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内藤 俊水
第一部 「秋田」 1.

 7月下句 ニッポン列島は朝から暑い。
梅雨はすでに上がって夏空のどこにも雨雲の影はなく、全国どこへ行っても暑さは厳しいに違いない。
それでも北国秋田なら酷暑も少しはマシかと一縷(いちる)の希望を繋いで遠征を決めた。
この時期に真っ昼間4時間の自転車耐久レースを秋田県サイクリング協会という団体が企画し、競輪補助事業の認定を取り付けて参加選手を募集しているとの情報があった。
いったい正気で炎熱の舗道上を走らせるつもりか、一般参加の選手への健康管理の体制を万全にしての催行か、それともレ一ス開催を隠れミノにした補助金狙いのいかがわしいカルト集団なのか、
 「正体を見極め、必要とあらば組織を隠滅(いんめつ)すべし」これが今回のぼくに与えられたミッションである。
ぼくは独立司法法人系のイベントGメン。
Gメンとは生来の怠け体質を持つ男という意味、暑いのにも寒いのにも滅法弱いが仕事だから仕方がない、乗り気薄のまま北国秋田のサーキットヘ乗り込んだ。
 屋外での活動(スポーツ)は陽射しとの戦いとなる、先行選手を追うどころか彼らの背中は砂漠の陽炎のなかで揺らめくラクダの隊列のように見える。ラクダとて本当は暑い日中はオアシスの泉の木陰で休み、歩くのは陽が落ちて気温の下がる夕方から朝方にかけて、星明りを頼りに砂丘を越えて行くと聞く。
アリも歩かぬ炎天のサーキット路上を自転車で4時間走り続けて何キロメートルの距離を行けるかを競う耐久レ一スは、まっこと怠休レ一スの様相を呈す。
 コ−スの頭上を横切る大規模農場の橋の下に唯一の日陰を見つけ一休みすることにした、
この辺りなら大会本部席より遠く離れ見物人もいない。
後から来たご同輩のへたれライダーが同様にバイクを橋桁に立て掛けて路面にへたれ込み、大きく息を継ぎながらボトルを取って水を飲む。
へたれ込む前、バイクの立て掛け方がまことに正しく丁寧だったところを見ると、休んだらまた走り続ける決意のようだ。
両者目が合えばなんとなく頷(うなづ)き合い、声には出さず、
 「まだ やるのかエ」
 「あたりまえだがや おぬしには負けぬ」
何処の誰かは存ぜぬが同世代のへたれさんが他にもいて、苦しいのはぼくだけじゃないことが確認できれば不思議に脳が活性する。
目から入った他人の活動(がんばり)の刺激が脳のモチベーション置き場のドアを勢いよく開けて発奮酵素を放出。
さらにバイクを降りて休み、深く呼吸を繰り返したことで取り込んだ酸素が肺から血液に十分浸み入ると、筋肉に溜まった乳酸を分解してグルコースに再生し、発奮酵素と絡み合って力として回生するからだ。
それは胸がキュンとすることで自覚できる。この年になって恥ずかしいが胸がキュンとするのである。
つまりぼくの脳と胸とは太いLANケーブルでつながっていて、このケーブルが太いほど胸キュンを簡単に興し(おこし)やすい お祭り好き体質、きっと彼もそうであろう。
 回生エネルギーがぐるぐる回りだすと、これがいわゆる「ランナーズハイ」の始まり、疲れたアスリートをたちまち蘇生させて、エリートアスリートに押し上げる神秘の生体メカニズムが開始される。
ただし、神秘の「ランナーズハイ」により力を得て一躍スピードアップできるのは、普段から計画的にしかも辛く苦しいトレー二ングに耐えて贅肉をそぎ落とし、「田んぼの田の字の腹筋と コブラのようなフクラハギ」をつくりあげた鋼(ハガネ)の心臓と鋼(チタン)の意思を持った者だけである。
だが神様は、正真正銘のへたれアスリートにも正しく平等に「ランナーズハイ」が訪れるように配慮してくださる、ありがたいことと日々感謝。
もっともそれは、せいぜいモチベーションの高揚ぐらいであるがそれでもへたれアスリートは、おのれの身体能力が向上したと錯覚して実力以上に頑張れる。
 発奮酵素が効くのは8分開だけだから正真正銘のへたれアスリートはしょっちゅう発奮していなければならない。ウルトラマンが13分もの間スーパー馬力を発揮して闘い続けていられるというのは相当な鍛練の成果である。
太いLANケーブルの胸キュン男がしょっちゅう発情をくりかえすのは、上記理由によるいわば副作用なのだから これは仕方がない。
 オフィシャルカーのプレートを付けた黒い軽四輪駆動がぼくたちの手前で止まり、ジッとこちらを見ている。
中に乗ってニヤニヤレながら、ぼくらが息絶えるのを待っているハゲ鷹のようなオフィシャルドライバーの顔は、照り返すガラスの反射で見えないがネズミ男に決まっている。
瀕死の自転車選手が、僅かな日陰を互いに分け合う感動的な惨状(シーン)をエアコンに守られた涼しい車室内から眺めるのは、サデステックな喜びであるに違いない。
手を挙げて合図すれば無線で呼ばれた農協の軽トラがスキップしながら駆け付けて落伍者とバイクをコースから回収する手筈。
手を挙げることすら出来ない重篤者には、軽バンの救急車が薬燗(やかん)に氷水を入れて駆け付ける手筈。
こんな死神ハゲ鷹野郎のコスチュームを着けたネズミ男に見つめられてはたまらない、
 「ヨッシャー」

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