のうしろに手を当てて張り具合を確かめ、上体を起こしてゆっくり走るおしぐれさん。 脳裏をよぎるコトは色々ありますなあ。 「信州から帰った直後から草刈り機の会社を興せばよかったかもしんねーなあ。 2サイクルエンジンはオラほの専門だでよー」 向かい風で自転車が斜めにヨレるのはタイヤの銘柄とエア圧が路面状況に合っていないからだとか、前輪スポークの空力デザインが今日の風には合致していないとか、 そーゆー不都合なコトはすべてメカメカしたモノのせいにするようにしている。 おのれのメカニック性は万全だと信じているから不全はすべて機材素質のネガティブさゆえと結論することでおのれを保っている。 コレを彼女らはマザコンと言っているらしい、当っているかも知んない。 トランポから引き出した自転車に前輪をはめて装着ナットを締め付け、タイヤにポンプでエアを充填したら自転車の準備はOKというのが一般的な出走前準備。 一般人ならそれはそれでよかろう。 だが高級ロードタイヤは高級であるほどに回転の方向・取り付けの方向というものが指定されている。 直進性を高め水や砂粒などの異物を排出する機能と卓越したブレーキ性能をシンプルな溝模様に工夫してあるからだ。 高級タイヤといえども内部の精緻な工夫は覗けないから外観はどこのタイヤも似たようなものである。 回転方向の指定マークだけが高級規格準拠を物語る。 ところがタイヤをセットしたロード車の前ホイールは、構造的に逆向きでも取り付いてしまう。 世界統一規格のシンプルさだからだ。 逆付け防止機構などは重くなるだけ、高級バイクほどそーゆーことにはクソ喰らえの考え方がある。 自動ブレーキやタイヤエア圧を走行しながら変えられる機構を装備した自動車ほどシロート向けに高級とする自動車界とは一線を画す考え方なのだ。 「スパルタンであれ」 自転車はそーゆー ”魂” で統一されてきた。 それは間違っていない。 今後もそうであるべきだ。 そーゆー構造のロード車だからポン付けのご仁は天地が逆というか左右が逆というか、よーするに前後でタイヤのパターンが逆向きのままでも平気でいるのを見ることがある。 そのまま何キロも走って来たというのだから驚くが、ご本人はいたって脳天気に、 「時々向きを変えたほうがタイヤが長持ちするってショップで聞いた」 「そら あんた、前後のタイヤを剥がして入れ替えるって意味ですわ。 後のほうが先に減りますでなあ。 前だけ向きを変えてどないするねんちゃ」 乾いた平坦路ならタイヤの方向性を間違えていても、そこそこの走りには大丈夫らしい。 とは判ったがショップはきちんと説明してやって欲しい。 取り付けが終わったらブレーキレバーを引いて、ゴムとリムとの当り方を目で確かめて欲しい。 僅かでも取り付け状況が悪いと左右どちらかのゴムが強く当たるので押されたほうにリムがたわむ。 このたわみを認めたら取り付けを最初からやり直すか左右逆付けを疑ってみる。 ホイールにはこの面が右側・左側を示す刻印はない。 自転車誕生のときからそうだからそれでよいのだ。 だが中心部のハブ部をよく見るとメーカー名のロゴがさり気なく記載されていて、このロゴが前を向いた乗車状態で自然に読める向きなら左右が合っている。 首を捩じらないと読めない並びなら左右逆なのだ。 量販店のあんちゃんはそーゆーこと知らない。 店長も知らないのだからしかたがない。 ハブの内部はベアリングがあるだけなので左右が逆でも何の問題もないが、ひとたびタイヤがセットされるとタイヤの指定回転方向でホイール全体の左右が決定される。 この初期状態でアライメントやブレーキがセットアップされた後は、方向性を絶対変えてはならないのだ。 やっと判ったかドシロートめー! さらに言うなら後軸の取り付けだ。 メーカーで組み付けられたときにはキチンとセンターが出ていた自転車でも、パンクやギヤのメンテで後輪を取り外しその後の再組み付けの際にフレームに対して斜めに取り付く可能性はショップでも往々にしてある。 シロートなら尚更にである。 それは、右側をチェーンで引かれているので後ホイールは左向きに取り付きやすい、という性質を知っているかどうかで防げる。 前後二輪の自転車はそれぞれのタイヤがきっちりと一直線上に置かれていなくても、真っ直ぐになら走れてしまう。 後から見るとカニの横這い走りであるが走れてしまう。 これは1時間でおにぎり1個分ほどのエネルギーをロスするが、真っ直ぐの取り付けに気のいかないようなご仁におのれの ”カニの横這い” の走りっぷりなど気がつくはずがない。 おにぎり1個といえば約180キロカロリーである。 よーいドンでスタートして、4時間後のへたれた頃に10キロメートルの差をつけてウサギさんはゴールしているのに、カニさんはまだ残り10キロを峠も含めて走らなければならない。 しかも背ポケットに4っつも入れてきたおにぎりはもうない。 峠10キロは180キロカロリーに相当する。 こう考えれば、バイクのメンテナンスは少々料金は高くても、あの高名な 名人おしぐれ工房 に頼もう。 そーゆーハナシになりますわいな。 真っ直ぐ走っているのに昨日と比べハンドルバーが少し横向きと感じたら、それは風のせいなどではない。 ゆうべ一杯機嫌で行ったホイールメンテの後の取り付け失敗です。 すぐに止ってフレームと後輪との隙間をよーく観察してください。 上から後ろから覗いて左右差があっては、おにぎりは何個あってもウサギさんに追いつくことはできません。 なーに修正は簡単です。 クイックレバーでリヤハブを緩めたら後輪前側地面とタイヤ間に右足の靴を突っ込んでおいて、リヤブレーキを強く引くのです。 するとホイールはブレーキに挟まれて正規位置に戻ろうとします、その動きが目に見えたら右足靴のクサビを効かせておいてクイックを一気に閉める。 だいたいコレで直ります。 ゴール後は 名人おしぐれ工房 で精密なフレームの曲がり検査を受診することをお勧めします。 おしぐれさんの精密フレーム検査機というのは、錘をつけたタコ糸とノギスと床面に印を描くチョークだけです。 なあーにピタゴラス先生もコレでやっていた。 ですがフレーム曲がりは直しません。 「直しても乗りたい」 というほどの名機が持ち込まれたことがないからです。 フレーム修正機は高額で買えないうえ期待ほどの効果は出せない。 カーボン製ならなお手上げです。 それは元々の寸法違いで、つまり安物なんです。 「余計に悪くなっても文句は言いません」 との誓約書を書いてきた執拗なお客だけ特別に ”おしぐれキック の一発かまし” で矯正できたことはあります。 その日は年に1度くらいしかない 天使が降りてきた日 だったのかも知れませんね。 クロモリフレームは鉄の磁性体だから天使が付きやすいのです。 宇宙のさだめです。 そーゆーことを考えながら膝をクルクル回しているうち、心拍も上がってウォームアップが進んでゆく。 呉工業のルブを内部に含んだチェーン駒は 「チャー」 と良い音を響かせている。 巻き替えたばかりのハンドルバーテープはしっとりタイプの合皮に赤ステッチ模様が素敵で気持ちよい。 ステッチの赤糸が均等に見えるようにきっちり固く巻いてある。 この風情は対向車から見ても超ベテラン風たたずまい。 そのせいか向こうから先にアタマを下げて挨拶してゆく。 「おーっす、 オメさんも気張りなやー」 気分よしの横柄な態度なのは、渡良瀬限定 平地のチャンピオンだから。 そんなカテゴリーは何処にもないが、いーのだ。 皆さんそう思って精進している。 バーテープは基本的に黒。 コルク粒入り ”さっぱりタイプ” がおしぐれさんの好みだが、今回は快気祝いの初ライドに際してヌメっとした黒の光沢に赤の2本ステッチが縫い込まれた薄手の合皮テープを巻いてみた。 ほとんどのライダーが気分を変えて頑張ろうというときにはバーテープを一新する。 初デートに新品のパンツを穿いて臨むと同じ心意気である。 バーテープキットは高くても1,900円くらい、安いのは780円。 初デートなら高いほうを穿いて行くだろう。 大抵の場合パンツは陽の目を見ることはなく、そのまま穿かれて帰る。 じつは数日前に再起初ライド用にハンドルバーそのものを頸の楽そうな前傾姿勢の弱いものに換えている。 日本人の体形にジャストフィットとの触れ込みに惹かれて全体が小振りな 『Jフィット』 の商品群から選んだ。 となれば仕上げに巻くバーテープも細身でお洒落にと薄手をチョイス。 薄手だと握り感は硬めになるから手指がバーから落ちないように ”しっとり” & ”ヌメっ” 。 そのままでは陰気だから赤のステッチ糸で印象をシャープにしている。 この場合のヌメリ感とはヌルヌルではない。 庭先にいる紫トカゲの皮膚をイメージしていただきたい。 ヤマト紫トカゲは別名カナヘビ、でも蛇ではなく足がある。 日本在来種の小型トカゲでカツオ節を餌にペットにするひとは多い。 ただし籠などに入れて飼うものではない。 平べったい皿にカツオ節をのせて植木鉢の陰などに置き、そっと見ているとそのうちチョロリと出て来て目が合っても平気で食べて行く。 馴れると手からも食べる。 触ってみると水棲の蛙ではないからヌルヌルなどはしておらず、逆に冷感ヌメリの触覚と玉虫色の光沢が相和して高貴である。 春から晩秋までおしぐれ小屋に勝手に出入りしているペットなのだ。 冬場はどうしているかというと、水はけのよい花壇の陽当たりの土の下25センチ位のところで眠っている。 もしも誤って掘り起こしてしまった場合には同じ場所に戻すのが礼儀だが、もしも気温が下がってみずからは動かないほどの熟眠状態ならば土に戻しても無事の越冬は心もとない。 覚悟を決めて暖かい室内で越冬させてやるべきである。 大き目のダンボール箱に乾いた土とトカゲを入れて明け方気温が氷点下にならない場所、しかも光と振動のない静かな場所に置いておけば春先には起き出してきます。 起きてきたらカツオ節や魚肉ソーセージなど与えるのはよいが酒はやらないように、浦島の亀じゃないから酒はダメです。 昔おしぐれ少年はトカゲの恩返しを期待してカツオ節の酒びたしを作り、庭先に置いて翌朝かぶせておいたムシロをはいだらガマ蛙と大ムカデが餌を巡ってにらみ合いをしていたものです。 ガマは筑波山の守護、大ムカデは赤城山の神とされ、日光の中禅寺湖の所領を巡って合戦をくり広げたのが戦場ヶ原から尾瀬にかけてのあたり。 古来戦国の勇者はガマやムカデの生命力に強く憧憬した。 江戸幕府の開祖 徳川家康が没後三年の墓山は日光にと言い残し、遺言通りに東照大権現と祀られたたのはそんな由来から。 石川五右衛門は大ガマの背に乗って現われ、伊太利の伊達男 フィアットアバルト のマスコットマークはサソリと昔から決まっている。 黒のヌメリ皮に赤ステッチ、まるで大ムカデのようなハンドルバーを操作して夜明けから間のない渡良瀬草原を行くうち、最初の休憩地である赤麻寺山門に着いた。 赤麻というのはこの辺りの旧名で、遊水地ができてから一帯を渡良瀬と呼ぶようになったのだが、そもそも渡良瀬とは尾瀬・日光・足尾山地を水源にいただく渡良瀬川流域のこと。 明治の初め、足尾から渡良瀬川を流れてきた 古川鉱業 銅山製錬の鉱毒を、海を目前にしたここ赤麻沼で封じ込める国策として広大無尽(無人)の遊水地になった。 集団棄村から水没の運命をたどった谷中村の話しは日本公害史の原点として有名だがその話しは今回はしたくない、でほらくで書ける内容ではないからだ。 でほらくでも書たのは渡良瀬の旧称、赤麻沼 の話しであった。 だが実際の赤麻沼を見たことのない作者には荷が重かった。 赤麻とは赤い色をした麻、つまり大麻のこと。 これは素人にはご禁制の栽培植物だから十分に心して書かないとならない。 よって暫時休憩。 続きは自戒しながら次回のこころだあー。 初幕 緞帳。 楽屋にて。 やっと本題の端に漕ぎつくことができた、かつて赤麻沼での対岸への交通手段は木製の笹舟を漕いで行くことだった。 うーん いいねえ。 うまく漕ぎついたと洒落が完成した。 このくだりまでいったい何キロ走ったものやら。 ずいぶん時間がかかったぞ。 メーターを見るまでもなく、2話冒頭にもあるようにまだ8キロメートルである。 これでは消費30キロカロリーにも満たないが、作家はトライアスロンの海水バージョン並み 7,000キロカロリーを使った。 おーい 風呂したら焼肉屋だあー。 以後は 2幕 赤間寺 につづく。 写真説明 左 : 身代わり地蔵菩薩 の幟が南風にはためく赤麻寺南門。 六地蔵さまが迎えてくださる。 お地蔵さまは赤子の恰好をしておられますが、 じつは菩薩さま の法位なのです。 菩薩とは釈迦の入滅名。 すなわち最高位の仏さまなのです。 本堂にはあえて入らず、寒風に耐えてここで村の衆を見守っています。 柵の外はサイクルロード。 中 : 粗末な屋根があるだけの地蔵堂。 背景は渡良瀬遊水地、年に数回富士山が望める。 右 : 左端のおひとりだけ何故か赤いお帽子で目が隠れている。 おしぐれさんはお参りの度に帽子をたくし上げて目を出してさしあげるのだが、後日後に訪問すると決まってこちらだけ目が隠れている。 花を供えているひとがいるからそのひとが ‥ 。 この地蔵のお名は地獄地蔵、なにやらいわくがありそうな ‥ 。 お隣は宝珠地蔵。 次回 2幕 で地獄さまの沙汰に迫れるか。 おたのしみに。