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日暮れの徒然日誌

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郷土史1 我が寒村に電灯が点いた日 1923年(大正12年)
2010/05/25

全くの偶然で私が育った寒村の民俗史を発見した。
作者は不明であるが、大正初期時代のことが生々しく記述されている。
著作権は放棄されておるらしく、遺族の方が手書きされたものを残す価値が有ると認められて、この方の文章を活字化したものと思われる。

第1回目の掲載内容は、電灯が点いた日 を選んだ。
電灯が点く前は、ランプ生活でランプのスス掃除が毎日、子供の仕事であったと母から聞かされたことを覚えている。
母は大正4年生まれであった。

時代背景を明確にしておきたい。
我が郷土から約4kmの所に鉄道が開通したのは、1905年明治38年であり、日露戦争開戦は1904年明治37年であった。

ということは、日露戦争から18年後、鉄道が開通後から17年後、電灯が点ったことになる。

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114、〔デンキが点いた日〕  
(ランプ から 電燈 へ)
中学時代に変わった物の一つに”灯り”がある。即ち(旧制)中学一年の夏になって(1923年の事)、村に【電燈】が灯った事である。
その日が来る迄、ずーっと子供の仕事になっていた事に、「朝の雨戸繰り」、夕方の 『ホヤ掃除』、「夕方の雨戸閉め」 が 有った のである。
夕方になって、家人が野良から引き揚げて来る頃になると、俺は姉の手伝いをして、勝手横の小部屋に吊るしてある【ランプ】を持ち出して来る。ランプの『ホヤ』 を外して、昨夜中で 黒く成ったガラス筒を、棒の先に布を巻き付けて糸で結えた物で、掃除するのである。黒く汚れたのが 透明になるのが とても楽しく、嬉しい作業であった。
そして下部の油壷に、石油缶からポンプで石油を満たすのである。捻じ込み式になっている壷の上の燈芯部を外して、吸い上げポンプ(今の一斗缶から移す位の大きさの物)のピストンの針金を 上下すると、可愛い 軽い金属音がして 缶の石油が 壷の中に注ぎ込まれる。
壷にはガラス製、金属製の物が在った。そして燈芯の炭化部分を綺麗にして、芯の高さを調節し、綺麗にしたホヤを挿して、部屋部屋へ配布して、その部屋の中心部に下っているカギに吊るして廻るのである。
夜が明けると、ランプは硝子製である上に石油が入っている物だから、一部屋に集めて保管する。
俺は勉強する折は、上座敷へ 独居して 机の隅に ローソクを両側に立てて
やったのである。その方が安値だったのか、ランプの底部が暗いので 使いにくかった のかは、はっきりしない。
因みに、移動用は『提灯:ちょうちん』と【カンテラ】である。カンテラは、石油を入れた「ガラス張りの四角い手提げ燈」である。

「電気が来るぞ!」 と 云う話は 実にすばらしい話であった。よほど以前から
村のあちこちに、大きい材木(デンシン柱と言った)が運ばれた。
そのうちに測量があり、各戸に柱を立てる約束が 取り交わされてから、工夫達が村に入って来て、電柱建てが始まった。村へ入る最初の取付柱が、遥か下の河原から俺の家の畑に決まった。その遠い 低い所から、どうやって電線が張られるか? と 好奇心で 待って居たものだ。
其処から村中に電線が張り巡らされた。そして今か今かと待ったのである。
俺が中学から帰宅すると、姉が 「今夜、デンキが ツクっちゅうぞ。」 と言った。
その時の俺の絵日記には、カバンを掛けた儘の俺と、遠くの方に小さく姉と、真中に大きく 【電燈】が ブラ下っている。多分、帰宅した時には、もう点灯してあったかも知れ無い。只、覚えている事は、姉と母と三人で、その明るさの 凄さに 目を見張った事である。
姉が新聞を持ち、「こう。まあ。まあ。まあ。まだ、めえる(見える)わや!」 と、段々後ずさりしながら 驚嘆して居た。
母は、「こんなに離れても 糸が通る!」と言って、針と糸を持って喜んで居た。俺は、眩しい電光に唯々感嘆して居たっけ。
その場面だけが、強く残っている。だが、あとの光景は何も覚えて居無い、と云うのは 何ういう事だろうか。多分、第一印象と云うものが、如何に 後に 残像するか、と云う事か。

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縄文時代1 縄文土器紋様から縄文人の思想に思いをめぐらす その1.
2010/05/25

まず、縄文時代とはどの様な年代を言うのか、ざっくりと年代について頭にたたき込んで頂きたい。

縄文時代は、年代でいうと今から約16,500年前から約2300年前だと一般的に言われている。
特に、終わりの年代区分に対しては、日本列島が広範囲に渡る為、研究者により諸説があるということは認識しておいて欲しい。

そして、縄文時代と弥生時代は『稲作の有無』で歴史的区分され、縄文時代には稲作が無く、弥生時代に稲作が始まりとされる。

考古学学者や全国の博物館学芸員の見解は異なるが、一応、弥生時代はBC300年頃〜AD300年頃とされている。

そういう前提で考えると、縄文人は14000年以上の歴史があり、今の現代人は、高々1700年の中で生きているということも念頭に入れておいていただきたい。

また、土器と土偶は全く性質の違うものだということも前提にして、この話題について論述する。

縄文土器を展示してある博物館は全国各地にある。
一度、博物館で縄文土器を見た人は、縄文人の土器の造形美の美しさに魅了されたと思う。

弥生時代の土器は、現代、我々が日常使用している陶器とほとんど同じ造形で、ただ焼成温度や釉薬の違い程度としか思わざるを得ない。

縄文土器について、特に北陸地方で発掘された火炎土器の激しい造形美に、多くの人は注目しがちである。
火炎土器は造形美が激しいだけで、思想性のある紋様は全く無い。

縄文人の思想を解読する場合、一番大事なのはそこにどういう紋様が有るかどうかを知るのが一番重要なことなのだ。
何しろ、この紋様は日本人の思想のルーツであり、現代人も多かれ少なかれ、この思想に左右されているのだからだ。

そこで縄文土器紋様にはいろいろの特徴があるが、一つの特徴である『蛇と蛙』についてまず論述する。

■『蛇』の紋様について■

縄文人の大地や生命への畏敬の念を強く感じることから私は、「雄と雌の二匹のヘビの交尾」説を採用する。雄と雌のヘビの長時間からまりあう性のエネルギーの中に大地や生命への畏敬の念を感じたのであろう。

また、ヘビの脱皮は生命の再生と循環をくりかえすという、縄文人の世界観を体現しています。 森の主、大地の主であるヘビを土器に造形することによって、森の恵み、大地の恵みへの感謝と豊穣を祈ったのでしょう。

蛇の交尾の特徴性を縄文人が尊重したという説を展開したのは吉野裕子氏である。

他の主な根拠説は、春になると蛇が脱皮する習性に対し、生命の循環・再生を縄文人は感じ尊重したものだと言う。
この蛇の脱皮習性説は、多くの考古学者が論じており博物館の説明員は必ずこの説で縄文土器蛇紋様を紹介している。

■『蛙』の紋様について■

この説は、縄文土器の紋様出土品の世界一『井戸尻考古館』の研究論文から引用させて貰う。
尚、縄文土器は世界史的にみて、他の国には無い世界一の土器であることを日本人として誇りにして貰いたい。
井戸尻考古館は、縄文土器紋様解析で先頭を走り、世界一の土器考古館だと私は思っている。

http://www.alles.or.jp/~fujimi/idojiri.html

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本形のひとつは、蛙の図文と蛙と人間の間の子みたいな半人半蛙(はんじんはんあ)の精霊の像で、それらは双環で表わされた大きな両の眼と3本指の手を持ち、紡錘形や円い胴体をしているのが特徴的である。3本指の手はふっくらとし、赤ん坊の手首のように括(くび)れて瘤(こぶ)状に盛り上がり、それに紡錘形の蛙の背には、女性器の意味が重ねられているようでもある。
 
ところで、似たような図像は中国黄河流域の仰韶(やんしゃお)時代の彩陶、あるいは殷周時代の青銅器にあり、漢代の文物では、蛙は月の中に描かれていて月の不死性を象徴している。また漢代に伝えられた古典には、月中には蟾蜍(せんじょ)と呼ばれるヒキガエルが棲むと記されている。これらの図像を照合すると、当時は太陰的思想が基層を成していたことがわかる。
 
そして、このような関係を縄文中期の土器文様と対比すれば、蛙文は同じように月の不死性を象徴していると判断でき、新しい命を産む女性の出産力は豊穣の象徴と考えられていたようだ。月と蛙と女性の複合からなる太陰的思想は、新石器農耕文化に特徴的な世界観であったと解釈される。

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私的には、井戸尻考古館 館長さんから直接お聞きした説がある。
稲作において、田んぼの代掻きがされると冬眠していた蛙が、一斉にガーガー?と蛙の合唱が始まる。
今日、代掻きを終えた我が家の前の田んぼから今年も蛙の鳴き声が聞こえ、今年の稲作が始まったのかいう季節感を味わっている。

縄文人も蛇の脱皮で生命の再生・循環を感じたのと同じで、この蛙の合唱に蛇の脱皮と同じ思いを抱き、尊敬し縄文土器の紋様に描いたのでは無いかと思う。

私はこの説が、一番納得出来るものだと確信している。

参考文献
1.甦る高原の縄文王国  井戸尻考古館編  言叢社
2.語りかける縄文人  戸沢充則  新泉社
3.蛇 日本の蛇信仰  吉野裕子  講談社
4.縄文 謎の扉を開く  縄文文化輝く会 富山インターナショナル
5.平成21年度井戸尻文化講座資料  井戸尻考古館

野鳥 えさ台小屋に飛来する楽しみ 
2010/05/24

我が家の庭に野鳥えさ小屋を作ったのは数年前。
毎日えさをやり野鳥が来て、えさをついばむのを楽しんで見ている。
えさ台には、雪や雨対策として切り妻形式の屋根も作った。

野鳥にもえさの好みが有る事が分かった。
最初の頃は、残った残飯を与えるのが最適と思い長い間、与えてきた。
ある日、食パンを千切り与えたところ残飯以上に野鳥にとって好物だということが判明した。
更に、リンゴを細かく切って与えたところ食パン以上に好物らしいということが分かった。
そこで、スーパーの不揃いの格安リンゴを購入して来て、冬の間与えたりした。

鳥にも縄張りが有るとともに・親分子分の序列もあることも分かった。

冬の間、雪見障子越しにこの様子を見ていれば退屈しないのだ。
TVはただ五月蝿いだけだが、野鳥の観察は自然というものの不思議さが有り、毎日が楽しみである。

ところで、我が家に来る野鳥は一年中同じで正確には
分からないが、野鳥図鑑から調べるとほぼ むく鳥 らしい。

春告鳥など、季節にあった野鳥が来訪して貰いたいと
思っておるのだが、むく鳥 がえさ台占有権を確保しているらしい。

日曜大工でえさ台を作り、野鳥の飛来観察する楽しみを多くの人に推奨したいと思っている。

コンサートホールと残響音・・・・・そして世界一流・天才 バイオリニスト
2010/05/23

私は比較的、コンサートホールに行き 生の音楽 を聴くのが好きのほうだと思う。

最近では、世界的バイオリニスト五嶋みどり・南こうせつ・伊勢正三・石川さゆり・谷村新司他プロの人達や、アマチュアの交響楽団・合唱団・マンドリン演奏楽団etcに聴きに行ってきた。

そこで感じるのはいつも 音の良し悪し である。

コンサートホールには、音楽専門に設計されたものや
多目的分野に使用されることを念頭におかれ設計されたものがある。

所謂、県民文化会館とか市民会館とかは、音楽・演劇・講演会etcとか多目的使用を念頭に設計されているので、音質は悪いと言わざるを得ない。

一般的にコンサートホールの音質の良し悪しは『残響音』で評価される。
私は建築学や音響学は全く無知なので、NETで調べる程度の知識しか持ち合わせていない。

ところで『残響音とは何ぞや』という方もおられると思うので、かいつまんで説明する。
定義は音のレベルが60db減衰する時間で、もっと簡単に言えば、百万分の一になる時間を言うのだそうだ。

残響音が満席時1.8秒前後が人間にとって非常に心地よく音楽を聴ける時間とのことだ。

そこで、県内のコンサートホールの残響音を少し調査して見た。
残響音を表示してあるホールと無いホールがある。
表示して無いということは、残響音の値は悪いのではないかと思ったりしているのだが・・・・どうだろうか?

全部を調査していないということを前提にしていただいて、県内で残響音を表示しているホール名と残響音について紹介する。

   ・ホクトホール(長野県県民文化会館:ネーミングライツにより潟zクトが取得)
                1.4〜1.9秒(空席時)
   ・松本ハーモニーホール  2.0秒(満席時1.8秒)
   ・カノラホール      1.97秒(空席時音響板設置)
   ・軽井沢大賀ホール    満席時1.6〜1.8秒
   ・レザンホール      1.8秒(空席時音響反射板設置)
   ・あんずホール      1.5秒(空席時)
   ・長野県伊那文化会館   1.6秒(空席時 残響音測定位置)
 ・松本県民文化会館    2.2秒(空席時)  

軽井沢大賀ホールはソニー元社長の大賀氏が個人で建設したものだ。
大賀氏は芸大出身でソニー入社のいきさつを知っておる者にとっては相当、音質拘ったと観るのが当然である。
だが、私はこのホールに行ったことは無い。

カノラホール2階席センター最前列は、非常に良い音質であるのは実感している。

但し、残響音表示だけに拘っていいのかというという疑問も残る。
大阪フェスティバルホールは、有名アーチストが非常に高い評価をしている。
このホールは昭和30年代に建設されたものである。
現在このホールを壊し、再開発するという計画があるが、有名なアーティストが保存を訴え反対活動している。
このホールの残響音は、表示されていない。

さて本題に移ることにする。

松本ハーモニーホールで聴いた五嶋みどりさんの演奏はまさに鳥肌が立つ程、すばらしいものだった。
このホールは音楽専用ホールとして設計されており、音楽以外の公演は一切していない。

みどりさんのバイオリン演奏は、音が消えうる様な弱音の演奏・弦が切れる程強い演奏・猛烈なスピードで弓を走らせる演奏etc・・・・何れの場合も音色ははっきりして非常に心地よいものだった。

みどりさんは、楽譜を見ずに演奏し自分自身が演奏曲に陶酔してバイオリンを演奏しており、仮に音は出さなくてもみどりさんの演奏する姿をみるだけでも、充分満足出来る程であった。
こういう人が 世界一流・天才バイオリニスト なのかと実感したものである。

松本は有名な『鈴木メソッド』発祥の地である。
演奏会終了後、Meet & Greetがみどりさんの特別の配慮で有った。
バイオリンを持った園児・小学生・中学生etcが長蛇の列で、自分のバイオリンケースやバイオリンにみどりさんから直筆サインを書いて貰っていたのが印象的だった。

さすが、世界一流・天才バイオリニストとはこういうものかと実感して、非常に心地良い気分でホールを後にし家路についた。

http://www.youtube.com/watch?v=DUUcWKtoALY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=ikX_WXFCMbI

http://www.youtube.com/watch?v=E6Isa8EblE8&feature=related

欧州金融問題について考える Bの4 ギリシャ危機は何故発生したか〜恒久的解決策はあるのか
2010/05/23

何故、ギリシャ発の金融危機が発生したかは論じたので今後について記述する。

■『恒久的解決策はあるのか』 私的結論を述べる■

1.ギリシャを始めとするPIGS諸国が血を流す様な財政改革に耐えれるかどうか。
何しろ財政改革は、日本で実感している様に非常に困難な課題だからだ。

2.ユーロ体制が維持出来るかも、今後の恒久策のカギになると思わざるえない。
そこまで、ユーロはがけっぷちに追い込まれている のだ。

+++++++++++++++++++++++++
上記見解理由について下記に羅列する。

ギリシャの対外債務、借入れ金に至っては2880億ドル(26兆円)と巨額。そのほとんど80%は欧州連合(EU)内の金融機関が融資している。

ドバイが債務不履行騒ぎを起したときの対外債務借入金は10兆円に過ぎないのを比べると、いかに債務が大きいかが分かる。

さらに発行した国債の償還が今年から毎年3兆5千〜4兆5千億円と迎えるが、ギリシャの国家予算12兆円(内赤字国債7兆円)純粋の税収5兆円には到底不可能に思えるからだ。

ギリシャの対外債務26兆円、その80%はEU関係。
そして今年から、国債償還3.5-4.5兆円/年開始。
ギリシャの純税収5兆円しかない。
今後、増税・緊縮対策が採られどの程度、増収が出来るかが注目されるところだ。

欧州財務相の緊急マラソン徹夜会議で、ギリシャに対し向こう3年間で、14兆円の融資額が決定された。
2/3はユーロ諸国で1/3はIMFである。

向こう3年間は、一応大丈夫?ということになるのか・・・これも疑心暗鬼の状態と言わざるを得ない。

ギリシャの財政再建策の骨子は下記の通りである。
     ・公務員の給与凍結・ボーナスや各種手当ての廃止
     ・年金支給額の削減と支給年齢の引き上げ
     ・増税
         付加価値税 21%→23%
         環境税や財産税の導入

この財政再建策が『実行できるかどうかが最大の焦点』になり、投資銀行・ヘッジファンド等の投機筋は虎視眈々と注目して仕掛け時のタイミングを狙っていることは明らかである。
ユーロの下落・欧州株価下落→ダウの下落→NKの下落 の負の連鎖スパイラルを仕掛け、ボラティリティーによる大儲けを企んでおり、第2のリーマンショックになる可能性を潜めていると思えるからだ。
非常に心配事項で、今後の成り行きに注視せざるを得ない。

PIGS or PIIGSという諸国は、大なり小なり ギリシャと同様な財務指標 であり、いつギリシャ化してもおかしく無い状況である。

最後までギリシャのユーロ加盟に反対したドイツ国民は、何故自分達が汗水たらして働いた税金が、働かず豪遊しているギリシャ救済に、使われてしまうのかと反対している。
仮に、ドイツのメルケル首相の政権交代が行われ、ユーロからドイツが脱退すれば、即、ユーロは崩壊するのは確実だ。
先日、ドイツでの地方選挙?でメルケル首相の党派は惨敗しており、ドイツ国民はメルケル首相のギリシャ対策に懸念を抱いている。

数日前、ドイツが 空売り規制 を実施した。
これは、丁度、リーマンショック時アメリカが採用した対策で、日本でも金融庁の指示で実施された。
これをしなければいけない程、投機筋に欧州は狙われているということなのだ。

ユーロ/円は2008年時、約170円であったが最近は113円前後である。
日本人にとって、絶好の欧州旅行の機会になっている。
だが、ユーロが100円以下になる可能性もあるのでタイミングが難しい・・・悩ましい問題である。

先に紹介した日本を代表する世界的エコノミスト:浜教授の著書『ユーロが世界経済を消滅する日』を読んでみたい気分で一杯である。
 

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